ファネルは名乗る気はない、と言った。現に断言したに等しいが、明言はしていない。それならばなぜ話す気になったのか。
 確かにファネルは言っていた。戦争が終わったら、したいことがある。それを話そうと。他にも色々言っては、いた。が、なぜ、いま。
 ファネルの感情を読みきれなくてフェリクスは苛立つ。腹立ち紛れ、シェリの背を軽く叩いた。途端に上がる抗議の声に、叩いた背を撫でれば甘い声。仄かに苛立ちが和らいだ。
「気がかりだったから、ではだめか。リオンに誘われ――」
 言い逃れるつもりはないものの、ファネルはそのような言い方をした。いずれほのめかすつもりだった、といま言えば間違いなく魔法が飛んでくる、そんな気がした。
 が、フェリクスはゆっくりと首を巡らせてファネルを見つめる。彼が笑顔を忘れていなかったならば、今ここで笑ったことだろう。
「ねぇ、いまなんて言った? リオン? どこにいるの」
 思わず座っているのも忘れて腰が引けそうになった。慌ててファネルは両手を上げる。どことなくそのような態度をとる自分を情けなくも思う。もっとも、フェリクスは気に留めてもいないようだった。
「いまここにはいない、外したが」
「ふうん……そういうこと。行くよ」
 突如としてフェリクスは蘇った。すっくと立ち上がり、肩の上にシェリを投げ上げる。
「フェリクス!」
 説明しろ、と半ば悲鳴じみた声をあげたファネルは咄嗟に彼の手首を掴んでいた。
「おかしいと思ったんだ。あの腐れ神官、はじめから知ってたんだ!」
「なにがだ!」
「エイシャの神官は、人の本質を見るんだよ。気づかなかったはずがない!」
 とられた手首を思い切りよく振り払う。それに拒絶を感じてファネルはじっと自らの手を見た。
「ちょっと。ファネル。落ち込まないでよ。僕はリオンに怒りたいの、わかる? いまあなたに落ち込まれると、気勢がそげるでしょ。ほら、行くよ!」
 口調に、本気で怒るつもりがあるのかどうかわからなくなる。苦笑してファネルは立ち上がり、フェリクスの隣を歩く。歩く、と言うより走った。
「フェリクス」
「説明? 言ったじゃない。エイシャの神官は人の本質を見る。魂って言い換えてもいいんだと思うけど、僕が見てるわけじゃないから知らない」
「それがどうした」
「……似るんだよ」
 むっつりとした声だった。それを肩の上でシェリが笑う。突如として予備動作のないままフェリクスの手が飛んだ。思い切り額を叩かれた竜が前脚で鼻先を押さえては恨めしげに彼を見やる。
「なにが、だ」
「理解が遅い!」
 厳しい声が飛んできて、ファネルも多少は苛立つ。それを感じ取ったフェリクスは返って落ち着いた。
「だからね、あなたと僕がどういう関係か、あいつには視えてたの。一般論だけど、いい? 一般論だからね。親子は、リオンの目には似て視えるらしい。僕は知らないけど!」
 何度も念を押されると、話すべきではなかったか、とファネルは思ってしまう。嫌がられるのは想定してはいたが、こう婉曲に言われると心が沈んでいく。はっきり言ってくれたほうがよほど楽だ、とファネルは思う。
「ファネル……」
 長く、フェリクスが溜息をついた。ふ、と顔を上げればシェリがこちらを見て笑っていた。ファネルは竜の恐ろしげな笑みに心が和むのを覚える。
「僕は、あなたがどうのって言ってるんじゃないの。わかる? あなたと僕はいままでと変わりようがないでしょ。変えたい?」
「まさか!」
「よかった。変えたいなんて言ったら、うっかりぶちのめしちゃうかもしれないからね。だから、問題はあなたじゃなくて、リオン。知ってるくせに黙ってたリオンに腹立ててるの、わかった?」
 身近にメロールと言う神人の子がいた。アルディアと言う神人の子もいた。だからフェリクスは彼らに共通する感覚を知らないではない。それでも長閑と言うべきか鈍いと言うべきか、このおっとりとしたところが癇に障らないでもなかった。
「……わかるよう、努力しよう」
 そうとしか言いようのないファネルの言葉をフェリクスは聞いてもいなかった。小走りだったはずが、いつの間にか全力疾走になっている。
 それは長くは続かなかった。湖からさほど離れてはいない木立の中でリオンは転寝を楽しんでいたらしい。木漏れ日を浴びて目を閉じている姿は、これこそが平和、と名づけたくなるほどだった。
 ぴたり、と一度足を止めたフェリクスがゆっくりとリオンに近づく。いつの間にか手には剣。慌てたファネルは止めようとして、逆にシェリにたしなめられた。
「危なくはないのか?」
 小声で問うたが、シェリは彼の肩の上。答えを聞く間もなく離れていってしまった。致し方なくフェリクスを追う。何かがあれば、すぐにも彼を止められるように。
 木の根方で、フェリクスが足を止めた。足元でリオンが眠っている。その喉に剣を突きつけた。
「リオン。面貸しな」
 ファネルは驚く。喉にあてられたはずの剣が、なぜか涼しい音を立てた。見ればこちらもいつ現したのか、リオンがハルバードを握っている。それで剣を弾いていた。
「もうちょっと穏やかな起こし方はできないんですか、あなたは」
「起こし方? 不思議なこと言うね、馬鹿神官。あなたのどこが寝てたわけ? 寝てないやつをどうやって起こせって言うの。熟睡してたって僕の殺気に反応するくせに、のうのうと寝てた? それこそ寝言は寝て言えよ」
 滔々とまくし立てられる罵倒にリオンは溜息をついて体を起こす。困り顔でファネルを見やったから、用件の見当はついているのだろう。
「それで、なんです?」
「わかってるでしょ。なんで黙ってたわけ?」
「それじゃ、ファネル。話したんですね?」
「じゃなかったらどうして僕が知ってるわけ? 考えて物を言いなよ」
「ですからね、そういうことなんですよ」
 ぐるりと首をまわし、肩の凝りでもほぐそうとしつつリオンは言う。妙に年寄りじみた仕種をファネルはどう感じただろうか。二人の間に高まる緊張にあてられて、ファネルはそれどころではなかった。
「指示代名詞で話すな。はっきり言え」
 またもや突きつけられた剣をリオンはうるさそうに片手でよける。ハルバードすら使わなかった。
「わかりましたから、ちょっと剣をどける。人と話す態度じゃないでしょ、それ」
「うるさいな!」
 声を荒らげつつもフェリクスは剣を引いた。むしろ、言ってもらいたかったのかもしれない、とあとになってファネルは思った。やり場のない怒りの表現であって、リオンを傷つける気は毛頭なかったのだろう。もっとも、それは好意的な見方に過ぎるかもしれないが。
「あのね、フェリクス。ファネルはいままで言っていなかったんでしょ。だったら私が言うべきことですか、それって?」
「それは――」
「私たちエイシャの神官の中でも、女神の寵愛深い神官、言ってみれば高位の神官にしかあなたがたの繋がりは見て取ることができないでしょう。で、寵愛深い神官と言うのは、人格にそれなりのものを持っていますから、本人の意思に反して秘密を暴くようなことはしません」
「自分で人格にそれなりのものがあるとかって言うような人格者はいないと思うんだけど」
「その辺は諦めてください。言葉が足りなくって、私」
 にっこりとリオンが笑った。そのようなものに騙されるフェリクスでなく、かえって怒りの炎に油を注いだだけではないか、とファネルは思う。
「つまり」
 だが、意外にもフェリクスはリオンの言を聞き流した。あまりにも何度となく聞いている妄言なのでフェリクスの耳には入らなかった、と言うのが正解なのだがファネルにはそのようなことはわからない。フェリクスの心の広さに勘違いの感嘆をするばかりだった。
「知っているのは、この三人、いえ、シェリも入れて四人だけですよ。あなたが他の誰かに話して欲しいんじゃなかったら、私の口は貝より堅いと思ってくださってけっこうです」
「貝って、火にかけると口開くよね。簡単に」
「フェリクス! そこは喩え、というものです。そんな風に言われたら話しができないじゃないですか」
「うかつなこと言うあなたが悪い」
 きっぱりと切り捨てて、フェリクスは黙っているつもりならばそれでいいとでも言うよう、背を返そうとした。
 その足が止まる。リオンを振り向くのかと思いきや、ゆっくりと彼の手がシェリを抱き下ろした。
「ねぇ、いま気づいたんだけど。ちょっと聞きたいことがあるんだ。いいかな?」
 穏やかな口調。フェリクスにしては珍しいほどのゆったりとした声音。シェリはそれが何を意味するか理解しているのだろう。彼の手から逃げようとした。
「逃げるな」
 ぴしりと言ってフェリクスは竜の胴体を両手で掴む。
「あなた、はじめからファネルにはずいぶん懐いてたよね? 気に入ってた理由を述べてみよ。できるだけ手短にね」
 師匠が弟子を叱りつけるような言葉遣いにフェリクスの戯れを感じたのはファネルだけ。リオンとシェリは本意を明確に感じ取っている。
「知ってたの? それとも、この馬鹿神官に聞かされたの?」
「私は無実ですって」
「だったら、どうしてこいつが知ってたの。知ってたとしか、思えないんだけど」
「それは私にもわかりかねますけど。けど! 聞いてくださいよ、もう。シェリはちょっと尋常の生き物とは言いがたいですから、何か気づいても不思議じゃないな、と思うんです」
「ふうん、そう。つまり、結局のところ知ってたわけだ。ね?」
 リオンに言葉を続けさせることでフェリクスは確信を得たのだろう。むしろ言わされてしまった形のリオンだった。恨めしげにリオンを見やるシェリから、彼は目をそらして虚ろに笑った。
「知ってたんだね、あなた?」
 竜がフェリクスの腕の中でもがいていた。長い首を必死になって横に振るものだから、尻尾が反対に振れている。妙に可愛らしかった。
「あなた、学習しなよ。可愛いふりしたって、だめ。さぁ、どうしてくれようかな。どんな風にいたぶられたい? とっても楽しみだね」
 竜の悲鳴の中に甘いものを聞き取ったファネルは訝しそうにリオンを見やる。彼はいつものことだとばかり肩をすくめて相手にしなかった。




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