シリルの帰りをじっと待つなどとてもできなかった。頭を一振りして苛立ちを抑える。
「では私は私なりに調べ物をしよう」
 すっとサイファは立ち上がる。多少は冷静になった。だが、怒りは体内にくすぶっている。部屋の窓を開け放ち、外を見る。
「リィ・サイファ」
 背後にメロールが立っていた。王命がなくとも助力は惜しまない、そんな顔をしていた。こくり、サイファがうなずく。
 それからサイファとメロールは何事かを話し合っていた。アレクの知らない言葉だった。驚きと共に隣に視線を向ける。
「アルディア」
「はい、陛下」
「サイファ、なに言ってるの。あれって、真言葉じゃないわよね」
「えぇ……」
 アルディアは彼らを見てうなずいた。その面に少しばかり懐かしそうな表情が浮かぶ。
「我々半エルフの、言葉です」
「え……」
「半エルフの、と言うよりは神人たちの言語と言ったほうが正しいと思いますが」
「神聖言語!」
 驚きにアレクはそれ以上の言葉を続けられなかった。よもや神人たちが話した言葉をこの耳で聞くことになるとは思ってもみなかった、とありありとその顔に書いてある。
「我々半エルフは、生まれつき言葉が話せます。それがあの言葉なんです」
「そうなの……」
「リィ・サイファは少しの過ちもいまは犯したくないのでしょうね。あの言葉は人間の言葉よりずっと精密ですから」
 アレクはそれにうなずいていた。かつてシャルマークを共に旅したときサイファが言っていたことを思い出す。
 剣に刻まれていた神聖言語。たった一文字を書き換えただけで祝福は呪いへと変化していた。あの時の騒動を思い出し、そして主役がいないことを思い出してはアレクは唇を噛んだ。
「あ……」
 その唇から声が漏れる。開け放った窓から飛び立っていく十数羽の鳩。勢いよく飛び立ってはあっという間に姿を消した。
「サイファ?」
「情報が欲しい。少しでも早く」
「だからそれじゃわかんないでしょって言ってるのよ」
「あぁ……すまない。苛立ってるようだ」
「なにを今更」
 茶化してアレクは二人に座るように、と手振りする。会議用に用意してあった茶を手ずから淹れればアルディアとメローが慌てて腰を浮かす。
「いいわよ、これくらい」
 こんな気さくな王がいていいものか、と思うけれど、だからこそラクルーサは居心地がいい。茶を淹れている間に二人はガストンがどのような男なのかをサイファに尋ねていた。
 そんなことがあったのか、と唖然とする半エルフにアレクはうなずいて見せ、サイファへと視線を移す。
「それで?」
「鳩か? あれは見てのとおりだとは思うが、鳩ではない。なんと言えばいいかな……。人の話を聞きつけて来るんだが」
「つまり、頭の上を飛ぶ密偵ってとこ?」
「まぁ、そのようなものだな」
 密偵の言葉の響きにサイファが渋い顔をする。それをかすかにアレクが笑った気がした。
「リィ・サイファ……」
 懸念にあふれたメロールの声にアレクは首をかしげた。サイファはちらりとそれを見たはずだけれどなにも言わずメロールに向かって首を振る。
「ちょっとサイファ。水臭いじゃない?」
「うるさいぞ」
「だって、気になるもの。ね?」
「その格好で女言葉を使うな、気色悪い」
 当然のことながら、国王はきちんとした服を身につけている。この場合男装、と言うべきか悩むところだ、とサイファは思う。
「いいじゃない。アタシとアンタの仲でしょ」
「嫌な仲もあったものだ」
「で。白状なさいよ」
「……メロールは、鳩の数が気になっているのだろう」
 渋々そう言ってサイファはメロールに目をやった。それに彼が肯う。
「あれほどの数を飛ばしては……」
「たいしたことではない」
「ですが」
「メロール」
 一言で年若い半エルフの反論をサイファは封じた。いまは、そのようなことを言っている場合ではない。ウルフの行方がわからなくては手の打ちようがない。それがサイファの心を焼いていた。
「見つけましたよ、サイファ」
 さらに何かを言い募ろうとしたアレクの言葉を奪ったのは、大荷物を抱え息せき切って駆けつけたシリルの声だった。
「早いわね」
「まぁね」
 最愛の弟の背を軽く叩いてねぎらえば、サイファの視線が気になる。少しでも早くウルフを取り戻してやりたかった。
「それで、報告は?」
「あたりだったね。ミルテシア側で数えたはずの人数がこっちに渡った途端二人少なくなってる。それもガストン卿の従騎士がね」
「ほう……」
「サイファ、落ち着いてください。まだ話しは続きますから」
「努力はするが、期待はするな」
 低い恫喝めいた声に兄弟は揃って笑い声を上げた。わずかでもその場を和ませようとする気遣いは宙に消える。シリルは溜息をついて言葉を続けた。
「ミルテシアから使節団が来る十日前、ミルテシアの若い騎士がラクルーサに入ってる」
「アタシ、そんな話し聞いてないわよ?」
「三人の騎士のうち一人の姉が嫁いだ先での祝い事に出席するため、と言うことらしいよ。三人は騎士見習いのころからの友達だそうだ」
「……物凄く言い訳くさく聞こえるのは、アタシの気のせいかしら」
「気のせいじゃないだろうね。仮に三人が友達だってのは本当だとしても。だって、その三人はガストン卿の従騎士と七日前に合流してるから」
「――決まりだな」
 すっとサイファが立ち上がる。それを咄嗟にアレクが抑えた。
「だーかーらー! あれでも一応国家の使節! 今すぐ手出しはやめてちょうだい。アタシの評判に関わるの!」
 半ば茶化しながらもアレクの必死の懇願にサイファは唇を噛む。そのときだった、サイファの視線が窓へと移る。
「……見つけた」
「サイファ、どうしました?」
 シリルの呼びかけにサイファは手を振り、メロールが代わっていま彼が何をしているのかをシリルへと話す。
 その間にサイファは窓辺で耳を澄ませていた。次いで目を凝らす。もっとも、目に見えるものに頼っているわけではなかった。魔法の感覚を凝らしている。だから残された人間には、サイファがただ窓辺に佇んでいるようにしか見えなかった。
「若造が、自分の意思で馬に乗って移動したとはこの際考えない」
「当たり前でしょ」
 サイファの独白にアレクが合いの手のよう、茶々を入れた。振り返ったサイファが照れたようふっと口許をほころばす。
「馬車で……三日程度か。海辺……港町。……倉庫が見える。貿易か? 倉庫の数は、ずいぶん多いな。近くに村と言うよりは栄えているが、街と言うには柄が悪い、そんなところがある」
「わかった。貿易港があるわ」
「あの馬鹿はそこにいる。倉庫の中だ。窓から覗いたが、怪我をしている。いま、見えた」
 ぎりり、歯を食いしばった音が聞こえるようだった。サイファの握り締めた拳にアレクが手を置く。
「行くわよ」
「あぁ」
 にっと互いに笑みを交わす。それから気づいたようサイファは首をひねった。
「おい。お前が王宮を空けるのは問題がないか」
「あるに決まってます」
 サイファの言葉に苦々しく答えたのはシリル。だが彼もまたすぐさま笑みを浮かべる。
「ですから、さっさと行って、さっさと片付けましょう。陛下にはできるだけさっさと責務に戻っていただきたいのでね」
「アタシはのんびりしたいんだけどなぁ」
「アレク!」
「……感謝する」
 サイファがそう言って頭を下げかける寸前、両側から兄弟の手が伸び彼の肩を押さえつけた。揃って顔を見合わせ苦笑する。間でサイファが力なく笑っていた。
「はい、それじゃ行きますよ。あぁ、メロールたちも手伝ってもらっていいかな?」
 駆けつける前に武具庫に寄ったのだろう、シリルはアレクが飛び出すことなど疾うに予想済み、とばかり武器防具を手渡してから、半エルフたちを見やって笑みを見せた。アルディアにも王宮内では許されていない剣と弓矢を渡す。
「もちろんです」
 はっきりとメロールはうなずく。今のサイファを一人にはできなかった。自分など足元にも寄れないけれど、それでも魔法の使い手はいたほうがいい。
 アレクの武装を待って一行は部屋を飛び出した。部屋の前で会議の再開を嘆願しようと言うのだろう、文官たちが待ち構えていたけれど、彼らの形相を見ては息を飲んで立ち尽くすばかり。
 王宮の廊下を足音高く駆け抜ければ、侍女が悲鳴を上げた。時折、位の高い女官が王と気づかず走り抜ける彼らを高らかに怒鳴る。
「陛下!」
 はっとその声に足を止めた。咄嗟にアレクは隣のサイファを背に庇う。庇うふりをして彼を抑えた。
「何か御用かな? いささか危急の用事があって、卿に時間が取れないが」
 連れだって側に近づいてきたのはミルテシアの高位使節キャンピオン卿。すぐ側にガストンが控えていた。
「……化け物め」
 サイファの姿を目にするなり、ガストンが吐き出した。あるいはそれはその場にいた三人の半エルフに向けられたものだったのかもしれない。
「控えよ!」
 ぎょっとするほどの大声でキャンピオンが怒鳴る。
「それは、聞き捨てなりませんね」
 そう、シリルが一歩を踏み出したのが同時だった。無意識だろうか、右手は剣の柄にかかっている。
「リィ・サイファは我がラクルーサ王家の友人。二人の半エルフは王家に忠節を尽くすもの。いずれにせよ、彼らへの侮辱は我がラクルーサへの侮辱と受け取らせていただく」





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