結局、中々リィ・サイファとまともに話ができないでいる。フェリクス本人はいつでもさっさと話をしたいのだけれど、あちらがそうではないのだから致し方ないと言うもの。さすがに相手はシャルマークの英雄にして偉大なる魔術師、フェリクスにも何かしらの遠慮と言うものがなくもない。 「そのわりには君さー。無遠慮だよなぁ」 文句を言っているくせに華やかなタイラントの声。この異界に来て、つまるところ自分が死んで、それなりに時間が経ってもいる。でもやはり、フェリクスは慣れられない、そう思っていた。 「どうしたの、シェイティ?」 覗き込んでくる左右色違いの目。シェリと呼んでいた竜と同じ、否、こちらが本体。 「別に。ちっちゃいドラゴンと一緒にいた時間が長かったなって思ってただけ」 「それって……」 「あっちのほうがずっと可愛かったのにね、タイラント?」 途端にしょんぼりとして見せた吟遊詩人に言えば、突如として明るくなる表情。この落差を見るのが好きなのかもしれないと改めて思う。 「それで? 今日もまたリィ・サイファのところ?」 「仕方ないじゃない。僕は話がしたいって言ってるのに、いっつもいちゃいちゃいちゃいちゃ!」 「あー、まー。あれはねー。うん。ちょっと俺も見てると恥ずかしい」 「だよね。どういう神経してるわけ? 神人の子のくせに、人前でいちゃつく意味がわからない!」 行くたびに、リィ・ウォーロックがいた。あるいはウルフがいた。ウルフのほうは共に暮らしているのだからある意味ではいて当然だ。だがリィ・ウォーロックは。いまだフェリクスはそのあたりが理解できない。あるいはしたくない。 「あ、今日は一人っぽいよ、シェイティ!」 楽しげに言ってタイラントはリィ・サイファの小屋に向けて駆けていく。前庭に一人だからと言って誰もいないかと言えばそんなこともない、とフェリクスは思うのだが、タイラントは違うのだろう。彼には吟遊詩人の鋭い耳がある。 「勘だけはいいんだから」 だがフェリクスはそう呟いた。そんな吟遊詩人の特殊な才能などと言う上等なものでは決してないとばかりに。 「なんの用だ」 ちらり、リィ・サイファがこちらを見やった。かつてのような非友好的な態度ではないけれど、ぶっきらぼうであることに変わりはなかった。 「いっつもいっつも! 僕は用事があるからあなたのところに来るの! 用件を聞いてくれないのは誰なわけ!?」 「あの、シェイティ!? 頼むから、誰だか思い出して!? この人、リィ・サイファだって! 敵わない、絶対敵わない! 君はともかく、俺消し炭だから!」 「馬鹿なこと言わないで。あなたに手を上げた瞬間、僕は反撃する」 「だから! その前に俺死ぬから!?」 突然訪問してきたかと思えばこうして眼前で痴話喧嘩をはじめる二人の話をいつどうやって聞けと言うのだろう。リィ・サイファとしてはそう言いたいこともあるのだが、ここで嘴を挟むと話がこじれるだけ、と言うのをすでに学んでいた。 「で、リィ・サイファ。今日は一人なの。別に他の人がいちゃだめってことはないけど、ウルフがいると話にならないし、リィ・ウォーロックがいるとあなた、人の話聞かなくなるし。できればあなた一人のほうが僕は都合がいいんだけど?」 「……よくぞそこまでまくし立てられるものだな」 「まくし立てさせてるのは――!」 フェリクスの荒らげた声をタイラントが柔らかに遮った。隣から伸ばした腕で、彼の肩先をそっと撫でる。ただそれだけで。きゅっと、と不満そうに唇を噛んだフェリクスに、リィ・サイファが小さく微笑んだ。 「お前にとって都合がいいことに、一人だ。リィは新作の煮込み料理を考案中だとかで自分の小屋にこもっている。ウルフはアルディアと遊んでいる」 「アルディアと?」 「アルディアの剣はシリル仕込みだ。ウルフとしては楽しいらしい。私では剣の相手はしてやれないからな」 「好都合だね」 話を聞かないのはどちらか、とタイラントはひやひやする。ばっさりと余談を切り捨てたフェリクスを横目で窺えば、睨まれた。 「言いたいことがあるならさっさと言って。言いたいことがあれば言えっていったじゃない」 「あ、いや! ううん、なんでもない! あとで、その。うん、あとで、ね!?」 何やら急に慌てだしたタイラントをもう一度フェリクスは睨みつける。だがその目の色だけが澄んでいてタイラントを和ませた。 「それで、用事と言うのはなんなんだ?」 それをあなたが言わないでください。タイラントの心の叫びはどうやらリィ・サイファには聞こえなかったらしい。もしかしたら聞こえていても無視されたのかもしれなかったが。 「これのこと」 だが本題に入るならば問題なし、とばかりフェリクスがタイラントを顎で指し示す。そしてようやくリィ・サイファの前、二人並んで腰を下ろした。 「これ?」 不思議そうなリィ・サイファに、わからないはずがないとでも言いたげな表情のフェリクス。本当にわからないのはタイラント本人だった。 「タイラントが死んだとき。僕はこの目で見た。タイラント本人が自分の魂を砕くのをね」 そうして残した最後の魔法。あるいは魂の欠片。その竜。真珠色の、シェリと名付けられたフェリクスの竜。 「だったら、どうしてこいつはここにいるの?」 「どういう意味だ」 「あのね、リィ・サイファ。馬鹿にしないでくれる? 僕も魔術師の端くれだ。これが異常だってことくらいはわかる。と言うより、ありえない」 「すべての推測が不可能を告げていたとしても――」 「そこにあるのならば事実って? そんなことはわかってる。だから、あなたが何かしたんだと思ってる」 あの瞬間に壊れた魂。木端微塵と言うも愚かな壊しかたをしたタイラント。思い切りのよさだけは、いまでも褒めてやりたいと時々思う。 リオンは硝子のようなものだと言った。砕け散った硝子の器を思えばいい。どんなに形を整えても、破片の一つ一つを完全に集めることはできない。壊れた魂は、だから完全には戻せないと。 「何かしたか、と言うのならば確かに。私が集めた。これでいいか?」 当たり前のことをこんな大袈裟に聞かれてどう答えたものか迷う。そんな顔をリィ・サイファはしていた。だが、フェリクスはいざ知らず。タイラントは騙されなかった。リィ・サイファの声に忍び込んだかすかな響きに、嘘を聞く。 「リィ・サイファ。あの、偉そうに聞こえたらごめんなさい! でも、俺のことなんです。できれば、本当のことが聞きたいです」 「嘘はついていないが……。さて、困ったものだ。まぁ、正確なところを言うならば、集めたのは私だけではなくメロールの手も借りてはいるのだが」 「神人の子が二人。タイラントの砕けた魂を集めた?」 そんなことができるものなのか。あからさまに疑うフェリクスに、リィ・サイファは肩をすくめただけだった。今度は本当だ、とタイラントは感じる。ならば自分一人で、と聞こえたところが嘘だったのかもしれない、ふとそう思った。 「実際問題として。どれほど努力しても人間であるお前、タイラントには無理な話だ」 「それ以前に死んでるしね」 「もっともだ。そしてお前、我らの血を受けてはいるが、限りなく人間に近いお前にも無理な話だ」 「どうして?」 「簡単なことだ。魂の可視化ができん」 「あぁ……本当だ。簡単だね」 あるいはリオンならば。フェリクスはそう思った。彼らエイシャの神官たちは本質と呼ぶ。だが日常的な言葉とするならばそれは魂だとかつてリオンは言っていた。 「僕の知り合いに、人間の魂が見えるやつがいた。それでも無理? と言うか、本人が無理だって言ってたけど」 「人間の目に見えているのは……そうだな。あの木立を見ろ」 小屋の前、小さな川が流れていた。その向こうにほんのりとした木立がある。フェリクスは彼にしては素直に従う。 「お前には、何が見えている?」 「せいぜいがところ、林だね」 「ならば、一本一本の木の区別がつくか? 梢は? 葉の枚数は? 根はどうなっている?」 「――なるほどね。そう言う問題なわけか」 「そういう問題だ。よって、人間には無理。我々にとっても根気がいる作業ではあるがな」 半エルフの根気とはどれ程の時間がかかり、かつ手間だったのか。タイラントはぞっとする。なにより背筋が冷えたのは、手間をかけさせたのが自分である事実。 「付け加えて言うならば、メロールがいたからこそ為し得たことでもある。メロールは、お前の魂を見知っていたからな」 リィ・サイファの目がタイラントを見つめた。奥底まで見通すような目だ。タイラントは思う。そして間違ってはいないのだろうと思う。すでに知られていることすらも。 「あなたがたにとっても面倒な作業だったわけだ?」 「そう言ったと思うが?」 「だったらどうしてそんな手間をかけたわけ? あなたにとって、こいつは見ず知らずの他人だ」 詰問してでもいるかのようなフェリクスの声音だった。もう一度タイラントと会うことができて、嬉しくないはずがない。それでも、不安のほうがずっと強いのだと、タイラントだけは知っていた。会えば、また奪われるかもしれないから。恐怖は思いの深さの裏返し。口許がほころんだタイラントをきつくフェリクスが睨み据えた。 「それももっともな話だがな。私は、タイラント本人にではなく、世界の歌い手に用があった。それだけだ」 「用事ですか!? 俺にっていうか、俺の歌にっていうか!?」 フェリクスの厳しい視線をかいくぐろうしていた瞬間に聞こえたリィ・サイファの言葉に、タイラントは頓狂な悲鳴を上げた。無論、完璧なまでに制御された吟遊詩人の悲鳴を。 「うるさい」 ぺしり、と頭を叩かれ涙目になる。そんなタイラントの表情にフェリクスの頬が緩む。すぐさま引き締めたけれど、遅かった。 「用ってなに、リィ・サイファ。これは僕のだから。貸し出しはするけど、僕に言ってからにしてよ」 「実はすでに借りたあとだがな」 「ちょっと、それってどういうこと!?」 からりと笑った神人の子に、フェリクスが大声を上げた。そしてお前の責任だとばかり、タイラントを見つめる。否、睨む。否、射殺そうとする。 「待って、シェイティ!? 頼むから待って!? 俺知らない、なんにも知らないですよ!?」 「ふうん。そう?」 懐かしい顔だな、とタイラントは思っていた。物の見事に言い訳を聞く気がない顔。一切の釈明に聞く耳持たずとばかり微笑む彼の顔。 「こんなものが懐かしいなんて……俺はどういう生活してたんだ――ッ!?」 「楽しい生活だったよね? 僕のちっちゃな可愛いタイラント?」 「悪魔……悪魔がいる――!」 いまにも失神しそうな声を見事に作ったタイラントを、リィ・サイファが笑っていた。助けてくれる気など欠片もないらしい。 「待て、シェイティ。頼むから! 本気で俺はわかんないんだって。身に覚えがないのに怒られるのは理不尽だよ!」 「理不尽なんて言葉使うんだ。ふうん。生意気」 「シェイティー。頼むから、リィ・サイファの話の続き、聞いてよー。あるんですよね、もちろん!?」 「まぁ、あると言えばあるな」 にやりとしたリィ・サイファにフェリクスが向き合う。そして面と向かって溜息をついて見せた。 「だったら早く言ってよ。だんだん面倒くさくなってきた」 「聞く気がないのは誰だ? まぁいい。私の用事と言うのは他でもない。お前がこちらに来た日に済んでいる。あの日、あの瞬間。タイラントは歌っただろう? 私は、それをリィに聞かせたかった。それが、私の用事だ」 たかがそんなことが。とは二人とも言えなかった。リィ・サイファは神人の子。彼が愛してやまないリィ・ウォーロックは人の子。彼に聞こえる歌が、彼には聞こえない。だからリィ・サイファは。 「メロールから、お前が世界の歌い手だと聞いていた。世界の歌い手の存在そのものは、話に聞いたことはあったが、どういうわけか、行きあったことがなくてな」 「だから?」 「そう、だからだ。砕けて壊れた魂が、幻魔界に惹かれてきたときはこの上もない機会が訪れたものだと心の底から歓喜した」 「あれ、あなたが呼んだわけじゃない?」 「いくら私でもそこまで器用でもない。それだけは誓って偶然だ。と言うより、お前を見れば必然、か……」 器用不器用の問題なのか、とタイラントは思った。が、彼の言葉にフェリクスが緊張を見せる。そちらに気を取られてそれどころではなくなった。 「シェイティ?」 「平気。たぶんね。リィ・サイファ。どういうこと。必然って」 タイラントは思い出す。彼は運命と言う言葉がとても嫌いだったと。自分で切り開いていく余地がない、彼にはそう聞こえるらしい。いまのリィ・サイファの言葉は、彼には運命同然に聞こえたことだろう。 |