木蔦の家

 久しぶりに街に出かけたら、思いがけない人を見かけた。つい、駆けよってしまう。
「レイ?」
 声をかければ、気づいていなかったのだろう彼がぎょっとして飛び退く。そのあまりの驚きように、迷惑だったかと内心で後悔に駆られた。
「あぁ……モーガンか」
 けれどすぐさまその表情がほっとくつろぐ。それにエドガーもまた、安堵していた。何より、思いがけず出会えたことが、嬉しい。
「どうした。買い物か?」
 書記の彼が自分で買い物をする、とは考えにくい。仕事上の必需品はすべて侯爵家からの支給のはずだ。エドガーもよく知らないけれど、おそらくは間違っていないと思う。かつての傭兵隊でもそうだった。不正を防ぐための措置、と聞いている。
「あぁ」
 だからレイがあっさりとうなずくに至ってエドガーこそ驚く。そして彼にも自分自身の買い物、というものがあるはずだと気づいては内心に苦笑した。
「――お前は?」
 もしかしたら、このまま共に買い物ができるかもしれない。レイはついてくるなとは言わなかったし、何よりほんの少し、一緒にいたそうな顔をしている、ように見えなくもない。
「俺も」
「――何を? 聞いてよければ」
「別にいいぜ? なんだったら、あれか。一緒に来るか?」
 できるだけさらりと問えば、ほっとしてレイがうなずく。それからうつむいた口許にかすかな笑み。見たくて、迂闊にも覗き込んでしまいそうになる。慌てて自制した。
「あんたはどこに。いいのか?」
 自分はもう仕事はない。するべきことは済ませて出てきた。だが書記は違うだろう。仕事の方が一日の時間よりずっと多い。
「大丈夫だ。時間をもらってきたから」
 言いながらレイは立ち止まろうと。向こうから近づいてくる馬車を避けようとする態度にエドガーは何食わぬ顔をして彼を抱き寄せた。
「……あ」
 ぽつりとした声。上げてしまうつもりなどなかったに違いないレイの声。聞かなかったふりをしてエドガーはそっと離す。その前に一度だけ、強く抱いた。
「危ないぜ?」
 にやりとすれば、何も見ていないレイの目。エドガーはおろか、前も見ていないのかもしれない。そんな彼にエドガーはくつくつと笑う。
「――どっちがだ。お前の方が、危ない」
「うん?」
「急に、あんなこと。――驚いた」
「いやだったか?」
 答えはない。それはたぶん、嫌ではなかったということだろうとエドガーは勝手に解釈することにした。先ほどより少し、肩を寄せて歩く彼だから。
「それで?」
 なにを話さなくとも自分は楽しいだろうとエドガーは思う。彼への思いを自覚して以来、そこにいるだけで心が弾む、という稀有な体験。恥ずかしさも極まって、決して口になどできはしない。
「あぁ……、僕か? 紙と、インクを買いに」
 意外な言葉に驚いた。それが顔に出ていたのだろう、レイが小さく笑った。それから私用の分だ、と付け足す。
「あぁ、手紙書いたりとか、要るもんな」
「違う。字の練習するのに使うんだ。そんなものに御前様の紙は使えない」
「真面目だなぁ」
 当たり前のことだ、とレイは少し怒ったような声。生真面目な書記の態度が見ていて楽しい。それにしても大変だ、と思う。
「だって、まだ練習とかするんだろ。大変だよな」
 言えばレイが首をかしげた。なにを当然のことを、とでも言うかのよう。それから人目もはばからず、ちょん、とエドガーの腕をつつく。
「うん?」
 恥ずかしいより嬉しくて、飛びあがってしまいそうだった。それを気取られたくなかったのに、わずかに声が上ずってしまった気がする。幸い、レイは気づかなかった。
「お前だって、そうだろう?」
「俺は別に字の練習なんか――」
「そうじゃない。剣の練習はするんだろう? 僕だって同じだ」
 そういうことか、と理解した。確かに言われてみれば個人の鍛錬もエドガーは欠かさない。指南役として日常訓練をしているだけではなく、一人になってから様々なことをする。
「なるほどね」
 納得したエドガーにレイは微笑んでいた。繁華な町を二人で歩く。他愛ないことを話したり、人をよけるふりをして肩寄せあったり。だから残念だった。
「着いたぜ」
 ここだ、とエドガーは店を顎で示す。自分の用事を先に済ませる、というわけでもなかったのだけれど行き先がこちらだった。それなのに、着いてしまったのが残念でならない。
「武器屋?」
 だがレイは意外だったらしい。その丸くなった目を見られただけでいいことにしようか、心の内側でエドガーは思う。
「あぁ。注文しといたのが届いたって連絡があったんだ」
 言いながら馴染みの武器屋にエドガーは入っていく。背中にレイがおずおずと従うのを感じていた。武器防具の店など、彼には縁がないのだろう。周囲を物珍しそうに見回している気配。それについ、和んでしまう。やっとのことで顔を引き締めれば、店主がにんまりとしていた。
「よう、親父。届いたって?」
 エドガーの口調にレイが驚いていた。普段の指南役の硬い声でもなければ、レイが知る「モーガン」の声でもない。
「早速来たかよ。誰だよ、おめぇに連絡したのは。俺ァこれから出かけんだよ、お前邪魔だっつーの」
「うっせぇよ、武器屋。商売しろよ商売」
 嫌味を言われ、言い返す。その間も店主とエドガーは笑っていた。ぽかん、とレイが見ている。それにエドガーは振り返り、苦笑した。
「この親父とは昔馴染みなんだ」
「馴染みたくなんかねぇっつーの。親父ってほど年食ってもいねぇっつーの」
「うるせぇって。ちっと黙れよ、クソ親父め」
 罵声を飛ばしあう姿を他人のような目で見るレイに、胸の奥を掴まれた気がした。そんな一人きりのような目をしないでほしい、そう思うのに、やはり言えなかった。
「なにを、買いに?」
 首を振り、レイはすべての感情を振り切るようそう言った。それから軽く店主に向かって目礼をする。店主のほうも心得たものでエドガーに対したのとは打って変わって丁重だった。
「短刀をな」
「ほんっとにこの野郎の注文はうるせぇんですよ。迷惑だぜ」
「それがあんたの商売だろうが」
 レイに向かって愚痴を言う店主にエドガーは顔を顰めて見せる。それにようやくレイが小さく笑った。それからわずかに首を傾けてエドガーを見上げる。
「あぁ……輸入品なんだ、イーサウからの」
 それだけでレイには察するものがあったらしい。驚きに目が丸くなっている。それから唇の動きだけで魔法、と問うてくる。エドガーは黙ってうなずいた。
「禁制品とかじゃないんだけどな。この国ではあんまり魔法のかかった道具ってのが好まれねぇからな」
 肩をすくめたエドガーの手に店主が短刀を渡す。彼はすらりと抜き放っては刃を検分していた。それから店主が示した壁へと無造作に突き立てる。鮮やかなまでにそれは突き刺さった。
「レイ、やってみな」
「……いいのか?」
「おうよ」
 武器の扱いなどわからない、と尻込みするレイに短刀を握らせ、そのまま刺せばいいだけだ、とエドガーは言ってやる。それに力づけられたレイが意を決して壁に短刀を刺した。
「あ!」
「な? 驚くだろ。それがイーサウ産の威力ってやつだな」
 レイの力でも易々と短刀は壁に突き刺さっていた。すんなりと刺さり過ぎて気味が悪いほど。魅せられそうだ、と思っているのがエドガーには手に取るようわかっていた。
「すごいな……。温めたナイフでバターを切るようだった」
「だろ。そのぶん値は張るんだけどな、まぁ……武器には金かけとくに越したことはないからな」
 肩をすくめたエドガーにレイはほんのりと微笑んだ。なにを意味する笑みなのかエドガーにはわからない。わからないからこそ、レイが何かを隠したがったのだとは、わかった。ならば、追及は避けるべきだろうとも。
「そのとおり、値が張るんだぜ。さっさと出すもん出せよ、おら」
「どこの強盗だ、あんたは」
「ぼったくってもいねぇんだからんなこと言うんじゃねぇよ」
「それ、言ってるからな?」
 にやりと笑ったエドガーが、それでも金額に文句はないのだろう、店主に驚くほどの金を握らせる。武器とはそれほどするものなのか、とレイがくらくらとした眼差しで見ていた。
「魔法のかかった武器ってのはほんと高いからな」
「武器そのもの……たとえば短刀だけ、とかだったらどうなんだ」
 忙しい、と言っていたのは本当らしい。店主は金を受け取るなり従業員に何かを言いつけてその場を立とうとする。それを見た二人は早々と店を後にしていた。再び出た雑踏の中、レイは店にいるよりくつろいでいた。
「そんなにしないぜ。物にもよるけど、ガキの小遣いでも買える」
 実際、短刀というのは通常は補助武器の内にも入れない。携えていて当然の道具でしかない。騎士ならば手紙の封を切る道具。傭兵ならばいかなる時でもこれだけは持っている最後の武器。無論、エドガーはいまの立場がどうであれ、後者だ。
「僕でも?」
「なんだ。欲しかったんだったら言えばよかったのに。あの店は店主はあんなんだけどな、物はいいぜ」
「別に、欲しかったわけじゃ……少し、興味があっただけ」
「護身用にあっても悪くはないと思うけどな」
 何気なく言った言葉にレイが身をすくめた。何か悪いことでも言ってしまったか、と肝を冷やすエドガーにレイは笑ってみせる。
「書記に護身が必要な場面、というものが思いつかない」
「そりゃそうか」
 答えながらエドガーは思う。それでも欲しかったのかもしれないと。あるいは、武器を望む自分というものにレイは何か感じるものがあったのだろうか。
「それに……」
「うん?」
「……護身が必要なときには、その。なんというか。だから」
 ふっとうつむいてはレイは頬を赤らめる。きゅっと握りしめた拳が言葉以上のものを語った。
「あぁ、守ってやるから安心しな」
 耳元で囁けば、噛みしめた唇にまで、いつもは色の薄い唇にまでほんのりと赤みが差していた。




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