一時的に解かれた迷いの森を抜け、ミルテシアの使節が、イーサウ自由都市連盟の連盟議会議長がアリルカの地へと足を踏み入れる。民に導かれてきたのは彼らだけではない。ミルテシア国内の貴族の幾たりかは個人的に式典への参加を希望したし、都市連盟に加わる他の都市の代表もいる。ただ、ラクルーサだけは一切の参加を拒んだ。
「意外と集まったね」
 フェリクスは遠目に彼らを見つつ呟く。彼はすでに議事堂横に待機している。そこからはアリルカの広場が眼下に見渡せた。
「意外ですか?」
 面白そうにリオンが言った。ここまでそのために下工作をしてきたのではないか、と。
「まぁね」
 一陣の風が吹き抜け、二人の衣装をはためかせる。リオンはかつてエイシャの総司教職にあったときに着ていたような神官服をまとっていた。式典に相応しい端正な衣装だった。
「こんなに、集まるとは思ってなかったよ。興味本位ってのは凄いもんだね。好奇心に殺される魔術師は多いけど、意外と僕らだけの習性でもないってことか」
 フェリクスの、魔術師らしいと言えばそれらしい、そして似つかわしくないと言えばこれ以上はない装束をまた風が揺らした。
 内着も脚衣も濁った海の青。水の属性。氷帝・フェリクス。水の属性象徴色たる青も、いまの彼の心に沿わせば淀む。それを引き立てるかのようなローブは白。前も留めずに羽織ったその肩に、豪華な装飾のよう真珠色の竜が止まる。その二の腕。鮮やかな緑の飾り紐。
「フェリクス」
「なに」
「黒い紐は、お入用ですか?」
 左の腕に結ばれた飾り紐は正に喪章。風の象徴色。黒い紐と絡めて結ぶはずのそれを、フェリクスはしていなかった。
「要らないよ」
「でも、見せ付けるんだったら効果的ではありますよ?」
「ねぇ。リオン。素直に喪に服す気があるんだったら、僕はこんなことしてないよ」
「まぁ、それもそうですね。そのほうがあなたの覚悟が伝わるとも言えますし」
「そんな、つもりじゃない」
 代表たちに見せようと言う気ではないのだ、とフェリクスは言葉を濁す。だからリオンは彼が口で何を言おうとも、内心では服したくともいまはまだ服せない、タイラントの喪に沈んでいるのが理解できてしまってやりきれない気持ちになった。
「そろそろ、上がってきますよ」
 一行が、議事堂に上る階段へと導かれていた。精一杯堂々と胸を張るミルテシアの人間が少しばかり滑稽だ。
「気圧されてる?」
「でしょうね」
 短い言葉で互いにうなずく。人間が神人の子らにどういう思いを抱くにしても、いずれにせよ彼らは人外の美の顕現だ。
「面白いね」
 リオンはフェリクスの言葉を聞き過ちはしなかった。彼の目はアリルカの民を見ている。
 同じ神人の血を引く者でも、半エルフは総じて淡い色合いを好んで身につけている。闇に堕ちた者たちは、一様に暗い。その子らもまるで父たる種族に倣うよう、似たような色合いをまとっていた。
「あの辺りに、隼がいますね」
 リオンが指し示した先で、きらりと金属が反射した。衛兵代わりの隼は、武装帯剣をしている。アリルカの民の中、はためく衣装を着ていないのは彼らだけだった。
 まずエラルダが上がってきた。議事堂前の湖のそばまで進み、立ち止まって客を迎える。その顔に穏やかな微笑み。二人がそのそばへと移る。
「エラルダ。強張ってますよ」
 リオンが茶化せば、困った表情をほんの一瞬だけ浮かべてエラルダは元に戻る。
「わかってはいるんですが。緊張して」
「なんとかなりますよ。大丈夫。世の中は、なんとかなるようになってます」
「……凄く、嘘くさい」
 ぽつりと呟いたフェリクスに、かえってエラルダの緊張が解けた。小さく笑って、余所行きの顔を作る。
 エラルダに続いて、アリルカの民の各代表が。それぞれが緩やかに、そしてフェリクスが言ったよう優雅に足を進めて湖のほとりに立ち並ぶ様は真実ありうべくもない美を見る心地。
「珍しいね」
 なぜか隣に来たファネルに目を向け、フェリクスは小声で言う。
「動き易さ優先だな」
 神人の子らは、伝統的にローブの下に脚衣を用いない。人間に比べて遥かに羞恥心の強い種族であるにもかかわらず、興味深いことだった。
 それなのにファネルは暗い色のローブの下、脚衣をつけている。そのため少しばかり丈短に仕立てたローブとの調和が、思いもよらず美しかった。
「さすが武器戦闘のまとめ役だね」
「まだ、戦ってはいけないのだろう?」
「こんなところではじめたら、それこそ外交問題だ。僕らは――」
「まず、アリルカと言う国を認めさせる。事後承諾だろうが、関係なく」
「そういうこと。だから」
「わかっている。心配しすぎだ、お前は」
 誰が心配させている、そう小声で罵った声は幸い誰にも聞こえなかった。各使節、代表が集まり始めた。
「こちらへ」
 アリルカの民全体のまとめ役たるエラルダが、にこやかに議事堂を示した。そこここで上がる驚きの声。
「神人の館……?」
 囁かれる言葉に民は朗らかな笑い声を上げて答える。それも、フェリクスたちまとめ役の指示だった。
「我らの父祖の館です。このような形で利用するとは、我らの父もさぞ誇りに思うことでしょう」
 どうだか知れない、とフェリクスは思う。思いはしても、それが有効ならば言わせるのみ。
「我々は、父を知らん。よって、神人が何を考えていたのかも知らん。ただ、これだけは知っている。彼らは地上の生き物が何を言おうが気に留めはしない。なんの問題もないと思うぞ。騙るなら、騙り通すまで。事実など知れようはずもないし我々も知らん。気にするな」
 前を向いたまま小さな声でファネルが言った。今更ではあったが、言われてフェリクスは納得した。我知らず、肩の竜へと頬を寄せる。
「さぁ、行こうか」
 毅然と顔を上げ、フェリクスは周囲を見回す。これから戦う仲間がいた。
 式典は、人間には馴染みのないものだった。事前にそれでいいのか、と再三再四デイジーが言っていたから、ある程度は神人の子らも予想はしていたけれど、人間の驚きようにこそ、彼らは驚いた。
 取り立てて変わったことなどしていないつもりだ。奇声を発するでもないし、突如として踊りだすわけでもない。ただ、人間には式典の進み方に馴染みがなかったらしい。
「では晩餐までごゆるりとおくつろぎくださいませ」
 エラルダが最後の言葉を締めくくり、一同が議事堂を後にする。
「お疲れ様です」
 慣れない仕事に、エラルダは疲労困憊していた。笑顔は浮かべているものの、笑っているというより浮かべ続けた笑みが強張ってしまっただけのよう、見える。
「ありがとう」
 三々五々、客たちが湖のほとりへ、また下の広場へと降りていくのが目に留まる。エラルダは渡された冷たい飲み物を一息にあおった。
「少し休んでください」
「いいえ、リオン。ありがたいのですが……」
「ここからは、我々の役目ですから。あなたは」
「私も、魔法を習ってますよ。見学はさせて欲しいです」
 疲れきっているはずなのにエラルダは言い募る。仕方ない、とばかりリオンはうなずいて議事堂の裏手へと続く湖のはずれへと歩いていった。
「こちらに?」
「すでにフェリクスが待機してますよ。別にどこでもいいそうですが」
「そうなんですか?」
「場所は、関係ないんです。ただ、フェリクスも気疲れしたみたいでして」
「あぁ、わかります」
 自然の中にいることを好む半エルフのエラルダは、そうやってフェリクスもまた疲れを癒しているのだ、と解釈した。実際は、閉じこもるのも人気があるのも嫌だったフェリクスが逃れた場所が偶々そこだった、と言うだけのこと。リオンは解釈違いをしているのに気づいたけれど、何も言わずに微笑んだ。
「いましたね」
 人気があるのを嫌がったにしては、フェリクスの周りには数人が控えていた。首をかしげてリオンは人影を見定める。
「まったく、仕方ない子供たちだ」
「リオン?」
「フェリクスの魔法をそばで見たいんですよ。弟子たちです」
「あぁ……」
 見れば確かに魔術師たちが固まっていた。フェリクスの険悪な顔にもかかわらず、退散する様子はない。
「さっさと済ませないと、危ないです」
 弟子の身が、ではない。自分が八つ当たりされる、とリオンは笑う。
「では行きましょう」
 にこりと笑ったとき、エラルダはずいぶんと心が軽くなっているのを覚えていた。
「遅い」
 短くそれだけを言うから、フェリクスの機嫌は相当に悪いらしい。びくりと身をすくめた弟子たちを横目で見やって、リオンは溜息をつく。
「怖がるなら最初からこないことです。こうなることはわかってたでしょうに。フェリクス。お願いします」
 彼が口を開くより先にリオンはそう頼んでしまった。一くさり弟子を罵ろうと思っていたフェリクスは気勢をそがれて溜息をつく。
「僕より適任がいる。だから、残念。無駄だったね」
 弟子を振り返り、フェリクスは唇の端を吊り上げた。笑みのつもりだろうか。怒っているようで、いっそう恐ろしかった。
「フェリクス?」
「こんなもんは、僕じゃなくってこいつの役目。ほら、頼むよ」
 立ち上がり、腕に止まらせたシェリを放り投げる。初速をつけられた竜は軽やかに鳴いて飛び立った。
「久しぶりだね。あなたの魔法、見るの。なんだか、ずいぶん前のような気がする。そんなこと、ないのにね――」
 竜の軌跡を追うフェリクスの呟きに、誰も言葉がなかった。




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