変化した姿を自ら見下ろし、シェイティは首をかしげて呟いた。
「まぁ、ちょっと派手かなとは思うけどね」
 いつものシェイティの幻影に、カロルの色彩をまとっていた。それを派手だというのだから、やはり昨夜の姿は嫌がらせだ、とタイラントは思う。
「嫌がらせをされてんのにさ、それでも君が好きって、俺は絶対どうかしてると思う」
 長い溜息をつき、しみじみ言って見せるタイラントだったが、その顔は笑みを浮かべていた。それをどう思ったかシェイティは淡々とうなずく。
「僕も同感だよ」
「……具体的にどこが?」
 実に嫌な予感がして言ったタイラントにシェイティは軽く笑いを返した。
「どうしてこんなだめな男がいいんだろう。もう、最低だよね、あなたって。人の気持ちなんか少しもわからないし、わかってても無視するし」
「それでも、好き……?」
「だからその辺が同感だなって言ったの。お互いなんでこんなのがいいんだろうって思ってるあいだはけっこう平和だよね」
 あまり表情の動かないシェイティを見るのは久しぶりかもしれない、とタイラントは思った。それだけに胸に迫ってくる彼の真実。
「君は……」
「なにさ」
「――ありがとう、シェイティ」
 それ以外に言葉がなかった。吟遊詩人の自分が、多くの言葉を費やして、語って騙ることこそ詩人の誇りと思っている自分が。
「……別に。あなたを喜ばせようと思って言ったんじゃないんだけど? ただ、平和だなって思っただけ。なんか、気持ち悪いよね」
 悪態にタイラントは笑い声を上げた。そのつもりだった。声が出ない。傍らで歩を進めるシェイティをひたすらに見つめるだけ。
「あんまりじっと見ないでくれる? 気色悪いんだけど」
 酷いな、いつもだったらそう笑う。今はできなかった。顔をうつむかせることもできない。下を向けば、涙が零れてしまいそうだった。
「ちょっと、泣かないでくれる? 僕が苛めてるみたいじゃない」
「泣いてなんかいないよ!」
「どこが? 声、掠れてるけど? よくそれで吟遊詩人なんかやってられるよね。ほんと感情筒抜け、垂れ流し」
「……君ってやつは。ほんとに、酷いんだから」
「それでも僕が好きなんでしょ。信じらんないよね」
「なにがだよ!」
「あなたの趣味の悪さが。良さって言いたいところだけど、僕はそこまで厚かましくないからね」
 溜息まじりに言ったシェイティに、ようやくタイラントは強張った笑みを浮かべることができた。趣味が悪い。それは常日頃、彼がカロルに言っている言葉。だからきっとそれは暴言ではなく、一種の惚気なのだ、とタイラントは思う。その言葉でリオンを彼は認めてきたのだろう。
「君が、好きだよ」
「知ってるよ」
「それでも。何度でも。君が飽きるまで言う。聞きたくないって言っても言うからな、俺は!」
「それって嫌がらせ?」
「昨日の君ほどじゃないだろ」
 渋い顔を作って見せれば笑うシェイティ。真実、心の底から恐怖したのも忘れて許してしまう。
「嫌がらせだと思ってたけど、あれって君の冗談って言うか、俺にじゃれてただけ?」
「……つくづく、あなたって人がいいよね」
「それって褒めてる?」
「そんなわけないでしょ! ほら、これからどうするの。帰るの。まだ行くところ、あるの」
 照れて小さく怒鳴った彼にタイラントは微笑みかける。それからためらいがちに腰に腕をまわす。拒まれはしなかった。睨まれはしたが。怯まずタイラントは彼を引き寄せた。
「もうちょっと、いいかな。あと一ヶ所、行きたいところがある。っていうか、この人にも絶対にお礼しなきゃって人がいるんだ」
「だったらさっさと案内してよ。どこなの。この街にいるの、違うの」
「いる、いるから! 怒鳴るな!」
「怒鳴られるようなことをしないで。いくら僕があなたにべた惚れだったとしても、愛想尽かしたくなる」
「ちょっと待て、シェイティ!」
「なにを待てって言うの。ほんと、あなたって面倒くさい」
「だって! いま! 君、言った! 君が、俺にべた惚れって言った!」
「ちゃんと聞いてた? べた惚れだったとしてもって言ったの、仮定だよ、仮定」
 タイラントの腕を振りほどき、シェイティは顎をそらして行ってしまう。だからこそ伝わる心情。あれはシェイティの失言だった。彼は本気でそう感じている。嘘のようで、夢のようだった。
「俺こそ、君にべた惚れなんだけどな、シェイティ」
「そんなの知ってるって言ってるじゃない。もう、いい加減にしてよ、先に進まないったら!」
「はいはい、わかったから! 怒るな怒鳴るな手を上げるな……って蹴るな!」
 道端でじゃれる世界の歌い手とその連れに王都の住人が奇妙な驚きの目を向けていたけれど、彼らの目には少しも入っていなかった。互いが手の届くところにいる、それを確かめていたのかもしれない。
「それで?」
 冷たく言ってシェイティはゆっくりと腰に手をあてて見せる。これ以上じらせば、今度は蹴りではなく魔法が飛んでくる。たとえ往来であったとしても。慌ててタイラントは辺りを見回した。
「えっと! えー、あー。どっちかなー。あ!」
 険悪になってくるシェイティの視線にわずかに怯えつつタイラントは焦る。きょろきょろと辺りを見回し、やっとのことで道を見つける。
「あった! あっちだ、あっち」
 まるで子供のようにシェイティの手をとり駆け出そうとするタイラントに、シェイティは呆れ顔を隠さない。
「行こう!」
 はしゃいで駆け出す彼の背中をわずかに遅れてシェイティは追う。タイラントが背中を向けた一瞬、シェイティは笑みを浮かべた。
 怒りながらでも呆れながらでもない。タイラント本人にすら見せない、恋人を見る目で笑った。

 やっとのことで見つけた商家と思しき家の前でタイラントはためらっていた。内心で苛立ちながらもシェイティは黙ってそんな彼の背中を見ている。
 ここまできて今更帰ろうというのか、タイラントは。なにを言い出すかシェイティにはわかるつもりだった。おそらく彼はこう思っているのだ。
「なぁ、シェイティ。やっぱりさー、帰っちゃだめだってわかってるんだけどさ、でも、なんて言うか……その。合わせる顔がないなとも思うんだ」
 心の中で思ったことを案の定、タイラントは言った。振り返ったその表情があまりにも情けなくて、シェイティは顔には出さず愛しい、と思う。
「わかってるんだったらさっさと訪ねる。違うの、帰るの。どっち」
「わかった! わかったから、怒らないで」
「怒られるようなことをしないでって僕はこの一年でいったい何度言ったかな。数えとくんだったよ」
「無駄だと思うけど?」
「同感だけど、本人がそれ言う?」
 淡々と冷たく言えばタイラントは小さく笑った。それから励まされていることを感じたのだろう、そっと唇を噛んで目の覆い布を縛りなおす。
「よし、行くぞ」
 まるで突撃でもしかねない勢いでタイラントは商家の扉をくぐった。中からあっという間に喧騒が聞こえてくる。
「あの男もいい加減、自分が世界の歌い手だって自覚を持ったほうがいいと思うけどね」
 小声で笑ってシェイティは彼が迎えに来るより先に扉をくぐった。中はやはり大歓迎の騒ぎになっていた。
「あの! あの時の、ご老人と、それから、お孫さん、いらっしゃいますか」
「もちろん、もちろんですとも」
「えっと、お目にかかりたいと、思うんですが、突然お邪魔して、すみません」
 ようやく自分の訪問が相手にとって予期せぬものだったと思い出したのだろう、タイラントはしどろもどろに慌てている。
 それからしばらくの間ごちゃごちゃと色々あったのだが、シェイティはただ静かにそこに佇んでいるだけだった。
「君って、黙ってれば控え目に見えるよな」
 老人の部屋に案内されるときになってタイラントはわざわざシェイティの耳許にかがみこんでそれを言う。シェイティは反論すらしなかった。
「……っ!」
 悲鳴を飲み込んだ世界の歌い手になにがあったのだろう、と家人が振り返るのにタイラントはなんでもないと首を振って笑って見せた。
 とても、言えない。シェイティが瞬時に魔法を発動させ、呼吸を奪った挙句に魔力による殴打で腹を殴りつけたのだとは。
 だからタイラントは老人の前に出たとき、緊張以上に青ざめていた。はじめから呼ばれていたのだろう、孫と言っていた少年もいる。
「お久しぶりです」
 未練がましい、と言ってしまっては申し訳ないが、世界の歌い手を間近で見ていたい家人にお引き取りいただいてからタイラントは老人に頭を下げた。
「やっぱりあんただったかい」
「はい?」
「世界の歌い手とやら呼ばれだした吟遊詩人がいる、その噂はこの耳にも届いてましたからな」
 実に誉れなことだ、喜ばしいと笑う老人にタイラントはうなだれる。それに少年が訝しい顔をした。
「あの時のお兄ちゃんだよね。よかった、元気そうで。やっぱりまだ目、痛いの」
 出会いを思い出したのだろう、老人の孫、ミカと言う名の少年はタイラントをからかうよう笑って言った。
「まさか! あのときだって、痛くないって言ったと思うけど……言ったかな?」
「うん。言ってた。わざわざお爺ちゃんのために歌いにきてくれたんだよね。僕も大胆だったなって思う。世界の歌い手を呼んじゃったんだもん」
「全然! だって俺は……」
「いい加減、慣れれば?」
 いままで黙っていたシェイティが冷たく言うのに老人と孫が揃って目を見開く。それからさすがといおうか、老人はそっと笑って言った。
「このお人のためにあんたは歌ってらしたな、あのときも?」
「はい」
 きっぱりと言ったタイラントに老人は朗らかに笑い、シェイティは冷たく見据える。それに怯みもせず、タイラントは彼らとの出会いを手短に語った。
「だからね、どうしてもお礼を言いにきたかったんだ、俺は」
 あの出会いがなければ、自分は君に会えなかった。世界を歌うどころか、歌い続けることすらできなくなっていた。君に歌うなど、とてもできなかった。
 言葉ではなく、魔術師同士の心の繋がりでもなく、タイラントはそれだけのことを目で語った。ふっとシェイティの表情が和んだ。




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