「まぁ、素敵。エディ、お迎えよ」 狼の巣に到着した軍は誰もが血だらけだった。エドガーも例外ではない。中でも最も傷の重かったのは、エイメ。自力で馬に乗ることもできず、エドガーの前、横抱きに乗せられていた。それでいて彼女は笑う。楽しそうに。 「黙ってろ、エイメ」 エドガーにはわかっている。巣に到着するまで兵に不安を与えるわけにはいかなかった。だからこそエイメは平気な顔をして見せる。渋い顔のエドガーを誤解しのだろう、彼女はくすくすとまた笑う。 「あら、妬かれちゃうかしら?」 巣の門の前に向けて彼女は手を上げた。振ることもできないくせになにをするのか、言いたくても自衛軍がいる。そうも出来かねるエドガーに向けられた眼差し。 「……エディ」 強張ったレイの声。出迎えに立ってくれたのではないだろう。五日の行軍、と伝達してあったのはエディ小隊のみ。自衛軍には言っていない。無論、レイにも。だから迎えではなく、たまたま通りがかっただけなのだろう。 「よう、レイ」 片手を上げた拍子にエイメがずり落ちそうになる。慌てないよう心掛けながらエドガーはエイメの腰をそっと抱いた。傷に障らないよう注意しながら。それにレイが表情を硬くした。 「ただいま、レイ君。妬いちゃったかしら?」 ふふ、と笑ってエイメは自ら馬から滑り降りる。自分で動いたエイメに自衛軍のほっとした息遣い。さすがにレイもおかしい、と気づいたのだろう、何事かを問うような視線をエドガーに向けた。 が、答えは得られない。それ以前にエイメが崩れ落ちた。咄嗟にレイが彼女を抱きとめる。ぞっとするほど冷たいエイメの体。ざわりと浮き足立つ自衛軍。 「ったく。だから無茶すんなって言ってんだ、馬鹿女」 からりと笑ったエドガーに騒ぎが静まった。一瞬、ただそれだけで。指揮官の力、というものを目の当たりにしたレイの眼差しにくすぐったい思いがする。けれど実際それどころではない。 「タス、ユーノ!」 小隊の中でも彼らはエイメに次いで傷が多い。乱戦の中、エイメを救い出した兄弟だった。それでも彼らが途轍もない後悔をしているとエドガーは知っている。側にいた兄弟。魔術師の護衛を務めていた兄弟。エイメを陥とされてしまった兄弟。 「薬草師の手配、頼むぜ」 物も言わずにタスがユーノの後ろにひらりと飛び乗る。空いた馬をどうするのか、と思っていたらにやりと笑われた。 「小隊長が使ったらいいさ」 それだけ言って相乗りのまま駆けて行った。肩をすくめてエドガーはエイメを見やる。完全に失神していた。レイまで気を失いそうな顔をしている。 「各部隊長は感想戦を。とっくり反省しろよ?」 自衛軍の指揮官に言いおけば真っ青な彼らだった。エドガーはそれにうなずいて見せ、レイを振り返る。 「悪いな、重かっただろ」 エイメを受け取れば、レイの腕が彼女を抱いた形のまま固まっていた。ぎゅっと噛みしめた唇が、血の気の薄い彼の唇を赤くしている。 「悪いが、もうちょっと手伝ってもらうからな」 「……僕に、何が」 「エイメを支えててやってくれ」 自分の馬の上にエイメを押し上げ、レイの腰を掴んで馬に乗せる。そのまま落ちないよう、エイメを支えてくれ、と言えば硬くうなずいたレイ。 「行こうぜ」 小隊の面々はすでに散っている。兄弟は薬草師の手配に、他は隊への報告に。あるいは自衛軍の監督に。申し合わせをしたわけでもないのに全員がすべきことをしてくれている。ありがたい、つくづくとエドガーはそう思う。 エドガーはタスの馬に跨って自分の馬の手綱を取る。半ば軍事基地とはいえ、非常時でもないのに町中を疾駆させるわけにはいかない。速足程度に収めていたけれど、それでも馬に乗れないレイは緊張していた。 「違う」 「うん?」 「……エイメが。いったい」 そう言えばレイは事情をなにも知らなかった。馬がどうのではなく、緊張して当たり前だった。エドガーはこれでもずいぶんと慌てていたのだ、とレイに気づかされる。思わず浮かんだ苦笑にレイが厳しい顔をした。 「すまん。――戦闘でな、エイメは重傷だ」 息を飲んだレイ。支える腕にそっと優しさがこもる。不意に羨ましくなってしまった、エドガーは。もしエイメが自分であったならば、レイの腕はあそこまで優しいだろうか。そんなことを思ってしまう。 無言のまま馬を急がせた。兄弟は隊舎に薬草師を連れてくるだろう。エドガーはそれを見越して急いでいた。そして隊舎の前、ユーノが手を振っているのを見つける。案外早く手配は済んだらしい。ユーノに片手を上げれば隊舎の中に彼は駆け戻っていった。 「もうちょっと支えててくれよ。そう、頭を持って。おう、助かった」 馬からおろしたエイメを腕に抱える。そしてはたとレイをおろしていないことに気づくありさま。やはり、慌てているらしい。 「大丈夫だ。自分で、おりられるから」 強張った顔でレイが馬から滑り降りる。むしろ滑り落ちる、と言ったほうが正しい。けれど少し誇らしげな。エドガーは何も考えないようただうなずいた。 「大丈夫なのか、僕より。エイメは」 隊舎についてしまえば自衛軍の目はない。他を憚ることもなくなったエドガーは厳しい表情を隠さない。腕の中のエイメが刻一刻と重たくなっていくような、嫌な気配。 「傭兵は頑丈なもんだからな。大丈夫だ」 そう信じたい。言葉にしなかったエドガーの声が聞こえたかのよう、レイがうなずいた。それから黙ってエドガーに一歩寄り添っては共に進む。まるでここにいる、自分が支えになる、そう言ってでもいるかのように。 「開けてくれ」 レイに頼んで開けてもらった部屋はエイメの私室。普段はタウザント街の貸家で寝起きしている彼女だったけれど、不便を嫌ってこうして営舎にも部屋があるのはありがたかった。薬草師はすでに待っているだろう。そう思ったエドガーが気の抜けた顔をした。 「ってあんたかよ?」 「不満か?」 にやりと笑ったのは彼女の寝台に腰かけたカレン。思えば薬品類も扱う魔術師だ。下手な薬草師よりよほど腕はいいと我が身で知ってはいる。 「そんなことよりさっさとしな」 言われるまでもない。兄弟が傷の状況を伝達していたのだろう、弟子のデニスが準備を調えている。彼もまた青い顔をしていた。 エドガーはカレンが立ち上がった彼女の寝台にそっとエイメを横たえる。紙のような顔色で、エイメは気を失ったままだった。 「剥ぐぜ。おい、デニス。外に出な」 「え……師よ?」 「若ぇ娘さんを素っ裸に剥くんだ、てめぇが見ていいようなもんじゃねぇだろうが。それともあれか、美人の裸が見たいってか?」 「そんなことはありません!」 真っ赤になったデニスが足音高く出て行く。扉まで叩きつけていたから、羞恥より怒りが先に立ったか。苦笑するエドガーはレイを促して自分たちも立ち去ろうとした。 「あんたまでいなくなったら手が足らねぇだろうが。手伝えよ」 「俺も一応は男の内なんだがよ?」 「ほざけ。彼氏持ちが女の裸見ても問題ねぇだろうがよ」 ばっさり切り捨てられたが、そもそも女である以前に戦友だ。エイメも気にしないはずと一つ肩をすくめて彼女の服に手をかける。傷に障らないよう、そっと剥げばレイが呼吸を止めた。 「……酷い」 まろやかな胸も、白く滑らかな腹も血だらけだった。口許を覆ったレイに今更ながらの懸念。その眼差しを感じたのだろうレイが気丈な顔をして見せた。 「大丈夫。あまりにも、酷くて」 血の色に気分の悪くなる人間はいる。男にも女にも。レイはそれを耐えると言う。おそらくはエイメのために。 「エイメ、聞こえるか。エイメ?」 手早く血を拭いながらカレンがエイメの頬を平手で軽く叩いていた。それから渋い顔をする。エイメはどうにも目覚めそうにない。 「カレン。エイメは――」 「気楽に大丈夫だって言ってはやれねぇよ。得物はなんだった?」 「本人がインプの尻尾にやられたって言ってた」 「なるほどな。毒か。厄介だぜ」 ぎゅっと寄せられた眉根。エドガーは不安になってくる。仲間を失ったことはある。けれどできることなら二度と体験したくはない。 「エイメ。頑張れ、いま、カレン師が助けてくださるから。頑張れ」 レイがその手を握っていた。聞こえていないだろうエイメに語りかけ、懇願する。励まし、叱咤する。胸を掴まれそうになったエドガーの前、カレンが肩をすくめた。 「しょうがねぇな。許せよ、エイメ」 言い様に枕元に用意してあった水薬を一息に煽る。そのままエイメに覆いかぶさっては口移しに飲ませた。エイメの喉がかすかに動く。飲み込んだと見るやカレンがほっとした顔をした。 「あんたな、エイメはこれでも乙女なんだ。そういうことするんだったらうちにだって女の隊員はいるんだぞ」 「待てコラ。私は女だっつーの」 「あ……。悪い、マジで忘れてた」 本気で失念していたエドガーをカレンは剣呑な目で見つめる。それからレイを見ては大袈裟に嘆いて見せた。 「ロクな男じゃねぇよな? こんな美人を捉まえて忘れてたってぇのはどういう了見だよ」 「カレン師はとても精悍で頼もしいから。エディの言いたいことはわからなくもない。だから僕は妬ける」 「――待て、エイメが先だ。カレン、治療治療。そっちが先だろうが!」 「なに慌ててやがる?」 にやりとしたカレンにエドガーは顰め面。何を言い出すかわかったものではない魔術師相手だ、警戒して悪いことはない。 「手伝いな、エディ」 けれどカレンも治療は優先するつもりらしい。放り投げてきた傷薬をエドガーは手に取りエイメの傷に塗りつけて行く。気を失ったままでも痛みが走ったのだろう、身じろいだエイメをレイが支えていた。 「頑張って、エイメ」 寝台の横に膝をつき、レイはエイメの手を握り続ける。耳元に囁きかけ、何度となく励ます。いっそ自分がエイメになりたかった。 「馬鹿なこと考えてんじゃねぇぞ。ぼけっとしてる暇があったらさっさとやんな」 その耳にカレンの小さな声。レイには聞こえないよう気にはしてくれたらしいカレン。ぐっと唇を噛み、エドガーはうなずく。他はどうあれ、エイメを失いたくはなかった。 |