その、前夜――。
 誰からともなく議事堂と呼ぶようになったかつての神人の館に、アリルカの民が集合した。式典の準備はすべて整った。それはすなわち戦闘準備も整ったということでもあった。
 民全体をまとめているエラルダが広間の前方、中央にいる。その傍らにリオンとともにイーサウへの使節として発ったメラニスが、いまは神聖呪文を習得してはそのまとめ役となっているカラクルが、武器戦闘の要、ファネルが。無論リオンもいる。
 そして、フェリクス。
「集まったね――」
 すう、と視線を巡らせる。その冷たい熱気に押されたよう、音も立てずに民がどよめく。これから待ち受けるもの、望んだもの。自らの、立場。
「はじまるよ」
 何が、とは言わなかった。言うまでもなかった。途端に上がる、それまで押しつぶされていた歓声。わん、と議事堂内に響き渡る。フェリクスが片手を上げた。ふわりと肩からシェリが飛び立つ。
「軽挙は、慎もう。明日はまだ所詮は前奏曲」
 まるでシェリの、否、タイラントの言葉のようでリオンはわずかに顔を顰める。言葉を発することのない竜が、フェリクスの声を借りでもしたようだった。
「まだだよ、まだだ」
 エラルダが、真意を問うようフェリクスを見た。彼は黙して語らない。代わって口を開いたのはリオン。
「我々はアリルカの民です。人間の、と言うとすでに語弊がありますからねぇ」
 一度言葉を切ってにこりとリオンは笑う。その視線は民となった炎の隼に向けられていた。彼らは仲間同士で固まるでもなく散らばるでもない。ごく自然に民の中に入り混じっている。
「二王国の民とは、その支配者とは違う、と言いましょうね。我々は、優れた理念を持っています。あなたがたは自分たちで自らの行方を決める責任を負う」
 当たり前だ、と神人の子らは不審な顔をした。それが彼らにとっては常識。彼らの常識が、人間の非常識となる。
「人間の二王国では、自らの行方を決めるのは支配者の役目です。被支配者は諾々と従わざるをえない。それはそれでとても楽なことだと思いますよ」
 そうだ、と神人の子らがうなずく。隼が、少しばかり理解しかねるといった顔で首をかしげる。それらを見つつリオンは微笑んで続ける。
「我々は、自分の言動に責任を持つことを選びました。それは先ほども言いましたよう、優れた理念です。これを保ち、より磨いていくのはこれからの我々です。ですから――」
「相変わらずまどろこしいね、リオン。こう言えばいい。僕たちは、彼らとは違う。彼らのよう、搾取はしない。だから、見せ付けてやればいい。我々のやり方で、優雅に、猛々しく」
 竜が、鳴いた。喜びのそれとも、驚愕のそれとも違う。雄叫びだ、とフェリクスは気づいた。シェリを見ずに腕を掲げる。高ぶった竜が、腕に止まって痛みをくれた。どこからともなくくるぼんやりとした虚ろな痛みではなく、現実のそれ。深く呼吸をすれば、リオンの笑い声。
「話がまどろっこしいのは仕方ないですねぇ。神官ですから、私」
 ちらりと見やればリオンはにっと笑っていた。馬鹿にされた気がしてフェリクスは視線をそらす。だが民は違った。そこかしこでくすくすとした笑い声が起きている。
「僕たちは、二王国の民とは違う」
 フェリクスが繰り返す。次第に笑い声が収まっていった。それを見定めてフェリクスはシェリを肩に戻した。
「僕たちは、異種族だ。まぁ、違う人たちもいるけど。いるけどね、ここに集まった、アリルカの民は、異種族の集合と言う意味では、あってるよね。この世界の人型の種族が、すべてここにはいる」
 ゆっくりと、フェリクスが視線を巡らせる。
「半エルフ」
 あえて言うフェリクスに、闇に堕ちなかった神人の子らが手を上げる。
「闇エルフ」
 苦笑してファネルが彼を見やり、堕ちた神人の子らが拳を突き上げる。
「半エルフの子供たち」
 中には幼い歓声もあった。いまだ年若い彼らを、フェリクスは直接、戦闘に加わらせるつもりはない。
「闇エルフの子供たち。――僕もそうだ」
 半エルフの子供に比べれば、荒んだ声が上がる。フェリクスは自らの同胞を見てうなずいた。
「そして、魔術師」
「おや、それも異種族に数えますか?」
「リオン。僕は思うんだ。魔術師は、通常の人間に比べて遥かに長命だ。大多数の人間は、彼らもまた同族とは見做せないでいる。ある意味では、ラクルーサで起きた迫害は、それに根ざしたものであったとも、言える。違うかな」
 淡々とフェリクスは語る。彼が何を思っているかはまったくその表情からも佇まいからも窺えなかった。予想はできる。想像もできる。フェリクスの脳裏にあるのは、ラクルーサ王に殺されたタイラント。だが彼は完全に無表情だった。
「どう?」
 リオンではなく、彼は弟子たちを見た。うなずく者がいる。首をひねる者がいる。すぐさまには、納得しがたいことではあるだろう。だが、彼らに共通していたのは、やはり迫害されているという意識だった。無意味に。理由などわからずに。それがフェリクスの言葉でまとまっていくのを誰かが感じた。後は、速かった。
「納得したみたいだね。もっとも、人間がそれを明確に感じているかどうかは、知らない。いずれ誰かが解析するだろう。それは僕の役目じゃない」
 ほう、と息をつく。疲れてしまったように。そのようなはずはないというのに。
「おい、俺たちを忘れてくれるなよ」
 足音も高らかにデイジーが進み出てくる。所作の穏やかな神人の子らが多くいるここで、彼らは異質だ。それを気にかけている風には見えなかった。
「忘れてない。話がそれただけ。炎の隼。彼ら、人間もまた、僕らとともにこの国を作り上げていく。仲間」
 最後だけははっきりと嫌そうに言った。小さいけれどよく響く声でリオンが照れてるんですよ、などと言う。
「これだけの異種族が、集まって国を作っていくことが可能か。二王国の人たちなら言うだろう。不可能だって」
「もちろん、可能です」
「だから、それを見せ付けてやろう。精一杯もてなしてやれ。僕たちの最上の部分を以って、彼らを歓待しよう」
「戦いは、すでにはじまっています。と、フェリクスは言ってるんです」
 温顔の神官が言い添えれば、また彼は嫌な顔をした。それを気にした素振りもせずリオンは言う。
「せいぜい驚いてもらいましょうか。ちっぽけな神人の子らの集落に、と思っているはずです。豪勢に、優雅にもてなしましょう。油断してもらえれば、しめたものです」
「リオン?」
「いやだな、エラルダ。わかりませんか。彼らの油断は我らの勝機、ですよ。どのみち絶対数じゃ勝てないんです。掃いて捨ててちぎって投げたってまだ多くの人間がいるんですからね」
 その人間の一員として生まれたにしてはあんまりな言い分だった。だがリオンはだからこそわかると言う。
「二王国の国王にとって、庶民は使い捨てです。戦争にかりだされてくる一般兵士たちはね、そんな使い捨ての庶民ですよ。ですからね、彼ら兵士には、勝たなければならない理由も、そもそも戦争する理由もないです」
「我々が……。ですが、人間は……」
「そうですね。そのとおりだと思いますよ。人間は、異種族を嫌っています。でも、だからと言って自分が戦争したいわけじゃないんです。それは誰かが、やることです。庶民にとって誰か、とはすなわち国王です。それが自らの行く末を他者に預けた者のやり方です。だから、戦争に出てきたって、思うのは死にたくないってことが一番でしょうね」
「それが、繋がるんですね?」
「そう。二王国の使節は、と言ってもミルテシア側からしか来ないようですけど。情報は共有していると見て差し支えありません。彼らはアリルカを存分に見ていくでしょう。どれほどの人口があるのか、構成員の内容、経済力も見ていくでしょうね」
「見せても?」
「もちろんです。たっぷり見ていってもらいましょう」
「だがよ、ちょっといいか? まずくないか、それは。作戦的には、理解できるがな、それにしても……」
「あぁ、デイジー。心配はご無用に。見られて困るものは隠蔽工作が済んでますよ。そうでしょう、ファネル?」
 問われてファネルはまた苦笑する。議事堂に集合して以来、ずっと苦笑ばかりしている気がした。フェリクスがそんなことしてたんだ、と小さく呟いたのが耳に入って再度、苦笑した。
「なるほどな。与えるのは、こっちの都合のいい情報だけってことか」
「無論です。構成員なんかは最も知って欲しいところですね」
「なんでだ?」
「もちろんこちらが有利になるからです。だって、考えてみてください、デイジー。彼らはこう理解するはずです。雑多な異種族の集まりに、何程のことができるものか」
 温顔が、違う笑みを浮かべた。生きることは戦うことだと定義する女神の神官。すなわち戦士。逸早く気づいた隼たちが歓声を上げた。
「もうおわかりですね、デイジー。そうやって油断してくれたならば、彼らがどれほどの大群で押し寄せてこようとも敵ではありません」
 デイジーにではなく、リオンは民すべてに語っていた。戦いが迫ってきたいま、恐れている者もいるだろう。当然だ。その恐怖を払い、鼓舞する。
「あんた、神官にしとくのはもったいないな」
 傭兵隊長一流の褒め言葉にリオンが微笑んだ。それもまた今まで見せていた優しいものではなかった。
「戦争はね、もう始まってる。そうだね、リオンの言ったとおりだ」
「あなた、わかってて言ったんじゃないんですか」
「うるさいよ、黙んな」
「はいはい、兄弟子様」
 軽口を叩き、リオンは常態へと回復していく。いまから闘志を露にしていては、体が持たない。むしろ作戦上の妨げになる、そうフェリクスにたしなめられた思いだった。
「今夜は、僕たちにとって開戦前夜。ゆっくり休んで、鋭気を養え。僕らの戦いはいまここに、始まった」
 静かなフェリクスの言葉だったが、歓声は辺りを圧して響く。武器を取らない戦争が、正にこのとき始まった。




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