「水晶と金剛石がありましたけど、どっちにします?」
「扱いやすさなら水晶だけど、永続性を考えたら金剛石じゃないの」
「まぁ、あなたに任せますよ。やるのはあなたですし」
「だったら最初から聞かないでよ、面倒くさいな」
 リオンが両手に掲げた原石にちらりと目を走らせ落胆する。どちらも大きさといい状態といい滅多に見かけるものではなかった。
「そっちはありました?」
 フェリクスの傍らに大きな箱が置かれているのを目にしながらリオンは言う。だからフェリクスはいやな顔をしただけだった。代わりにシェリが鳴いて答える。
「そんな大きな箱でしたっけねぇ?」
「疑うなら自分で探せば?」
「いえいえ、そういうわけではなく。なんというか、もうちょっと小振りだったような気がして」
「気のせいだよ」
 見ろ、とばかりにフェリクスは無造作に箱を開けた。ありえないものが入っていた。大量の真の銀。かつては武器防具の類だったと思しき破片から、精錬されたままの塊の状態のものまである。これほど大量の真の銀は、神人の子らでも見たことはないだろう。
「助かりますねぇ。メロール師に感謝です」
「ちまちま集めればけっこうな量になるもんだね。さすが長生き」
 人間世界で過ごした長い時間をかけて、サリム・メロールはそれを集めたらしい。二人とも実見はしていない。それがここにあることを感謝するばかりだった。
「材料はそろいましたし。形成は任せますよ」
「面倒なことを押し付けて出かける気?」
「だってあなた、得意じゃないですか。私よりも?」
「否定はしないけど。と言うより、あなたが苦手なんじゃないの」
 皮肉に言うフェリクスの言葉にリオンは情けなさそうに眉を下げた。事実は彼が言うようなものではない。リオンが不得意なのではなく、フェリクスが群を抜いて巧みなだけだ。
「別にいいけど。あなたがいると目障りだし。いいからさっさと行けば?」
「……酷い言われようですね」
「僕に優しさを期待する? そこまで愚かだったっけ。ねぇ、あなた。どうする。リオンと一緒に行く? 自分の葬式なんか中々見られるもんでもないと思うけど?」
 膝に抱えたシェリに語りかけたフェリクスの言葉には色がない。熱もない。事実を事実として語るとき、フェリクスの感情が透けて見える気がしてリオンは目をそらす。
「……うるさいってば。そんなに鳴きたてないでよ。本当のことでしょ。別に行けとは言ってない。邪魔にもしてない。わかってる」
 盛大に抗議の声を上げている竜の背を撫で、フェリクスは静かに言う。どことなく、満足そうだった。問いはしたものの、彼は決してシェリが離れるのを望んではいなかった。
「では、そういうことで。ちょっといってきます。何か御用がありますか?」
「星花宮に? あるわけないじゃない」
 あえてフェリクスはラクルーサに、とは言わなかった。エヴァグリンにはなんの期待もしていない。かの国に未練もない。
「念のために言っておこうか、リオン」
「言わなくっていいですって。彼の何かを持ってきたりしたら、細切れです、私」
「わかってないね。細切れ? そんな後片付けが面倒なことしないよ。一気に頭から氷漬け。意識だけは残しておいてあげるね」
 かつてのフェリクスならば、それを笑って言った。今の彼は無表情のまま告げる。シェリが取り繕うよう、鳴いた。
「それは是非遠慮したいです。では、行ってきます」
 見送りなどはじめから期待していないリオンはにこりと笑って背を返す。シェリの鳴き声が挨拶を送った。
「さて。どうする?」
 するりとシェリの胴の下に手を入れて抱き上げた。肩にあげようかと思って、ためらう。もう少し抱いていたい。
「やっちゃう?」
 ぐずぐずしている理由はない。仕事があるならば片付けてしまうのが主義だ。それなのに、なぜか気力が湧かない。
「……そうか」
 目の前にシェリを掲げた。真珠色の竜は抗いもせず首をかしげてフェリクスを覗き込む。色違いの目に自分が映っている気がした。
「あいつに、何か作ったことないのにね。あなたにちっちゃな水の竪琴作ってあげたことはあったけど。でも、たかがあんなもんだよね。それなのに僕は別の誰かのためになんでこんなもの作んなきゃならないの。なんか、理不尽だよ」
 溜息に真実が滲む。タイラントが健在だった頃、自分はなにをしてやっただろうか、そうフェリクスは思う。
「――なにも」
 何一つとして。彼が喜ぶことも、彼が嬉しがることも、なにも。
「こんなに大事なのにね。あなたですら、こんなに大事なのにね」
 シェリを抱きしめれば、切ない鳴き声。タイラントと別の存在だと口にするだけで、シェリは身をよじる。
「あなたのこと、好きだって言ったこと、たぶんなかったよね」
 気づかなかったのか、気づいても無視したのかフェリクスは言葉を続けた。語りかける相手はシェリではなく。
「あなた、口癖じゃないかと思うくらい言ってたのにね。僕は少しも応えなかったよね。どうしてだろう。後悔ばっかだよ。カロルならなんて言うかな。これが生きてるってことだって、言うかな。でも……」
 ぎゅっとシェリを抱いた。苦しがる竜の背中に顔を埋めてフェリクスは呟き続ける。
「後悔しても、もう取り戻せないものばかりだね。ほんと、あなたが恨めしい。どうしてあのとき僕を殺さなかったの。殺してくれなかったの。うっかりあなたがこんな形になったりするものだから、僕は生き続けなきゃならないじゃない。あのとき死ねなかったから、僕は敵討ちまでしちゃったじゃない。それでもまだ生きなきゃならないの。疲れたなんて、贅沢だよね。これはあなたの命だって、わかってるから、だから生きるけど。でも、疲れたよ」
 ゆっくりと背中から顔を離し、フェリクスは色違いの目に見入る。どうしていいのかわからない、そんな目で見つめてくる竜の額にフェリクスはくちづけた。
「疲れたけどね、別に死にたくはないからそんな顔しないで。大丈夫。平気。だって、二度とあなたには会えない。いいよね、リオン。いつかどこかでカロルに会える。僕たちは二度と会えないじゃない? 僕が死んだら、あなたのこの形も消滅するんでしょ? だったら、貴重じゃない。あなたと過ごす最後の一瞬じゃない。あなたにしてあげられなかったこと、たくさんしようか。ねぇ――」
 どちらを呼ぶつもりだったのだろう、フェリクスは。彼は気づいているのだろうか、その混乱に。タイラントに語りかけ、シェリに語り。
「まずは、仕事をしちゃおうか。それから趣味に走ろう。ね?」
 もう一度ぎゅっとシェリを抱きしめてフェリクスは集めたものに向かって手を一振りした。かき消すよう、消えてなくなる。
「うん? 先に呪文室に送った。こんな重たいもの持って歩くのいやだよ、僕は」
 文句を言いながらでもフェリクスの足取りには軽さが見えた。シェリがかすかに明るさを帯びた鳴き声を上げる。
「心配性だね。平気だよ。……目先の目標がないとだめみたい。ほんのちょっと先の、ほんのちょっと楽しそうなことを考えてないと、死にたくなってくる」
 なんでもないことのように言うフェリクスにシェリが慌てたようもがく。ごそごそと身じろいで彼の腕から抜け出しては眼前を飛ぶ。
「怒らないでよ」
 小さな真珠色の竜が歯を剥いてうなっていた。いくら小さいとはいえ竜の怒りに並の人間だったならば逃げ出す。フェリクスは手を差し伸べた。
「そんなに簡単に死ぬって言うのが気に入らない? だから、あなたと過ごすって言ってるじゃない。それでもだめなの。あなたはあいつだけどあいつじゃない。……あいつ、僕のこと、殺したのかもしれないね。そういう意味では。僕は自分を善なる存在だと思ったことはただの一度もないけど、それでもあったかもしれない最良の部分を、あいつは持っていったのかもね」
 そう思うことはフェリクスに奇妙な満足感を与えた。砕かれてしまったタイラントの魂が、自分の何かを持っていったのだとしたら。
「いつも僕はあいつと共にあることになるよね」
 二度と会えないけれど。自分の何かはタイラントの魂と共に消えたならば、永遠に彼の元に留まるのと同じことになる。
「……いやだな。僕はこんなに女々しかったかな。なんだろうね、このへんが冷たいよ」
 胸に抱き取ったシェリをその場に押し付ける。リオンならばそれは寂しいというのだと言っただろう。
「ねぇ、リオンとの話、聞いてたよね? 僕はちょっと忙しくなるよ。呪文室にこもってる間、あなた暇じゃない?」
 わざとらしい明るさでシェリが鳴いた。立ち直ったふりをするフェリクスに気づかず励ます態度。ずいぶん昔に何度となく見た覚えがあった。
「書庫にいっててもいいよ。今のあなたは歌えなくても、歌集を見るのがいやじゃなかったら。ここにいるの? いいけど。あぁ……」
 呪文室の扉を開けつつフェリクスは何かを考える。しばらく思考をこらしたあと、小さく呟いた。
「これ、遊んでなよ」
 彼の手には小箱があった。どこからか取り寄せたものだろう。シェリは覚えていたのだろうか。塔の中にあるフェリクスの部屋から転移させられたものだと気づいたらしく、首をかしげた。
「一々とりにいくの面倒じゃない。自分の部屋からだったらこの程度のものなら転移させられるし」
 嘘だとわかっていた、フェリクスには。シェリにも。彼の部屋はタイラントの匂いがした。彼の存在があまりにもくっきりと残っていた。あれ以来、決してフェリクスは自分の部屋に足を向けない。
「ほら。散らかさないでね」
 仕事に取り掛かる前、床に下ろしたシェリの前に小箱を開いて置いた。嬉しそうな竜の鳴き声。小箱の中には色とりどりの小粒の宝石。
「メロール師じゃないけど、人生長いからね。けっこうそんなものも集まるし」
 ちらりと見やってフェリクスは自分の前に真の銀と水晶に金剛石を並べる。長い溜息をついた。ただ集めただけだった。ただ持っていただけだった。正しく活用しなかった。あいつには、何一つ。




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