甘えた鳴き声を上げる竜を傍らに、フェリクスは手作業を続けていた。糸のよう細くした銀を細い棒に巻きつけて螺旋を作っていく。棒を抜き取って、細かく切断する。千切れた糸くずのようなものができあがった。 「なに? 見たことあるでしょ。鎖、作るんだよ。あなたにあげるんだから、指輪ってわけにはいかないじゃない? 鉤爪にはめてみる?」 からかいの言葉にシェリが抗議の声をあげた。その間もフェリクスは手を休めない。糸くず状の銀をひねりながら繋いでいけば、言葉どおり少しずつ鎖ができていく。 「これはさすがに手仕事ってわけには行かないね」 シェリに向かって言い訳するようフェリクスは言い、掌に竜が選んだ石を乗せる。それから真の銀も少し。 「大丈夫だってば。もうそんなに疲れてない。エンチャントしたわけじゃないんだよ? 物を作っただけだから、すぐ回復する。それは知ってるでしょ、あなただって」 いまだ心配そうな目で見上げてくる竜に言えば、それでも、と言いたげな鳴き声。それが聞きたかったのかもしれない、不意にフェリクスは思って目を細めた。 彼の手の中、不思議なことが起こっていた。薄青い宝石と、真の銀が一瞬蕩けあったように見える。再び目が確かになったあと、宝石には真の銀の針金が通されていた。一粒ずつ丹念に。両端は綺麗な輪を作っている。 「これで鎖に繋げるじゃない? きっと可愛いのができるよ。気に入るといいけど」 言えば当たり前だと竜が鳴く。フェリクスが作ったものを気に入らないはずがない、と。耳に聞こえる鳴き声と、心に聞こえる彼の声。わずかにフェリクスは息を飲んだ。 「ほんとはね、あなたが生きてるときもね、作ってあげたくなかったわけじゃないんだよ。知ってた?」 短い鎖に、宝石を繋ぐ。また鎖を作り始める。細かい作業の間にフェリクスは淡々と言う。指先だけを動かしながら、目はシェリを見ず。 「作ってあげたいな、と思わないわけでもなかったんだよ。なんかの機会にね、いいもの作ってあげようかなって、思ってなかったわけじゃないんだよ。あなた、綺麗な真珠色の髪をしてたよね。どうしたらあんな色になるんだろう。凄く、綺麗だった。あれ、なんかで飾ってあげたいって、思ってた」 シェリの翼のような真珠色。逆かもしれない。彼の髪のような真珠色の翼。華やかな吟遊詩人を体現しているかのような外見を、カロルは派手だと罵っていた。 「それなのにさ、あなた。どうして僕に先に何かくれたりするわけ? せっかくあげようかなって思ってるところでさ、僕の機嫌を損ねるようなことばっか。ずるいよ。あなたが女物の櫛をくれたときには、本気で怒りたくなったもの」 言い訳でもしているつもりだろうか、おろおろと鳴きたてるシェリにフェリクスは視線を向ける。意外と穏やかな目をしたフェリクスに、竜の声が止まる。 「あのときも、喧嘩してたんだったよね。覚えてる? あなたが星花宮の侍女と親しくしてるの見てさ、僕が焼きもち妬いたんだ。馬鹿だよね。ほんと、馬鹿だ。でもあなたもあなただと思うよ? どうして僕に女物の櫛を買ってやりたいからって、侍女に聞くかな。酷いよ」 侍女のつけていた耳飾りが、とてもいい出来だったのだ、とあの時のタイラントは言った。フェリクスに贈り物がしたくて、侍女に買えるものならば自分も買うことができるから彼女に尋ねたのだと彼は言った。そして結局買ってきたのは髪の飾り櫛。 「別に櫛がいやだってわけじゃないよ? まぁ、どうしろって言うの、とは思ったけど。僕に飾り櫛をつけろとでも言うのかと思って怒ったけど。女装しろって? しかもあとでこっそりつけてみたらさ、似合うんだもの。ほんと、腹が立つやら情けないやら。……大事にね、してたよ」 いまも星花宮にあの櫛はあるだろう。タイラントから贈られた様々な装身具と共に。華やかな外見のわりに身を飾ることをさほど好まなかった彼だけれど、フェリクスを飾りつけることは殊の外に好んだ。 「なにもらったかな、あなたに。耳飾りでしょ、櫛でしょ。指輪に首飾り。手首にはめるのも足首にはめるのもくれたっけ。ほんと、僕にどうしろって言うのさ。あれ全部つけたら、稼ぎのいい男娼みたいじゃない?」 何事もなかったようフェリクスは言った。かえってシェリのほうが動揺するほど、何気なく。彼の出自を知るタイラントの魂の欠片は、言うべき言葉が見つからないよう、翼をはためかせた。 「あのね、そんなにいたたまれない顔しないでくれる? ただの冗談だよ。あなたに会って、僕はそれを冗談にできるようになったのにね」 それなのに、先に逝ってしまったタイラント。魔術師に年齢を問うことは無意味ながら、魔術師同士ならば話は違う。フェリクスのほうが年上だった。自分のほうが先に逝くと決まっていたはずなのに。 「ほんと、馬鹿」 こんな自分を庇って死んだりして。シェリはおそらく気づいているだろう。今でも毎晩のよう夢を見る。 いまだから、かもしれない。彼が死んですぐには見なかった。毎晩眠るたびにフェリクスのタイラントは殺され続けている。最期の表情も、浴びてしまった熱い血も生々しく。 「ほら、もうちょっと」 忘れることができないものを強いて忘れようとはしなかった。いずれにせよ、また今夜も見るだろう。小さな溜息をフェリクスは飲み込む。 それから半分ほどできあがった鎖をシェリの前に掲げて見せた。きらきらと薄青い宝石が輝く。どうした加減か、石の中を通っているはずの針金は見えない。 「真の銀のいいとこだよね。石に通すと、なんでだろうね、見えなくなるのは。光の加減かな? 邪魔にならなくって、綺麗だよね」 普通の銀や、あるいは金でもこうはいかない。石の中を通っている針金がくっきり見えてしまって、石の美しさの邪魔になる。 「これくらいは、使ってもいいよね。ほんのちょっとだし」 悪戯めいた口調に、ようやくシェリがほっと息をつく。それから一声鳴いた。 「気に入りそう? よかった。ねぇ、魔術師やめても食べてけると思わない? 宝飾屋でもやる? 指輪作ったり、首飾り作ったりして過ごすの。楽しいかもよ」 心にもないことを言うフェリクスに、シェリは小さく鳴いただけでからかった。声音でそれと知れる。フェリクスはわずかに眉根を寄せて、けれど本気ではなく竜を睨む。慌てて小さな竜はそっぽを向いた。 和やかな時間が、嘘のようだった。あまりにも現実味がなくて、フェリクスは夢のようだと思う。あるいは、幸福な悪夢。 「昔、おんなじこと思ったことあったな。メグ、覚えてるでしょ? 彼女のところにいたときのこと。僕、怪我してたじゃない?」 竜の姿をしていたタイラントを庇って怪我をしたフェリクスを治療してくれた老婆。彼女とタイラントと三人で過ごした短い時間は、フェリクスに温かい家庭の錯覚をさせた。あのときにも思った。幸福な悪夢、と。 「僕、よっぽど不幸だったみたいじゃない? そんなこと、なかったんだよ。カロルは……まぁ、優しいとか馬鹿なことは言わないけど、可愛がってくれたし、メロール師と勉強するのも楽しかったし、リオンをからかうのも嫌いじゃなかった」 日々は、穏やかに過ぎていっていたのだとフェリクスは言う。それはそれで、当たり前の日々、不幸でもなんでもない日々だったと。 「でもさ、思えばぬるい時間だったよ。あなたに会って、ほんといろんなことがあったよね」 言えばシェリが情けなさそうに翼を畳んだ。タイラントの一部でもある竜は、覚えているのだろうか、彼がフェリクスにした仕打ちの数々を。 「誤解しないでよ、恨んでなんかないからね。恨んでるとしたら、僕より先に死んだこと。あのとき僕をつれてかなかったこと。あなたと会ったことは、恨んでない。そんなはずないじゃない。僕は不幸じゃなかったけど、幸せってどんなものかも知らなかった。たぶんね」 タイラントに出逢って、それを知った。同じくらい不幸も知った。不幸を知らずに幸福を知ることができなかったのならば、フェリクスは両方知ることを選ぶ。 「僕たちにはありえない仮定だけど。もしももう一度あなたと会うことがあるならば、僕は同じ選択をする。何度でも、あなたを選ぶよ」 そっぽを向いたままの竜の背中をフェリクスは撫でた。撫でながら、違うことを考えていた。 どうしてこれを生きているうちタイラントに言わなかったのだろう。言えなかったのだろう。わかってくれると思っていた。そしてたぶん、わかってくれていた。 それでも、言えばよかった。告げればよかった。言えばきっと、嬉しそうに微笑ったから。告げれば間違いなく、喜びにあふれた歌声を聞かせてくれたから。 「次にあなたを選べるなら、こんな間違いはしたくないよ、僕は。ほんと、無意味な仮定だよね」 二度とこの世に舞い戻ることのない世界の歌い手の魂。粉々に砕かれて、彼の魂はどうなってしまったのだろう。この世界に薄く広がっていったのか、消滅したのか。 「どうなったんだろうね、あなたは」 この世界にいまだ薄くても、形をとどめていなくても、彼の存在があると確信できるならば、こんなにも迷わない。 フェリクスは感じない。タイラントの魂が世界に還ったとは、感じない。もしも世界の歌い手の魂が薄く広がっていったならば、この世はこれほどまでに醜悪だろうか。 「あなたは差別のない世の中を作りたいって、言ってたのにね」 彼もまた差別される外見を持っていた。色違いの両目は、人間世界で邪眼と忌まれる。それも、彼が世界の歌い手として名を馳せるとともに、止んだ。自分が忌まれることがなくなったのならば、異種族だとていつかは。そんな希望を彼は持っていた。 「無謀な希望だよね。とても、羨ましいような、希望だよね」 不意にシェリが鳴く。振り返った両目にフェリクスは射竦められた。竜の目が語る。希望は、彼にとっての希望はフェリクスだったと。 「僕の名前が希望の意味だから? そういうこと? 違うの。言いたいこと、わかる気はするけどね。僕は僕に希望を見出しは、しなかったよ。できなかったって言ったほうがいいのかな」 信じれば世界は明るくなったのだろうか。信じれば、タイラントはいまも殺されることなく生きていたのだろうか。自分の、この傍らで。フェリクスは首を振り、鎖を取り上げた。 「ほら。できた。つけてみる?」 薄青い宝石を所々にはめた銀の鎖。首飾り、と言うべきだろうか。竜のシェリはそれを首にかけ、誇らしげに嬉しげに鳴いた。 |