長たちの方針の決定を受け、エラルダは民のすべてを議事堂に集合させた。誰もが緊張を隠さない。この期に及んで他の伝達事項があるとは思えなかった。 「ラクルーサ、ミルテシアの連合軍がきます」 エラルダもまた、緊張していた。民の顔を見回し、ごくりと唾を飲み込む。ゆっくりと息を吸い、もう一度みなを見渡す。 「リオンの情報によれば、五万の兵だと言うことです」 ざわりと気配が粟立った。声もなく民がどよめいている。それを無言でフェリクスは見やり、リオンはにこにことしつつ眺めている。それが功を奏したのだろうか、次第にエラルダが何を言うまでもなく静まった。 「これも、リオンとフェリクスの言葉ですが。数が多いほうがいいそうです」 言ってちらりとエラルダの視線がリオンに向けられる。説明を頼む、と言うことか、それとも理解が足らないから説得は任せたということか。いずれにせよ温顔を崩さずリオンは口を開いた。 「我々は魔法で攻撃しますからね。数が多ければ当たるを幸いぶっ放せばいいわけで。剣と剣の戦闘とは違いますから。その点が非常に有利と言うわけです」 「それに――。二王国の兵士は一般市民が大半だってことも忘れないほうがいいね」 フェリクスが言う。その話は聞いていない気がする、とエラルダが首をかしげれば、肩の上のシェリが伝えていなかったの、と言わんばかりにフェリクスの耳を噛んだ。 「痛いでしょ。傷が増える。……まぁ、今更だけど」 呟きめいた声に、ぱっとエラルダの顔が赤くなる。何事かを察してしまったのだろう。居心地悪そうにしているのにフェリクスは気づいた風もなく民を見回した。 「二王国の兵士たちは、別に戦いたくて出てくるわけじゃない。徴兵されたからってのがほとんど。あとは金になるから戦ってるとか、いずれにしても自分たちに大儀があるから戦うなんてのは少ない。別に大儀がすべてとは言わないけどね。そういう兵士が怖いものって、なに?」 問いを放ち、首をかしげる。無表情の中にわずかな興味を見た気がしたエラルダはそのことを喜びそうになる。ちらりとリオンを見れば、気のせいだというよう首を振られた。 「負けることか。死ぬことって言い換えてもいいが」 「そうだね。デイジーの言うとおりだ」 「デイズアイだって言ってんだろうが!」 硬い雰囲気が、いつものやり取りで緩んだ。小さな笑い声が広がり、くつろいだ気分で長たちの話を気く気になっていた。 「彼らは、人間の兵だ。忘れないで。けっこう簡単に死ぬんだよ、人間は。だから、自分たちが負けそうだと思ったら、逃げる。そこに僕らの有利がある」 「フェリクスの言うとおりです。私やフェリクスは、通常、人間相手には決して使わないような攻撃呪文を持っています」 「リオン。例えばどのようなものか尋ねてもいいですか」 エラルダは知っているだろう。が、民に説明するためにあえてそう言う。そのことを喜ぶよう、リオンがにこりとした。 「そうですねぇ。例えば、ですか。うん、私の最愛の銀の星が最も得意とした呪文で、私たちのどちらもが使えますが、流星雨を召喚して敵にぶつける、なんて物もありますよ」 「……なんに使うんだよ、そんなもん」 呆れ返って言葉もない、と言った有様のデイジーにフェリクスが目を向けた。 「普通は城壁の破壊に使う。あれの直撃に耐えられる人はそうはいないよ」 耐えたくせに、とリオンの目が言っているのをフェリクスは無視した。 「あとはリオンには大地を割いて地の熱を噴出させる呪文とかあるし、僕には天空高くから氷柱を降り注がせるなんてものもある。こんなもん、普通は人間には使わない。なぜ使うか。相手が一般兵だから」 「フェリクス。ちょっと、それは……」 「あのね、エラルダ。僕は負けたくない。勝たなきゃならないし、勝つ予定でいる。だからやる。それに、僕とリオンがこの辺りは担当する。だから直撃はさせないよう、制御するよ。大量虐殺はちょっと、ぞっとしないからね」 「だったら、なんでそんな面倒くせぇことすんだよ?」 「デイジー。あのね、あなたは一応は戦闘の専門家なんでしょ。だったら悟りなよ。僕とリオンは一般兵士には逃げて欲しいんだって。とっとと壊走して欲しいの。軍隊が軍隊じゃなくなれば、あとは好き放題できる。僕はラクルーサ王の首を獲れるし、勝利も思いのままだ。理解した?」 しんと静まった。フェリクスの言葉とデイジーの問い、その答えを反芻しているのだろう。そして満ちたのは。 「勝てますね」 エラルダが言う。民の、声だった。それがアリルカの民の総意だった。間違いなく勝てる、そんな気がしている。 根拠はないに等しい。戦いに絶対はない。そのくらいのことは神人の子らにもその子らにもわかっているだろう。 それでいて彼らは信じた。フェリクスを、そしてリオンを。ここまでアリルカを立ち上がらせた彼ら二人を。 「勝てます。きっと」 「当たり前じゃない。僕は負ける気はないって何度言ったらわかるの。意外と忘れっぽいね、エラルダ」 冗談めいたフェリクスの言葉にエラルダの目が丸くなる。半エルフの彼は忘れっぽいなどと言われたことはいまだかつてないだろう。ぷっと吹き出したエラルダの笑い声にシェリの高らかな声がかぶさった。 「一応、簡単に編成はできてるけど」 「詳細は、それぞれの長と連携する部門ごとに話し合って決める、と言うことで」 「それと。五万だからね。多いほうがありがたいけど、一応これも言っとく。怖かったら、下がって。戦闘に出るのが戦争のすべてじゃない。僕らにも補給は必要だし、怪我人の手当する人も必要。それだって立派な役目だ。そのあたりのことも考えといて。恥じゃない。わかった?」 冷たいフェリクスの口調。その中から滲み出る、彼の持つ優しさ。それを優しいと言えば罵倒されるのだろう。が、民はみな彼の温かさを感じている。氷が温もりを抱くものだとすれば、彼がそれだった。 「それでは、解散と言うことで。各々考えることもあると思うから、部隊ごとの会議は半日後、と言うことでいいかな」 「エラルダ。明日でいいよ、明日で」 「え。でも――」 「相手は五万。しかも連合軍。でかい図体抱えてくるんだ、そんなに早くはこれない。焦ることはないよ」 淡々と言ってフェリクスは片手を上げ背を返した。肩の上からシェリが振り返って鳴き声を上げる。その拍子に平衡を崩して落ちそうになる。 「あ――」 咄嗟に駆け寄ろうとした民の手をフェリクスは気づいたのだろうか。誰よりも早く無造作な手が伸びてシェリを掬い上げた。 「危ないじゃない」 胸の前に抱き取って頬を寄せる。なぜとなく民が顔をそむける。見てはいけないものを見てしまった気分だった。虚ろな笑い声があちこちで上がり、そして気合を入れなおすよう、勢いよく声を上げる者もいた。 それをフェリクスは黙殺して歩き去る。自分で選んだ場所ではあるけれど、大勢の中で過ごすのは、あまり好きではない。 「ちょっとゆっくりできるかな。どうかな?」 シェリに語りかける声に感情は薄い。竜に話しかける声であってすら、そうだった。それでもシェリはその奥に潜む彼の心を知っていた。 「……それで。なに?」 いかにも面倒くさい、やっとのんびりできると思ったのに。そうありありと振り返ったフェリクスの顔に書いてある。 「勘が鋭いな」 「あからさまに足音立てといてよく言うよ。僕も話はあったんだけどね」 ファネルだった。苦笑しながら寄ってくる。それをフェリクスは拒まない。シェリは喜んで彼を迎えた。 「話?」 「そう。別になにを考えてるのかは知らないけど。僕とリオンは物理防御手は要らないんだ。自分の身くらいは守れるから」 「それはそうだろうと思ってはいるが」 「わかってるんだったら」 「わかった上で、お前の傍らで戦いたい。だめか」 「……なんだか凄く気持ちの悪いこと聞いた気がするんだけど。ねぇ。あなたどう思う。ちょっと殺してもいいかな」 抱えたシェリに話しかければ、慌てて竜は首を振る。とんでもない、なんてことを言うんだ。そんな彼の声が聞こえた気がしてフェリクスは一度目を閉じた。 何度となく交わした会話。ずっとそばで聞いていた声。なくなってはじめて気づいたわけではないけれど。なければこんなにも苦痛だ。 「ねぇ」 意味のない呼び声に、シェリは応えて朗らかな声を上げた。まるでフェリクスが失くしてしまった感情のすべてを自分が引き受ける、そう言ってでもいるようだった。 「フェリクス」 「……僕は決めたくない。こいつに聞いて」 「と言うことだが。シェリ。フェリクスの傍らで剣を取ることを許してもらえるか?」 「……言いかたが気に入らない。神人の子らって、そんな言いかたするの」 「そうか? 特におかしなことを言っているつもりはないが」 ファネルの表情を見れば理解できることだった。彼自身は取り立てて珍しい言葉を選んでいるわけでも格式ばっているわけでもないことが。 フェリクスは大きく溜息をつく。それにシェリが声を重ねる。 「同意してもらえたようだな。そう思っていいのだろう?」 「僕じゃない。こいつがいいって言ったの。それでも。足手まといはさっさと捨てるのが身上だから」 「わかっている。できるだけ置いていかれないよう、努力しよう」 「それと。この前みたいなこと、しないでよ。目の前であんなことされると、いくら僕でも動揺する」 それが目的だとは、ファネルは言わなかった。フェリクスが自己を失うことのないよう側にいる。そう言えば彼は間違いなく反発するからこそ。シェリだけが理解したよう小さく鳴き、色違いの片目をつぶって見せた。 |