意外と言うべきか、不快と言うべきかフェリクスは惑っている。炎の隼がアリルカの一員になることは、思いがけず好意的に受け取られた。 「ちょっと、変わり方が早すぎない?」 不機嫌そうに言うフェリクスに、ちらりとファネルが視線を向けた。もっとも彼の場合、不機嫌が常態だから本当に機嫌が悪いのかどうかはわからない。 「どういう意味だ」 「神人の子らは、変化に対応するのが遅いじゃない。当たり前だよね。人生長いんだから」 「意外だな」 「なにが」 「お前が理解していないとは、実に意外だ」 からかうよう言えば、途端に険悪な視線が飛んでくる。だからやはり、いまの今まで機嫌はさして悪くはなかったことになる。 「どういう意味」 ファネルと同じ言葉を、彼よりは淡々と、そして冷たくフェリクスは言う。そもそも、と内心で不快に思っているのはファネルのこと。 この男が自分に付き従っている理由がない。武器戦闘を行う予定の者たちは、いまも訓練をしているはずだ。訓練をしていないならば、仕事をしているはずだ。のらくらと遊んでいる暇はない。式典は差し迫っている。 「魔術師は、理解が早いもの、と聞く。だからわかっているものと思っていたが。我々だとて変わる。これほど変化の早い世界だ。慣れなければ、生きていかれない」 神人の子にして。神人の子だからこそ。疎まれ、崇められ、掌を反すよう様々な目で見られた。ファネルはリィ・サイファと幼いころをともにしているという。ならば、とフェリクスは思う。彼は、神人がこの世界に君臨していたころを、実見しているのか、と。 「我々は、殺されなければ死なない。だが、それだけでは生きている意味がどこにある。我々とて、生まれた以上死にたくはない。積極的に、生きたい。漫然とではなく、何かをしたい」 「何かって、例えばなに」 「さあな。いまは、この国を立ち上げること。我々自身の国を……と言うのもおかしいな。人間の王国とは違う、我々が住み易い国を作る、と言うべきだな」 「心穏やかに暮らしたい? ただ、それだけ?」 「多くの仲間は、そうだろう」 「あなたは、違う?」 すっと視線の圧力が減った気がして、ファネルは彼を見やる。どこでもない場所を見ながらフェリクスは肩に乗せた竜の尻尾を撫でていた。 「住み易い国があればいいというのは、本心だ」 「それ以上に目的がある」 「まあな」 言葉を濁して、ファネルは返答だけをした。フェリクスも、追及はしなかった。興味がないのかもしれない。あるいは、他者の心に不用意に立ち入る無礼を知っているのかもしれない。 「お前は、隼の選択が不本意なようだな」 だからファネルは話題をそらした。聞いて欲しいなどとは思わない。フェリクスを優しいと言ったのは、リオンだったか。彼らの弟子が揃いも揃ってフェリクスを恐ろしい師匠だというのに、リオンは真実彼のように優しい人はいないと言う。だからこそ、フェリクスの心に幾許なりとも負担になり得るようなことは、言いたくなかった。 「まぁね、不本意……そうだね。それが最も正しい言葉だね。不本意だよ、僕は」 「なぜだ」 「デイジー」 それだけを言ってフェリクスはファネルに視線を戻した。まるでわかるだろう、とでも言うような態度が少し、おかしい。 「なに笑ってるの」 「笑っていたか? 気のせいだ」 言えば小声でフェリクスは罵った。リオンがどうの、と聞こえたからよけいにファネルは無視をする。いずれにせよ、彼をなだめるのは自分の役目ではない。肩の竜の役目だ。案の定、うとうととまどろんでいたシェリは飛び起きて首に巻きついている。 「デイジーが、どうした?」 「だから、あの男が誰を思おうが知ったことじゃないけどね――」 「あぁ……そういうことか。我々の……神人の血を引く者か?」 「本当に気がつかなかったの。よくそれで変化に対応しなきゃとか言えるよ。やっぱりあなたがたは神人の血を引いてる。ほんと、恋愛感情に疎すぎる」 「そうは言うが、お前も引いてる」 ならばお前はどうだったのだ、と言う意味は特にもたせなかった。にもかかわらずフェリクスは黙る。唇を軽く噛んだのが見えた気がした。見えなかったのかもしれない。シェリに睨まれたのだけが、確かだった。 「僕のことなんか、どうでもいいんだよ」 ゆっくりと呼吸をして、絞り出すよう彼は言う。遠くを見る目が、どこかをさまよい、わななく手が、何かを握る。ふ、とシェリが飛び立った。上手に羽ばたいて、下降する。彼の手の元に。握りたいものがあるならば、この体を掴めとばかりに。 「ねぇ」 呼びかけは、シェリへの。竜の示したままにその体を掴んだフェリクスは腕の中に抱き込んで頬ずりをした。まるで人間の子供だ、とファネルは思う。小さな子供が、ぬいぐるみを抱きしめているように見えた。 「お前が隼をどう思おうが、我々の選択も済んだ」 リオンに召集され、話し合った後すぐに彼らはそれぞれ自分が率いる者たちに話をした。おおむね好意的で、積極的に反対する者はいなかった。反対を唱えた者たちも、それは警戒していると言うべきであって、彼らを嫌っているわけではなかった。 それは認める、とフェリクスは思っている。隼は、この国に加わろうと考える以前から、馴染もうと努力をしていた。 精力が有り余っているからだ、などと言いつつ力仕事を手伝ってくれた。神人の子らは、痩身優美と言われるだけあって、力仕事にはあまり向いているとは言いがたい。まず、それが歓迎された。 そして何より彼らは傭兵だった。アリルカの民も戦う。それを決めている以上、少しでも死者を減らしたい。神人の子らでも、殺されれば、死ぬ。 彼らはそのようなことを言わずとも、指導を買って出てくれた。ファネルたち、武器を取る者の間に入り、実践的な稽古をつけてくれた。 「実に現実的な対処法です。見習いたいですねぇ」 リオンが茫洋とではあっても舌を巻いたのだから、それは的確な指導だったのだろうとフェリクスは思う。魔法剣を使いはするが、さして巧いとも思っていない彼には、あまりにも上級すぎて理解が及ばなかった。 たった数日。たった数日で隼はアリルカの心を掴んだ。はじめから、覚悟をしていたせいももちろんある。人間を加えざるをえない、そうフェリクスが言ったときの衝撃のほうがよほど大きかったはずだ。 「最初の衝撃は済んでるってことか」 「なに?」 「僕が提案して、リオンが弟子どもを連れて帰ってきた。あれも、僕らの弟子ではあるし、通常の人間とは言いがたいくらい長命ではあるけど、それでも、一応は人間だ」 「なるほどな。今更、隼を忌避する理由が見当たらなかった、と言うわけか。神人の子らには」 「だって、慣れたんでしょ。そういうことかもしれないね」 どこか茶化すよう、あるいは諦めるようフェリクスは言って肩をすくめた。もう一度シェリに頬ずりをして肩に戻す。 「ところで、ファネル」 「なんだ」 「どこまでついてくるつもり。いい加減――」 鬱陶しい、と言いかけてフェリクスは口をつぐんだ。どうやらリオンが言ったらしいことが尾を引いているようだ。 「別についていくつもりはないのだが、中々用件を切り出せなくてな」 「あのね……」 何をどう言ったものか迷ったのだろう、フェリクスは言葉を切って大きく溜息をついた。 「そう言うときは、僕に付き合って話してないで、用事があるってさっさと言いなよ。面倒くさいな、もう」 「早急に、と言うわけでもなかったのでね」 「それで。なに」 このまま放っておいてはまた話題がそれていくばかりだ、とフェリクスは悟る。シェリが小さく笑った。 「一度、リオンと立ち会いたい」 「はい? そういうことは僕にじゃなくて直接リオンに言いなよ」 「だから、口添えをしてくれないか、と言っている」 「そんなものなくったって平気だよ。さっさと行けば?」 「忙しそうで」 ふとフェリクスが眉根を寄せた。首をかしげるわけでもないのに、訝しそうに見えるのだから慣れたものだとファネルは思う。表情自体はまるで変わっていなかったというのに、彼のわずかに動いた感情が理解できた。フェリクスは、ごく普通に過ごしている。あまりにも当たり前すぎて、見落としそうだったが、彼の心の振幅が極端に狭くなっているのを、ファネルは気づいていた。感情が、ほとんど動かない。動いているように、見える、それだけだ。 「リオン、なにやってるの」 「神聖呪文の使い手か? 育てている」 「あぁ……そうか……隼か……」 炎の隼が加わったということは、武器戦闘の専門家が増えたということでもある。おかげでリオンは武器戦闘の指導を彼らに任せ、自分は神聖呪文の使い手訓練に専念することができるようになっている。 「そう言うことらしいな」 フェリクスがその考えに至るまで待って、ファネルは言った。途端に、理解されたくないとばかりの視線が飛んできた。なぜかシェリにも睨まれた。 「で。僕に何しろって言うの」 そんな竜を今度はフェリクスがなだめた。尻尾を撫でて、首をかしげては頬を寄せる。それだけの仕種が、わけもなくファネルには哀しさを呼び起こすものに見えた。 「仕事の合間を見て、立ち会って欲しいと言っていた、と伝えてくれればいい」 「ふうん。そう」 それくらい自分で言えばいいのに。小さく続けてからフェリクスはうなずく。 「いいよ。伝えとく。でも、変な遠慮をするものだね」 「なに、リオンが何をしていていつ声をかけていいのかがわからんだけだ」 別に遠慮などではない、そうファネルは言って笑ったけれど、フェリクスにはそれは気遣いに思えた。それくらい、誰かが誰かを慮ることができていたならば、こんな世界にはならなかった、そうも思った。 「思うだけ、無駄だね」 用は済んだと背を向けて去っていったファネルの後姿が見えなくなってから、フェリクスは呟く。誰にも聞かせたくなかった。聞いていいのは一人だけ。肩の上、寂しげな竜の声がした。 |