半エルフの笑みにアレクは少しばかり考えた顔をした。乗っている気がしないはず。魔法的存在。そんな言葉が脳裏を駆け巡る。
「だから、二人乗りでも平気?」
「はい」
「なるほどねぇ」
 理解の早いアレクにアルディアは心からの笑みを向けた。そして彼を窺う。アレクの目に自分たちと異なるものへの恐怖も差別もなかった。そのことが、何より嬉しい。仕えるに値する王だ、心底そう思う。
「駆け続けるのか?」
 突如として湧きあがってきた疑問。アレクの問いにアルディアは難しそうな顔をした。
「メル」
「たぶん……急がないと……」
「わかった。最善を尽くす。頑張って」
 愛するものを背後から抱きかええ、己の体温で温めながらアルディアは囁いた。こくり、と操られたようメロールがうなずく。聞こえているとは思えなかった。
「急いだほうがいいようです、陛下」
「馬が持つか?」
「……なんとか、持たせないと」
「それは、僕が」
 黙って馬を走らせていたシリルが力強く笑った。いまだ必死でついてきているガストンを振り返る。どうしようかな、そんな表情がシリルの顔に浮かんでは消えた。
 シリルの唇から、低い朗誦。はっとして体を硬くしたガストンをアレクがきつい紫の目で睨んだ。そのとき疲れはじめていた馬の体が輝く。
「ごめんね」
 馬の首を軽く叩いてシリルは前に向き直る。一行の馬はあたかも若駒の元気を取り戻していた。一声高く、サイファを背にした馬が嘶く。
「さぁ、続けましょう」
 にこりとしてシリルが言う。先ほどの馬よりもなお疲れきった体に鞭を打ち、駆けた。早くも日は暮れようとしている。
「明かりは、俺が」
 いまだ意識のないサイファ、鳩を引き継いだメロールに代わりアルディアが明かりを灯す。一行の周囲に魔法の明かりが灯った。
「アンタが魔法使うのって、珍しいわね」
 アレク王の茶化した口ぶりにアルディアはそっと身震いをして笑みを浮かべた。
「できることが限られていますから。メロールのよう、使えませんし」
「半エルフの才能ってやつ?」
「才能、と言うよりは生まれつきの技、でしょうね」
 メロールを抱いたまま器用にアルディアが肩をすくめた。その仕種に兄弟が笑い声を上げる。硬くなっていた空気が解けた、そんな気がした。
「アレク王」
 ガストンが、わずかに遅れる。それを捉えてのアルディアの声だった。
「なに?」
「メロールが、ガストン卿は本当にウルフを誘拐したのか、と」
 わずかに接触した心からそれを読み取った、とは言わずアルディアは問う。それにアレクのみならずシリルまでもがにやりとした。
「いい目をしているね、二人とも」
 兄弟、眼差しを交わしてシリルが言った。首をかしげるアルディアに、シリルは続ける。
「誘拐を画策したのは、ガストン卿だと僕も思うよ。でも、それだけかな?」
「あの坊やは、国に帰ればそれだけで殺されるわ」
「追放刑って、そういうことだしね。だから――?」
「誘拐犯は同時に暗殺犯でもあるってことよ」
「それをたぶん、ガストン卿は知らない」
 ぽんぽんと飛び交うとんでもない言葉の数々。アルディアは目を剥きそうになる。
「そんなことが……?」
 彼らの言葉を疑うわけではないが、ガストン卿が知らないなど、あり得るのだろうか。その思いがアルディアにはある。
「自分の手で匿うつもりだったんでしょ、きっとね」
「甘いね、ガストン卿は」
「だから付け込まれんのよ。馬鹿じゃないの。自分の手で坊やの死刑執行状に署名したも同然よ」
 冷たいアレクの声に、アルディアはそれが紛れもない真実だと悟った。かくなる上は一刻も早く。いまよりも、早く。ウルフの命が、どこかへ連れ去られてしまうより、先に。
 一行は無言で馬を走らせ続けた。疲れきったガストンの息遣いが聞こえる。騎士とは言え、鍛錬を怠った証拠だ、とシリルはにべもない。だが、遅れつつもついてきていることは多少なりとも評価する。
「メロール、代わろう」
 何事もなかったよう、サイファが目を覚ました。すっくと馬上に体を起こし、もぎとるように鳩の制御をメロールから奪う。
「助かった。礼を言う」
 それからようやくメロールに向かってそう言った。あまりに素早く奪われたため、慣れたはずの眩暈がした。
「いえ、大丈夫――」
 つらくはないのか、問おうとしてメロールはやめた。つらくともサイファはするだろう。あの男を救うために。
 それを察したよう、サイファが淡い微笑を浮かべた。
 辺りが完全に漆黒の闇に閉ざされても彼らは馬を駆ることをやめなかった。魔法の明かりに照らされて駆け抜ける姿はあたかも幽鬼。
 日が昇っても、馬を止めなかった。馬上はすでに声もない。疲労に頭がぼんやりとする。サイファ一人が前を見据えたまま厳しい顔をしていた。
「シリル」
 不意にサイファが馬を止めた。シリルは頭を一振りして疲れを払う。
「どうしました?」
 その顔に濃く残る疲労の色。ようやくサイファは無理を強いていたことに気づいた。すまない、そう思う。だが彼にはまだして欲しいことがあった。
「神聖魔法を。頼む」
 人間たちは馬上で馬の背に伏せるよう休んでいた。アレクは無言で息を整えている。ガストンなど息も絶え絶えだった。
「え……?」
 問い返すシリルもまた、疲れに思考がまわっていない。サイファを見やり、半エルフたちを見る。彼らはまだ少しは余力があるらしい。
「ついた」
 言われてやっとシリルは辺りを見回した。突如として鼻を突く海の匂い。いままで潮の香りを感じてもいなかった自分に驚く。
 驚愕に目をみはったまま、シリルはこくりとうなずいた。呆然として言葉もない。信じがたいことに、一昼夜を待たず走破してしまっていた。
「なに……」
 突然、体が楽になったのだろう、アレクが驚きの声を上げる。ガストンもまた体を起こした。そして二人ともが気づく、すぐ目の前に迫った港の倉庫に。
「サイファ」
 アレクの呼び声にサイファはうなずく。手振りで馬から下りろ、と示した。
「気づいていると思うか」
「誘拐犯が、アタシたちに? 無理じゃない? 港なんか騒音はつきものよ」
 隣に来たアレクににやり、と笑う。サイファのそれは少し強張っていた。そのサイファの背をぽん、とアレクが叩いた。
 ぎゅっと拳を握り締める。あと少しだ。その気持ちだけを頼りにサイファは倉庫の扉を睨み据えた。
「シリル。中の人間を守れ」
「誘拐犯込みで、ですか?」
「不本意だが、致し方ない。いまの私は魔法の制御に自信がない」
「非常にぞっとする告白ですね」
「言っていろ。メロール、援護しろ。アルディアはメロールを。ガストン卿、邪魔しないでいただきたい」
「アタシは?」
「言わなくとも飛び込むつもりでいることは知れている」
 くっと笑った。少し、楽になる。手を伸ばせば届く場所にあの男がいる。
「それでこそ我が友ってもんよ。さぁて、坊やを取り戻しに行くわよー?」
「甚だしく気合に欠けるな」
「ほざけよ」
 突然、男に戻ってアレクが笑う。くらり、眩暈がしてサイファは正気に返る。ゆっくりと息を吸って同族を振り返った。
「忠告をしておく。私の真似をしようなど、思うなよ」
 メロールはどう答えてよいかわからず目を瞬いた。兄弟が笑ったから、きっと冗談だったのだろう。ガストンがそこにずい、と進む。
「なにをするつもりだ」
「あの男を救出にいく」
 そんなこともわからないのか、とでも言いたげな目つきでガストンを見やり、サイファはシリルに視線を移す。彼がうなずいた。準備は整った。あとはサイファ一人。
 彼の唇から漏れ出す詠唱。メロールが顔色を変えた。それほどの火力を行使して、はたして倉庫は無事なのか。中の人間は。そう思ったことで気づく。だからサイファはシリルに依頼したのか、と。
 だからと言って、メロールは少しも安心する気持ちにはなれなかった。顔を青ざめさせたままサイファの詠唱を聞き取る。
 長い詠唱に、アレクが訝しい顔をした。シリルはすでに顔色をなくしている。その瞬間、倉庫が爆発した。
「な――」
 ガストン卿がサイファに掴みかかりそうになる。咄嗟にアレクが剣を抜き放って止めた。
「黙って見ていろ」
 これが一国の王の言葉遣いか、とは後になって思ったこと。そのときのガストンは完全にアレクに気圧されていた。
 再び轟音。サイファの放った魔法が倉庫の中で暴れまわっている。まるでそれはやり場を見失ったサイファの怒り。
 メロールの手から、魔法が放たれる。サイファの怒りを誘導するよう、倉庫の天井を一撃で抜いた。続いて再びサイファ。降りかかる残骸を中に落とすまい、と細かく火球を放つ。すぐさまメロールが、アルディアまでもが参戦した。
「まぁ、派手だこと」
 女笑いを虚ろに漏らし、アレクは魔術師たちを見やった。魔法を習ってはいない、と言うアルディアまでもがこの程度のことはできるのか、と思えば怒れる半エルフの前には決して立つまい、と身震いさえしそうになる。
「アレク!」
 倉庫の破片に押しつぶされないよう、中の人間を結界で守り続けているシリルからの叱責。答える間もなく飛び出した。
 その背後にガストンが続く。真っ青になりながら、カルムの名を呼び続けていた。





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