連合軍が半ば布陣を終えたとの報を受け、アリルカ軍は発った。
「総員、騎乗!」
 凛とエラルダが剣を掲げた。歓声は上がらず、熱い戦意を秘めて彼らは発つ。いまだかつてないほど上等な馬に乗ることになった隼の面々は得意げだった。
「こんなに遅くて、よかったのですか」
 エラルダを中央に、フェリクスとリオンがその傍らを進む。背後に従う民を気にしつつエラルダは小さな声でフェリクスに問うた。
「いいんだって、言ったじゃない」
「そうですが……」
「戦場のこと? 選択の余地なんかないよ。向こうに選ばれたことを気にしてるならね。どのみちあっちは大群。連合軍である以上、二王国内での戦闘はない。だったらシャルマークでしょ。まずはアリルカをひねり潰して、それからシャルマークの平定って考えてるなら、戦場は限られる。むしろ、限定して一箇所しかない」
「それが、あそこですか?」
「そうだよ。だから連合軍はあそこにいる。五万の兵士が布陣できる場所なんて限られてるじゃない。それだけのことだよ」
「それにね、エラルダ。こう考えてください。ばらばらになられちゃ困るんです。一箇所にいていただかないと、手間が増えます、私たち」
 にっと笑ったリオンに逆側から言われ、いまさらながら緊張している自分に気づいてエラルダは苦笑した。
 速くもない行軍だった。相手をじらそうというつもりはないものの、焦る必要はない、それをフェリクスとリオンが体現している。
 おかげで物見遊山とまではいかないがのんびりとした雰囲気だった。それが、連合軍を望見して、ぴしりと引き締まる。
「さすがに大勢ですねぇ」
 茫洋と言ったリオンにまばらな笑い声が上がる。この期に及んでそれを口にできるリオンは大器だ、とエラルダは思っていた。
 陽は沖天に差しかかっている。シャルマークの、入り口からさほど奥に進まない平原、イーサウを左手に、アリルカを右手に押さえる位置に連合軍は布陣していた。
「のんびりですね、向こうは」
 リオンが手びさしを作って望み見ている。馬から下りて爪先立っているものだから、本当に遠足にでもきたようだった。
「当然じゃない。五万だよ、五万。アリルカなんかひとひねり、小指の先でぷちっといっておしまいって思ってるんじゃない?」
「士気に関わるようなことを言うものじゃないです。気が萎えるじゃないですか」
 フェリクスにそう言ったものの、彼が本気でそのようなことを考えているとは思わなかった。苦笑だけが唇を掠める。それを見て取ったシェリが肩の上で身をよじって笑った。
「そんなところで器用に暴れないで。落とすよ」
 前を見たままフェリクスが竜の背を叩いた。応じて上がる甘えた声。それを見ていた民たちは揃って勝てる、そう感じていた。
 布陣、と言うほどたいしたものではない。アリルカは総勢で六百人程度だ。多少、本陣だけが厚い程度でほぼ同数の兵を三軍に分けている。これでは布陣などと仰々しくてとても言えない。 
 だから、簡単に陣を張るだけで済ませた。いずれ、明日の朝には決戦だ。それをそれぞれの長たる三人はわきまえていた。
 こちらの布陣が済んだのを見澄ましたのだろう、連合軍から軍使が来た。いずれ内容はわかっているが、儀式だと割り切って三人は会うことにする。
「ラクルーサ王に反旗をひるがえしし魔術師フェリクス、同リオン。彼らを引き渡さなければ、明朝アリルカと称する魔物の集団は地上より姿を消すことになろう」
 案の定に加えて高圧的な戦書を奉られたエラルダは無言でフェリクスにそれを渡す。彼も黙ったまま、戦書を引き裂いて破棄した。
「返書は書きません。それが人間の作法でしょうから。明朝兵を合わせる、そうお伝えください」
 礼儀を失わず告げたエラルダを侮蔑するよう、軍使は去った。戦えるはずがない、その表情はそう語っている。
「舐められてますねぇ」
「そう仕向けたんだから、文句を言わない」
「おや、珍しい。あなたになだめられちゃいました、私」
「うるさいよ、黙れ」
 むつりと言ったフェリクスに向かってみなが笑い声を上げた。緊張を解きほぐそうと、そのような他愛ないことを二人が言っているのだと誰もが感じている。
 彼らの目は、和やかで誇りにあふれている。神人の武装に身を包んだ二人を、これが我らの将だ、と誇らしげに見ている。
 だからこそ、できるだけ死なせたくない、二人とも期せずそう考えていた。
「軍議を開きましょう」
 決然とリオンが言った。それぞれの長が集まり、他の者は体を休める。休むことも仕事のうち、そう言われた神人の子らは少し、不思議そうだった。
「改めて、総指揮官はエラルダ。右翼はフェリクス、左翼は私リオンが預かります。我々二人が先行する形になりますから、好機と見たら、突っ込んでくださいね、エラルダ」
 にこにことして言うようなことではないはずなのだが、なぜか彼が言うとすんなりとうなずけてしまえる。
「魔術師には、事前に選定した物理攻撃手を付けます。剣を取る人たちは魔術師を見失わないように。意外と遅いですから、魔術師は」
「それと、デイジー。頼みがあるんだけど、聞く気がある?」
「だからデイズアイだって言ってんだろうが! それを改めたら聞いてやらなくもない」
「別に聞いてくれなくてもいいんだけど? 別の人に頼むだけだから。エラルダをお願いって言おうかと思ったんだけど?」
「おい、ちょっと待て」
「待たない。面倒くさいな。受ける気があるんだったらごちゃごちゃ言わないでうんって言えばいいんだよ、どうなの、デイジー」
「わかった、わかったよ! 受けますよ、はいはい。受けてやります。仰せありがくー、だ。けっ」
 吐き捨てながらデイジーはちらりとエラルダを見やる。本気で嫌がってなどいない。むしろ、フェリクスの提案は渡りに船だ。ありがたいが口に出すのははばかられ、憎まれ口になってしまったのをエラルダがどう思うか。そればかりが気にかかった。
「あの……、デイジー。私は守ってもらわなくても」
「エラルダ。忘れないでよ、僕らの総指揮官はあなたなの。あなた獲られたら士気が鈍る。一応デイジーは傭兵隊の隊長だからね。配下の指揮も任せられるし、まずいとなったら手も打てる」
「つまり、私は旗頭で、実際の指揮はデイジーと言うことですか、フェリクス?」
「危険なときは忠告に従いなってだけ。指揮するのはあなただよ」
 フェリクスはデイジーのみならず自分たちも従う、言外にそう言った。戦場では話し合いの猶予などないのだからと。その意を受けてこくり、とうなずく。
「さて、相手さんの布陣を見たいですね」
「見られるんですか?」
「もちろんです。ちょっと」
 リオンが弟子の一人を手招いた。緊張を隠さず大き目の盥のようなものを抱えた彼はそこに水を張り、呪文を詠唱する。
「要するに水鏡に映すだけなんですけどね。これだけ近ければ、弟子たちにもできますから」
 距離が問題なのか、とはエラルダは問わなかった。リオンの口調にはそれが存分に含まれている。ぼんやりとした影だった何かが、次第に形を取り始め、はっきりと水面に像を結んだ。
「五軍に分けてるんですか。わかりやすいですねぇ。前軍と中軍、右軍がラクルーサですね。残る後軍と左軍がミルテシア。それぞれ中軍と後軍に指揮官がいるようですよ」
「ということは」
「はい、まず狙いはミルテシア側の後軍と左軍です」
「狙いは、なんでしょうか」
「それはね、エラルダ。連合軍の当初の目的です。ラクルーサがアリルカを潰したがった、ですね? ですから、対アリルカ戦を考えたとき、ミルテシアは戦意が低いはずです」
「士気の低いミルテシアを範囲魔法で潰す」
「広範囲かつ、威力を抑え目にして、です」
「ミルテシアの戦線離脱を狙う」
「それでもまだ三万はいますから、狙い撃たなくても平気です」
 そういう問題ではない、と思ったけれどエラルダは言えない。実際に前線に出るのはこの二人に率いられた左右の翼なのだ。
「それに、ミルテシアの壊走を見れば、ラクルーサの一般兵も動揺しますしね。楽なもんです」
「リオン。楽観はするな。たるめば付け込まれる」
「おっと。おっしゃるとおりです。いやはや、いけませんねぇ。ちょっと浮かれすぎです、私」
 にっこり笑ってリオンはフェリクスに向けて頭を下げて見せた。くすぐったそうな顔をしてそっぽを向いたのは、無論フェリクスではなくシェリだった。
「リオン師」
「うん? どうしました。何か不都合でも?」
「フェリクス師にとっては、不都合です」
「もしかして、ラクルーサ王は出てきてないの」
「はい。ミルテシアもですが」
 そちらはどうでもいいフェリクスははっきりと落胆を顔に表した。きつく唇を引き結び、きっと相手の陣を睨み据える。
「では致し方ないですね。フェリクス。これを破って、アントラルまで進軍しましょう」
 あっさり言ったリオンに続いてエラルダまでうなずく。呆れ顔のデイジーが両手を上げ、けれど反対はしなかった。
「エラルダ――」
「別にあなたのため。と言うわけではないんです。どちらが有利か、と考えた場合、ラクルーサを討ったほうが我々アリルカのためになるかな、と思っただけです」
「その根拠は」
「勘です」
 妙に毅然と言うあたり、紛れもなくリオンがエラルダに悪影響を及ぼしている。そう感じなかったわけではなかったけれど、一度は絶たれるかと思ったラクルーサ王の首を獲る道を彼は残してくれた。無言で頭を下げたフェリクスに、エラルダが動揺した。
「やめてください、フェリクス……!」
「僕は、正直に言ってアリルカの平和より王の首が欲しい。そんな僕なのに、手伝うの、あなたは」
「はじめにそう言ったと思いますよ、あなたの復讐を手助けする代わりに、手伝ってくださる、そういう約束ではなかったですか。ですから、おあいこです。フェリクス」
 微笑んで言ったエラルダに返す言葉がなかった。きゅっと唇を結んだフェリクスの代わりとでも言うよう、シェリが声を上げる。感謝に、聞こえた。




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