木蔦の家

 二人は自宅には戻らず、そのまま直接カレンの家へと招かれた。監視がついていたとしても、エリナード・カレン宅に真正面から特攻してくることはないだろう、との判断だ。
「お帰りなさいませ、師よ――」
 弾む足取りで出迎えたデニスが立ち止まる。そのまま頭痛をこらえるような顔をした。気持ちはよくわかるエドガーだ。思わず吹き出す。
「だよな。お前もお師匠さんがこれじゃ苦労するはずだぜ」
 なにしろカレンはエイメを抱いているのだ。当のエイメもまた、元が芝居気のある女だ、実に楽しげに抱かれている。
「師よ、それではまるで男です! もう少し自覚を持ってください!」
「なんのだよ? 私は私だ。別にどうでもいいだろうが、そんなことはよ」
「でも!」
「うるさい、デニス。仕事すんぞ」
 さも鬱陶しげに言うカレンをエイメが笑っていた。レイも小さく。エドガーもまた。けれど内心ではたと気づく。カレンはカレン。そのとおりだった。外見がどうであれ、仕種がどうであれ、カレンはカレンだ。カレンはカレン自身として確固とそこにある。
「エディ?」
「あ、すまん。なんでもない」
「ほう?」
 にんまりとしたカレンだからこそ、見抜かれた気がしてエドガーは苦笑する。見上げてきたレイには黙って首を振った。あまりにも堅固に立つカレンの存在の在り方が羨ましかった、とは恥ずかしくて言えない。
「レイ。どうしても必要なもの、家にあるか?」
「いえ。僕には特に」
「エディは? 武装の類が必要だよな? 見りゃわかる場所にあるか。そりゃ結構。デニス坊や。仕事だ。跳ばしてやるから取ってきな」
 とんとんと話が進んでいく。エドガーは要領を得ないままデニスに自分の武具を片付けてある場所を伝え、カレンが何事かを呟くうちに彼は転移して行く。たかが隣の家に、と首をかしげるエドガーにカレンは肩をすくめる。
「あんたたちの家に出入りするとこを見られたくねぇんだよ、それだけだ」
 何気なく言ったカレンにいまだ自分は復調ならず、とエドガーは内心で溜息をつく。現役の傭兵がこんなところで後れを取るとは。それににやりとカレンは笑い、そのためにダチはいる、などと呟く。言い返す時間もくれずにカレンは場所を移そう、と言った。いまだエイメを抱いたままだったのはそういうわけか、とエドガーは納得していた。一から十まで後れっぱなしだった。この際、素直に友情に甘えると決めればまた、覚悟も決まった気がした。それを確かめでもしたよう、カレンは地下の呪文室へと移動をはじめた。
「素敵。なんて広いんでしょう」
 魔術師らしくエイメが喜ぶ。自分でこのようなものを持てたならば、と彼女は思うのだろう。どこからともなく現れた背あてのクッションをカレンから受け取り、レイはそれをエイメにあてがってやっていた。
「エイメ。具合は。無理をさせていないといいんだけれど」
「あまりよくはないわ。でもレイ君のためだもの。さっきカレン様からだいたいのところは伺ったの。だから私にできる精一杯のことをさせて頂戴ね?」
「エイメ――」
「そんな顔をしないで、レイ君。だって、戻ってくるつもりでしょう? 黒猫はいつでもあなたがた二人の故郷よ」
 にこりと微笑むエイメにレイが眼差しを伏せた。黙ってエドガーはその傍らにいる。何も言わずレイがもたれかかってきた。支えを欲するように、甘えるように。
「エディ、ちゃんとレイ君と仲良くしなきゃだめよ? あなた、思い込みが激しいから」
「そりゃどういう――」
「エイメ、そりゃ言っても無駄の見本みてぇなもんだぜ。ほっとけほっとけ。なるようになるさ」
 カレンに言われたエドガーこそ、肩をすくめる。二人が何を言っているのかわからない。レイの方はといえば、どことなく納得した風でもある。それにも心が波立った。
「よし、はじめるか」
「そりゃいいけどな。っつか、協力してくれるのはありがたいが……」
「なにすんのかって? 呪文室でお茶会はしねぇだろうよ。魔法だ魔法。あんたに馬作ってやるから乗ってけ」
「……はい?」
 理解の努力を放棄してもいいだろうか。溜息をつくエドガーだったけれどレイの方は興味津々とカレンの言葉を聞いている。魔法というものに強く憧れるレイだ、当然かもしれない。
「カレン様? でも、造形は術者から離れればそれだけ維持がつらくはありません?」
「ただの造形ならな。質量を与えた幻影にすりゃいいんだ。その質量をどこから持ってくるか? これだな」
 にやりとしたカレンの手の中、一冊の本がある。エイメまできょとんとしているのだから他の誰が反応できると言うのか。それを悟っていたと見え、カレンはそのまま呪文書だ、と続けた。
「これがあんたにお使いしてほしいブツでもある。こりゃな、私のオリジナルスペルを記した魔道原書だ。滅多な人間にゃ預けられねぇ。その点、あんたとレイなら信用できる」
 エイメが息を飲んでいた。それでエドガーとレイにもそれがどれほどの重要さを持つものなのかが理解できる。じっとレイはカレンを見つめていた。
「師よ、戻りました。エディさん、確認してください」
 息せき切って駆けてきたということは、デニスは自力で走って戻ったらしい。それを考慮したのか、彼はきちんと何ともわからない形に荷物を包んでいる。エドガーはまずは自分に理解できること、とデニスが持ってきてくれたものを確かめた。
「へぇ。やるな。助かるぜ」
 武器防具の類だけを律儀に持ってくるのかと思っていた、エドガーは。それも使うものも使わないものもわからないだろうと。だが思えばデニスはカレンの弟子。実戦用の武具の区別がちゃんとついていた。それだけを選んで持ってきている。しかも旅立ちに際して必要だろう、と保存食から水袋まで用意を調えてくれていた。
「いえ……そんな。とんでもない」
 ぽ、と赤くなる頬にはじめてエドガーは彼の年相応の若さを見る。よい意味での若さを。その袖をレイが引いた。
「エディ。そんな目で他人を見るな」
「って、おい」
「嫌なものは、嫌だ」
 むっとして言ってのけたレイにデニスがおろおろとし、エイメとカレンが爆笑している。一人エドガーはどうしていいかわからない。話を戻すに限る、と咳払いをしてカレンを見ればにやにやとされた。
「それで、馬がどうしたって?」
 あからさまな態度にレイが機嫌を損ねた顔をする。カレンとエイメ、二人が顔を見合わせては肩をすくめあい、そんな二人にレイは小さく笑ってエドガーの指に自分のそれを絡める。なにがどうしたものか、またもエドガーの咳払い。くつくつとレイが笑っていた。
「いちゃつくのは後にしとけよ? で、馬だな。要は呪文書を魔法で馬に変える、と思っときゃいいさ。呪文書を変換するのは私がやる。エイメは馬の形を作ってくれるか?」
「えぇ、それでしたらお手伝いできますわ」
「あの、師よ。その、エイメさんに不満があるわけではないのですが、それでしたら僕も――」
「お前に手伝わせたら全部私がやるのと変わらねぇっての。結局お前を魔力庫にして私がする羽目になるだろうが」
 う、とデニスが息を飲んだ。どうやら嫌な思い出があるらしい。カレンの指摘にデニスはすごすごと引き下がる。
「デニス君、そこで下がっちゃだめよ。自分にできることは何かって考えなきゃ。偉そうなこと言ってごめんなさいね。でも、先達者からの助言よ」
 ふふ、とエイメが笑った。デニスがまたも赤くなる。小さな返事は何かを理解した証のよう。ふとカレンの表情が和んでいるのを見てしまった。
「なに見てんだよ?」
「いーや、別に?」
 言い合えば、レイの眼差し。そんなものではない、と言いたいし、そうなりたいのはお前の方だとも言えない。結果としてエドガーは黙るよりない。
 そんな二人に目を留めたカレンとエイメがまたも肩をすくめる。デニスが首をかしげ、けれど仕事をはじめた二人の魔術師にすぐさま追随する。エドガーとレイには何をしているのかはわからない。デニスは立っているだけだったし、二人も大げさな身振り手振りするわけでもない。それでも何かがはじまってはいた。
「ありがたいものだと、本当に思う」
 呟くレイの声は小さい。魔術師たちの集中を乱すまいとしてか。エドガーはいまならばからかわれずに済むか、とレイの手を取る。ふ、と見上げてくる眼差し。苦笑して肩を抱きなおした。ほっとした息遣い。預けてくる頭の快い重さ。
 そう長い時間ではなかった。それでもカレンとエイメの集中の度合いがわかるというもの。二人はうっすらと額に汗を浮かべていた。カレンの手からいつ呪文書がなくなったのかも、エドガーは覚えていない。気づけば、二人は手を取り合っていた。繋いだ両の手。輪を描くその空間を、二人は少しずつ広げて行く。手を離し、指先だけが触れ合うまで、触れ合う場所がなくなっても。一歩ずつ後ずさり、二人が同時に息をついたとき、突如としてそこに馬はいた。
「な――!」
 さすがに驚いた。瞬きの間に馬が出現するなど、驚かない方がどうかしている。エドガーの上げた声にカレンはさも自慢げににやりとして見せた。
「どうだ、驚いたろ? うん、エイメ。いい腕してるな。さすが黒猫の魔術師だぜ」
「まぁ、カレン様に褒めていただいたなんて。一生の誉れに思います」
「なに言ってんだかな。まだまだここから、だろ? 魔術師の一生なんて死ぬまでそんなもんだ」
 ひょい、と何気なく肩をすくめるカレンを紛れもない憧れの眼差しで見ているエイメ。二人は魔術師として同じものを見ているのだろう。たとえ技量がかけ離れていたとしても。
「これ、乗って行きな。飼葉も水もいらねぇよ。これはここにあってここにない。いや、ありはすんだけどよ、実体とも言いきれねぇっつーか。――とりあえず、頑丈で便利な馬だと思っとけ」
 ものすごく説明を端折られたような気がする。が、エドガーはそれを受け入れた。どうせ説明されても理解できない。
「ありがたい。なんと礼を言えば――」
「やめろって。私は使いに行ってほしいんだっての。私利私欲の私欲まみれだ、気にすんな」
 照れたようなカレンの声音にエドガーがつい微笑めば、なんとも言いがたい目をしたレイが見上げてくる。エイメが吹き出した。
 二人きりになるのは嬉しい。けれどこの場所とここで築いてきた関係は失われてしまう。エドガーは内心で首を振った。いつか、戻ってこられれば、と。気持ちを切り替え、カレンに問う。どこに届けるのだ、と。
「うちの師匠んとこさ。――師匠は、アリルカにいる」
 精悍に笑ったカレンにエドガーは言葉もなかった。アリルカ。伝説の国。思わずレイを見やれば彼はうっとりと微笑んでいた。




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