傭兵隊の足は速い。瞬く間に二つの町を駆け抜ける。昔の傭兵隊は歩兵と騎兵が半々であれば機動力がある、と言われたらしい。が、大陸中を巻き込んだ大戦がそれを変えた。世に言うアリルカ独立戦争。あの戦争以後、傭兵隊はよほどの小規模でない限り全員が騎馬での移動を可能にしている。機動力の重要さ、というものが知れ渡ったせいだった。加えて言うならば、馬の供給が整った、というのも理由ではある。 「疲れただろ」 馬の背に運ばれているだけでも中々に疲れることだった。慣れているエドガーですら軽い疲労を感じるのだから、乗せられているままのレイは体など凝り固まってしまっていることだろう。 「――少し。でも」 「うん?」 「……こんなときに言うことじゃないけれど、なんだか楽しかった」 馬がこんなに速く颯爽と駆ける生き物だとは知らなかった、レイはそっと笑う。チャールズがこれ見よがしに走らせる馬しか見たことがなかったらしい。確かにあれと同じ生き物とは思えないだろう。エドガーもまた笑う。 「隊の馬はクレアが厳選してるからな」 「そう、なのか?」 「あぁ。あいつは馬を見る目があるんだ。隊長自ら馬の競り市に行くんだろうよ、いまでも」 自分がいたころの黒猫では、クレアが一手に仕入れをしていた馬だ。いまもきっと変わらない、とエドガーは思う。ようやく今夜の野営地に到着して馬の背を撫でてやれば、クレアご自慢の馬でもやはり、疲れているらしい。甘えたよう鼻面を手にこすりつけてくる。 「ちょっと待ってろよ?」 腰を掴んでレイを下ろしてやれば、彼が首をかしげる。待てとは何を、と問うていた。それにエドガーは首を振りつつ笑う。 「あんたじゃねぇよ、こっち」 ぽん、と馬の背を叩けばフードの影、レイがうつむく。嫌な気配ではなかったけれど、不安になってエドガーはつい、覗き込んでしまった。 「――見るな、馬鹿」 つい、とそらされた顔。エドガーは唖然としたまま危うく立ち尽くすところ。ほんのりと染まったレイの頬。フードの影にあってさえ、窺えてしまったその色。 「あ、いや。うん、悪い。っと、あんたもちょっと待っててくれ。いいか?」 曖昧な返事が返ってきて、エドガーは慌てて立ち去る。おろおろとするところなど見られたくなかった。が、いまでも充分に狼狽していた。 傭兵隊の常として、誰に何を言われなくとも野営の準備は各々勝手に始めている。だいたい周囲を見回せば、以前所属していた隊だ、馬の飼葉がどこでもらえるかも見当がつく。受け取って戻れば、レイはただそこに立っていた。 「あぁ、悪い。タスかユーノに頼んどきゃよかったぜ」 「なにがだ」 「天幕。気の利かねぇ野郎どもだぜ」 笑えただろうか、自分は。たぶん、大丈夫だ。内心にうなずいてエドガーは馬の首から飼い葉桶を下げてやる。そのうち馬係りが水桶を持ってくるだろう。 「モ……エディ」 ためらいがちに呼ばれ、エドガーは振り返る。弾んでしまいそうになる胸を抑えようと必死だった。何気ない顔で首をかしげれば、レイがまだ戸惑っていた。 「その、手伝いたいんだ、僕も」 荷馬代わりにしてしまった馬の背から二人用の天幕を下ろしていたところだった、エドガーは。隊で使うものとしては最小の天幕。クレアの心遣いなのか嫌がらせなのか迷うところだ、そう思っていたところ。 「だったら、見ててくれ。そんなに面倒じゃないから。次は頼むかもしれないし」 言ってエドガーは道々刈ってきた柳の枝を馬の背からおろした。レイは不思議だったのだろう、それが。じっと見つめている眼差しを感じる。 「これな、こうやって使うんだ」 ひょいひょい、と慣れた手が天幕に開けられた細長い筋状の袋部分に柳のしなやかな枝を差していく。あっという間にそれは半球形の天幕の形になった。 「すごい……。柱だったのか、柳の枝は」 「そうそう。簡単だろ? 一々組み立て式の天幕持って歩くのは大変だからな。荷物は少ない方がいい。柳だったらその辺に生えてるから、楽だろ?」 自分が開発したわけではないというのにエドガーは自慢げになってしまった。レイが素直に驚いてくれるのが、嬉しくてならない。出来上がった天幕を地面に固定し、垂れ幕を開ければこれで出来上がりだ。 「毛布を敷いて、荷物を下ろしといてくれるか」 「わかった。それなら僕にもできる。――ありがとう」 「頼むぜ、ちょっとクレアんとこ行ってくるから」 運ばれているだけ、庇われているだけ。それが気にかかっていたのだろう。たったそれだけでもできることがあると思えばほっとするらしい。レイの安堵の吐息にエドガーは危ないところで立ち去るところだった。 「あ、いかん。だめだ、あんた一人にするのはまずいわ」 「ここで?」 黒猫隊の中にいるのだから問題はないはずだ。言うレイにエドガーは首を振る。念のためだった。とはいえ、問題がある。 タスかユーノに頼んでもいい。けれどレイはどことなく嫌そうだった。道々それを感じていたエドガーは、だからためらっている。ちょい、とレイを手招き、耳元に囁きかける。本人に尋ねるより、他に方法が見つからなかった。 「――あんた、野郎が側にいるの、嫌か」 途端にひくり、と体を竦ませたレイ。やはりそうだったか、とエドガーはうなずく。あるいは自分も、思ったところで背にレイの手。縋るよう、掴まれていた。 「わかった。善処する」 軽く抱きしめ囁けば、そんな自分が不甲斐ないのだろうレイが唇を噛んでいた。何度も何度も首を振っている彼に、どうしてやるのが一番いいのかわからない。 「……平気だったのに。なんでもないって、思ってたのに。どうしてだろう、急に、なんだか」 「やっと逃げられたって、あんたの心が感じはじめたんだろうさ。嫌なもんは嫌でいい、俺はそう思う」 「……ごめん」 詫びるレイは気づいているのだろうか。側に寄られるのも嫌なはずの同性に、エドガーを含んでいない事実に。ほんの少しだけ胸に額を寄せ、それからレイはエドガーの胸を押しやる。今更、人目があると気づいたように。 「あら、仲良しさん。美男美女の組み合わせよね?」 そこにちょうどよく現れたのは隊付きの魔術師だった。竦んだレイに幻影をかけてくれたのは彼女だ、とエドガーは言う。それに驚いたのだろうレイの目が丸くなっていた。 「誰が美男美女だっての。俺はともかく、レイは素顔だろうが」 「でも綺麗な顔立ちだもの。いいじゃない」 「よくねーよ。エイメ、暇か?」 「すごく忙しいわ」 「だったらちょっと俺はクレア隊長に用事があるんだ。俺がいない間、レイを頼めるか」 「忙しいって言ってるじゃない。いいわよ」 「――あの、忙しいなら」 「気にすんな、レイ。エイメの忙しいは戯言だ」 そんなことを言うならば面倒は見ない、言いながらエイメは笑っていた。甘い琥珀色のふわふわとした髪、上等な茶水晶のように煌めく目。とても傭兵隊に所属しているような女性とは思えない。が、魔術師だった。ミルテシアにおいて、魔術師とは傭兵でもしない限り生計の道がほとんどないに等しい。 「あなたは――エディとは?」 クレアの下に急ぐエドガーの背に、レイの声。エイメが笑って長い付き合いだと言っていた。タスとユーノも自分も、以前彼が黒猫にいたときにエドガーの配下だったと笑う声。 「配下ってほど偉くなかっただろうが」 苦笑して呟いてしまう。レイはエイメの言葉をどう聞いただろう。気になった。 クレアの、こればかりは本当に心遣い。昔組んでいた人間を側に置いてくれたことが今はありがたかった。エイメは隊付き魔術師だけれど、なぜかエドガーの指揮下で戦うことがよくあったものだった。タスとユーノとエイメと自分と、他にも何人か。魔術師を守りながら切り込んで行ったことが何度となくある。懐かしさに浸るエドガーだったけれど、クレアの天幕まで迷うことはなかった。どこに張る、と聞いていたわけではないけれど、隊長の天幕だけはすぐにわかるようになっている。これも昔から変わっていない。 「隊長、ちょっといいですかね」 クレアの天幕は隊員のそれより格段に広い。偉いから、ではなく必要だから。寝起きの場所の他に、隊長には戦略を練るための様々な道具がいる。机に地図、簡易の戦略盤。それだけでも隊員用の二倍は優に必要だった。 「気色悪いね、あんたにへりくだられると」 「だからっていつもどおりじゃ示しがつかねぇだろうが」 「戻ってるよ、エディ?」 「いまはいいんだよ、あんたとヒューしかいねぇんだから」 にやりと笑いあうエドガーとクレアにヒューが肩をすくめる。それから本題に入れ、とばかり眼差しを向けてきた。 「レイがなんかしたいって言ってる。元々書記だからな、書類仕事が自分にはできる、隊の仕事はねぇかってさ」 「おやおや、そりゃありがたい。自発的に言ってくれると助かるよ。まぁ、イーサウに着いてから、だけどね」 「わかった、伝えとく」 「それで、エディよ。本当の用事は何さ?」 にっと笑ったクレアにエドガーは苦笑した。ヒューもまた同じ顔をし、けれどすぐさま引き締まる。それにエドガーもまた、真摯な眼差しで彼女たちを見やった。 「用事があるのはあんただろ、クレア。なんか聞きたいって顔、ずっとしてただろうが」 行軍の間、時折感じていたクレアの視線。物問いたげで、けれどすぐさまそらされてしまう眼差し。気になって仕方なかった。 「あぁ……。大したことじゃない。あんたとレイさんの本当のところが気になっただけだ。彼氏? 嘘だろ?」 表向きの事情はともかく、なにも自分に嘘をつかなくとも。そう言ったクレアは不満そうだった。エドガーは気が抜けそうになる。そんなことだったのか、と。 「あー。嘘じゃねぇがほんとでもねぇってとこだな。俺はベタ惚れなんだけど向こうがどうかはわかんねぇ。そもそも付き合ってもいねぇ」 言った途端だった。クレアが唖然とし、ヒューがたまらないとばかり吹き出したのは。だから言いたくなかったのだ、内心で溜息をつくエドガーはそれでも二人に他言無用を誓わせていた。 |