「さぁ、お茶が入ったわ。カレン様もどうぞ」 まるで場を計ったかのような間のよさでエイメが顔を出す。エドガーを見てにやりと笑ったから、あるいは本当に計っていたのかもしれない。 「ありがたいな、いただくとしよう。それはそれとして、エイメ?」 そしてたぶん、エドガーが気がつかなくとも、カレンは気づいた。いまは二人を黙って見守るべきだ、とでも言うようカレンはエイメに向けて片目をつぶる。 「はい?」 四人分の茶を手際よく並べてエイメは幸せそうだった。こうしていると傭兵隊付き魔術師だなどとはとても信じられない。 「そのカレン様っての、止めないか。様って柄じゃねぇだろうが、私は」 肩をすくめるカレンにレイの口許がほころんだ。見ているエドガーは気が気でない。先ほど、あのように言ってはくれた。けれど自分のいる意味が、失われているような、そんな気分までは去らないでいる。 「でも、私にとっては本当に素敵な、憧れの方ですもの」 微笑むエイメにレイが首をかしげる。話して、とねだっているようなその姿。イーサウまでの時間がエイメとレイを近づけもしたのだと気づいてしまう。自分がいない間の護衛を彼女に頼んだりするのではなかった。思ってももうたぶん、遅いのだろう。エドガーは無言になりそうな自分をあえて叱咤する。このまま沈んでいけば、レイが妙に気にするではないかと。気にもしてもらえなかったら、寂しいからそう思うのかもしれない。 「知っていて、レイ君? この方はね、私たち魔術師の、いずれ総帥となるお方なのよ」 ぱちりと片目をつぶって見せるエイメにレイは驚いたらしい。さすがにエドガーも沈鬱になっているばかりではなくなった。勘もいい、懐も深い、人間としての出来が違うとは短い間でもよくよくわかった。けれど重要人物か、と言われれば首をかしげざるを得ない女だとも思ってしまう。レイ越しに、彼女を見るせいかもしれない。ふと気づいたエドガーは内心で苦笑する。 「総帥ってなぁ……」 「そうでしょう、カレン様? カレン様は、いずれリィ・サイファの塔を継ぐ方。エディは知ってるわよね、タイラント・カルミナムンディの話」 「昔お前が話してたやつだろ? 殺された世界の歌い手の話」 「世界の歌い手のことなら、僕も多少は」 昔話としてレイも知っていたらしい。エドガーはエイメの話をさらうつもりでもう一度ざっと話して見せる。レイは自分の知っている話と同じだ、とほんのり微笑んだ。そしてカレンを見る。昔話とどう繋がるのか、と。 「いまのリィ・サイファの塔の管理者、つまり魔術師の総帥たる方は、世界の歌い手と称されたタイラント・カルミナムンディの後継者であるタイラント・イメル師なのよ。そしてカレン様はその後継者なの」 「そりゃ、とんだ良血だな……」 「ちょっとエディ? 馬じゃないんですからね、良血はないでしょう?」 肩を聳やかせて怒るエイメと叱られるエドガー。まるで姉弟のようだった。こらえきれなかったよう、ぷ、とレイが吹き出し、慌てて表情を取り繕った。 「いや、でもエディが正しいな。確かに良血ではある。でもな、エディ? 我々魔術師の血ってもんは自分で勝ち取るもんだ、生まれも育ちも関係ねぇ。だいたいイメル師と私は一滴の血の繋がりもねぇしな」 からりと笑うカレンにエドガーは負けそうだ、と思ってしまった。否、すでに負けている気がする。男として、否、人として。せめてそこまでのぼって見せると言い切る気概がいまはまだ湧いてこない。だからこそ負けだとも思う。 「では、そのイメル師が、カレン師の師なのか?」 レイの問いにエドガーは背を伸ばす。いま、自ら叱咤したばかりだというのにもうか、と思えば情けなくなりもする。 「いいや。私の師匠は、んー。エディ、ラクルーサの魔術師って言ったら、あんたは誰を挙げる?」 傭兵なのだから知っているだろうと言わんばかりの声にエドガーは何事かを聞いた、気がした。励まされているのでも嘲笑されているのでもない。では何かと問われればわからない何かを。 「ラクルーサに魔術師がいたのはもう一昔前だからな。伝説の類として知ってるって言うんなら……黒衣の魔導師か。じゃなかったら氷帝?」 「それだ」 「はい?」 にやりとしたカレンとくすくす笑うエイメ。二人の魔術師が顔を見合わせて笑いあう。それからわかるか、と問うようカレンはレイを見やった。 「いまエディが言った氷帝ってのが私の師匠の師匠さ」 言われたレイではなく、エドガーが声を上げた。伝説だ、と言っているにもかかわらず、関係者がここにいる。不思議な、眩暈にも似た感覚。 「氷帝、カロリナ・フェリクスというがね。その後継者が私の師匠、フェリクス・エリナードさ」 「エディではないけれど、そういう意味でカレン様は本物の良血よ? 魔術血統としては氷帝の血を継ぎ、いずれリィ・サイファの塔をも継ぐ方なんだから」 「お前が胸張ることじゃねぇだろうが」 精一杯の強がりが、エイメには気づかれている。ふとそんな気がしてエドガーは目をそらしそうになる。そらしてはレイにまで気づかれるとばかりに。 「氷帝フェリクスと水の申し子エリナードの成し遂げた偉業の数々は魔術師の語り草なんだから」 「そう褒めたもんでもねぇぜ? 師匠はかなりなところでダメ男だからな。いいのは面だけだ」 「そんなことを言って。あなたが本当に師を尊敬しているのは僕にまでわかるのに」 くすりと笑ったレイの夜の色をした目。あの日の闇色ではなく、夜空の煌めき。彼の目は、本当はこんな楽しそうな色なのかと思うほど。 「まぁ、尊敬はしてる。それは否定はしねぇけどなぁ……ダメ男なのもほんとだぜ? なにせ、この私の師匠だ。私を男にしたら師匠、と思っとけば間違いねぇわ」 「……それは、どう答えればいいんだろう。迷う」 律儀なレイの言葉にカレンが華やかに笑った。カレンの言葉どおりであるのならば、エリナードという魔術師は陽性の男なのだろうとエドガーは思う。 「師匠は――」 レイからいずれ話を聞かせてくれ、と言われていたのを思い出したかのようカレンは言う。ついでに話してしまうかというように。 「なんつーかな、黙って立ってたらとんでもねぇ美形なんだ、これが。金髪に濃い青の目。藍色って言った方がいいかな。もう女子供が騒ぐ騒ぐ」 どうしようもなかった、と言いたげに肩をすくめたカレン。レイは興味深げに聞いていた。どうして、聞けるのだろう。エドガーは思ってしまう。カレンの師の話ではある。けれど、男の話、でもあるのに。 「それが口を開けば罵詈雑言。柄は悪いわ態度は悪いわ。手に負えねぇってのはあのことだな」 「でも、あなたを育てた、師だ」 「そのとおり。――エイメもエディも良血だなんて言うがね、私の世代の魔術師は野郎ばっかりだったって言っただろう? 私が師の名を継ぐ時にもまぁ、色々あったさ。そもそも一番弟子時代にもごちゃごちゃ言われたさ」 「あなたが女性だから?」 「そう、女だから。馬鹿だろ? まぁ、そういう輩はどこにでもいる。男も女もいっぱいいる。だいたい魔術師ってのは実力主義だ。私に負けて悔しいなら、私が歩く魔道の先に立って見せろっていうんだ。それができねぇでガタガタぬかしても無様なだけだろ?」 「それを、守ってくれた?」 「いいや。黙って後ろに控えてただけだな。でも……いまはわかる。そうやって後ろにでんと構えられてたってのがどんだけ安心だったかがな。最悪の時には絶対に助けてくれる。だから無茶ができる。そこだけは、すげぇ師匠だと思うよ、いまでも」 「あなたと同じ、女性までが……」 「さっき言ったぜ? 男も女も関係ない。屑は屑。どこにでもいる。逆に、男も女も関係なく、すげぇやつはすげぇ。やっぱりどこにでもいる」 カレンの言葉にレイがうつむく。何を思うのか、エドガーにはわかるつもりだった。体一つで生きていたレイ。誰からも庇護されることも、見守られることもなかったレイ。 「……あなたは強い。その強さが、僕は羨ましい」 「別に強く――」 「いいや、強い。僕の……いた場所では、女性は男に従うもの、従順でいればよくてそれ以外は必要ない、そう言われてた。だから……あなたやエイメを見ていると、ほっとする」 「ほっとする?」 「あぁ。ちゃんと生きていていいんだって、ほっとする」 女性の名を持つのだからと虐げられていたレイの言葉。カレンは納得しかねる、そう言いたげに渋い顔。エドガーも本当はそうしたかった。けれどレイを励ましてしまう自分の醜さ。 「あんたもいずれ、強くなれるさ。いまは無理でも」 そっと握った手にレイが微笑んだ。まるで君がいてくれるならば、そう言ってでもいるような目から視線をそらしたくてそらせない。 「あら、熱々ね? カレン様、私エリナード師にお目にかかったことがありませんの。もう少し教えていただけません? 素敵な方、とは聞いていますけれど」 エドガーを救うようなエイメの笑い声。ほっと息をついてエドガーはレイから目を離す。だからレイがどんな顔をして自分を見ていたか、気がつかなかった。 「あー、夢の王子様? お伽噺の登場人物? そんな感じか」 「でも元傭兵と聞きましたけど?」 そうだとうなずくカレンの言葉にエドガーは瞬きをしてエイメを見、カレンを見てしまった。それほど高名な魔術師が傭兵というのは訝しい気がした。 「でしたらエディに似てるのかしら? 王子様って顔じゃないけれど」 からかうエイメを一睨み。エドガーは先ほど繋いだレイの手がいまなぜか握り返してきたのを不思議に思う。 「強いて言やエディとレイを足して二で割ったってところかね。ほんと、黙って立ってりゃいい男だからな、あれは。いまは亡きタイラント師という方がまた絶世の美形でね。長い銀髪を風になびかせてなぁ。目は金銀の色違いで。しかも吟遊詩人でもあったからな、これでなびかない女がいたら嘘だってくらいの美形。二人が立ち話をしてるのはけっこうな見物だったよ。もうこれは夢か幻か、お伽噺の具現化かってくらいでね」 それなのに中身があれだったからどうにもならない、とカレンは笑った。どういう人物なのかエドガーもレイも知らない。それでもカレンが師に寄せる敬愛だけは伝わる、そんな気がした。 たぶん、だからだ。エドガーはカレンを信用することに決めた。レイが気に入っているらしい女だ、本音を言えば気に食わない。けれどレイを守るためならば。いまの自分にできることがまだあるとばかりに。目の輝きを変えたエドガーに逸早く気づいたのはやはりカレン。内心で舌を巻くエドガーだった。 |