じたばたもがく竜が、それでもさすがに哀れになったのかリオンがちらりとファネルを見る。ファネルは絶対に自分が口を挟むのはごめんだ、とそっぽを向いた。 「あー。フェリクス。ちょっといいですか」 「なによ。あとにしなよ。いま忙しいんだから。見てわかんないの、あなた、馬鹿?」 「そりゃ、見ればいちゃいちゃしてるのはわかりますけどね。あなたもちょっと考えてくださいよ、なんで私がお節介する気になったのかってあたりを」 「ちょっと、それ。どういうこと?」 シェリの前脚をいじっているのだかいじめているのだかわからない手のままにフェリクスはリオンを見やる。 「お節介? それってこれのこと。お節介って言うの、それ」 これ、と評されたファネルは断固として口を挟むまい、としている。神人の子にしては素晴らしい適応力と言えるだろう。 「お節介ですよ、充分。こんなこと好きでしてると思われたらたまりません、私」 言ってリオンはそれは長い溜息をつき、木に背をもたせ掛けた。それからとんとんと肩を叩くものだから、どこまで本気だかわかったものではない。 「ねぇ。まどろっこしい話し聞く気分じゃないんだけど?」 フェリクスは変わらず険悪な声のままだった。手の中でシェリが悲鳴を上げ続けている。あれでは喉がおかしくなってしまうだろう。と、思ったときには遅かった。 「フェリクス。シェリが痛がっているようだが」 つい声をかけてしまったファネルは自分の迂闊さに天を仰ぐ。決して介入するまい、と決めていた決心が脆くも崩れ果てていた。 「別に痛がってないよ。それに僕がこいつに酷いことするとでも思ってるの」 「してないか?」 「そう見えるんだったら、目が悪い。情けなくなってくるね」 なにがだ、とは誰も問わなかった。リオンが微笑ましい目で自分を見ているのに気づいたフェリクスの目の険が、いっそう深くなる。 「それで。リオン。さっさと喋る。のろのろしない」 「ですからね、忙しいんです」 「どういうこと?」 戦争は終わったはずではないのか。なにはともあれアリルカは独立を勝ち取った。正に勝利の手でもぎ取った。 「だから、原因はその戦争です」 「リオン――」 「できるだけ手短に喋りますから、焦らない。座ったらどうです?」 むっとして、けれどフェリクスは従った。長い草の生えた場所に腰を下ろせば、ぷんと青い匂いが立ち上る。何も言わずに隣に腰を下ろしたファネルにフェリクスは一瞥をくれただけで何も言わなかった。 「あのとき、ここを出たときには六百でしたよね」 「アリルカ軍? そんなもんだったね」 「帰ってきたときは、どうでした?」 「なにそれ……」 たいして減ってはいなかったはずではないか、と言おうとしてフェリクスは口を閉ざし首をかしげる。一緒になって膝の上に抱えられたシェリが首をかしげた。 「ま、覚えてないでしょうけどね、あなたは」 あの状態では、とリオンは言わなかった。言わなくとも心の耳には聞こえてしまう。嫌な顔をしてフェリクスは唇を噛みしめる。 「まぁね。あんまり覚えてないけど」 「ちゃんとファネルにお礼、言うんですよ」 「はい? どういうこと」 「茫然自失と言うか、魔法の使いすぎと言うか。どっちにしても人事不省のあなたをアリルカまでつれて帰ったのはファネルですよ」 「……そうなの?」 ちらりと横を見た目つきはこれ以上ないほど戸惑っていた。ファネルは無言でどこでもない場所を見ている。膝の上に目を落とし竜に尋ねればシェリが千切れそうな勢いで首をうなずかせていた。 「……ファネル」 「礼を言われたくてしたことではない。物理攻撃手として護衛する、と決めたのだから、最後まで面倒見た。それだけだ」 「そう。まぁ、そうだよね。それならそれでいいんだけど」 そんなやり取りにリオンは小さく溜息をつき、なんて不器用な人たちだ、と小声で呟く。咄嗟に聞きとがめたファネルは思わず拾った小石を彼に投げつけ、フェリクスはひと睨みしたあと剣を構えた。 「フェリクス! 失言ですって、私の。気にしない気にしない。なんでもないです。ですからね、ちょっと剣をしまってください。脅されながら話す趣味、ないです」 「失言? ふうん。失言の塊みたいな男がよく言うよ」 言いつつフェリクスは現した剣を大気に溶かした。シェリの色違いの目が、溶けていく剣をうっとりと見つめている。 「まぁ、話を戻しますけど。増えたんです」 「なにが」 「人数に決まってるじゃないですか。神人の子らとその子らと、王国に散らばってたのが集まってたんですよ、けっこうな数が、あのとき。で、一緒にアリルカに帰ってきたわけでして。他にも隼を慕っていっそうちの国民になっちゃおうって言う人間がそれなりにいますし」 「そんなに増えてた? 気づかなかったけど」 「王都アントラルでの決戦時、こちらはだいたい二千くらいはいましたよ」 まったくフェリクスは気づいていなかった。とにかく戦えればそれでいい、としか思ってなかったらしい。 それを思えばぞっとするファネルだった。指揮官がこの状態で、よくぞ生きて帰ってきたものだとつくづく思う。彼自身も、そして配下も。 「ちょっと増えたな、とは思ってたけど……。で。それがなんなのさ」 「わかってます、フェリクス? 人数が増えました。アリルカはどうしましょう?」 「どうって……。もしかして、住むとこもないってやつ?」 「そういうやつです」 顰め面でリオンは言ってうなずいた。が、口調に軽みがあるせいで深刻には受け取りがたい。 「だったら……」 「ですから! 有能な魔術師にのんびりと呆けられてちゃ困るんです。このくそ忙しいときにぼけっとしてないで、あなたもアリルカの民ならとっとと働く! ――そういうことで、ちょっと気合を入れていただきたいな、と」 「気合入れるって。ねぇ、リオン。入れ方、間違ってるんじゃないの。ほんと、カロルの男の趣味の悪さは酷いね」 「間違ってようがなんだろうが入ればなんの問題もありません。それと、カロルの趣味はけっこういいと思いますよ、私」 「自分で言うか!」 声を荒らげたフェリクスにびくりとシェリが身をすくめた。彼にしては驚いたのだろう素振りで慌ててシェリを抱き取る。 「ごめん。あんまり馬鹿なこと聞いたんで、びっくりした」 溜息交じりの呟きに、リオンが大きく笑った。このような会話をするフェリクスは、完全に復調をはたした、と言っていいだろう。ファネルはほっとすると同時に妙な寂しさをも覚えていた。 「そこで、フェリクス。相談です」 「そこってどこなの。わけわかんないこと言ってないで話す気があるならさっさと話す。戯言だったら僕には聞こえない」 「ですから戯言ぬかせるほど暇じゃないんですって。兄弟子様にご相談、と言うことで」 「とっとと言いな、弟弟子」 フェリクスの言葉に、にっとリオンが笑った。つられて笑ってしまったファネルは、少しばかり沈んだ自分の心を敏感にリオンが感じ取ったのを知る。 「是非ご内聞に。いいですね。あなたもですよ、ファネル」 「と言うより、僕は喋らないんだから、あなただよ、ファネル。言われてるのは」 「なにを言うつもりか知らないが……口は堅いほうだと、思うが」 「だよね。よく黙っててくれたもんだよ。で、リオン。なに」 矛先がこちらに向きそうだと身構えたファネルは肩透かしを食らった気分でフェリクスを横目で見る。何事もなかった顔をしてリオンを睨んでいた。 「人数、増えました」 「だからそれは聞いたって言ってるじゃない。僕に魔法でどかんと家建てろとでも? あなたもカロルの弟子なんだから、そんなこと無茶だってわかって――」 「ますよ、もちろん。そっちじゃないです。そっちはまぁ、隼もいますし、なんとかするつもりです。問題はそれじゃないです。住宅事情を内聞にする必要、ないですし」 至極当然のことを言ってリオンが微笑んだ。付き合っていると、なぜか非常に疲労を覚える気がしてファネルは定命の子らを見る。自分の同族はいつも彼らとの付き合いでこのような感情を覚えてきたのだろうか。不意に疑問に思ってひっそりと笑った。 「疑うわけじゃないですし、できれば信じたいなぁ、と思ってますけど。王国の密偵が悪さをする事態を想定しておかないといけません」 「……そんな気力あると思うの」 「今はなくても数年以内には、絶対に」 「……あぁ、それは。あるね。それが、人間だ」 「でしょう? なので、今から対策を立てなきゃならないんです。で、このあたりは別に内聞にする必要のない部分です。ここからです、聞こえちゃいけないのは。フェリクス、冷静に聞いてくださいよ」 「いいよ、わかってる。僕の同族が何かしでかす可能性も否定できない。当然じゃない。僕らは人間の間で暮らしてきた。滅多にあることじゃないけど、そっちで優遇されてる人もいる。僕もその一人では、あったけどね。だから人間側の協力者、という言い方は良くないか、こっちも人間はいるから。王国側、と称すべきだね、それがいないはずがない。別に僕に気を使うようなことじゃないでしょ」 「そう言ってくれて安心しました。疑いたくはないんですけどねぇ」 「疑わないでアリルカが滅びるよりましじゃない? 確かにエラルダには聞かせたくない話だね」 「でしょう? 彼には是非あのままでいて欲しいですねぇ。言い方はなんですが、愛らしい人じゃないですか」 「ふうん。そうなんだ。カロルに言い付けてやりたいよね。どう?」 戯れめいたフェリクスの問いにシェリはにんまりとしてうなずき、高々と笑い声を上げた。 不意にファネルは自らの胸を押さえるよう手が動くのを感じた。が、動かない。リオンの視線に押されていた。密告するべきカロルは死んだ。世界の歌い手もいない。ただその伴侶だけが、生きている。耐え難いほどの切なさを、けれど表現するより先、リオンの目に止められた。一瞬、彼の目に悲哀がよぎる。すぐさま笑みに変わった。いっそうえぐられた胸を押さえることすら止められて、ファネルはただ彼らを見ていた。それしか、できなかった。 |