木蔦の家

 しつこいほどに連携連携と言ったおかげか、自衛軍もずいぶん様になってきた。以前は強壮を誇った軍だ、訓練次第で物にはなる。どこぞの近衛軍ではないのだから基本はできている。教導役としては教えがいのある軍だった。
「散開!」
 つらつらと考えながらでもエドガーの体は訓練通りに動いていた。エドガー小隊十名を自衛軍側の小隊三隊が包囲殲滅しようとする、その設定で行われている演習だった。
 こちらは一部隊であちらは三部隊、これで包囲できなかったならば頭の痛いことだ、とエドガーは思っている。なにしろ名前こそ同じ小隊でも構成人数が違う。そんなことになった日には訓練計画の総見直しだ。が、幸いにも今のところはうまく行っていた。
「エイメ!」
 演習であっても、だからこそ、エドガーは手を抜かない。当然のように魔術師が参戦している。自衛軍側にもいるのだけれど、エイメほど実戦経験がない。彼女の戦闘魔法を見せるにはうってつけだった。
 エドガーの要請に応えるより早く、エイメが魔法を放つ。すでに準備が整っていたらしい。にやりとしながらエドガーは剣を振る。一応は訓練だ、刃を潰した剣を使っている。とはいっても当たり所が悪かったならば死んでしまうが。そこをなんとかするのが傭兵隊の腕、ということになる。
 剣の腹に殴られて落馬した人間をよけてエドガーは吶喊する。部下たちはそれぞれが自分の意志で動いているように見えることだろう。が、打ち合わせてもいないのに規律通りに動けるのもまた傭兵隊というもの。自衛軍を攪乱する部下たちを目の端に、エドガーは剣を掲げる。すぐさま集合する彼らに自衛軍はきりきり舞いさせられていた。
「タス、行け」
 集まってきた部下の一人を付けてやり、タスを突っ込ませる、と見せて彼は横手へ逸れて行く。離脱、と見くびったのだろう自衛軍はあっさりとタスに背後にまわられた。
「ありゃりゃ。あの辺がまだ緩いですなぁ」
「だったら突きな」
「へいへいー。行くぜ、野郎ども」
 兄弟を遠望していたユーノののんびりとした声。苦笑してエドガーも戦闘を続ける。簡単に包囲を許す気は更々なかった。
 結局苦労に次ぐ苦労の結果、自衛軍はなんとかエドガー小隊殲滅に成功した。もちろん最後まで立っていたのはエドガーだ。
「ほんと、無類に強いよなぁ、小隊長ってば」
 タスかユーノか。褒められてはいるのだけれど、エドガーは機嫌がよくない。レイに何を吹き込んでくれたのか、といまだ根に持っている。すでに額の傷も完治しているというのに。
「指揮官、集合してくれ」
 エドガーの声に自衛軍の指揮官が集まってくる。タスとユーノが背後で肩をすくめた気配がした。が、エドガーはかまわない。それより気になっているのはレイだった。先ほどから彼が観戦していたのは知っている。おそらくは人間の集団に慣れようとしているのだろう、レイは。いまでも人がいるところには出たがらない彼だ。ましてここにいる大多数が男性だ。力仕事なのだから女性が少ないのは致し方ない。
 自衛軍の指揮官に演習の所見を細々と伝える。エドガーの分析は正確で、理解しやすいと評判だった。どうやら武術指南役で、というより飲み込みのよくないチャールズのお蔭でそのあたりが磨かれたらしい。
 仕事をしながらもエドガーは背後の気配を窺っていた。タスとユーノがレイに話しかけている。時々エイメの声もするから、兄弟はレイへの心配りを忘れてはいないようだ。
「だからさ、小隊長がもてるのはほんとなんだけど」
「でもところかまわず相手かまわずってわけじゃないから」
「それどころかさ、あの人。すっごい好みにうるさいよな?」
「ですです。一晩いくらだよ!?みたいな美女にしなだれかかられてたのにあっさり振ったの見たことありますよ、ユーノ君」
「毎日切ない眼差しで演習見に来てた美形もいましたよね、タス君」
「ですよなぁ。でも」
「なびかないんだ、これが」
 タスとユーノの言い訳なのか説明なのか。エドガーとしては頭痛しかない。エイメがころころと笑っていた。どうやら助けてくれる気はないらしい。
「だからさ、レイさんだけだぜ?」
「こんなに長く続いてるの、見たことないよな?」
「ないない、浮気もんだもん」
 けらけらと笑っている兄弟をエイメが見やる。それから処置なし、と肩をすくめた。レイはどうすればいいのだろう、と困っているらしい。まだ笑い続けている兄弟の頭、エドガーは物も言わずに拳を落とす。
「ってぇ!」
 声が揃って振り返る。そこにこめかみをひくつかせているエドガーを見つけ、兄弟は綺麗に揃った笑顔を作る。
「お前らな? 褒めるか嵌めるかどっちかにしろよ」
「褒めてましたよ小隊長」
「ですです小隊長」
「嘘つきやがれ!」
 怒鳴ったエドガーにレイが笑った。それにほっと息をついたのなど彼は知らないのだろう。それでいいとエドガーは思う。
「でも、兄弟の言う通りよね、エディ。ずいぶん長く続いてるじゃない?」
「あんたまでなに言いやがる」
「別に? あれかしら、そろそろ誓約式の予定があるのかしらーって思っただけよ?」
「げ。小隊長が一人に縛られるなんて――」
 タスの言葉が途中で止まる。もちろん止めたのはエドガーだ、実力行使で。思い切りよく背後から彼の首を腕で決める。潰れた声に慌ててユーノがエドガーの腕を叩いた。
「小隊長、いまのはタスが悪いから! 死んじまうから!」
「殺しゃしねぇよ。馬鹿どもが」
 ふん、と鼻を鳴らしてエドガーはタスを解放した。ぜいぜいと息を荒らげ、少しばかり恨めしそうに見やってくるタスをエドガーは一瞥する。微笑んで見せれば、さすがに申し訳ないことをしたと理解したタスだった。
「あー、レイ」
「君がもてるだろうことはよくわかる。別に気にしていない。いまは――僕のものだから。浮気は許さないけれど」
「浮気をするような男に見えるのか、俺が」
「見える、と言ったら怒るのだろう? そうか……エイメの提案は考えるに値するな」
「はい?」
 にこやかなレイの考えていることがわからない。人前でのレイはいつもこうだ、とエドガーは困惑している。あとで二人きりになったとき、普段の彼に戻る姿を見るのがつらいだけかもしれない。
「だから、誓約式だ」
「いいじゃない。レイ君だったらきっとなに着ても似合うわね。でも、そうね……。あえてきっちり古典に作り込んだほうがずっと引き立つかも。きっと素敵よ、レイ君」
「着飾るものなのかな?」
「だって一世一代の晴れ姿だもの。エディには何を着せようかしらね」
「なにを着ても似合うと思う。僕の男だから」
 にこりと笑うレイにエドガーは内心で顔を顰めていた。エイメは面白がって言っただけだろうけれど、あとで家に戻ってから物の弾みだったすまない、と言われるのは自分だ。いっそ誓約式を本当にしたいと思っているのに、言いだすことはおろか、根本的に愛し合ってなどいないというのに。
「ほんと言うものよね、レイ君って」
「だから長続きなのかなぁ、小隊長と」
「うっとり見つめてくる眼差しよりはっきりきっぱり愛の言葉?」
「だとしたらエディはずいぶん野暮な男よね」
 兄弟にエイメまで同調しはじめた。ここは退散するに限る。ちょい、と指先でレイを招けば小さく笑った彼が寄ってくる。
「行こうぜ。おもちゃになってることはない」
「いいのか?」
「これ以上あんたに戯言吹きこまれるかと思うと俺の胃が壊れる」
 断言したエドガーにレイが吹き出す。本当に、逃げ出したばかりのころに比べれば格段の回復ぶりだった。それだけで、エドガーとしてはどれほど安堵していることか。
「エドガー」
 ぽそりとした小声。どことなく照れてでもいるような、そうではないような、なんとも言いがたいレイの声に彼を見下ろせば、わずかにうつむいたレイ。
「あ……いや、その」
「誓約式がどーのって戯言なら、俺は聞かなかったぜ。だろ?」
「――そうだな、それでいい」
 ふ、とレイの口許が笑みを刻む。それなのに、苦さが見えていた。まるで本当は誓約式がしたかった、とでも言うように。恋人同士でもないはずが。
「そう言えば、タスとユーノが」
「なに言われた?」
 ぎゅっと抱き寄せたエドガーに、レイが微笑んだ、嬉しそうに。それから何も不都合なことは言われていないしされていない、と呟く。ほっとしたエドガーに彼は肩先を預けて歩き続けた。
「そうではなくて。剣の鞘に、綺麗な装飾をしていたな、と思って」
「あぁ、剣の輪か。傭兵はよくやるんだ、ああいうの。なんか豪華で煌びやかだろ? 花街でもてるようにってやつだな」
「君はしていないのにもてるんだな」
 言ってレイがくすくすと笑った。寄り添って歩く姿は、誰が見ても仲のいい恋人同士。違うと当人だけが知っている。
「あのなぁ」
「僕は……心が狭いんだ。君がどこかに行くのは、嫌だと思う」
「行く暇も予定もありません」
「暇があったら行くのか」
「だからないって」
「あったら、だ。どうするんだ、エドガー?」
 そんな気はない、いまはレイがいる。言っていいのだろうか。いけないような気がする。夜色のレイの眼差しに捉えられ、エドガーは口を閉ざす。閉ざそうとは、する。
「あんたがいるだろ? 俺の余暇は全部あんたで予定が埋まってる」
「僕は――」
「無理強いされてるわけでも我が儘言われてる覚えもない。まぁ……俺が好きでやってることだな」
 見上げてきたレイの目。何かを問うているのはわかる。なぜ、そこまでしてくれるのか。そう言われているような気がしなくもない。さすがにそれには答えられない、といまは思う。いつかは、言ってしまうかもしれない恐怖と共に。本心を告げたそのとき、自分はレイを失うだろうと予感する。
「好きで、か……」
「レイ?」
「いや。なんでもない。帰ろう、エドガー」
 ほんのりとしたいつものレイの笑みだった。それでもこれだけ時間を共にしてきた、何か思い煩っている、それだけはかろうじてエドガーにも理解できた。




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