リオンが魔法を覚えて以来、何度となくそうやって愛し合ってきた。カロルの心の奥深くまで触れ、リオンの最深部にカロルは触れた。
 互いに対する完全な理解と尊重がなければ、破壊にも繋がるその行為を、どれほど繰り返しただろうか。
 愛し合い、慈しみ合う、ただそれだけのために。それ以上の理由がこの世界にあるとは思えなかったけれど。
「あなたが……、いえ、フェリクスが……」
「わかってらァ。こんなこたァ強姦まがいだ。俺だってしたくねェよ。だがな、他に手段がねェ。強姦しといて、あの馬鹿を体から引きずり出す。俺が体を乗っ取る」
「ちょっと、カロル。あんまりにも強引過ぎです。さすがに私、賛成できません」
 それは確かに身体への強姦ではない。けれどまぎれもなく精神への強姦だ。体へのそれを強要されてきたフェリクスと、同じ過去を持つカロルがその苦痛を理解できないはずがない。
「この十日、俺が何もしてこなかったとでも思ってんのか、テメェは。怒鳴って、殴って、なだめて、すかして! メシ食わせた途端に吐いた! 寝かしつけた途端に悲鳴上げて飛び起きた。この上、俺になにがしてやれる? 駄目だってんなら対案出せ、対案!」
 苛立ちと懸念そのままにカロルはリオンに言葉を叩きつける。まるで殴られてでもいるかのようだった。
「テメェが殴って寝かしてみるか?」
 やってみるならさっさと試せ、とカロルは言う。結果など見えているから、と。リオンは言葉をなくし、ただカロルの翠の目を見つめた。
 いやだと声もなく叫んでいる目。自分の痛みゆえに、何よりフェリクスのためのそのようなことはしたくない。
 しかし、他になにができる。どうしたらフェリクスを死なせないですむ。翠色が苦痛に歪み、けれど視線はそらされなかった。
「……わかりました」
「わりィ」
「いえ……」
 リオンに、他に何が言えただろう。本人も、そしてフェリクスも決して口には出さないものの、カロルにとって彼は最愛の弟子。フェリクスもそれを理解しつつ、けれどいまは師の愛では足らない。
 ――欲しいのは、あの銀の竜、ですか。フェリクス?
 間違っていないような気がした。見当違いなような気もした。確かめるには、時間が足りなかった。リオンは唇を噛み、それから意を決して笑って見せる。
「なるほど」
 いつものリオン。飄々として、風変わりな神官。おかしなカロルの恋人。その顔を作って見せることに痛みを覚えながらもリオンは笑みを浮かべ続ける。
「……何がだよ?」
 作り笑いに、カロルが乗ってくれた。自分以上につらい思いをしているはずなのに、リオンの痛みを慮ってカロルはぐっと腹に力を入れて問う。いつものように。それがリオンをいっそう痛ませる。
「私に触れるみたいにフェリクスに触れるんですよね、カロル? と言うことはですよ、浮気の許可を求められたということですよね、私? うーん、それでも許しちゃう私ってなんなんでしょう。とってもあなたを愛してるんですねぇ」
「テメェ!」
 咄嗟によけることもできた。けれどリオンは彼の拳を甘受する。カロルの謝罪だったから。
「もう、痛いですよ、カロル。私の愛しい銀の星」
 軽く音を立てて額にくちづける。彼の決心を促すように。すでに定まったはずのそれに、最後の一押しを加えるように。
「なに馬鹿言ってやがる。ふざけてんじゃねェぞ、かったりィ。さっさといけよ、テメェはテメェの仕事しろ、俺は俺の仕事すんだからよ」
「はいはい、では?」
 追い払う言葉に従わず、言葉の裏側にあった思いにこそリオンは従う。それにカロルは小さく唇だけで笑った。
 共に並んで星花宮の廊下を歩く。静まり返っていた。普段ならばもう少し活気があるものを。フェリクスの異常が、魔術師たちを動揺させているのかもしれない。
「じゃ、な」
 カロルはそれだけを言って軽く片手を上げた。意気込みもせず扉を開け、無造作に入っていく、フェリクスの部屋へ。
 直後。星花宮中に悲鳴が聞こえた。声ではない。魔術師ならば誰でも感知できるほどの、精神の絶叫。魂そのものが放つ絶望の声。
 リオンはフェリクスの扉を守るよう立ち、拳を握る。フェリクスよりも、カロルが心配だった。
「いまのは何、リオン」
 走ってきたのは、意外と言おうか当然と言おうか、メロールだった。人間の魔術師が感じるより早く、半エルフの魔術師はフェリクスの悲鳴を聞いたのだろう。
「開けなさい、何があったの! フェリクスは無事なんだろうね。カロリナは!」
 立て続けの問いに、リオンは扉の前に立ち塞がることで答えた。
「リオン!」
「……中に、カロルがいるんです」
「なに……?」
「カロルが、フェリクスの――」
 半エルフ相手に、そんな意識はなかった。けれどリオンはとても強姦などと言う言葉と使えない、そう思う。
 あれはもっと惨く、遥かに残酷なものだ。わずかに懸念していた、今でも。カロルによって、体を操られることになったフェリクスは、生き残るだろう。けれど、心は壊れてしまうかもしれない。
 そしてそうなってしまったフェリクスは、フェリクスと呼べるのだろうか。
 決して良好な関係を保ってきたとは言いがたい。互いに隙あらば罵り、油断があれば武器を向けた。ここ数年では半ばは遊びのようなものになっていたとはいえ、関係そのものは変わっていない。
 それでも、リオンはフェリクスと言う魂がもしも失われるようなことがあったならば、悲しむだろう。非常に。カロルのためにではなく、自分自身の感情として。
「あの子は……なんてことを……!」
 メロールが扉を見つめて悲鳴を上げた。半エルフの鋭い感覚は、部屋の中で何が起こっているのか正確に感じ取っていた。
「愛の手段を、武器に変えるなんて」
 酷くしわがれた声だった、半エルフのそれとは思えないほどに。リオンは黙って立ち尽くす。不安はある。それでも、カロルの決断を信じる。
「リオン!」
 止めろと、せめて自分を通せとの悲痛な声。実力行使に訴えられれば、リオンなど瞬時に排除される。けれどメロールはそうはしなかった。ただ、哀願するよう身をよじる。両手があったなら、もみしだいていたかもしれない。
「……これは、カロルの決めたことなんです。フェリクスを死なせない、なんとかして生き残らせるって。だから、私は彼の意思に従おうと思います」
「だからって、こんなことが許されると思うのか、お前は!」
「許されないですよ、絶対に。私しか触れる権利のない場所に、フェリクスは触れることになるんですよ?」
「待ちなさい、そっちじゃないでしょう!」
「でもね、メロール師、許します、私。浮気くらい、見逃します」
 にっこりと、フェリクスの悲鳴など聞こえていないかのようなリオンの笑顔だった。断続的に聞こえ続ける悲鳴に、星花宮から気配が絶えていく。魔術師たちが、一人また一人と失神していく。悲鳴に乗せられたあまりの苦痛に。
「私が許すんです。だから、あとはフェリクスです」
「……リオン?」
 まるで目の前の人間が、突然まったく知らない言語を話しはじめたかのようメロールは感じた。リオンが何を言っているのかさっぱり理解できない。
「カロルに、惨いことを強いられているのは、フェリクスです。だから、許すのかどうか、決めるのもフェリクスです。本当は、私たち、介入なんかできないんだと思います」
 これは師弟の問題だと。たとえカロルの師であるメロールであっても、カロルの弟子でもあるリオンであっても。カロルとフェリクス師弟の問題に首を突っ込むことなどできない。リオンは笑顔のまま言う。
 はじめてメロールは気づいた。リオンの笑みが凍りついていることに。笑顔の仮面を貼り付けたよう、強張ったままのリオンの顔。
「お前も」
「心配ですよ、フェリクスが」
「お前の口からそんな言葉を聞こうとはね」
 メロールがぎこちなく額を拭う。人間よりもいっそう強くフェリクスの苦痛に共鳴しているだろう半エルフの魔術師は、額に脂汗を浮かべていた。

 室内は、荒れ狂っていた。事実上、物は何も動いていない。けれど荒れていた。
 カロルはフェリクスの部屋に入った途端、不意を打った。本当は、そのような必要などなかった。フェリクスは、カロルが何をしても実行するまで気づきもしなかっただろう。
 扉が開いた瞬間をカロルは思う。廊下の光にのろりと首を傾けたフェリクス。床にぺたりと座り込み、こけた頬がくっきりと影を作る。そんな顔の中、目だけが鈍く光った。ただの、光の反射。彼は何も見ていない。狂気の寸前。あるいは。
 それにカロルは耐えられなかった。最愛の弟子の見せた表情に自責を覚える。だからこそ、まっすぐに見た。そのまま強引に精神を接触させた。
 最初の抗いは、軽いものだった。話なんかしたくないから出て行って。フェリクスの心が声なき言葉を形作る。
 カロルはやめなかった。もっと深く、更に深くへ。フェリクスが恐慌状態に陥ったのはすぐだった。
 彼の絶望の悲鳴の直撃を食らったのは、当然カロルが最初だった。それにも耐え切り、カロルはフェリクスの最深部に触れる。リオンと愛を交わすときのみ、触れる箇所をもって。
「やめて、カロル! お願いだから、やめて!」
 リオンに語った言葉どおりのことをしている、自分は。カロルは唇を噛み、けれどやめない。愛撫の指先をもって、フェリクスの心を探る。同じ場所をフェリクスに触れさせながら。
「え、どうだ? フェリクス。馬鹿弟子。これ以上やられたくなかったら、とっとと出てこい!」
「……いや……いや……!」
「引きずり出されてェのか! それとも、続けて欲しいか、あん?」
 悲鳴が途絶えた。フェリクスが抵抗を放棄した、あまりの絶望に。師によって、このような目に合わされるとは、一瞬たりとも考えたことがなかったものを。
 その隙を狙ってカロルはフェリクスの精神を引きずり出す。必要もないのに胸を抱えた。いま自分の体に、フェリクスがいる。
 完全な、共有状態。カロルが感じるものをフェリクスは感じる。フェリクスが感じてきたことを、カロルも感じる。記憶も感覚も何もかもを共有し、それでもカロルは毅然と立ち上がる。
 フェリクスの室内は、それまでに荒れ狂った生の魔力でくらくらと眩暈がするほどの有様だった。




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