ラクルーサに若き王が立つ。本来ならばミルテシア王が出席するのが慣例であったが、今回に限っては第三王子ヴァストが参列していた。
「殿下――?」
「いや。なんでもない」
 ラクルーサの戴冠式は王城前の広場で行われていた。王子が王冠を得て、初めて城に入るまでが儀式、と言うことらしい。ミルテシアには馴染みのない考え方だった。
 ヴァストは広場の最前列にあって、背後のざわめきが気にかかっていた。列席する高位の者たちが入ってくるたび、庶民が歓声を上げる。だが、いまのはそれとはいささか種を異にしていた気がしなくもない。
 だからヴァスト王子は後ろのほうに列している者たちのことに気づかなかった。
 風に乗って香の香りがたなびいてくる。神官の登場だった。マルサド神の神官だろう、みな武装している。
「便利なことだ」
 警備が要らない、と皮肉に呟く王子の腰のあたりをそっと叩いて従者代わりの大臣がたしなめる。王子は気にとめもしなかった。
 そこに一人の若い神官が入ってきた。わっと庶民から上がる歓声。壇上から神官は庶民に手を上げて応ずる。
「王家の守護者、サイリル王子殿下にございます」
「わかっている」
「は――」
 癇性に言う王子に大臣は静かに頭を下げた。いささか持て余し気味ではあるものの、大臣は決してこの王子を嫌ってはいなかった。
 だからこそ今回のラクルーサ行きに自ら同行を申し出ている。不憫だ、とすら思っていた。ミルテシアに王子は多い。その中から特にヴァストが選ばれたのかといえば、だがそのようなことはない。
 ミルテシアにすでに第一王子も第二王子もなかった。長命な王より先に没してしまった。現時点で最も王位に近いはずの王子が、ヴァストだった。が、王はシャルマークの英雄と称えられた末の王子カルムを王太子に指名するなど、大臣にとっては暴挙としか思えないことをした。カルム王子は「行方不明」になったものの、ヴァストはいまだ一人の王子の身分。幼き頃より身近に接してきた大臣としては隣国の王の戴冠式に出席させるのもいたわしく思う。
 隣に立つ大臣がなにを考えているのか、ヴァストは知っていたのだろうか。その立ち姿からは容易に彼の内心は窺えなかった。
 歓声が一段と高まる。広場に、光が射したかのようだった。
「ほう――」
 これが、ラクルーサの新たなる王。奔放とも言い得る短い金髪が頭の周囲を飾り、すでにそれは王冠を得ているかのよう。背から胸へと回された長い編み髪は豊かな金の綱。どれほど美しい胸飾りより、彼の身を飾っていた。
 戴冠前の最後の瞬間。一切の飾りを帯びていない王が手を掲げる。押し寄せる庶民の歓声。彼は心安く笑みを見せ、それに応える。
 それから無造作に膝をついた。そのような態度までがいっそ高雅ですらある。決して屈せず、決して奢らず。
「手強そうだな」
 ヴァストは膝をつく王に向け、呟いた。大臣が静かに前を見据えたままうなずく。
 静かな若い神官の声。なにを言っているのかはよく聞き取れなかった。いずれ、神の教え、訓示の類。そのあたりはおそらくラクルーサでも変わらないだろう、とヴァストは思う。若き王が、神官を見上げた。
「我が治世に、祝福を願う」
 凛とした声だった。若さゆえに侮るなど、決してできない。ヴァストは知らず唇を噛んでいた。いずれ、敵対するかもしれない隣国の王。できれば無能であって欲しかった。
 王家の守護者が王冠を掲げる。陽射しに金が燦然と煌き、貴族から庶民に至るすべての人々の目を撃つ。王家の守護者が微笑んで王冠を与えた。
 その瞬間、ラクルーサに新たな王が正式に誕生した。王の名をアレクサンダーと言う。歓呼の声が辺りを圧した。
 さっと王が手を掲げる。それだけで庶民が固唾を呑んで王の言葉を待つ。ヴァストはまた唇を噛む。
「我が兄の遺志を継ぎ、私は玉座を得た。我が治世は短いものとなろう」
 戴冠式で告げる言葉とは思えない縁起でもないそれに、庶民がざわめく。ヴァストも大臣も目を丸くしていた。
「我が治世は短いものとなる」
 アレクサンダー王が繰り返す。そして背後を振り返って何者かを手招いた。そこに現れるのは乳母に抱かれた幼児。
「我が兄の遺児、彼こそが正しくラクルーサの王冠を得るべき者。私は仮に預かるに過ぎない。我が甥の健やかなる成長を、皆も祈って欲しい」
 にこやかに言うにいたって、ヴァストははっきりと唇を噛む自分を自覚していた。王は明言した、この甥を守っていくと。ちらりとこちらを向いた視線が言っていた。ミルテシアのよう、不要な王子を抹殺しようとはしない、と。
「あの王――」
 ぎゅっと握り締めた掌が痛い。庶民の高鳴る声も聞こえないほどの屈辱だった。
「短い我が治世を、どうか友にも祝ってほしい」
 はじめそれは共に祝って欲しい、そう言ったのかとヴァストには聞こえていた。が、背後の列が割れるにしたがって聴き違いであったことが知れる。
「な……!」
「殿下!」
 ぎょっとして声をあげてしまったヴァストを、慌てて大臣がたしなめる。だがその声も小さいとは言いがたかった。
「カルム王子、リィ・サイファ。どうか祝って欲しい」
 壇上で王がにこやかに微笑んでいた。ヴァストの目の前を、二人の男が通っていく。嫌になるほど見覚えのある男と、半エルフだった。
「アレクサンダー王め!」
 ヴァストは小さく罵った。ここに、ミルテシア王の名代が出席している。その目の前で「行方不明」の王子を持ち出してくるとは。
「手強くありますな、殿下」
 大臣の冷静な声に、ヴァストはうなずくのが精一杯だった。最前、自分がそう思ったのも忘れている。目はひたすらに末の弟と半エルフに向いていた。
「なんという、無様な」
「殿下?」
「あれを見よ」
 ヴァストは顎先で末の弟を示す。大臣がかすかにうなずいていた。
「あの装束は、何か」
 白とも淡緑ともつかぬぼんやりとした色合いの胴着。ぴったりと腕を覆っている様子はさすがにミルテシア風であったけれど、王家の者としてはあまりにもみすぼらしい。
「殿下の御前に参るに当たって、身の程をわきまえたのにございましょう」
「ならば招待に応ぜず、慎めばよいこと」
 ちっと、小さな舌打ちが聞こえて、大臣はぎょっとする。よもやこのような場でヴァストが感情を露にするとは思ってもいなかった。
「それに、なんだ。あの化け物は」
「殿下」
「化け物を化け物と――」
「シャルマークの英雄にございますぞ」
 ちらりと大臣の目を見やる。彼は言っていた。それ以上に、ラクルーサ王が友と呼んだ男なのだ、と。それがなににもまして忌々しい。
「――魔物の血のような色だな」
 半エルフがまとう長衣の色合いを指してヴァストは鼻を鳴らす。それには大臣も何も言わなかった。
 辺りが半エルフの姿にざわめいているのを、ヴァストは快げに聞いている。が、それは彼の意図とは違うざわめきだった。
 カルム王子同様に、半エルフも飾り気のない長衣姿。人間風の衣装が、かえって異質さを際立てている。彼が身につけた飾りはただ一つ。その背を覆う長い髪のみ。あたかも漆黒の夜空。星々すら煌いているかの髪だった。
「不快な……」
 このような場に異種族がいること。それ自体も不愉快だった、ヴァストにとっては。だが単純にあの半エルフが異種族である、それだけの不快さではなかった。
 リィ・サイファは、ヴァストの父王の要請を無下に断った男。三叉宮で両国が共に行った式典の際、あの男が言い放った言葉をヴァストは忘れてはいなかった。
「殿下」
「無礼にもほどがあった、そう思わないか」
「ですが……」
 大臣の胸にも去来しているだろう思いに、ヴァストは皮肉に顔を歪める。
「アレクサンダー王は手強い、そう思ったのは勘違いやもしれぬな」
 滴るような皮肉。ヴァストは思う。半エルフと言う異種族を民が恐れる気持ちはなにより強い、と。その異種族をこのような場に呼び、あまつさえ友とすら呼ぶ。
「殿下、早計に過ぎるやも知れませぬぞ」
 だがヴァストの思いは大臣に破られる。ぎゅっと唇を噛んだ。ヴァストにも、実はわからないでもなかった。認めたくないだけのこと。
 アレクサンダー王には、勝算がある。だからこそこの場に異種族を招いた。自らの戴冠式と言う、治世のはじめに半エルフを招いた。なにか思うところあってのことだろう。
「買いかぶってるのは、そなたかも知れぬ」
 それでもヴァストは言い募る。他に方法がなかった、この不愉快さを打ち払う方法が。
 ラクルーサ王がカルムの追放を国内において無効にしよう、と画策するのはいい。それはそれで外交だ。
 だが、とヴァストはカルムを見やる。ミルテシア王家の者として出席するならばそれなりの衣装をまとうべき、と。色味も抑え、飾りもない衣装ではミルテシアがラクルーサに一段も二段も譲ったようだった。あまりにも卑屈に過ぎる。
 ミルテシアの屈辱としか言いようがなかった。ヴァストにとって、それは弟がミルテシアを裏切ったのだとしか解釈できない。その弟を、父が殺そうとしていることをはっきりと知りながら。今更裏切るもなにもない、とはヴァストは思わなかった。
「アレクサンダー王の戴冠を祝い、その治世の元、国民が豊かならんことを願います」
 あまりの不愉快に、いっそ父王にラクルーサとの国交断絶を進言しようかと思っていた矢先のことだった。ぞっと背筋が震える。
 声に、ヴァストは愕然としていた。大臣はさらに驚いていた。これが、あのカルムか。シャルマークへ戦いに向かうのを泣いて嫌がったあのカルムかと。毅然とした張りのある声だった。ゆっくりと頭を下げるその仕種も礼にかなったもの。大臣は咄嗟に王子、そう呼びかけたくなる声を必死で抑えていた。
「アレクサンダーよ」
 半エルフが口を開く。それだけで広場は静まった。どこか王が苦笑めいた影を浮かばせる。
「無礼な」
 近衛兵が進み出た。言うまでもない、アレクサンダーと呼び捨てたことに対してだった。が、王が軽く手を挙げてそれをとどめる。
「神人の子らは、我が王権の内にはなき者。かまわん」
 王の言葉に半エルフの口許がふっとほころんだ。
「その言葉ゆえに私は願おう。陛下の、そしてラクルーサの弥栄を」
 二人が顔を見合わせた。歓声にまぎれてしまうところだった。だがヴァストは見た。共に浮かべた示し合わせたような表情を。戴冠式ほどの儀式でなかったならば、悪戯でも企んだ、とでも言うべき顔。それが何かヴァストにはわからなかった。




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