神人の子らが、定命の子らよりいっそう厳粛な顔で葬儀に参列していた。元々半エルフの里だったアリルカに墓地はなかった。今は定めに従ってこの世を去る者たちのため、かつて炎の隼が野営した地に墓地が作られている。 「のんびりしたいいところだって言ってたよね」 肩の上のシェリに語りかけ、フェリクスは一人葬列から離れていた。きゅう、と鳴いたシェリは何を思うのだろうか。 「自分はここに眠るんだって、言ってたよね」 カロルの眠るラクルーサではなく。どこに眠っても同じアルハイドの大地だとリオンは言った。笑いながら言っていたから、本当だろうとフェリクスは思う。 「あいつ、アリルカが好きだったのかな」 聞いたことはなかった。自明のことでもあった。シェリが、彼の魂の欠片である小さな銀の竜が愛したのと同じほど、リオンはこの国を愛していた。 慎ましやかな墓石の下、リオンの体が納められた棺が下ろされていく。あれはただの死体、リオンはもういない。そう思っていてもフェリクスは直視できなかった。 「不思議だね。あなたのときはちゃんと見れたのに。ラクルーサ王の時だってそうだよね。けっこう凄まじい死体だったけど、なんとも思わなかったよ。なんでだろう、リオンのは、ちょっと見てられない」 神官の唱える祈りの声がここまで届いてきた。いつの間にかアリルカに暮らすようになったエイシャの神官。同じ女神に仕える者の手によってリオンは女神の元に送られていく。 「寂しいのかな、僕が?」 そのような感情はなくしてしまったはずだった。そもそもリオンを失くして惜しいと、かつての自分が思うだろうか。フェリクスにはうなずけない。 「あいつが?」 仲がいいとは言えなかった。お互いにつかず離れず接してきた。カロルがいなければ、決して言葉を交わすこともなかっただろう。 「寂しいともしも思うのなら、それはあなたかな。あなたを知る人がいなくなっていく。それが寂しいと思うのかもしれない」 断定できないフェリクスは、やはりぼんやりと感情を失っている事実を改めて知る。シェリの尻尾が首を巻き、そんなフェリクスを慰めた。ちりり、とシェリの首飾りが音を立て、フェリクスは自分の手首に視線を落とす。そしてリオンの指輪を思った。カロルの手になる誓約の指輪。ともに大地に沈んだ。 「行かないのか。それとも、あとで一人で行くのか」 すべて終わったのだろう、ゆっくりとファネルが近づいてきた。フェリクスは黙って首を振る。向こうのほう、エラルダが人目もはばからずぽろぽろと泣いていた。デイジーがそれを慰め、娘のチェイスは半ば呆れを隠さない。 「行かないよ」 歩いてくるエラルダを見ていた。あんな風に泣いてくれる人がいるリオンは、もしかしたら幸福だったのかもしれない、とふと思った。 「墓に参るのは、定命の子の風習だろう?」 「親しい人の墓参りは、ね。僕とリオンは別に親しくなんかなかったから」 「そうか?」 どこか茶化すようなファネルの声にフェリクスは顔を上げた。そして声音とは裏腹の悲痛な顔を目にする。 「ファネル。悲しい?」 「あぁ、悲しいな。知り人が、あっという間に塵に還っていく。久しぶりにそれを実感した」 「そう……」 殺されない限り死ぬことのない神人の子。ファネルはその目でどれだけの死を見てきたのだろう。死んで欲しくないと思った人々が、どれくらいいたのだろう。聞くことができず、フェリクスは口をつぐむ。 そのせいだろう、耳に届いた竪琴の音。目をやれば、彼の弟子だったイメルが竪琴を奏でていた。風の魔法の使い手にして、吟遊詩人の訓練も積んだイメル。 「下手くそ」 その演奏をフェリクスは切り捨てた。ファネルが目をむくのにかまいもしない。イメルがもしも歌っていなかったならば、気づかなかった。演奏だけだったら、決して気づかなかった。イメルは、世界の歌い手の持ち歌を奏でていた。 「僕には、冒涜にきこえるよ」 「それなりに巧いものだと思うがな」 「耳がどうかしてるんじゃない?」 吐き捨てたフェリクスは耳を閉ざしてしまいたくなる。同じ曲を、違う演奏者が奏でる。耳に、心に蘇る彼の声。 「そんなこと言わないでよ。いい曲じゃない? これから新しい人生がはじまるって言う感じ。そうじゃない?」 チェイスだった。泣き続けるエラルダに付き合いきれなくなってしまったのだろう。彼女がそばに寄ってくる。 「本人が演奏すればね」 「本人? なに、それ」 「世界の歌い手の、曲だよ。――だった」 フェリクスの眼差しに、チェイスは気づかないのだろうか。ファネルは気づいた。シェリが緊張してしっかりと尻尾を彼の首に巻きつけたのも、見えていた。 「世界の歌い手? あぁ、昔の吟遊詩人だよね。あたしが物心ついたときにはもう死んじゃってたし。聞いたことないから」 チェイスの言葉が、どれほどフェリクスの心をえぐったか、それは彼女にはわからなかった。あるいは、わかっていてやったのかもしれない。フェリクス自身も傷の深さを知り得なかった。 「よさないか、チェイス」 苛立ったファネルの声は刺々しい。が、チェイスの視線はそれを上回る険悪さだった。 「だって、目障りじゃない。いつまでも古い恨みを抱えて自分は不幸みたいな顔して。とっくに死んじゃった人のことでしょ。終わったことをいつまでもひねくり回してるのって、みっともないと思わないの」 「終わった?」 淡々と、何ものも滲み出ないフェリクスの短い言葉。それにすら、チェイスは苛立つ。咄嗟にファネルの手がフェリクスの腕を掴んだ。この場から引き離そう、そう思ったのにフェリクスは動かない。じっとチェイスを見ている。 「そうでしょ、とっくに終わってる。何年経ってると思ってるの。世界の歌い手なんて、あたし知らないし。時間は流れてるって、知ってる?」 嘲笑した言葉にもフェリクスは動じない。温度のない眼差しで、チェイスを見つめ続ける。内心で彼が何を思うのかなど、誰にもわからなかった。 「王国はよけいそうだけど、アリルカでだってそうでしょ。世界の歌い手って呼び名を知ってる人はまだいたって、その人がなんていう名前で、どんな歌を歌ってたのかなんて、知らないよ」 「ここでも、か……」 「当たり前じゃない。それが生きてるってことでしょ。昨日の恨みより明日の仕事今日のパン。そういうものでしょ」 さばさばと言ったくせ、チェイスの目には苛立ちが滲む。それだけではないことを語っている。ファネルがそっとフェリクスを引き寄せた。 「大体あんた、そうやって世界の歌い手世界の歌い手って言うくせに、なんなの。いっつもファネルとべったりじゃない!」 原因はそれか、とようやくフェリクスは思い当たる。笑えたならば大笑いしたいところだ。チェイスが自分につらく当る理由。彼女の眼差しの先にいる人。 「チェイス!」 やっとのことでエラルダをなだめたデイジーが、血相を変えて怒鳴った。話し声が聞こえていたのだろう。気にも留めない、と自分で思っているフェリクスは肩をすくめる。 「悪いな、フェリクス。小娘の戯言だ。許せよ」 「別に。僕は気にしてないけど? ねぇ、チェイス。僕に喧嘩売ってる暇があったらとっととファネルに好きだって言えば?」 ファネルが長い溜息をついた。これではどちらが喧嘩を売っているのかわかったものではない。さっと青ざめたチェイスが口を開く前、フェリクスは彼女を睨み据える。 「ファネルが僕にべったりな理由、教えてやろうか」 「フェリクス、よせ」 「やめないよ。ファネルはね、チェイス。僕が自殺しないように張り付いてるんだ。知ってた?」 そんなことを言っても彼女は苛立つだけだろう。それでもフェリクスは一面の真実に近いことをまず告げる。 「そんなこと、信じないから。自殺? まだ世界の歌い手とかの恨みで死にたいとでも思えるの。何年経ってると思ってるんだか」 「何年経ってようが僕には同じだからね。納得できない? じゃあ、こんな理由はどうかな。本当はファネルとはアリルカにくる以前からの友人だった。意外なことに、あいつが生きてたころからの浮気相手だった。実はあいつの歌の師匠だった。こんなところでどう?」 「信じると思ってるの!」 「思ってないよ。要するにね、チェイス。君は僕が何を言っても信じないってこと。大体いまのは全部嘘だしね。君には人の気持ちを考えることなんか、できないんじゃない? 僕も苦手だから偉そうなことは言えないけどね。君と僕とは他人だ。その他人の気持ちが、どうして君にわかるの。どうして君が勝手に僕の気持ちを決めるの。君にとってはいたのかどうかわかりもしない昔の人かもしれないけど、僕にとって、あいつは――」 言葉を切ったフェリクスは、なにを続けても嘘になることを知った。言葉など、足りない。黙ってシェリが頬を寄せてきた。それだけだった。 「あいつが死んだことを忘れろ? とりあえず横に置いておけとでも? 明日がある? 君にとってはそうかもね。僕の世界はとっくに死んだ」 「だったらなんで生きてるわけ。なにわけわかんないこと言ってるのよ」 「リオンがいた。ファネルがいる。お目付け役がいるんじゃ、中々死ねないじゃない。積極的に生きていく理由は僕にはない。あいつに庇われた命を、僕が自分の手で捨てられるわけがない。ただ、それだけで生きてる。君はいいね、希望にあふれてる。好きな人だっているし未来もある。僕が見てるものを見せてやりたいと思うよ。そうできれば、どんなに楽か。ほんとにね。いっそ改名したくなるよ。僕の名前は、僕に相応しくなくなってる」 呟きめいた小さな声は、それでもしっかりとしたものだった。ずっとフェリクスが考え続けてきたことなのだとファネルは悟る。 「お前は、フェリクスだ」 自分にとっては、間違いなくフェリクス。希望だった。言葉の外側で告げるファネルに目を向け、彼は黙って首を振る。デイジー親子にそのやり取りはわからない。シェリが細く鳴いた。 「ここでも、あいつが忘れられていくの……どうして?」 顔を上げ、フェリクスは遠くを見つめた。肩からシェリを下ろし、じっと抱きしめる。 「忘れるに決まってるじゃない」 吐き捨てるチェイスを、父親が叩いた。涙まじりの怒りの声をあげ、チェイスが走っていく。フェリクスはファネルに追えとは言わなかった。言ってもその気がないことは、よくわかっていた。 |