木蔦の家

 イーサウ自衛軍には十日に一度の休養日がある。何もそれを潰してまで特訓する緊急性はないことから、当然にして黒猫も休日だ。イーサウに到着したばかりの黒猫は、何かと雑用に追われていた。休養日にのんびりと休みを楽しむことができるのは、実に今日が初めて。
 エドガーもこの日をもちろん楽しみにしていた。いままではやれ書類が足らない、会議がある、と台無しになっていた休日。はじめてレイと二人、どう過ごそうかなどと考えてしまう。イーサウの街に遊びに行くのもいいかもしれない。そんな風に思っていたのに、まさかこうなるとは思ってもみなかった。
「よう、エディ」
 元凶は案の定と言おうかカレンだ。朝も早くから二人の家を訪れるなり笑って片手を上げる。どうにも嫌な予感がしたエドガーは顰め面を隠さない。カレンの後ろにデニスがいる、それもあったのかもしれない。
「そう警戒すんじゃねぇよ。取って食おうたぁ言わねぇ」
「バリバリ行かれそうで怖いんだっつの」
 さもぞっとした、と言わんばかりのエドガーが自らの腕で体を抱えて見せる。それに豪快に笑うカレンだった。くつり、とレイも笑ったからエドガーとしてはそれでよし、というところだ。
「用事ってのは他でもねぇ。レイを借りてぇんだがな。いいか?」
 嫌だと即答したい。心の底から言ってしまいたい。が、ちらりと見やったレイはうなずいている。彼がついて行く、と言うのならばエドガーは反対はできない、立場上。肩をすくめて同意をすればカレンが内心を見抜いたようにやりと笑った。
「心配すんな、ちゃんと面倒は見るからよ」
「あんたな、レイが――」
「わかってるわかってる。心配すんな。代わりにって言ったらなんだけどよ、デニス貸してやるから」
「いらねぇよ!」
 こればかりは先ほど考えたより遥かに速く即答した、エドガーは。剣先並みに鋭かった、と笑うカレンにレイまで微笑む。デニスはきょとんとしてその師を見上げていた。
「師よ……」
「エディ、悪い。子守ついでに鍛えてやってくれ」
「はい?」
「私がやるべきなんだがな、たまにゃ男の筋力で叩きのめされるってのもいいだろ。女の私に手加減されてんだってことを坊主は自覚するべきだからよ」
 なるほど、デニスはカレンとの訓練で師が手心を加えている、ということを理解していないらしい。ぽ、と赤くなったデニスの頬にエドガーは羞恥を見る。それならば鍛えがいはある、確かにそれは間違ってはいない。けれど。
「あんたなぁ……」
 待望の休日を邪魔しておいてなお用事を言いつけるか、そう思えば不快だ。はっきりとそれを示すエドガーの袖をふとレイが握った。
「……エドガー」
 なにか言いたいことがある、けれど言うに言えない。意味はわからない。言えない理由が、見当もつかない。けれどレイは自分の意志でカレンと共に行く、と言う。エドガーは溜息を一つ。
「――わかったよ。俺は小僧と留守番してる」
「すまない」
「土産の一つも買って来いよな?」
「そこは土産なんかいらないから早く帰れ、と言うところじゃないのか?」
「言わなくても飛んで帰ってくるのは知ってるぜ?」
 ふふん、と鼻で笑ったエドガーにレイは微笑む。途轍もなく綺麗で、他人が見ていることがこんなにも悔しい。腹立ちまぎれ、人目もかまわずレイの額にくちづければくすぐったげな、けれど嫌がってはいない笑い声。
「行ってくる」
 名残惜しげに袖を離したレイ。いつまでも見送っていたかった。扉のところで仕方ないやつ、とばかりカレンが振り返っては片目をつぶる。それに苦笑してエドガーはデニスを振り返る。
「仕方ねぇ。外に出な」
「え……あ、はい」
「そっちじゃねぇよ、裏だ裏」
 背中を押せば、頼りない薄い背だった。訓練をしろ、と言われてようやくエドガーは気づく。彼は魔術師だ、と。首をかしげたものの、思えばカレンの弟子だ。彼女の剣の腕を考えれば、確かに弟子も体を鍛えるくらいのことはすべきだろう、たぶん。
「薪割りしな」
 エドガーが普段鍛錬に使っている裏庭には手ごろな長さに割った丸太が積んである。手斧を渡してデニスに言えば、信じられない、といった顔。
「あの、薪が必要なんだったら、僕が魔法でできます! 任せてくだ――」
 ごん、ときれいな音がした。溜息まじりのエドガーがデニスの頭に拳を落とす。涙目になったデニスが恐る恐ると彼を見上げた。
「あのな、誰が薪がいるって言ってんだよ? カレンが鍛えてやってくれって言ってただろ。訓練だ訓練。さっさとやんな」
 なにがなんだかわからない、そんな表情のままデニスは手斧を取る。そう時間が経たないうちにエドガーは顔を覆う羽目になった。よろよろとしたへっぴり腰がなんともみっともない。
「お前なぁ。師匠があれなのに、何やってたんだよ?」
 手斧を奪えば息も絶え絶えのデニス。反論する気力もないらしい。それでもやめろと言われるまで続けたことは評価する。
「力任せに振るな。手斧ってのは重さがあるもんなんだ。それを利用する。腰を決めて、体の中心に芯を入れる」
 弄んでいた手斧がエドガーの片手の中、生き物のように動く。目を見張るデニスの前、すっぱりと断ち割られた薪ができた。
「信じられない……!」
「力任せにやろうとするからそうなるんだ」
「でも、その、僕は……」
「なんだよ?」
「あの、魔術師なんです。だから、手斧を使う機会なんて、あんまり……」
 もじもじと言うデニスにエドガーは肩をすくめる。それにデニスははっとしたらしい。意味があってやっていたことなのだ、と。さすが魔術師の弟子、というべきか。飲み込みはいい。
「だったらお前の師匠みたいに剣でも使うか? その体で?」
「それもどうなんでしょうか。ご存じの通り、我が師の剣は鋼のそれではなく――」
「あのな、坊や。だったらカレンが練習はじめたときにゃもうあの魔剣を使ってたってことか? どう考えてもそりゃねぇだろうが」
 言われてデニスは唖然としていた。考えたことがなかったのだろう。思えば若き魔術師のデニス、歴戦のカレン。二人の間には途轍もない時間の流れがある。デニスにとってカレンははじめからそこにそうして存在していたのだろう。
「だからまず体を作る。それから剣を使う。魔剣を作って使うのはそれからだろ。使えるならな」
「エディさんのご同僚の――」
 ふとデニスはエイメがどう戦うのか気になったのだろう。彼女もまた傭兵で、戦闘に出るのだと今更気づいた顔をする。
「エイメは――。って言ったら本人来たぜ。噂すりゃなんとやらってやつだな」
 よう、と片手を上げたエドガーに応えて現れたエイメもまた手を上げる。デニスの姿を認めた彼女は怪訝な顔をしていた。
「カレンに子守押しつけられたんだよ」
「あら、それでレイ君はカレン様と逢い引きかしら?」
「……言うんじゃねぇ。ただでさえこっちは腹立ってんだぞ。八つ当たりされたくなかったらよけいなことほざくなよ」
「あら、ご機嫌ななめね」
 ふふ、と笑ったエイメにデニスが感嘆の眼差しを向けた。紛れもないエドガーの殺気にへたりこみそうだったデニスだというのにエイメは笑っているだけ。信じがたかった。
「で、なんの用だよ? 姐さん」
「別に。レイ君とお喋りしようかと思ってきただけよ」
「だったら手伝えよ。この坊やに魔術師の戦闘方法をご教示願うわ」
「だったら模擬戦が一番、かしら?」
 くすりと笑ったエイメが素早く剣を抜く。休日とは言え傭兵だ、武器を手放すことはない。そしてエイメはカレンのよう魔剣を使う魔術師ではない。そして戦闘に出る魔術師でもある。当然身を守る程度であっても剣は使えた。
 魔術師の長衣姿のまま楽しげに剣を振るエイメと笑いながらそれを弾き返すエドガー。舞踏のようで、しかし真剣。デニスが食い入るようそれを見ていた。
「こんなものかしら? デニス君、私はカレン様のような魔術師にはなれないわ。あの域には到達できない。でもこれが私の戦い方」
「エイメさんも……体を鍛えたりなさるんですか?」
「当然じゃない。私は傭兵よ? この体一つで食べてるんですもの」
「って言うと卑猥だよな」
「それ、やめてちょうだいよね、エディ。女性を馬鹿にした発言だわ」
「誰がだよ? 俺は相手が野郎でもおんなじこと言うぜ」
「言われてみればあなた、そういう男よね。いいわ、許してあげる」
 光栄の至り、と冗談のようエドガーが頭を下げる。偉そうにエイメが謝罪を受け入れる。デニスはそれをぽかんと見ていた。あれほど激しく剣をかわしていたのにエイメは息切れ一つ起こしていない。
「だからそれは訓練次第よ、デニス君」
 うっとりと微笑む、貴婦人のようなエイメだった。どちらかと言えばカレンよりよほど魔術師が似合う。そのエイメにして。そしてカレンに思いが及んだエドガーは舌打ちをする。
「どうしたの、エディ?」
「レイだよ。心配しちゃ悪いか」
「あの、エディさん。よかったら僕が我が師に尋ねてみましょうか?」
 精神を接触させれば連絡が取れるから、と誇らしげにデニスは言う。けれどエイメは肩をすくめ、エドガーには睨まれた。
「あのな、坊主よ。お前が知らなくてカレンは知ってるこっちの事情ってやつがあるんだ。お前じゃ用が足らねぇんだよ」
 はっとしたデニスだった。それにエドガーはいらないことを言ってしまった後悔をする。溜息にエイメが笑う。
「いいわ、私が尋ねてあげる」
 言い様にエイメが視線を宙に投げた。便利だな、とエドガーは思う。もしそのような手段がこの手にあれば、レイのことがいつでもわかるのにと。そしてエイメが吹き出した。
「逢い引き中に邪魔する野郎は馬に蹴られてろ、だそうよ?」
「エイメ、伝言。帰宅次第叩きのめす、覚悟しとけ」
 正確に伝えたのだろうエイメの表情、ぞっと身を震わせたデニス。エドガーはそれでもカレンの言葉にレイに関する懸念は不要、それを読み取る。腹の立つことに違いはなかったが。




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