木蔦の家

 ちらりとレイが見上げてくる眼差し。エドガーは何気なく微笑む。タングラス領を離れて、ようやく素顔に戻ったエドガーだった。それを確かめるよう何度も見上げてくるレイ。内心では嬉しく思っているものの、落ち着かない。まるで違うことを考えてレイが自分を見ているようで。
 タングラス領を離れても、二人は相乗りのままだった。すぐに乗馬ができるようになるものではないのだから致し方ない。エドガーはそれを理由にレイを抱いたまま。レイの方はどう思っているのだろう。毎日ちらりとそれを思う。
「今日はいい天気ね。楽だわ」
 隣ではエイメが馬を進めていた。どこから見ても裕福な貴族の寵姫にしか見えない彼女が、旅のマントに身を包み、ぽくぽくと馬の蹄を響かせてゆったりと乗っている。
「――どうやったら、上手に乗れるんだろう?」
 少しばかり居心地が悪そうにレイが問う。上手になどならなくていい、言いたいエドガーはだけれど無言。
「それは慣れだと思うわ。私も最初は何度も無様に落ちたもの」
「大丈夫だったのか? ――その、あなたは女性だから。傷が残ったりしたら」
「私は女だけど、でも傭兵よ。傷の一つや二つ、どうってことないの。食べてけない方がずっと大変」
 肩をすくめて茶化して見せたエイメにレイは何を思ったのだろう。黙って軽く頭を下げた。傭兵の生活の過酷さを思うのかもしれない。それを乗り越えてきたエイメに敬意を払ったのかもしれない。そっと見上げてきたレイの物問いたげな目。
「うん?」
 けれど問い返せばいつもレイは目をそらす。胸元に頬を寄せて、それでも黙ってしまう。エドガーとしては黙って抱いてやるしかできない。そんな守り方しか、できない。
「……また君に、大変な生活をさせるんだな、と思って」
「エイメが言っただろ。慣れだ慣れ。気にするな」
「馬の話だった、それは」
「生活も一緒。傭兵生活ってのも、慣れればけっこう楽しいもんだ」
 本当だ、と知らせたくて肩先を強く抱く。ためらいのたっぷりとまぶされた仕種をエイメがちらりと笑った気がした。
「小隊長!」
 前方からユーノが駆けてくる。気づけば小隊長呼ばわりだった。クレアに苦情を言ったものの、はじめからそのつもりだった、とあっさりいなされては仕方ない。エドガーは片手を上げてユーノを迎える。
「問題なし。そろそろだね」
 にやりとしてユーノはレイを見る。もうすぐ到着だ、と知らせてくれているだけなのはエドガーにはわかった。が、レイは体を固くする。
「もうすぐ到着だとさ。やっと体が伸ばせるな」
 ぽん、と肩を叩けば過敏な自分を恥じたのだろうレイがうつむく。ユーノの訝しい顔に無言で首を振り、そのまま顎をしゃくる。背後にはタスが待っているはずだ。
「すっかり小隊長さんねぇ」
「お前らが押しつけたんだろうが」
「誰が? 隊長があなたを小隊長にって言ったんだもの。私たちのせいじゃないわよ?」
 実際エイメの小隊は先の戦闘で小隊長を失った、と言葉少なに語ってくれていた。彼女は立派だった、とエイメは言った。彼女が自分たちを逃がしてくれたのだ、と。そんな立派な小隊長のあとを任される人間だろうか、自分は。ただレイ一人を守りたいだけの自分が。
「いいのよ、あなたで。気心が知れてるから。私とも兄弟とも」
 エイメの言葉にレイが顔を上げた。この数日、エドガーがレイの側を離れるときには必ずエイメが側にいる。そう頼んだからでもあったし、エイメ自身、弟みたいと喜んでもいる。
「ほら、話してあげたじゃない? エディがまだまだほんの坊やだったころのこと。思えばずいぶんいい男になったものよね」
「姐さんぶるんじゃねぇよ」
「だって坊やだもの」
 ころころと笑うエイメの声につられたよう、レイがほんのりと笑う。多少ではない嫉妬を感じ、エドガーは無言で前を見る。
「レイさん、ほらそろそろ見えるぜ。あれが巣だ!」
 後ろから聞こえてきたのはタスの声。レイには多分区別がついていないだろうけれど、エドガーには戦友の声だ、さすがにわかる。
「巣?」
 訝しげなレイにエドガーは笑う。それから少しばかり馬の足を速めた。巣が近づくにつれて隊全体の足が上がっている。このままでは置いて行かれそうだった。
「あぁ、狼の巣。町の名前なんだけどな」
「――変わった名前だな」
「元々はイーサウに雇われてた傭兵隊の駐屯地だったらしいぜ」
「それで巣、か?」
 傭兵隊だからといって住処を巣呼ばわりは酷いではないか、言いたげなレイに小さくエドガーは笑う。違うよ、と微笑めば見上げてくる夜の色をした眼差し。
「その傭兵隊ってのが暁の狼って隊だったんだ。だから狼の巣。元々傭兵隊の方からそう呼びだしたんだそうだ」
 自分たちの駐屯地への愛着として。結局、暁の狼は消滅し、今ではイーサウ自衛軍狼隊、として存続している。
「だから巣はどっちかって言ったら軍事基地なんだな」
「それでか」
「あぁ、俺たちが向かうのも、だからイーサウの街じゃなくて巣の方だ」
 幸運の黒猫隊がイーサウに雇用された理由というのが面白かった。エドガーは聞いてひっくり返りそうになったもの。レイはどうだろうか。
「なんか傭兵流の戦い方をご教授いただきたいってことらしいんだな、これが」
「は?」
「驚くだろ? 俺もクレアから聞いて驚いたわ。戦闘要員というより、軍事顧問らしいな」
 それだけイーサウが豊かになった、ということなのだろうとエドガーは思う。かつてイーサウは二王国から隠れるようにひっそりと生きていたのだ、と聞く。現在ではこのシャルマークにおいて自由都市連盟を立ち上げた盟主だ。そして密やかに語られている話が一つ。決して人間とかかわりを持ちたがらない幻の国「アリルカ」とかろうじて貿易があるのはイーサウだけだと。噂かもしれないが、事実かもしれない。
「だったら……」
 ふ、としたレイの呟き。それから止めてしまった溜息。なにを気にすることもない、そう何度言ってもレイはためらう。
「レイ?」
 ゆっくりと促せば、ためらうように見上げてきた。唇を噛んでいたのだろう、ほんのりと血の色を透かせている。血の気の薄いレイの唇、これほど赤くなるにはどれほど強く噛んでいたのか。
「噛み切っちまうぜ」
 ちょい、と唇をつつけばほんのりと頬に血が上る。周囲に視線を走らせたから、エイメの目が気になったのだろう。幸い、捨て目の利く女だ、レイが見るより先に目をそらしている。もっとも、エドガーは彼女が片目をつぶったのが見えてしまったのだけれど。
「どうした、レイ。なんか聞きたかったんだろ。俺相手に遠慮なんかするなって」
「遠慮というか……。その」
「うん?」
「……だから、その。君が遠くに行ったり、しないんだな、と思って」
 戦闘要員としての雇用ではないから離れ離れになったりはしない。レイはそう言ったのだろうか。戸惑うエドガーは迂闊にもエイメを見てしまった。
「エディ。君は聞きたいことがあれば聞けと言うくせに、僕には聞かない。どうしてだ」
「う、そう来たか!」
「エディ?」
 ただの隊での通称。なのにレイが口にすればこれほど甘く聞こえてしまう。こうして相乗りしていれば、鼓動の速さまで伝わってしまうかもしれない。今更エドガーは慌てる。
「そりゃま……、その」
「その?」
「だから、なんつーか。睦言だな、というか、まぁ」
「睦言のなにが悪い。僕は……君の、その――」
 確かにエディ小隊長の恋人、と紹介された男に手を出そうとするような強者はここにはいない。そのためにこそ、あえて隊内にもそう言ってのけたエドガーだ。それをレイも気づいていると思ったが。こんなにも照れられると、本物のようで、言葉に詰まる。
「あらあら、仲良しさんね。初々しくって可愛いって、こういうことかしら?」
「姐さん、黙れ」
「エディ、照れてるの? レイ君も大変ね。こういう鈍くさい男は押して押して押しまくるのよ?」
「ご教示、感謝します」
 ぷ、とレイが吹き出した。笑うレイの、その遠因は自分だけれど結局はエイメかと思えば納得したくない。レイを喜ばせるものが自分にもあれば。思ったところで気がついた。
「いかん、忘れてた。悪い。これ、クレアからの伝言だ」
 クレアから渡されたとき、袖口に突っ込んだまますっかり忘れていた。いまここで思いだせたのはよかった。レイが喜ぶとわかっているから。
「うん? あぁ……これは。嬉しいな」
 案の定だった。クレアの走り書きに目を通したレイの口許がほころんでいく。イーサウに落ち着いたのち、必要な書類仕事一式だった。エドガーにはさっぱり見当もつかないものが書き連ねてあったけれど、そこはさすが書記だった、一目で理解したらしい。
「隊長は、いいんだろうか?」
「なにがだ?」
「君の連れだというだけで、僕をこんなに信用してもらって……いいんだろうか」
 それほどの仕事を任せる、と言われてしまったらしい、レイは。困る彼を見ていたら、先に何を任せる気なのかクレアに聞いておくべきだった、とエドガーは思う。
「クレアの目は鋭いからな。この行軍中にたぶん、あんたがどんな人間なのかちゃんと見てたんだろうさ」
「ほとんど会ってないぞ?」
「そりゃあんたが気がつかなかっただけだ。ちょろちょろしてたぜ?」
 言われてレイは驚いたらしい。夜のような目が丸くなっている。エドガーは出没を繰り返すクレアを当然そういうものだ、と思っていたから気に留めていなかったのだけれど、レイには驚異だったようだ。
「大変なんだな、隊長というのは」
「どっちかって言ったらうちじゃ大変なのはヒューの方だと思うけどな」
「そういうことを言う。――僕にできることなら、なんでもする。だから」
 だから、なんなのだろうか。レイは口をつぐんで答えない。促そうとしたとき兄弟が歓声を上げた、巣の門だと。




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