木蔦の家

 ご案内します、と元気よくデニスが言う。一歩前に出た、その瞬間にレイは引き攣って硬直する。すでに立ち上がっていたエドガーは何気なくレイの前に立つ。
「あぁ、いい。デニスは留守番だ」
 デニスはそんなレイの様子には気づかなかった。が、カレンが気づいた。魔術師とは目が鋭いものらしい。思えばエイメもそうだった。
「ですが、師よ。そのような――」
「あのなぁ、デニス坊や? お客人の接待のどこが雑事だ、あん? 言ってみな」
「それは……」
 言葉に詰まったデニスが顔を赤らめる。それをにんまりと見ているのだからカレンという女、実にいい性格をしている、とエドガーは内心でにやりとしていた。
「つーことでお前は留守番、いいな? 宿題、やっとけよ」
 言いながらカレンが手を振る。案内する、と言っているらしい。どこか楽しそうにエイメまでついてきた。歩きだすエドガーの袖口がつい、と引かれる。
「……すまない」
「気にすんな。……ほら、あれだ。あんた庇ってると、それっぽいだろ?」
 恋人と、あるいは伴侶と紹介してしまったのだから。言い訳がそれらしくなる、と笑うエドガーの心の内にレイは気づかない様子でこくりとうなずく。まだ青い顔をしていた。
「情けないと、思ってはいる」
「あのな、レイ。そんなすぐに綺麗さっぱり前向きになれるもんか? 違うだろ。時間かかっていいと思うぜ。別に?」
「それまで……」
 なんだと言うのだろう、レイは。口をつぐんでしまった彼の言葉の続きが聞きたいとエドガーは思う。けれどレイはそれ以上何を言いもしなかった。
 カレンが隣の家、と言っていたのは本当にすぐ隣で、エドガーは驚いてしまう。隣りあって立つ家の双方を所有している、というのはいかなる理由なのだろうと。
「まぁ、素敵。こういう内装、私とても好みですわ」
 まるでエイメが借りるような口ぶりだった。うきうきとしながら家の中を見てまわっている。それにカレンが苦笑していた。
「そうかい? あんまりにもそっけないとよく言われたもんだがな」
「さっぱりして、好きです。カレン様にお似合いですもの」
「様はよせよ、くすぐったいからな」
 真実、体がもぞもぞとする、と言いたげにカレンが身じろいでいた。そんな彼女の様子に強張っていたレイの体がほどけて行く。不愉快だった、エドガーは。
「ここは昔、私が住んでた家でね。いまは客人に貸したりするように取ってある。年代物だけどな、うちの弟子はあれで意外とこまめな男だ、掃除は行き届いてるはずだぜ」
 エドガーの心の動きに気づいたような勘のよさだった。ぱちりと片目をつぶって見せたカレンにエドガーは呆気にとられる。そして恥ずかしくもなる。
「あぁ、念のために言っておく。人様にお貸ししてる間はデニスもこの家には入れん。掃除はご自分でしてくれよ」
「――感謝する」
「感謝されるようなことでもねぇな。えぇと……?」
「あぁ、すまん。黒猫隊の小隊長、エディだ、連れはレイ」
「うん、改めて、カレンだ。よろしく」
 にこりと笑ったカレンはがさつな男言葉を操るのに、どうしてだろう、とても美しく見えた。女性としてはかなりの身長だろう、レイと並べば彼の方が小柄なほど。それでも確かに彼女は美しい、そう思う自分をエドガーは驚く。
「あのな、レイ」
 カレンはちらりと辺りを見回し、エイメの耳がないことを確かめてくれた。それだけで信用に足る人物だ、とエドガーは思う。だからこそ、気に食わない。レイが頼りそうで、それが怖い。
 カレンはがしがしと短い黒髪をかき回し、困ったような顔をする。それなのにレイを見つめる目だけは真摯だった。
「私は昔、狼と一緒に戦闘に出たこともある。傭兵隊がどういうものか、知ってる、というより、戦争がどういうものか、知ってる。そこで何があるかも、まぁ、知ってる」
 言わんとすることにレイが気づいた。ぎゅっと袖口を握ってくる指をほどかせ、エドガーは自分の手の中に包み込む。
「あんたに何があったのかは、聞かないし言う必要もない。でも、助けが必要なら何でも言ってくれ。力にはなれると思うから」
「……ありがとう。心強い」
 ほんのりとしたレイの微笑み、照れたようなカレン。置いて行かれたようでエドガーは無言だった。それなのに、ふとレイが見上げてくる。それだけで、まだここにいてもいい、そんな気がしてしまう己の現金さにエドガーは自らを嘲笑う。
「昔、戦闘に出たって?」
 だからそんな自分を振り払う。せめて、レイの前では頼りがいのある男でいたい。なぜか、その思いがカレンには筒抜けだ、そんな気がする。
「あぁ、私はイーサウ独立直後からここに住んでるからな」
 さらりと言われてエドガーは言葉を失った。イーサウ独立戦争は、もう五十年以上も前のことだ。けれど目の前のカレンはどこから見てもまだ三十代になったばかり、自分と同年代にしか見えない。とエドガーはまじまじと彼女を見つめる。
「魔術師ってのは、そういうもんなんだぜ? 知らないとは、ミルテシア人だな?」
 にやりとするカレンにエドガーは黙ってうなずいた。実際は知らないわけではない。これでも傭兵だ、色々と歩きまわってもいる。魔術師にも大勢会っている。エイメだとて魔術師だ。はじめて会ったあの日から一瞬たりとも年齢を重ねたようには見えない。だから彼女は自分を坊や扱いするし、エドガーは彼女を姐さんと呼ぶ。それでも。
「あぁ、力ある魔術師にはあんまり会ってないのか。まぁ、当然か。外じゃ魔術師排斥がなぁ」
 困ったことだと言いたげなカレンにレイはまるで羨望の眼差し。胸が締め付けられそうで、エドガーは強いて笑う。
「いまじゃ研究三昧だけどな、私も師匠の無茶にさんざっぱら付き合わされたからな、世間はこれでも知ってる方だ。なんかあったら力になるぜ」
 片目をつぶるカレンにレイはうなずく、嬉しそうだった。あるいは、自分が同居しなくとも、ここでレイは一人でやっていけると思ってしまうほど。
「なにかあれば相談に乗ってもらうと思う。でも……エディがいるから、たぶん平気。――心遣いに感謝を」
「これはずいぶんと熱いな? 当てられそうだぜ」
 にやりとしたカレンがエドガーを見やる。レイの言葉が信じられなくて、演技だろうと思っていても嬉しくて、エドガーはそっぽを向いていた。
「それにしてもエイメは可愛いなぁ」
 いつの間にか部屋に戻ってきては立ち働くエイメだった。すっかり立ち話をしてしまっていて、エドガーは少しばかり申し訳ない。が、エイメは楽しそうだった。
「あんた、そっちか?」
 もしそうであればレイを取られずに済む。ちらりとも思わなかったと言ったら嘘だ。そんな心の動きに気づいたようカレンは精悍に笑っていた。
「いいや? ただ可愛いとは思うぜ。私は逆立ちしてもああはなれねぇからな」
「――カレン師は、お美しいと僕は思う」
「おや? 嬉しいことを言ってくれるもんだ。まぁな、我ながら造作は悪くねぇんだが……如何せん立居振る舞いを女らしくするってのが苦手でね」
「誰にも何も言われなかった? だとしたら、僕はとても羨ましく思う」
「師匠ができた男だったんだよ。いまだにあれ以上の男にはお目にかかってねぇからな」
 肩をすくめるカレンはその師を愛していたのだろうか。そのような含みではなかった、とエドガーは思う。ただ途轍もない理想を師に見ていたのだろうとは察した。
「私の世代の魔術師ってのは野郎ばっかりでね。女は軽く見られる、そんな気がしてたんだな、若いころは」
「いまは、違う?」
「男も女もねぇわな、あるのはどういう人間かだけだ」
「それでも……」
「ひでぇことするのは男の方ってか? けっこうそうでもねぇよ。私が知ってる女でも、この私がぞっとするようなことしでかしたのはいるからな」
 ぞんざいな口調なのに、言葉は優しかった。レイを慰め、立ち直らせようとするかのように。そうしたいのは、自分だったのに。言いたいエドガーはけれど言えない。
「――僕の本名は、レイラだ。女の名だから、女のようにふるまえと言われ続けた」
 突然の告白にもカレンは驚かない。驚いたのはエドガーの方。自分にはずっと言わなかったことを、初対面のカレンには言うのかと。嫉妬だ、とわかっていた。
「知ってるか、レイ? そういうことを言う野郎ってのは肝っ玉なんざないも同然、ケツの穴のちっちゃい糞野郎って相場が決まってる。女だからって馬鹿にするしか能がねぇんだよ。ほっとけほっとけ。馬鹿にかまうと馬鹿になるぜ」
 ひらひらと手を振っていかにも馬鹿らしいと態度で表すカレンに、レイが笑った。小さくではあったけれど吹き出しまでした。エドガーは自分がひどく場違いで、いまだレイの手を握っていることすら、恥ずかしくなる。それでも離せなかった。
「どうしてだろう。言っていることはとてもありがたいのに、あなたが言うとまるで町の無頼だ」
「師匠譲りだ、諦めてくれ」
「どんなお師匠様だったのか、いつか聞かせてほしいと思う」
「いつでもいいぜ? お隣さんだ、茶でも飲みにくりゃいいさ」
 笑うカレンを前に、エドガーはようやくレイの手を離す。このまま立ち去るべきかとも思う。レイはここで大丈夫。演技などしなくとも。
「――エディ。どうして」
 けれどしかし。引いたばかりの手を追ってきたレイの指。再び握られて、繋がれて、エドガーは言葉もない。
「君は、わかってない。君がいてくれるから、僕はようやく立っていられる。――カレン師と、こうやって話してられる」
「でもな……」
「聞いてくれ。――君は、カレン師をどう思う? ご本人を前に噂話のようで気が引けるけれど」
 気にするな、とカレンが笑う。わざとらしく後ろを向く。そんなカレンを気にする余裕がエドガーにこそ、なかったというのに。そしてエドガーを待たずレイは言葉を続けた。
「カレン師はずいぶんと男らしい方だと思わないか、エディ。その方と、僕が、どうして話していられる? ――君が、いてくれるからなのに」
 きゅっと掴まれた手。まじまじとレイを見つめるエドガーは、震えるほど嬉しいのに、なぜだろう、不思議と泣きそうだった。




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