ふっとリオンが口許を歪めた。楽しげな、と言うには凄愴なのだが、この男がそのような表情をしてもあまり酷薄にはならなかった。
「一ヶ月ですか。意外と早かったと言うべきですかね」
 知らせが、きていた。リオンには手足となる信徒がいくらでもいる。総司教の地位は退いているとは言え、いまだに彼に寄せられる信頼は厚い。おかげでアリルカに座したままで情報が手にはいる。
「あなただけが詳細を知っててどうするの。さっさと報告して」
 建国式典より一ヶ月。フェリクスの体調は完全に戻っている。あの騒動があったせいでアリルカはよりいっそう団結してもいる。体制は充分に整っていた。
 いつもどおりの会議だった。軍議と言うほど殺伐としていないのは、神人の子らの穏やかさがあるせいだろうか。
 議事堂に集まっているのは国の束ねを司る各部署の長ばかり。エラルダはもちろん、カラクルやファネルもいる。彼らがテーブルを囲んでいる様はむしろ会議ですらなく茶飲み話に興じているかのよう。実際、各人の前には茶器があった。
「いやぁ、中々笑える話なんですよ」
「だから、その話をしろって言ってるの」
「もう、フェリクスってばせっかちさんですねぇ。……わかりましたから! 手を上げるのはやめてくださいって。――シェリ。笑わないでください」
 肩の上で器用に体をくねらせている竜に向かってリオンは言い、一度ちらりと上を見やった。そしておもむろに口を開く。
「連合軍が出るのは、予定通りと言うか目論見どおりと言うか」
「名目は」
「うん、それなんですけどね。エラルダには申し訳ないような気がしなくもないんですが、我々が名目を与えています」
「つまり、リオン。あなたがたを反逆者として討伐する、と言う名目で軍を起こしたと言うことですか。それならば、あなたの言ではありませんが予定通りです。お気になさらず」
 にっこりとエラルダが笑って言った。はじめのころは長と見なされることにうろたえていた彼だが、今ではすっかり落ち着いてそのようなことを言う。
「ミルテシアはどうして」
 短く言ったフェリクスにシェリがなだめの声を上げた。煩わしそうに首を振ったくせに、彼の指は首に巻かれた尻尾をたどる。
「ここが名目の所以と言うものですね」
 にっと笑ってリオンはフェリクスの仕種を見なかったふりをして話しを続けた。
「二王国は、シャルマークを切り取り御免で持ってくつもりみたいですよ。シャルマークのうちにある我々アリルカは、つまり魔物扱いです。魔物討伐ならば二王国が手を組んでも不自然ではないですしね。苦しい言い訳ですけど。要するにラクルーサだけでシャルマークを治めてしまうとミルテシアとしてはうまみがない、と言うことで一枚噛むことにしたみたいです」
「なるほどね。反逆者どもが魔物を率いているから討伐するって? ほんとに名目だ」
 嘯くフェリクスの表情は変わらぬ無表情。シェリが摺り寄せてきた頬に首を傾けたのだけが、彼の表しようもない感情だった。
「ねぇ、リオン。あなたまだ言ってないことがあるね?」
「なんでしょう。別に隠し事はしてませんが」
「数。どれだけなの。言ってない」
「あぁ、すっかり忘れてました。笑っていいですよ、ずいぶん大勢ですから」
「いいから、さっさと、言う」
 わざわざ言葉を区切って言うのは苛立ちの表れだろうか。かすかに笑い声を立てたファネルをフェリクスが睨んだ。
「連合軍はその数、五万です」
 しばし静寂が議事堂内を襲った。ゆっくりと呼吸をして、カラクルがリオンを見つめる。
「リオン……、五万、と言ったのかな」
「言いましたよ。どうしました、カラクル?」
「どうと! 大変な数じゃないか!」
「だから最初から大勢ですよって言ったのに……」
 悄然として見せるリオンにフェリクスは騙されなかった。ファネルもエラルダも笑ったから、彼らもやはり騙されなかったのだろう。
「それも予定通りだね」
「フェリクス、どういうことか説明を――!」
「するから怒鳴らないで、カラクル。頭に響くよ」
「おや、フェリクス。二日酔いですか?」
「そこまで飲むか、馬鹿」
 冷たく言い放ったフェリクスに、神人の子らが一様にほっと息をついた。彼なりの冷静さを見て、フェリクスとリオンにとっては想定の範囲内にあったことだと知る。
「僕らは数が少ない。それはわかってるよね。だから向こうも少数でこられると困るの」
「どうしてでしょう?」
「わからない、エラルダ? こっちの主戦力は魔術師だ。それも本職じゃない、にわか魔術師だね。と言うことは精度に欠ける、それは理解できる? だから大勢のほうがありがたい」
「なんと言っても撃ち放題で当たり放題ですからねぇ」
 物騒なことを朗らかにリオンは言った。唖然としていた神人の子らの表情にも次第に理解が浮かぶ。
「僕の案では魔術師二人に対して物理攻撃手が一人。三人一組で動くのを推奨する。こっちは物資の輸送もあるからね、動かせるのは六百人ってとこかな」
「そんなもんでしょうね。私は三軍に分けるのを提案しますが?」
「リオン、腹案を聞かせて」
「うん。そうですねぇ。連合軍側はこっちを侮りきってますし、実際に数の上では勝てるはずもないです」
「だから一団となってると思うはず?」
「ですね。が、攻撃力では間違いなく我々が上なんですよ」
 魔術師が、それも星花宮の魔術師だけではなくフェリクスとリオンがいる。それだけで広範囲攻撃が可能だ。それをリオンは指摘していた。
「ですから、鳥形陣はいかがです?」
「リオン、それはどのようなものでしょうか」
 エラルダが代表して首をかしげて問うた。彼らは戦いそのものが得手ではなく、陣形を組んで戦ったことなどない。
「本陣、右翼、左翼、と三つに分けて機動します。これ、普通なら包囲する形の陣なんで、我々の数では無茶無謀無思慮無策の謗りを免れませんね」
「――そう、僕たちが魔法を主戦力にしてなければね」
 静かにフェリクスが言った。神人の子らの視線がさまよい、結局リオンに落ちる。
「包囲陣の形、と言うことはですね、本陣は数に入れないとしても、左右から魔法を撃ち放題ってことです。いくらでも当たりますよ。なんてったって、五万ですから」
「だが、リオン。左右から、と言うことは、その……攻撃魔法が味方に突き抜けて当たってしまったりは……」
「あぁ、その心配は要りませんよ、カラクル。大丈夫です」
「なぜだ?」
「それはね、カラクル。あなたがたが未熟だからだ。五万だよ? 総攻撃はしないだろうけど、それでも陣の厚みは相当にある。それを突き抜けられたらその場で独立を許してやってもいいくらいだ」
「……ならば、当たるのは敵だけ、と言うことに?」
「なるよ。それがリオンの言ってること。僕としては左右の翼を僕とリオンが担当したいね」
「ですねぇ。一応攻撃の主力ですから。私たちが面倒見たほうがいいでしょう。と言うことで、本陣は、と言うか総大将はエラルダにお願いしたいです」
「ちょっと待ってください。私が、ですか」
「はい。あなたが、です」
 にっこりとリオンが微笑む。あまりにもそれが当たり前のことを言っているような顔でつい、エラルダはうなずきそうになって慌てて首を振った。
「私よりファネルが!」
「って言ってるけど。ファネル?」
 茶化しているつもりはないのだろう。だがどことなく楽しげに聞こえるフェリクスの声にファネルは笑い声を上げた。
「お断りしよう」
「ファネル、なぜ。あなたは物理攻撃の主力と言うべき人だ。それならば総指揮官に相応しいじゃないか」
「悪いが思うところあって、フェリクスに付きたい。魔術師には物理攻撃手がつくのだろう? ならばお前の壁に自己推薦しよう」
「……思うところがあってって辺りが気に入らないんだけど。拒む理由はとりあえず今の段階ではないね」
「と言うことで、エラルダ」
「カラクルはどうです!」
「往生際が悪いですよ。カラクルは神聖魔法の使い手たちの長です。つまるところ彼には物資の輸送や怪我人の手当てをお願いすることになりますから、本陣なんかにいられちゃ困りますって」
「と言うことだよ、エラルダ。頑張れ。な?」
 にやにや笑いながらカラクルは言い、同胞の肩を叩いた。小気味いい音のわりに、エラルダの心は晴れないのか顔を顰める。
「私、ですか」
「不満ですか」
「総指揮官などに相応しいのでしょうか、私は。そういう意味で不満です」
「あのね、エラルダ」
 じっとやり取りを聞いていたフェリクスがシェリの背を撫でていた手を止め口を開く。一瞬、エラルダは息を飲む。視線で射竦められた気がした。
「僕とリオンは、この国に後になって加わった。それをどうこう言うつもりはないけどね、ここはあなたがたが、人間に対抗して自分たちが平和に暮らせる場所を作る、そういう意図で起こした国だ」
「あなたがたがいなければ、叶わなかった。それを言うのは卑怯ですか」
「卑怯とまでは言わない。でも元々はあなたが起こした場所だ。わかる? これからのアリルカの旗印になれって言ってるの。印なら目立つほうがいい。リオンが総指揮官になれば、結局は人間の争いに堕する。僕はラクルーサの反逆者の汚名を晴らすつもりがない以上、新しい国が起つ場面としては相応しくない。理解できるでしょ」
「……自分の理解力が恨めしくなりますよ」
「それは重畳ですねぇ。ありがたいありがたい。じゃ、そういうことでどうでしょう。本陣に総大将でエラルダ。右翼がフェリクスで左翼が私。補給関係はカラクル、と言うことで。いかが?」
「一応、聞いとく。どうして僕が右翼なの」
「だって右翼のほうが攻撃が激化しやすいでしょ。あなた、そっちがやりたいんじゃないかと思って。いやでした?」
「……否定はしないよ」
 しろよ、と言うようにシェリが高らかに不満の声を上げた。誰からともなく小さく吹き出す。それが少しずつ大きくなって、ついには抑えきれない笑いになった。
「勝つね」
「当然ですよ、フェリクス」
 顔を見合わせて、妙に仲のいいことを言ってしまったのが気味悪かったのか、二人揃ってそっぽを向いた。それをまた神人の子らが笑った。




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