護衛とともにエラルダをアリルカに帰した二人はそのまま塔へと転移した。単独で跳ぶリオンを、シェリを抱えたフェリクスが追う。
「じっとしてなよ」
 暴れるでもないシェリに言えば心得たとでも言うよう竜の目が笑う。懐かしいような心地でありながら、かつて一度もそのような目を見た覚えもない気がする。
「まぁ、いっか」
 フェリクスは首を振った。タイラントとシェリの差を考えても仕方ない。同じでありながら別の存在。それだけは、わかっている。
「いくよ」
 竜に言うでもなくフェリクスは言い、わずかに目を伏せて詠唱を始めた。すぐさま二人の姿が薄れ、かき消える。
「遅かったですね。どうしました?」
 とっくにリオンは塔の居間で待っていた。待ちくたびれた、とでも言いたげな顔をして肩を叩いている。
「うるさいな。別にいいじゃない」
「私が扉を開けるの、待ってました?」
「ねぇ、あなた。そこまで馬鹿だったの」
 呆れ声のフェリクスに同調してシェリは鳴いて囃し立てる。肩の上の竜の背に手を添えてフェリクスはリオンを睨みつけた。
「なにがです?」
 まったく気にした風もないリオンの態度が癇に障る。が、今にはじまったことでもない。知り合ってこの方、苛つかなかった日はない、と言ってもいいくらいだ。
「あなた、わざわざ塔の前に転移したわけ?」
「え……あぁ、そうですねぇ。はじめから中に入っちゃえばよかったんでした。うっかりです」
 にこり、とリオンが笑った。からかわれている、瞬間に悟ったフェリクスは、けれど何もしなかった。溜息ひとつをつくだけで、長椅子に腰を下ろす。
「で。探し始めたの?」
「まさか! 見当はついてますけどねぇ。さすがにまだですよ」
「だったらさっさとやりなよ」
「……手伝う気はなかったりします?」
 恨めしげに言ってリオンは肩を落とした。フェリクスは騙されるつもりなど欠片もないものの、シェリが鳴き立てている。
「なに、あなた。やりたいの。……仕方ないな。行くよ」
 シェリが言うからだ。竜が急き立てるからだ。フェリクスは態度にそれを露にしてリオンを待つことなく居間を後にした。
「ありがたいですねぇ。助かります」
「ほんとにそう思うわけ?」
 背後から追ってくるリオンを振り向きもせずフェリクスは言う。シェリがその前をひらひらと飛んでいた。
「だって、手伝ってくれるんでしょ?」
「誰が? 僕はあいつが倉庫に行きたいって言うから行くだけ。あなたの手伝いなんか誰がするか」
「シェリが手伝ってくれてもいいんですけど。ね、シェリ。手伝ってくれますよね?」
 長い首だけを振り向けて、シェリがうなずいて声を上げた。楽しげな竜の声にリオンが顔をほころばせる。
「……二人とも、馬鹿? て言うか、リオン。特に馬鹿? もしかして猫の手も借りたいってやつ?」
「借りられるなら猫の手もドラゴンの手も借りたいです」
 それくらい面倒な探し物だとフェリクスにもわかっているはずではないか、リオンの声にしなかった声がフェリクスの傍らを通り過ぎていく。
「そんなもの借りたらよけいに手間が増えるって、知らないの。四つ足は、手伝いには向かないよ? 悪戯して、遊んで、引っかきまわして飽きたらどっかに行くって相場が決まってる」
「……フェリクス。妙に実感がある言葉ですが、もしかしてシェリに手伝わせたことが?」
「こいつにじゃない。猫にやられた」
 むっつりとして言うフェリクスを、竜とリオンが笑った。仕事をする彼の周りでめちゃくちゃに猫が遊んでいるところを想像すると、笑えて仕方ない。
「うるさいな!」
「ち、ちなみに。いつごろの話です?」
「……笑いすぎだ、リオン。あなたのそういうところ、ほんとに嫌い。ちょっと! あなたもだよ!」
 飛びながら身をよじって笑っている竜をむんずと掴んでフェリクスは眼前に据える。睨みつけても竜はこたえない。くねくねと笑い続けていた。
「そんなに笑うと、あとで酷いよ?」
 ぽつりと言ってフェリクスは竜を胸の中に抱えた。だから結局シェリは酷い目になどあわされはしないのだ。リオンはそう思う。実のところまったくの誤解だった。
「いつごろ? 忘れたな。まだあなたはいなかったと思うけど?」
 フェリクスが、カロルのたった一人の弟子であったころのことだろう、と彼は言う。遥かな過去に思いを馳せ、わずかの間だけリオンの眼差しが曇った。いまはいない人を思う。視線が指輪に落ちる。
「ずいぶん執念深いですねぇ。そんな昔のこと、今でも言います?」
 しかしすぐさま憂愁を払いのけ、リオンは何もかもをも笑い飛ばした。前だけを見て歩いているフェリクスにも、それは感じ取れる。だが、言葉はなかった。
 自分自身の感情さえ、ままならない。いまだくすぶり続けている怒りと、魂をすり潰してしまいそうな、と言ってもまだ生ぬるい悲しみ。復讐を果たし終えてしまった、どうしようもないやるせなさ。無言で座り込んでそのまま動きたくなくなる。フェリクスの耳に竜の鳴き声が届いた。
「わかってるよ」
 何もわかっていない、本当は。それでもフェリクスはそうとしか言えなかった。こんな自分が、リオンに何を言えるだろうか。
 同じ伴侶を失った身ではある。が、リオンはフェリクスではない。自分のこともわからないのに、他人のことなどわかりえない。
「さて、お仕事しましょうかねぇ」
 鬱々と沈んでいきそうなフェリクスの心を叱咤するようなリオンの声だった。はっとして振り返る。この男に叱られるなど、矜持が許さない、カロルならばともかく。
「ぼんやりさんをしてる暇はないって言ってるじゃないですか。忙しいんですよ、アリルカは。民ならとっとと働く。働かざるもの食うべからずって言うでしょ。ほら、やりますよ」
 茫洋とした、春の陽射しのような男の言葉がフェリクスを照らし出す。光に照らされるからこその深い闇。気づかないリオンではなかったけれど、他になす術がない。
 仕事でも与えておかなければ、本当に大地に沈み込んでフェリクスは自滅しかねない。そのようなことになってはカロルに合わせる顔がないというもの。リオンはにこりと笑って扉に手をかけた。
 頑丈な扉だった。塔の中にあるほかの部屋とはまた趣を異にした扉は、先ほどフェリクスが言った「倉庫」と言う言葉にも表れている。確かに装飾はなく、ただ硬さだけが際立っていた。
「大体どこにあるか、見当はついてるんでしょ?」
「まぁ、大体、ですね」
「なにそのいい加減なの」
 むっとして扉から滑り込んできたフェリクスが手を掲げた。ふっと明かりが広がる。フェリクスの仕種に従った、室内の魔法灯火だった。
「あぁ……凄まじいですねぇ。久しぶりに見ると圧倒されます」
 リオンの溜息交じりの言葉も当然だった。見渡す限りの棚と、そこからあふれ出した箱の数々。もう少しで足の踏み場もない、と言うべき有様だった。
「ここで一から探すとなると厄介なんだけど?」
 からかい口調のフェリクスをリオンは恨めしげにねめつけて肩を落とした。本気でフェリクスに手伝う気がないと知れてしまう。
「ほら、さっさとやんなよ」
 手近な棚に背中を預け、フェリクスはじっとどこかを見ている。たぶん、何も見ていないのだとリオンにはわかる。
 ちらりとシェリと視線をかわした。竜は器用に肩を落として所在なさげに翼をはためかせている。揺れる尻尾が魔法の明かりにきらきらと光を放っていた。
「仕方ないですねぇ。やりますか」
 シェリに言えば竜がこくりとうなずいた。フェリクスは聞こえた風もなくじっとしている。一度振り返ったシェリが飛ぼうとした瞬間だった。咄嗟に伸びてきた手が、シェリを掴む。甘美な鳴き声を竜が上げた。
「あなた、野放しにしたらなにしでかすか、ちょっと怖いよね。いいよ、僕もいく」
 言い訳めいていた。腕に竜を抱えたフェリクスは態度で語る。一人にされるのは嫌だと。シェリが見えない場所に行ってしまうのはいやだと。
「では、私はあっちで探してます。あなたは第三通路の右の棚あたりを探してください」
「ちょっと、それってどういうこと? 第三通路の右棚ってどれだけ範囲広いんだよ!」
「だから大体だって言ってるじゃないですか。頼みましたよ。お願いしましたからね!」
 まるで言い捨てるようにしてリオンは背を向けた。のみならず、走って消えた。
「なんだか、押し付けられた気がするんだけど?」
 皮肉に言ってシェリを見つめる。他の誰かがいる場所では決して見せない和やかさめいたものがその目にあった。
「仕方ない、行こうか」
 溜息まじりに言っているわりに、嫌がってはいないようだった。足取りも重くはない。強制されたことは、確かに癇に障っている。それでもリオンの好意を感じていないわけでもない。
「それが鬱陶しいんだけど、そこまで言ったらいくらなんでも非道だよね」
 シェリに向かって言えば竜が激しくうなずいた。その仕種にわずかにフェリクスの目許が和らぐ。自らもそれを認めたのだろう、ほっと息をついて再びしっかりと竜を抱えなおした。
「……あったかいよね、氷竜のくせに」
 難癖をつけられてもシェリは抗わない。言葉だけだと知っていた。フェリクスの指が、顎の下をかいている。
「懐かしいって思う日が来るのかな。あなたとこんな風に旅したこと、あったよね。まだあなたが呪われてたころ。いまのあなたと形は一緒なのにね」
 魂が違う。同じであっても、彼の一部でしかない。だからやはり、違う。嘆いても嘆いても、タイラントは帰らない。いっそ虚無に落ちていきたい。
「平気。積極的に死ぬ気はないから」
 心配そうに鳴いた竜に向かって言えば、以前ファネルに言ったことが蘇る。この命はタイラントに贖われたもの。彼の命でもあるならば、自分が捨ててしまうわけにはいかない。
「ほんとはね、少しだけ恨みたいよ、あなたを」
 じっと黙っているシェリにフェリクスは目を向けた。どんな言葉でも甘受しようとする態度が、リオンならば腹が立つ。タイラントならば、怒る。シェリならば、どうだろう。何も感じなかった。




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