木蔦の家

 いつになく乱れていた。甘い悲鳴を上げ、身をくねらせ。レイの眼差しがエドガーを煽る。それなのに、体の方が追いついていなかった。半ば勃ち上がっただけの物をしごけば、つらいのだろうレイの悲鳴。両足を大きく開かせれば、自ら誘うよう更に開く。
「欲しい?」
 からかうように問えばはっきりとした応えが返ってくる。それにもエドガーは驚く。音を立ててくちづけたのは、煽られ過ぎないような冷静さが欲しかったせい。いつものレイの冷静さが欲しかった。
 肌に触れ、内腿にくちづけをする。そのたびに蕩けるように甘い香りが彼の肌から香った。ぞくぞくとする。官能の痺れにも似たものを振り払いたくて頭を振った。より一層追い求めただけだったけれど。
 油を指にたらし、レイのそこに触れれば、ひくりとすくんだ。収縮するそこが、それでもエドガーを誘うよう。
「たまらないって?」
 耳元に注ぎ込んだエドガーの言葉に、レイが顔をそむけた。恥ずかしがってでもいるのだろう。その姿にまたも煽られる羽目になる。白い肌が、噛みしめすぎてようやく血の色を浮かばせた唇が。レイのすべてがエドガーを煽ってやまない。
 つぷり、指を埋めた。覆いかぶさったまま埋めた指に、レイが喉をそらしていた。眼前で見つめるエドガーの視線に気づいたのだろう。半ば開いた唇をわざとらしく舐めて見せた。
「煽るなよ」
 くちづけて、嬲る。舌を求めれば、求められる。蠢かせた指と舌。レイが腕の中で身悶えている。それでもまだ、エドガーは充分に勃ち上がらない彼の物を体に感じていた。
「煽られろ。たまには」
「ご冗談。いっつも煽ってくれてるぜ?」
「だったら――」
「もっと?」
 幼子のようこくりとうなずいたレイに思わず微笑んでしまった。真摯で、真っ直ぐな眼差し。熱に歪んでいるのに、綺麗だった。
「レイ」
 耳朶にくちづければほっとした彼の吐息。それを感じるや否や、レイの中に己を埋めた。硬直する体をきつく抱く。半身を起こせば、首の後ろに回った腕が引きよせてくる。
「……。なんでも」
 そっと離しそうになった腕。首を振って、何もしようとはしなかったとでも言いたげな目。エドガーは苦笑してレイを抱きしめる。
「変な遠慮するなっての」
 腕を背にまわさせれば、一瞬の後に縋りついてきた。その一瞬が、レイのためらいだと気づいてしまった。縋りたくて、縋れなくて。促されてもまだ、ためらって。
 変なところで可愛いやつだ。言いかけた言葉をエドガーは飲み込む。レイの体が縋っていたから。体だけではなく、眼差しも、心も。レイのすべてが自分に縋りついている。
 いまだけ。体を重ねるこの瞬間だけでいい。それでも縋りたい。レイの眼差しがエドガーを見ていた。蕩けた漆黒の目が、エドガーを見ていた。
 その目に、飲まれそうになる。飲まれてもいいと思ってしまう。薄い瞼にくちづけて、ゆっくりと腰を動かせば身じろぐレイ。気持ちほどには、感じていない。それでもいまは乱れたい。乱れられなくて、よけいに狂乱している彼を、どうしたら狂わせられるのだろう。何も考えられなくなってしまえばせめて、嫌なことも忘れられるだろうに。
「……モーガン」
 うわ言のようなレイの声。彼の目は閉ざされることなくエドガーを見ていた。そこにいる、と確かめでもするようだ。
「ここにいる」
 だからかもしれない、そんなことを言ったのは。耳元に囁いて、抱きしめて。体を動かす。こうして、ここにいる。そう示すように。うなずくレイの髪に顔を埋めれば、甘い香りがした。
 快楽だけではない、泣き声にも似た悲鳴。体の下で上げられる嬌声に、エドガーはかえって平静だった。
「モーガン。嫌だ」
「うん?」
「どうして――お前も――」
「あんたと一緒になって煽り合ってたら、すぐイっちまうぜ?」
 喉の奥で笑って囁く。ただ、それだけが理由だと。エドガー自身は違うとわかっていたけれど。
 こうして、何も言わずにこの一瞬だけでよいとばかりに縋ってくるレイが、もうどうしようもなかった。守りたくなってしまった。
 そしてエドガーは諦めた。いままでさんざんに抵抗をしていたけれど、ここに至ってついに、諦めた。
 ――これは本格的に惚れたかな?
 内心で呟く。苦笑を伴っていたけれど、悪い気分ではなかった。多少は照れくさいけれど。そう思うぶん、レイには言えないな、とも思ってしまう。
「モーガン、モーガン……」
 首を振るたび、黒髪が乱れる。乱れ切れない体の代わりにとでも言うように。エドガーは気づきもしないとばかり、そっとレイ自身に手を伸ばす。ゆっくりと腰の動きに合わせてしごいた。とくり、と脈動が手に伝わる。妙にときめいた。
「レイ?」
 なんの心配もいらない、いまだけは。言うに言えないから、体で語る。なにも知らないエドガーだからこそ、レイはたぶん、縋ってきた。どんなつらいことがあったのか、毛ほどもエドガーは知らない。知っていたならばきっとレイは一人で耐えた。あるいは行きずりの他人に抱かれた。あの菫館でぼんやりと座っていたように。
 ある意味では、自分も他人だった、とエドガーは思う。それまでは単に武術指南役と書記でしかなかった。接点などないに等しかった同じ侯爵家の使用人。偶々菫館で出くわした。
「いやだ、モーガン。僕だけ。嫌だ」
 しごかれる手に、ようやくレイの体が反応する。それでも充分に熱くはなれないレイの体。自分でもわかっているのだろう、哀しげに顰められた眉。気にするな、言う代わりに瞼にくちづけ。
「誰があんただけだよ? 俺もだ」
 恥ずかしいことを言ってのけ、腰の動きを速める。それにレイがほんのりと笑った。そんな気がしただけかもしれない。その笑みに、翻弄された。叩きつけ、狂乱するレイを抑え込む。しごきあげ、嬲る。そのどれもに応えたくて、応えきれない彼がいる。だからこそ、気づかないふりをしてレイの中に注ぎ込む。ぎゅっと収縮するそこに、レイの最後を知る。手の中に零されたものの少なさに、エドガーは見なかったふりをした。
「……モーガン。すまない」
 胸に縋りついてくるレイ。いまだけでいい。眼差しがより強くそれを語る。そんな目をするな、言いたくても、言うに言えない。
「なにがだ?」
 とぼけるくらいしか、レイにしてやれることがなかった。いつもどおり、体を拭ってやれば、切なそうなレイの眼差し。
「あ――」
 ひょい、と綺麗になった体を抱きしめた。膝の上に抱え上げ、寝台の傍らに置いてあった水差しから行儀悪く水を飲む。そして口移しの水を。
「どうして」
「なにが?」
「その。こんな……」
 戸惑っているのは、嬉しさからであればいいな。思うけれどエドガーにはわからない。レイが鎧のよう冷静さをまとうのが見えた気すらした。
「恋人ごっこってのも、たまには楽しいだろ?」
 それだけだから、変な気遣いはしなくていい。伝わっただろうか。たぶん、通じた。ことりと預けてきたレイの頭。黒髪が胸元をくすぐる。
「なにも、聞かないんだな」
 抱き合ったまま、冗談のよう肌に触れ、時折くちづけをし。まるで恋人同士の後戯。言葉はなかったそれを破ったのはレイの方。
「なんか聞いてほしいことでも? 愚痴の相手くらいならするぜ」
 笑って言うエドガーに、レイはそっと微笑んだ。それで充分、そう言うように。エドガーの言葉で、もう気は済んだとでも言いたげに。
「モーガン」
「うん?」
「風邪を引くぞ」
 ちょい、と胸元をつつかれた。小さく笑ったレイにエドガーは顔を顰めて見せる。それから肩をすくめて彼を抱いたまま押し倒す。
「そういう色気のないことを言うか?」
 驚いたのだろうレイの丸くなった目。楽しげにエドガーを見ていた。少しでも、嫌な気分は薄れたらしい。
「事実だ」
「もうちょっと色っぽく言えよな」
「たとえば?」
「自分で考えろっての」
 抱き合ったままの肌。しっとりと馴染んで、互いに吸い付く。それでもまだ足りないのかレイの腕がきつくエドガーを抱いていた。
「……寒い。――とか?」
 精一杯考えたのだろう。して見れば、どうやら照れたゆえにきつく抱いていたらしいと気づく。くつくつと笑ったエドガーに抗議の眼差し。
「すげー可愛かったな、いまのは。上出来だ」
「ほっといてくれ。うるさいな」
「なんだよ、褒めたんだろ」
「僕のどこが可愛いんだ。冗談にしか聞こえない」
「そーゆーとこ?」
 からかわれている、と気づいたのだろうレイが顔を顰めていた。はじめて菫館で抱き合ったときに比べれば、レイも様々な顔を見せるようになったものだとエドガーは思う。冷静そのものの書記、だけではなかった彼を少しずつ知っていく。
「お前はそうやって冗談ばかり言う」
「意外と嫌いじゃないだろ?」
「冗談が? お前が?」
「まぁ、どっちも?」
 ふふん、と笑って嘯いて。そんなエドガーにレイはそっぽを向く。どうやら正解だったらしい。再び笑いだしたエドガーの口は飛び起きたレイに塞がれていた。
 下敷きにされて受け取るくちづけも中々に官能的だ、などと思ってしまう。圧し掛かっているのがレイだからこそ。離れて行ったレイを見上げれば、ほんのりと染まった頬。そのまま引き寄せれば、安堵の溜息と共に胸元に顔を埋める。
「――泊っていっても?」
 いつも泊っていくだろうとは言わなかった。代わりにきつく抱きしめた。帰るなと言われたいレイだから。気づけばエドガーは口にしていた。
「え?」
「帰るなよって言ったの。泊ってけって」
「怒るな」
「照れてるの。ほっといて」
 まじまじと見上げてきたレイの眼差し。一瞬遅れて莞爾とする。じっと見つめられて、そらすにそらせなくなってしまった目。
「恋人ごっこも、楽しいな」
 独り言のように言ってレイはもう一度胸を枕に憩う。縋りつくでもなくそこにある体をエドガーはゆったりと抱いていた。そうでもしなければ、本当に二度と帰したくなくなりそうだった。




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