「質問をしようか? なぜ、お前は幻魔界に来た。タイラントは?」 「そんなこと、僕にわかるわけないじゃない」 「それを必然、と言う。もう少しわかりやすく言おうか。ウルフが多少の説明はしていたように記憶しているが――」 ここを訪れる人間界の生き物は、ウルフ曰く「人間離れ」しているらしい。改めてリィ・サイファに言われてフェリクスとしてはうなずける。確かに自分は人間世界において「人間ではない」のだから。 「でもタイラントは? これは見た目がちょっと派手なだけで生粋の人間だけど? 馬鹿さ加減は並外れてると思うけど」 「……なんと答えたものか、悩むところではあるが」 「悩まないでください!」 タイラントの声にリィ・サイファが忍び笑いを漏らした。どうやら単にからかわれただけらしい。 「些かミルテシアの血筋と言うものを考える瞬間だと思ってな」 「あぁ、それはね、うん。確かにそうかも。なんと言っても、リィ・ウォーロックから続く血筋だしね」 これはもしかしたらフェリクスの嫌味だったのかもしれない、あとになってタイラントは思った。だがそのときには話題のいたたまれなさに目を白黒とさせるばかりだった。もっとも、いたたまれない思いをする必要もないのだが。自分が誰の子孫であろうとも、子孫である自分には何ら責任はない。――はずだ、とタイラントは思う。思うのだが、フェリクスにかかるとそれすらも危うかったが。 「タイラントの場合。切欠はやはり、魂を砕いたことだろうな」 「なかなか人間業じゃないしね」 「そうとも言う」 タイラントの思いなど知らぬげに、二人の魔術師はあっさりと話を戻していた。このようなとき、自分の本職は歌と楽器であって魔術ではない、とタイラントは思う。 「タイラント」 だが、魔法がなければこうしてフェリクスと会うこともなかったのかもしれない。日常的に恐怖の権化のような人なのに、こんな時にだけ、少しだけ、優しい。こんな風に指先に触れてくれたりするから、寂しさなどどこにもない。タイラントは内心に微笑んだ。 「いま、切欠って言ったね? リィ・サイファ。だったら根本的な問題があるってことだよね?」 「そのとおり。手短に済まそうか? 要は、お前たちはそもそも幻魔界に来る要素があった、と言うことなんだが。説明の難しい話ではあるが……」 冗談でも、フェリクスのきらいな運命がどうのでもないと彼にもわかったらしい。真剣な表情でリィ・サイファを見つめていた。 「私は半エルフで、だから本来こちらに生まれるべき命だ。だから私はここに来た。それはいいか?」 「問題ない。だったらウルフはってことだよね?」 「そこだ、問題は。と言うより、別、かな? ウルフの場合、自分の意思で人間をやめて時を捨てる、と言う決心をしている。思っただけではない。現にそうしている。私にも説明ができることではないから、なんとも言い難いが……」 「その人間離れした決心が、ウルフをこちらに呼んだ?」 「加えて言うならば、私への執着心、だな」 「そこは素直に愛情って言っておけば?」 「言えるか、そんな恥ずかしいことが!」 フェリクスは首をひねる。タイラントも首をひねる。リィ・サイファの羞恥心のありかがよくわからなかった。そんな二人から顔をそむけ、彼は咳払いをする。どうやら本当に恥ずかしかったらしい。 「……そのような理由でウルフは私と共にここに来た。リィの場合はさらに単純だ。彼は人間としては異常なほど、強い。教えてやろうか、フェリクス。私は一度も彼に勝てたことがない」 「……はい?」 「魔法で勝てたことがない、と言っている。私の全力攻撃を、髪一筋乱さず凌ぎ切るような人だ、リィは」 「……確かに、それって人間じゃないね」 「だろう?」 それ誇らしげに言うところなのだろうか。タイラントは思ったけれど賢明にも口をつぐんだ。本職の魔術師二人が憧れの眼差しでリィの魔法の腕を語っている。 「まぁ、あとはあなたに対する……執着ってところだよね?」 言いかねていたらしいリィ・サイファにフェリクスが助け船、と見せかけた罠を張った気がした、タイラントは。にやりとしたフェリクスにリィ・サイファが少しばかり嫌な顔をしたところを見れば貸し一つ、というところか。 「まぁ、いいや。それで、リィ・サイファ? タイラントの根本的な問題って、なんなの?」 追い詰めるのが可哀想になってしまったのかもしれない、フェリクスの言葉にタイラントはそう思う。リィ・サイファは、タイラントが知っていたどの半エルフより純だと思う。 だが、フェリクスだった。何もそのような甘い理由ではない。相手はこの上なく有能な魔術師。教えを乞うこともあるだろう。ならばここはある程度で引いておいたほうが自分の得。ただそう思っただけに過ぎなかった。 無論、その程度のことはリィ・サイファも気づいている。それでも引いてくれたことがありがたかった。溜息を一つ。話を元に戻す。 「タイラントの問題、ではない。お前たちの問題、だ」 「はい? なに、僕も込みなわけ?」 「込だ、込み。当然だろうが」 「だから、僕にはその当然がわからないって言ってるの!」 物事を尋ねるには手順と礼儀が必要だ、とタイラントはタイラントなりに思っている。フェリクスはそのどちらも無視している気がして、どうにもはらはらして仕方なかった。 「大丈夫だと思うけど? この程度のことで腹立てるような人じゃないし。そうだよね、リィ・サイファ?」 「事実ではあるが、無礼を働いている本人がそれを言うか?」 わずかばかりの呆れた口調。タイラントはほっと息をつく。それを見て二人がそっと笑みをかわしあったのに、また息をつく。二人が自分をだしに軽口を叩きあっていることくらい感じないはずはない。それでもタイラントはフェリクスに何事もないのならばそれでよかった。 「そこは安堵するところなのか? 普通は、怒るところだと思うが」 「ウルフだったらどうなわけ?」 タイラントの眼差しの思いに、フェリクスはあえてそう言った。また、庇おうとしている。そうしてタイラントは死んだのに、それでもなお。胸の中がわずかに痛んで、それでも隣にいてくれる彼に心が温かい。それをリィ・サイファに知られたくなかった。この男は自分のもの。自分だけのもの。フェリクスの思いに気づいたタイラントがわずかにうつむいた。 「……遺憾ながら、似たような態度をとることだろうな」 「だったら、僕たちもほっといて。いいね? で。当然の内訳。さっさと話してよ」 ぎょっとして慌てて顔を上げて彼らを見やった。タイラントには、不思議なことがいくつもある。そのうちの一つがこれだった。タイラント自身はフェリクスの物言いに慣れている。だがリィ・サイファは。傍若無人なこの態度を見て許せてしまうと言うのならばたいしたものだと思わなくもない。 「話が前後しているように聞こえることは承知の上。それでも聞くか?」 「聞かないとはじまらないんだったらね」 「はじまらんからそうしている。先ほどの話の続きだが。リィと私は魂の一部を分けあっている。ごく一部で、リィにとってはどうかわからんが、私にとっては気づかないほどの些細な部分だ」 フェリクスはかすかに息を飲む。フェリクスの身近には、半エルフの魔術師がいた。サリム・メロール。異種族の彼の心に接触させてもらったことが何度もある。 はじめてメロールの心に触れた瞬間をフェリクスは忘れられないでいる。あまりにも異質だった。同じものを見て、同じものを聞いて、同じものを食べる生き物。それなのに心の形も広さも全く違う。フェリクスの師であるカロルもそう言っていた。死すべき定めの人の子と、神人の子とではそれほどの差がある。魂もまた。 だからこそ、フェリクスは心に痛みを覚える。タイラントは人間だ。自分もまた、闇エルフの子ではあるけれど、死すべき定めの地上の生き物。異種族でありながら大きな差異はない。 だが、リィ・ウォーロックとリィ・サイファは。人間の魂の細やかさ繊細さを思う。愛する人の魂をその内に持っていても気づけない。それはどういう気持ちなのだろうとフェリクスは思う。 「あのー。ちなみにウルフは?」 タイラントは実はそちらのほうが気になっていた。愛するリィ。それはそれでいいのだと思う。たぶん。本人たちがいいと言っているのだから、他人の自分が口出しする問題ではないのだろう、たぶん。 それでも、ウルフは。彼は自分の命をかけて、あるいは捨てて、リィ・サイファを選んだ。それなのに。そう思わずにはいられなかった。知らず視線がフェリクスを捉える。もしも、と思う。彼に自分より、そうでなくとも同じくらい好きな人ができたら、どうするのだろうと。 「なに。言いたいことがあれば言えって、さっきも言ったと思うけど?」 「あの……ううん。やっぱ、いいよ。うん」 「だから!」 「だって! 俺はこんなに君が好きなのに、君は違うのかもしれないなんてことになったらどうしようなんて恥ずかしいから言えないだろ!?」 「……言ってるじゃない」 「言えっていったの君だろ!?」 溜息をつかれてしまっては立場がないと言うもの。それでもタイラントには彼の心が手に取るようにわかった。フェリクスもまた照れたのだと。表情ひとつ変えずにそうする彼だと知っている。思わずほころんだ唇が開き切る前、リィ・サイファが手を打ち鳴らした。 「そこまでにしておけ。話が進まん」 「同感。とりあえず、こいつの質問に答えてやってくれる?」 「……なんか酷い言われようなんですけど」 「気のせいだと言うことにしておけ。話が進まん。ウルフか? 言うまでもない。あれの一部もまた、私の中にある」 「だよね」 つい、とフェリクスの視線がそれていった。それて遠くを見た眼差しなのに、巡り巡って自分を見てくれている確信がタイラントにはあった。 「なんと言えば通じるのか、わからんが。通常、かけがえのない伴侶と言うものはそういうものだ」 「そういうもの?」 「……この人でなければならない、他の誰であっても代りにはなれない。そう言う意味だ」 うつむいたリィ・サイファを見なければよかった。タイラントは思う。フェリクスも思う。ほんのりと赤らんだ頬が呆気にとられるほど美しい。身の置き所がなくなりそうな気分だった。 「あのさ、ついでに聞いていい?」 さすがフェリクス。タイラントは声にならない喝采をする。ここでどうして追い討ちがかけられるのか。もっとも、何度も羞恥に身悶えさせるのは悪い、とフェリクスなりに思ってのこと、ではだったのだが。 「普通、人間の言葉で伴侶って言ったら奥さんとか旦那さんのことを言うのは、あなたも知ってると思うけど。稀に同性のこともあるけどね。そういう特別な伴侶っていうのかな。あなたがたは、なんて言うの。言い方があるんだったら教えてほしい」 ずっと聞こうと思っていたのだけれど機会がなくて。フェリクスはそう言い添えた。リィ・サイファに、それは生前のことを指していると伝わっただろうか。理解した証とばかり、彼がわずかにうなずいた。 「我々の言葉だから……困ったな。お前たちもいまでは発音できるはずだが、さすがに少し、その」 「別に人間風に発音してくれればいいけど?」 あっさりと言ったけれど、実はフェリクスは別の部分に驚いていた。彼が自分の言語、と言うことは神聖言語のことだろうと見当はつく。それを自分が発音できるようになっているとは思ってみたこともなかった。これが異界と言うことか、人間界の生き物ではなくなると言うことか。素直にフェリクスに染みてきた。 「ラウフミサーク、とでも言うのが一番近いかな? 魂の伴侶、魂を分けあうもの、二人は一人。そんなような意味だと思えばいい。もっとも、絶対に聞くなよ」 「どういうこと?」 「当人たちだけが理解していればいいことだからだ。誰かに向かって相手はラウフミサークなのか、と問うことは、その人物はお前のすべてを知っているのか、問うことと等しい。裸で走りまわったほうがまだましだ!」 フェリクスとタイラント。顔を見合わせて互いの目を覗き込む。これは、夢か。自分たちは揃って幻でも見聞きしているのか。神人の子が裸で走りまわるほうがまだしも恥ずかしくないなどと言う。ありえない。だが、その事実がここにあった。 「……そんなとんでもない意味だったとはね。迂闊に使える言葉じゃないみたい」 「慎重にも慎重を期する必要がある言葉だ。と言うより、使うな、決して!」 「わかったわかった。わかったから、そんなに恥ずかしがらないで。僕がいじめてるみたいで気分が悪いじゃない。つまり、あなたがた三人は、どういうわけか三人で一人のラウフミサークと言うわけなんだ?」 「だからな……お前、わざとやってないか?」 「話が早くなるでしょ、リィ・サイファ」 にっこりとフェリクスが微笑んだ。思わず拳を握ったリィ・サイファの前、タイラントは体を投げ出しそうになる。それを止めたのもまた、フェリクスだった。突如として目の前に出てきた手に驚いて目を瞬けば、フェリクスがしかたないな、とでも言いたげな目をして微笑んでいた。 「ただの冗談だよ、リィ・サイファもわかってる。大丈夫だよ」 小さく言い添えてくれた言葉に、タイラントは目が潤みそうになった。慌てて瞬きをすれば、忍び笑いの気配。フェリクスの目が和んでいた。 「……我々が、と言うが。お前たちもそうだが」 「……はい?」 「あの、リィ・サイファ! それって……!」 「どういう意味もこういう意味もない。言葉通り、そのままだ!」 掴みかからんばかりのタイラントを張り倒そうとして咄嗟にリィ・サイファは拳を握りしめた。そうでもしなければ本当に殴っていたかもしれない。目の前にいるのはウルフではなくタイラントだ。さすがに殴るには差し障りがある、と気づいたのは幸いだった。 |