リオンとフェリクスを両側に従えたエラルダが、無事に和平条約を結び終えたのはそれからしばらくあとのことだった。
「三叉宮でねぇ」
 肩が凝ったのか、リオンが自分の肩をぽんぽんと叩きながら呟く。仕種のせいで口調の皮肉さにエラルダは気づかなかった。
「まったくだね」
 フェリクスが珍しく素直に同意するのをシェリが肩の上で笑っていた。
 二人が言うのはこういうことだった。かつてシャルマークの大穴が塞がった後、ラクルーサとミルテシアの二国は大陸の平和を祈りともに手を携えて発展に努める、とここ三叉宮で誓った。
 故事ではあるが、それを二人はメロールより聞いている。メロールはその場に立ち会った半エルフの魔術師リィ・サイファより聞いていた。
 人間は言ったそうだ。「これより後、我らの手で平和を築く」と。立派な誓いではあるのだが、その場にいたリィ・サイファにとっては違う。半エルフにとっては、違う。
 人間が築き上げてきた世界。それは異種族には住みにくい世界となった。だからこそ二人は三叉宮を誓いの場として選んだ人間を皮肉な目で眺める。
「それでも、あのときよりはましじゃない?」
「そうですかねぇ。ま、そのためにイーサウを引っ張り込んだわけですが」
「でしょ。だから、少しはましだよ。……と思いたいね」
 実際、戦争に直接かかわらなかったイーサウの議長もこの場にて誓いを結んでいた。アリルカの同盟国として、後方より援助を惜しまなかったイーサウだったが、戦闘自体にはかかわっていない。だから彼らとしては二王国と結ぶ手も打てたはずだ。
 それでもイーサウはそうしなかった。今でもアリルカの同盟国であり続けている。おかげで、条約は四カ国条約となり、かえって王国側の面目も保てることとなったのだから、イーサウとしてはそちらにも恩を売った形だった。
「うちとだけ条約を結んだんじゃ、ちょっと面子が立たないでしょうしね」
「どう誰が見たって城下の盟だからね」
 フェリクスはつまらなそうに言ってシェリの背を撫でていた。事実上は、今でも城下の盟だ。完全敗北を喫したラクルーサは、時を置き、場所を城下から三叉宮に移すことができただけでもありがたい、そう感じている。それゆえのエヴァグリン女王の笑みだった。
 束の間の間にずいぶんと立派な女王になったものだとフェリクスは思う。アリルカを訪れたときには他愛ない王女だったものが、今では毅然とした君主の顔をしている。それを見るイーサウ都市連盟の議長も意外そうだった。
「ミルテシア。冴えませんねぇ」
 リオンがにんまりとしつつ言うのは、いまだミルテシア国王は自国の敗北が信じがたいせいだろう。辺りを窺う目つきが、いささか気味が悪い。
「かかってくるなら相手になるよ。いつでもね」
 聞こえよがしのフェリクスの言葉が耳に入ったのか、ミルテシア国王がするりと目をそらした。
 エラルダは君主、と言うわけではないのだが、一応は国の代表と言うことでここにきている。彼の護衛の名目でこの場にいる二人の声とあわせてアリルカの総意と言えた。
 それを感じ取ることができないほど鈍い君主たちではない。エヴァグリンのそれとない目配せを受け、ミルテシア王も引いた。
「リオン卿」
 そのような呼称、実はアリルカにはないのだが、エヴァグリンはそう彼を呼んだ。かつての臣下としてではなく、他国の貴賓として扱った。
「はい、なんでしょう。エヴァグリン女王?」
 心遣いと言うよりは礼儀の範疇ではある。だがリオンはエヴァグリンの成長を喜ぶよう、微笑みを返して言う。
「このあと……?」
 言って言葉を濁してエヴァグリンはフェリクスを見た。彼はどこでもない場所を見て、シェリの尻尾をいじっている。
 フェリクスは、条約になど興味はなかった。約束をしようが誓おうが、人間は必ず破る。そういう生き物だと知っている。
 それでも誓うことに意義があるのだ、とリオンは言うが、フェリクスはただ面倒なだけだと心の奥では思っている。
 そんなことに時間を割くくらいならば、三叉宮の中でもゆっくり見学したい。至高王の剣と王冠を乗せた玉座をいまだ覆い、輝かせているのはリィ・サイファの魔法だという。ふらりと足を進めて玉座の前に立つ。以前見たときよりなおいっそう皮肉な思いでそれを眺めた。
 それを尻目にエヴァグリンはほっと息をついて言葉を続けた。
「ラクルーサに、いえ、星花宮においでになるのでしょう?」
「えぇ。彼の葬儀がありますからね。あのまま放っておくのは気が咎めて」
 リオンもまたフェリクスの姿を目の端で追っていた。彼が耳にすれば、どんな態度を取るかリオンにも予想がつかない。
「いつごろでしょう? できれば、民を集めたいと思うのです」
「世界の歌い手の葬儀に、ですか。あなたがたが殺したと、自分の口で言うつもりですか。女王?」
「いけませんか」
 果敢な口ぶり。それにリオンは口許をほころばせた。エヴァグリンに新しい人間を見た思いだった。リオンはフェリクスのよう、人間が醜悪なだけの生き物だとは思わない。自分が人間だからではなく、心の底からそう思う。そう感じることができるからこそ、神官でもある。
「しみじみ、あなたはいい女王になると思います」」
 茫洋とした口調ながら不遜な態度。ラクルーサの臣下が聞けば眦を吊り上げて怒るだろう。幸い聞く者はいない。
「盛大にするつもりはないんです。彼はそういうことは好みませんでしたし。密やかに、と言うのも変ですけど。そうですね、中間くらいで行きましょうか」
「リオン卿のよいように。では、このあと?」
「申し訳ないです。いささか所用があって。すぐと言うわけには」
「かまいません。いずれにせよこちらにも準備がありますもの。リオン卿は魔法で訪れるおつもりでしょう?」
 そのときだけ、エヴァグリンが少女の顔をした。転移魔法で出現するリオンを予測し、それを禁止するつもりも止める手立てもないことをあけすけに明かす。君主としては腹立たしいことだろうに、彼女はにっこりと笑ってそれを言った。
「否定しても仕方ないことですしねぇ。そのつもりですよ」
「では、十日もあればよろしい?」
「そちらしだいです。私は身ひとつでいいですから」
 他国の君主と、民が勝手な約束をするなど、アリルカ以外では考えがたいことだった。だがエラルダは口も挟まずそれを聞くともなしに聞いている。本人としてはフェリクスの意識がこちらを向いたら二人に知らせるつもりだった。
「フェリクス。と言うことで、私、用事ができちゃいました」
 だが、リオンは朗らかに声を高めてそう言った。隠し切れないことは、とっくに悟っている。玉座の前に佇むフェリクスの背中に漂うものを神官の目で視なくとも、感じている。それならばいっそ、告げてしまったほうがよかった。
「聞こえないね。葬式? 知らないよ、僕は」
「あなたに出席しろなんて言いませんって」
「……言ったら、殺す」
 呟きは、まるで独り言の大きさ。それでもその場にいた全員に彼の声は聞こえた。エラルダが身を震わせる。エヴァグリンが顔を青ざめさせる。辺り一帯に殺気が充満する。
「まだ死にたくないです、私。と言うことで、あなたに用事を頼むことになっちゃいそうです。よろしくお願いしますね」
「そういうことは現物見てから言いなよ。エラルダ、そういうわけだから」
「ちょっと待ってください。どういうわけなんですか」
「リオン。説明してないの」
 ようやく、フェリクスが振り返った。それまでじっと玉座を、あるいはどこでもないどこかを見据えていたフェリクスだった。
「うん、してません」
「それが笑って言うこと? ちょっと、いい加減にしてよ、その間抜け面。僕に説明までしろって? そんな面倒くさいこと、誰がするの。あなたがするんじゃないの。僕はいやだから。あなたがしてよ。どうしてそうなの。どうして言葉が足らないわけ? 余計なことばっかりべらべら喋るくせに」
「……一言、いいですか、フェリクス?」
「なんだよ!」
「いまの時間があれば、充分説明できる言葉数だったと思います、私」
 滔々とまくし立てたフェリクスの内心に気づかないリオンではない。タイラントの葬儀と聞くだけで我が身をかきむしってもなお足らない気分になっているはずだ。
 癒す術などない。首謀者たる王を殺しても解けることのなかった怒りと哀しみ。どうにもできないものならば、せめて八つ当たりの対象くらいにはなっていたい。彼のためではなく、カロルのために。
「うるさいな!」
 さすがにエヴァグリンもミルテシア王も同席する場所だ。フェリクスは剣を抜くことはなかったし、魔法を飛ばすこともしなかった。
 もっとも、視線だけでミルテシア王など気を失いそうな顔をしている。これでは完敗したとは言え、ラクルーサはミルテシアより発展するだろう、そうリオンは思って心の中で笑った。
「えーと、お叱りを受けたので説明しますとね。ちょっと私たち、塔に用があるんです」
「塔、と言うとリィ・サイファの塔ですか」
「はい、そうです。あそこで探し物と言うか、しまってあるものを持ってくるというか。加工まで済ませちゃいたいなぁと言うか。あればそこまでできるなぁ、と言うか」
「……リオン、いいです。聞いてもわからないと思います。つまり、あなたがたがアリルカに帰ってくるのは遅くなる、と言うことでいいんですね?」
「ま、そういうことです。話が早くって、好きですよ、エラルダと話すのって」
 にっと笑ってリオンは説明する気のないことをエラルダに悟らせた。肩をすくめてエラルダもそれを受け入れる。そんな彼らのあり方を人間の君主たちが不思議そうに眺めていた。
「なのでフェリクス。あればあなたが加工はやっちゃってくださいよ。得意でしょ?」
「だから、あればだって言ってるじゃない。あるかどうかまず行ってみないことには話にならない」
 にこにことしたリオンにフェリクスが怒鳴るわけでもないのに怒りも露に言い返す。シェリの色違いの目が、リオンに感謝の眼差しを投げていた。




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