エリナードは馬車を堂々と自宅に横付けさせた。ラクルーサの手の者が迫っているというのに、だ。カレンはそれを案じたけれど、エリナードとしてはこれを見てなお襲ってくるのならば相手は自分だと宣言しただけのこと。
「どうぞ、姫」
 軽やかに馬車から下りたち、エリナードはコーネリアに腕を差し出し、すぐさま兄の手に妹を委ねた。宮廷風だ、とイアンが朗らかに笑う。それで一家の緊張も消えて行く。カレンはさすがだ、とそんな彼らを見ていた。そこからヘッジは御者と家宰を連れて戻っていく。再び頼みます、エリナードが頭を下げていた。
「狭いとこですがね」
 苦笑しつつエリナードは一家を案内する。案内など必要がないくらい小さな家だ。ここは元々ライソンと二人きりで暮らしていた家。いまはカレンも加わって少々手狭だ、と感じていたほど。
「って師匠!?」
 ひょいと伸びてきた腕。何事だとカレンは喚く。自分の肩をがっしりと抱く師の腕に、動揺しないでもない。
「なにしてやがんですか、このダメ師匠!?」
「だってなぁ?」
「だから、なにがだ!? いいからその手を離しやがれ!」
 にやにやとするエリナードがすぐそこで笑っている。こんなとき、この男はとことんろくでもないことを考えているとカレンはすでに知っている。身構えるカレンをエリナードがまたも笑った。
「さっきから俺が姫ばっかかまっててつまんねぇんだろうが? 妬くな妬くな」
 カレンは物も言わず、師の横腹を拳で打つ。クラークが驚いた声を上げたけれど、こんなものは師弟の間では普段の景色でもある。
「エリナード。あなたもお変わりありませんね」
 くすくすとしたエルサリスの声。カレンは申し訳ないような気恥しいような。そしてはたと気づいた。緊張するなと師に言われていたのだと。ぐっと唇を噛めばまだ肩を抱いたままの師が目で笑っていた。
「どう言う意味だよ?」
「お弟子さんが可哀想ですよ。あんまりお若い方で遊ぶものではないでしょう?」
「俺もさんざんやられたからな」
 鼻で笑えば当時を知っているのだろうエルサリスが笑う。そうこうしているうちに地下だった。コーネリアとクラーク兄妹は驚いた様子。が、エルサリスは悟るものがあったのだろう、うなずいている。
「――エルサリス」
「はい?」
「悪いな」
 振り返ったエリナードの前、エルサリスは目を丸くしていた。そしてほんのりと微笑む。おっとりとした笑みにエリナードは悔いないでもない。地下室は、エルサリスにとってはよい思い出のある場所ではない。
「お気になさらず。私も忘れていたようなことですよ?」
「……そうか」
 それだけの会話だった。カレンは何も聞かない。師を見もしない弟子にエリナードは小さく微笑んだだけだった。
 普段は呪文室として使用している地下だった。物は何もない。椅子一つ置いていないのだが、かといってこの家にはこれだけの大人数が席につける卓などそもそもはじめから存在しない。
「雑で申し訳ないですね」
 カレンに手伝え、とエリナードが言ったかと思うと、弟子は嬉々として師の腕から逃れる。魔法を紡ぐのが楽しくて仕方ない、そんな姿にエルサリスは目を細めていた。
「ほう、よい趣味だな。こんな家具を使ってみたいものだった」
 セシルは相変わらずの豪胆だ。ちらちらとカレンがセシルを見やっているのをエリナードは知っている。性格的に娘らしいことをするのが苦手なカレンだった。セシルのような生き方があってもよいのだ、と肯定されている気になるのだろう。
 エリナードとカレンが作り出したのは水のクッションだった。幾つも幾つも作り出し、床に散らばせる。そこに座ってくれ、と言えばセシルはさも楽しそうに夫を招き、イアンはおずおずと。エルサリスはいまも変わらず座る姿もやはり優しい。驚きだったのは兄妹か。兄のクラークはイアンに倣ったのか、おとなしい性格らしい。妹は母を真似るか、と思えばエリナードは内心で小さく苦笑を。ここにはいない父を思った。
「それで、イアン卿。何があったのか聞かせていただけます?」
 とりあえずは、とカレンが茶を淹れるのを待ってからだった。それぞれがそれぞれのやり方で茶を楽しむ。カレンも少しは落ち着いたらしい。そのぶん、エリナードが動揺する羽目になった。
「魔法排斥の影響です、エリナード。――私が、かつて星花宮で訓練していたのを咎められて……」
「な……」
「正確には咎められた、というわけではないよ、エリナード。なんと言ったらいいのか……」
「イアン殿、はっきり仰ればよいのです。いちゃもんをつけられた、と」
 セシルが引き取ってくれた言葉にイアンは苦笑する。が、否定はしなかった。つまりはそういうことだと。
「師匠?」
「……いや。エルサリス、悪い。俺のせいだな」
「エリナード? 何を急に」
「俺がこっちで名前を売った。さっきの学院、見ただろ? あれの開校祝いにな、四魔導師が祝いを送ってくれた」
「当然でしょう? フェリクス師があなたをないがしろにするとは思えませんもの」
「そりゃそうなんだけどよ。――それで俺の名前がたぶん、王宮にまた届いちまった」
 それを狙ってはいた。フェリクス・エリナード。あのときの魔術師がここにいる。正式に追放処分を下されたにもかかわらず健在でいる、しかも氷帝フェリクスの後継者として。王の耳に届けば、あるいはフェリクスの助けにもなる。それを意図しての行為ではあった。だが。
「それはおそらく関係はしているとは思うが。だが、直接の原因かと言えばそんなこともないだろう」
「そう言ってくださるのはありがたいですけどね、セシル様」
「別に慰めではないぞ? それだけ、ラクルーサでは魔法排斥の波が強い、ということでもある。殊に貴族社会ではな」
「ですから原因、というならば私がイアン様の元にいる、それが原因でもあるのですよ、エリナード」
「とはいえ、こうなって見るとおかしいものですね、エリナード」
 くつくつとイアンが笑っていた。そろそろ老境に入ろうかというイアンに青年時代の面影が戻る。それほど彼は楽しげだった。
「あの時の大騒ぎを思い出していました。こうして亡命をする、ということは私は子爵位を捨てることになったわけです」
「あまり未練がおありではなかったご様子だったね、イアン殿」
「ないですよ、そのようなもの。家族の命のほうがずっと大切ですとも。――ですからね、エリナード。あの時にそうしていてもよかったのだと思うのです」
「……はい?」
「エルサリスを我が家に迎えるにあたって、私が身分を捨ててしまう、という手段もあったのだな、そう思うのですよ」
 当時は考えもしなかった、イアンは言う。エルサリスも苦笑していた。エリナードとしてはうなずけない。が、イアンが慰めてくれているのだけは感じる。無言でわずかに頭を下げた。ふ、と隣のカレンが緊張を見せ、そんな自分に照れたのだろう、ぎゅっと拳を握る。
「おう、こっちに……ってなんだ、この大人数は!?」
 ライソンだった。呪文室とはいえ、彼はエリナードと共に過ごしてそれなりになる。使用中かどうかくらいの区別はつく。無造作に開けたのはそのせいだった。
「おう、おかえり。俺の客だよ。弟分とその一家だ」
「へぇ。……あぁ、いや、ようこそ? ……ん、ジルクレスト卿、ですか?」
「ほう、懐かしい顔に出会うものだな」
「っておい、ライソン!? どこのどういう知り合いだお前!?」
「どうって、雇われたことがあるだけ。あんたと知り合うちょっと前かな」
 植物学を志しているジルクレスト卿が暁の狼に護衛を頼んだことがあったのだと言う。ラクルーサの北に位置する王立薬草園までの護衛だった。ライソンの話にぽ、とエルサリスが頬を染める。
「……ライソン」
「ん?」
「そこで、ミナって女に会わなかったか?」
「あー、会ったかも? 庭師さんの嫁さんで、親父さんは庭師頭だったって人だよな?」
「――俺の妹だよ」
 何を問われているのだろう、ときょとんとしていたライソンの表情が硬直する。まさか妹がいた、とは思ってもいなかったらしい。
「隠してたわけじゃねぇんだけどよ。血しか繋がってねぇしな」
「……そっか」
「妙なところで妙なやつらが繋がってるもんだぜ。ま、世の中こんなもんかな」
 肩をすくめるエリナードだった。正直に言って許容量を超えている。だが仕事は待ってはくれない。いまはとりあえず放置して、身の周りのことは後で考えようと思う。そんな師をカレンが心配そうに見やった。
「エリナード、こちらの……」
「ライソン、と言ったはずだったな。あのときの少年が立派になったものだ」
 イアンの褒め言葉にライソンは照れ笑い。昔を知られている、というのは気恥ずかしいものでもある。
「俺の連れ合いだよ」
 その一言に、ここまでエルサリスが驚くとは思ってもいなかったのだが。エリナードは知らず首をかしげて彼を見ていた。
「そんなに驚くようなことか?」
「えぇ……、申し訳ない、どうぞお気になさらず」
「いやいや、俺は全然平気ですから。どうしたんです?」
 ライソンにも悟るものがないでもない。エルサリスはおそらくエリナードの過去を知っている。だからこそ、自分を選んだ彼が不思議なのだろうと。
「エルサリス、気にすんな。言っていいぜ?」
 その程度で切れるような仲ではない、言い切ったエリナードにライソンのほうが赤くなった。馬鹿馬鹿しいとばかりカレンが茶を淹れ直す。
「えぇ……あなたが、常人を選ぶとは、思っていなかった。それだけなのです」
 再び申し訳ない、と眼差しを下げるエルサリスをエリナードとライソンの二人が揃って笑い飛ばしていた。




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