アレクがここまで下手に出ている。それがサイファを苛立たせた。なにもそのような態度を取らなくとも、一言いってくれればいい。言わなくてもかまわない。アレクはサイファの友だった。
「それで、アレク。これのなにが必要だ」
 じゃれているウルフを引き剥がし、サイファはあからさまな溜息をついて見せた。アレクにはそれで充分こちらの意図が伝わると知っていてのことだった。
「戴冠式に出て欲しいのよ」
 サイファの言葉に、気が楽になったのだろう。ほっとアレクが息を入れる。女言葉に戻っていた。
「戴冠式?」
「ちょって待って、アレク。俺が戴冠式はいくらなんでもまずい」
「ウルフ。説明しろ、私にわかるように」
 自分がわからないことをウルフがわかる。普段ならば楽しんだことだろうに、いまはそのような気持ちになれない。サイファはじろりとウルフを睨んだ。
「戴冠式ってことはさ、ミルテシアの国王かその名代も出席する。間違いなく。そうだよね、アレク」
「まぁ、戦争起こすつもりじゃなかったらくるだろうな」
「だからね、そこにミルテシアのカルムがいるのはちょっとまずいよ」
「お前の父親か、兄弟と顔を合わせることになる、と言うわけか」
「それだけじゃない。向こうにしたら俺は追放処分を下された罪人だ。アレク、どーするのさ」
「だから言ってるじゃない。ラクルーサは追放を認めない。アンタはアタシのお友達。友達の戴冠を祝いに来てなにがおかしいのよ? シャルマークの英雄四人が勢ぞろいよ? 文句があるんだったら言ってみなさいって」
 どうやら人間二人は諸問題の見当がついているらしい。自分ひとり、わからない。サイファは溜息をつく。
「とにかく、アレクはウルフ……いや、カルムが必要なんだな? ミルテシア王家と事を構えるのも辞さいない、と?」
「ここで構えなかったらあとでもっと構える事になるのよ、サイファ」
「とりあえず了解した。貸し出しは許可しよう」
「アンタも一緒にね」
「おい――」
「言ったでしょ、シャルマークの英雄四人って。アンタも一緒よ」
 茶化した口調と裏腹の真剣な目。サイファは苦笑してうなずいた。あまりにもあっさりと納得した、それが不思議なのだろう。ウルフがきょとんとしている。
「サイファ、いいの」
「仕方ない、アレクの頼みならば聞いてやる」
「ちょっとサイファ、なんか含むところがありそうな口調じゃない?」
「あぁ、あるとも。お前に貸しを作るのは大変気分がいい。取立てはきついぞ」
 言ってサイファは唇を吊り上げた。まるでアレクのようなやり方だ、とウルフは思う。茶化して笑い話にして、気分を軽くしてくれる。
 サイファが口で言ったのと、事実はまるで違うことにウルフは気づいていた。サイファは貸したとは思っていない。返せ、とも思っていない。二人のやり取りが、どことなく羨ましくてウルフは強く首を振った。
「おい」
 小さな声。サイファの手がそっと伸びてきた。
「言っておくがな、若造。また愚かなことを考えているのだったら――」
「考えてないよ、大丈夫。サイファ。あんたが好きだなぁって思ってただけ」
 言えば途端に手を振り払い飛んでくる拳。ウルフは機敏によけて食らわなかった。
「サイファ! 戴冠式に青あざ作ってくの、俺いやだからね!」
「だったら殴られるようなことをするな!」
「あら、サイファ。坊や、そんなことしたかしら。アタシ、よくわかんなかったなぁ」
 するりと女言葉が忍び込み、二人揃って脱力した。こんな男が国王で、いいのだろうか。少しばかりラクルーサの民が気の毒になってくる。ちらりと見やった視線にそれを感じたのだろう、アレクはサイファに笑って見せた。
「アタシ、意外と民草からの人気は高いのよ?」
「……物凄く信じ難いな」
「あー、なんかわかる気がする。アレクって人気者っぽいよね」
「ぽいんじゃないの、人気者なの」
 断言するならば、それでいいような気がしてしまう。本当は違うのかもしれないが、とにかくこの男を玉座に押し上げなくてはならないらしい。シリルのためだ、と言い聞かせてサイファは言いたいことを飲み込んだ。
「戴冠式はいつなんだ」
「それがねぇ、十日後なのよ」
「アレク、できればもうちょっと早くにきて欲しかったよ、俺」
「アタシだってもっと早くきたかったわよ」
「時間が問題なのがよく私にはわからんが、十日後に儀式を控えた王子が一人で遠出はまずくないのか」
「物凄くまずいわ」
 にっこりと、花がほころぶようアレクは笑った。酷い頭痛の予感にサイファは額を押さえ、思い切り長い溜息をつく。
「どうやってきた」
「替え馬連れてぶっ飛ばした。城を抜け出すのはシリルに手伝わせたさ」
「早く帰ったほうがいいんじゃないのか」
「まぁね、馬でも何日かかかるからな」
 ラクルーサの王都アントラルとサイファの塔とでは行き来にそれだけ時間がかかる。誰か伝令を寄越せば行ってやったものを、と思いサイファは内心で首を振る。それができるくらいだったらアレクは自ら城を抜け出したりはしなかったのだ、と。
「ウルフ」
「ん、なに?」
「戴冠式にお前がカルム王子として出席する、そのために必要なものはわかるのか」
「ま、だいたいね」
 サイファのためにあやふやに言う。その態度にサイファは目許を和ませうなずいた。
「わかった。アレク、帰れ。送っていく」
「送る?」
「アントラルの郊外でいいな、馬ごと転移させてやる。そのほうが速いだろう」
「そりゃ、速いけど。でも、アンタ――」
「シャルマークに旅したおかげだな、腕が上がっているらしい。転移呪文が今では楽で仕方ない」
 くっと笑ってサイファは顎を上げた。事実だったが、他の魔術師が聞けば呪い殺されそうな台詞だった。
「アンタのその自信家なところ、アタシ嫌いじゃないわ」
「褒められてる気がしないが」
「褒めてねぇよ!」
 ひとしきり罵りあうアレクとサイファをどう止めようかウルフは困る。たいてい考え付く前に口喧嘩は終わるのだけど、いつもウルフは止めたくてたまらない。本当は混ざりたいだけかもしれない、とも思う。
「あぁ、もう! アンタと言い合いしてるとキリがないわ。いいわ、送ってちょうだい」
「了解した。ウルフ、留守番を頼む」
「ん、わかった。ご飯の支度、しておこうか?」
「……帰ってから私がする。遊んでいてかまわん」
 アレクはそのやり取りに思わず吹き出しそうなのをこらえた。それはウルフのあの茶の味を思い出したせいでもあるし、サイファたち二人がそのような日常会話をするのがおかしかったせいもある。
「なにか言いたいことがあるならば、言っておけ。遺言代わりに聞いてやる」
「あらいやね、サイファ。アタシを脅したってだめよ?」
 唇だけでアレクは笑い、目はなによりも和んでいた。サイファはそれに顔をそむける。そして失敗を悟った。そむけた先にはウルフがいる。ウルフは見た、サイファの頬がほんのりと赤くなっていることを。
「サイファ」
 自分たちのやり取りを茶化されて、サイファが照れたのだと思えばウルフは嬉しくてどうしようもなくなる。
 そのぶん、アレクには感謝した。サイファに嫌な思いをさせる代わりに、ほんの少し彼を楽しませてくれた。その気遣いが、嬉しかった。
「気をつけて。行ってらっしゃい」
 そっと腕に抱いて頬に唇を寄せる。軽い音を立ててくちづければ、慌てたサイファに突き飛ばされた。
「――なにをする」
 低く脅しつける声音。そんなものにウルフは騙されなかった。ただ彼は照れているだけ、それを充分にウルフは知っていた。
「ほんと可愛いよな、サイファって」
「なにを言うか!」
「そういうとこ、凄く可愛いよ。ほら、行くんなら早くしないと」
 言葉を切ってウルフはあからさまにサイファを抱き寄せようとする。ぎょっとしたようサイファが後ずさりするのをアレクは微笑ましげに見ていた。
 塔から出てからも、転移したあともきっとアレクとサイファは華やかな口喧嘩をしていたのではないだろうか、とウルフは思う。
「おかえり」
 転移するだけなのだから、たいして時間はかからない。程なく戻ったサイファは不機嫌だった。サイファの顔色を窺い、不機嫌とは違う、とウルフは思う。
「どうしたの、サイファ。なんか、寂しそうだ」
「……別に、なんでもない」
「ねぇ、サイファ。俺が戴冠式に出るのが嫌だったら嫌だって言ってくれればいい。俺はアレクも友達だし、大事だけど、あんたより大事なもんなんか何もない」
 珍しくゆっくりとしたウルフの口調。大人になったものだと思う。サイファは黙ってウルフの胸に額を寄せた。力強い腕に包み込まれればほっとする。
「嫌なのは嫌だがな。当然だ。お前の父王が来るのかもしれないのだろう? それも嫌だ」
「だったら――」
「だが、ウルフ。私はアレクの力になれるのに、カルム王子を見るのが嫌なばかりに手助けを拒んだ、などとてもリィ師には言えない」
 ぽつりとしたサイファの言葉。時折サイファはこのようなことを言う。あたかもリィが生きているような話し方。あるいはリィを引き合いに出すことで、サイファはそれだけ重要なことを言っていると知らせているつもりなのかもしれない、とウルフは思う。
「ん、わかった。じゃ、頑張ってアレクのお手伝いしよう」
 にこりと笑ってウルフはサイファの目を覗き込む。照れたような戸惑ったような色。自分にだけ見せるそんな表情が、ウルフはとても好きだった。
「ではまず、式次第からだな」
「そこからかよ!」
「私は人間の儀式に詳しくないからな。ある程度、知識はあるが」
 その言い方で、本当はもっと知っているのではないかとウルフは疑いたくなってきた。もっとも、今回はいささか特殊だ。サイファもだからウルフに確かめる気になっているのだろう。ことがカルムに絡んでなければもっと楽しめるのに、と思えば多少残念ではある。が、サイファに頼られてウルフは少しだけ嬉しかった。




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