滔々とした罵り声と、なだめる竜の鳴き声。高く低く会話と言うよりはむしろ喧嘩。近づくにつれ、なんとか介入しようとしているエラルダの声も聞こえてきた。
「あぁ、きましたね」
 にこり、と笑ってリオンはデイジーに向けてそう言った。
「あれ、ほっといていいのか?」
 エラルダが、どうやら二人に揃って怒られたらしい。シェリのほうはむしろ黙っててくれ、とお願いした、と言うところだろう。が、いきり立った竜の鳴き声は相当な恐怖心を呼ぶ。
「いいんじゃないですか? 別に喧嘩してるわけじゃないですし」
「そうは見えないから言ってんだろうが」
「やだな、喧嘩なんかしてないですって。あの二人なら、あの程度はいつものことです――でした」
 最後を、リオンは言いなおした。ふっと顔を曇らせる。タイラントが、そこにいるような気がした。無論、彼の魂の欠片はここにいる。
 しかし違う。彼自身ではない。それをフェリクスはどう考えているのか聞きたい気もしたけれど、決して尋ねてはいけないのだとわかってもいた。
「もう、信じられない! ちょっとくらい、いいじゃない。なにがだめなの。はっきり言ってよ。ちゃんと聞こえてる。僕にはあなたの声が聞こえてる。少なくともなに言ってるのかくらいはわかってるよ。だからちゃんと言って。さぁ、なにがだめなの。言いなよ!」
 ここまで来ると金切り声だ。思わず耳を両手で塞いでリオンは苦笑する。かなり苛立ちが募っているらしい。フェリクスがこのような形で声を荒らげるのは珍しかった。
「フェリクス。どうしたんです。なにをしたがってて、シェリがなにを止めてるんです?」
「うるさいな。あなたには関係ないじゃない」
「関係ないからこそ、言ったらどうです?」
 気が晴れますよ、そう言ってリオンは微笑んだ。エラルダは、つくづく感嘆して彼を見やった。この人間は実に偉大だ、そう思う。その表情に、デイジーが少しばかり嫌な顔をした。
「うるさいなぁ、もう。そんなに聞きたきゃ言ってやるよ。あなたを締めさせろって話。ちょっとだけ、締めてもいいでしょって言ってるのに、こいつはだめだって言う。別に殺すつもりはないし、少し怪我させるくらいだって、何度も言ってるのに。どう思う?」
「……どうもこうも、なんともねぇ。と言うより関係ないってあなた、言いましたけど。完全に当事者ですが、私」
 またにこり、笑った。エラルダはリオンを偉大だと感じた。デイジーは違う。この男は神経の繋がりがおかしい、むしろ切れている、そう思った。
「あぁ、そうだったね。じゃ、別にあなたに聞いてもいいんだ。ちょっと締めさせなよ」
「どうしてもって言うならお相手してもいいですけどね。まず原因くらいは聞かせていただきたいものです」
「……ファネル」
 一言その名を呼んだだけ。それなのにフェリクスは歯を食いしばって怒りを耐えていた。デイジーには理由が少しもわからない。この短い間に見る限り、ファネルと言う闇エルフと彼はそれなりに親しくしているように見えたはずなのだが。
「あぁ、フェリクス用会話対策といいますか。あなたの扱い方を教えたのが気に食わない?」
「そんなこと教える必要がどこにあるの」
「あるんじゃないですかねぇ。ほら、シェリも懐いてますし。それにファネルはいつの間にか戦闘班のまとめ役をやってますし。言葉を交わすたびにあなたを怒らせてたらちっとも話が進まないでしょ。だからですよ。他意はありません」
「……あなたの他意って、物凄く信じられないんだけど。そのへらへらした顔も! もっともらしげな口調も! 僕は絶対だまされないからね。僕はカロルみたいなお人よしって言うか、あんなに趣味悪くないから」
「趣味の問題ですかねぇ?」
「それ以外になにがあるの。ほんと、我が師匠ながら、男の趣味が悪すぎる。最低だよ」
 叩きつけるよう言って、傍らを飛び続けていたシェリを掴んだ。小さな悲鳴が上がったから、もしかしたら痛かったのかもしれない。あるいは、シェリの演技だったのかもしれない、そうリオンは思う。大袈裟な態度に過剰な言葉。吟遊詩人のタイラント。それを思って内心でリオンは少し、笑った。
 フェリクスは言う。カロルの男の趣味が悪いと。何度も言っていた。彼が生きている間、ずっと言っていた。
 そしてカロルも言っていた。同じことを、もっと凄まじい罵り言葉で。互いに趣味が悪いと罵りあう師弟は、だから惚気ていただけなのかもしれない。
 懐かしい、痛みだった。今はこの世にいない、最愛の人。失ってしまった痛みは言うまでもない。それでもリオンは最期を看取ることができた。自分の腕の中で安らかに眠る彼を送ることができた。フェリクスは、違う。彼を思う苦痛のほうが、いまは、強い。知らず胸元を掴んでいた。
「……まぁ。いいや。気が失せたよ。それで、なんの用事だったの」
 リオンの態度をフェリクスは勘違いして解釈する。悪い、そう思った。タイラントの名を決して口にするなと自分は言うのに、リオンに同じ苦痛を強いている。彼は、自らカロルの名を呼び、思い出話までしてのける。それでも痛くないはずがない。
「うん。あれです。炎の隼のことなんですけどね」
 リオンは何事もなかったよう微笑んだ。避難していたのだろう、ファネルがようやく追いついてきたのに軽くうなずいてこれから話が始まるところだ、と知らせる。それをちらりと見やってフェリクスが背後に険悪な目を向けた。
「そう怒るもんじゃないですよ。悪いのは私であってファネルではないです」
「あのね、リオン。そんなこと言われたらあなたを殴りにくいじゃない――なんてこの僕が言うとでも思ってるんだったら、あなた。甘すぎるよ」
「思ってません、思ってません。私の銀の星に仕込まれたあなたにそんなこと言おうものなら、倍になって返ってくる」
「師匠は、優しかったからね。あれでも。倍で済ますだろうけど――」
 思わせぶりに言葉を切って、リオンをねめつけた。シェリがいたたまれなくなったのだろう、小声で鳴く。
 それを肩の上に戻し、フェリクスは巻きついてきた尻尾をそっと撫でた。それで竜には伝わる。戯れだった、リオンとの言葉は。
 了解した、との証にまたシェリが鳴く。今度のそれは多少は明るい。ゆっくりと息をしてフェリクスは何かを払うよう首を振る。
 リオンが自分の言葉の暴力を許してくれたのを、感じている。それに素直に礼を言う気にはなれない。それすらも、それでいいと彼は言う。無言のやり取りが、気色悪い。そっと鳴いたシェリが、自分との会話もか、と問うているようでフェリクスは真珠色の肌に頬ずりをした。
「怖いこと言いますねぇ。ま、それはそれとして。ファネルもきましたから話を進めますよ。隼が、アリルカに加わりたいそうです」
 さらりと言われて、フェリクスは意味をとり損ねた。不快だと思ったはずなのに、視線はファネルを向く。彼もまた目を丸くしていた。
「デイジー? どういうことですか」
 立ち直りが最も早かったのは、意外にもエラルダだった。あるいは、衝撃が強すぎて、言葉が滑り出しただけなのかもしれない。
「デイズアイだって言ってんでしょうが」
 疲れたよう言ってデイジーは額を押さえた。疲労の原因は揃って首をかしげて彼を見やる。
「リオンには説明したんだがな」
「説明って言うより、ただの宣言でしたよ」
 温顔で、きついことを言う。そうデイジーは苦笑した。騙されてなるものか、この態度に。そう感じたのが自分ひとりではなかった気がして視線を巡らせれば、原因の一人が厳しい顔をしていた。
「デイジー。人の話し、聞いてたの」
「おう、聞いてたともよ。俺たちが、人間社会の裏切り者だって言われる可能性は、正直考えてなかった。まぁ、真剣にはな。どっちにしたって俺たちは傭兵だ。まともな扱いはされてねぇからな」
「まともと裏切り者は――」
「最後まで聞けって、気がみじけぇな、あんた」
 ちらりと笑われてフェリクスは顔を顰める。普段が無表情なだけに、多少の変化が凶悪に感じる。慌てふためいた竜の鳴き声に、フェリクスは黙ってその背を撫でた。
「別に俺たちは二王国に未練はない。俺もな、もうちっと実は離脱者が出るんじゃないかと思っちゃいたんだがな。全員、アリルカと意思を共にする」
 最後の言葉だけは茶化しはせず、デイジーは精悍だった。すっと息を飲んだのは、理解が及んだ神人の子ら。
「いっそ裏切り者だって言われんなら、アリルカ共和国の一員になりてぇ。その上で大暴れがしてぇ、と。ま、そういうわけだ」
 肩をすくめたデイジーに、神人の子らは言葉もない。フェリクスは彼を睨み、リオンは飄々としている。
「それが隼の意思なんですが。と言うわけで集まってもらったんです」
「……その、と言うわけ、の内訳を聞かせなよ。相変わらず言葉の足らないやつだな」
「あぁ、すみません。ついうっかり。あなたならわかるかな、と思っちゃって」
「僕がわかったってエラルダとファネルが理解できなかったら一緒じゃない。あなた、馬鹿?」
「けっこう賢いつもりでいますが、実体はどうでしょうねぇ? 話を戻しますが」
 フェリクスの手にいつの間にか握られた剣に慌てたふりをしてリオンが言う。シェリはといえば本気で慌てて肩を降りては彼の手を軽く噛んでいた。
「痛いな。ばっさりはやらない。信じなよ、僕を」
 淡々と言う声にはいつものよう、熱がなかった。それなのにシェリの目がなぜか、潤んだ。静かにフェリクスが膝の上に抱き上げる。賢明にも、誰一人それを問い質そうとはしなかった。
「我々は現時点で、アリルカの評議員みたいなことをやってるわけです。あ、評議員、わかります?」
 リオンは星花宮を運営していた制度を持ち出し、神人の子らに尋ねる。彼らはうなずいた。もっとも本来、話し合いで自分たちの行く末を決めるというのは神人の子らの習慣だ。
「ですから、隼のこの場合参加、といいますか、彼らがこの国の一員となるかを認めるかどうかは我々にかかっているわけでして」
「だが――」
「我々、というよりはここで話し合ったことを他の人たちに話してもらって、またそれを取りまとめる形になりますけどね。いつもどおりです。普段やってることが、ちょっと大袈裟になっただけ、ですね」
 にこりと笑ったリオンに、神人の子らの肩から力が抜けた。驚いていたのだろう。人間が、自分たちの一員として、仲間としてともに戦いたいというなど、周章狼狽していたのだろう。
 フェリクスはそんな彼らを見つつ、そっと心の中で溜息をつく。聞こえないはずのそれを聞きつけ、心配そうにシェリが鳴いた。




モドル   ススム   トップへ