式典を控え、アリルカは空々しい喧騒に包まれている。特段、誰も式典を楽しみにはしていない。いっそそのあとに確実に来る戦争のほうを楽しみにしているくらいだ。
「戦争が好きなわけではないですけれどね」
 エラルダは苦笑しながら言って魔法を放った。フェリクスが訓練するアリルカの民は、やはり人間ではなかった。信じがたいほどに習得が早い。
「羨ましくなってくるね」
「なにがです?」
「才能が」
 短く、けれどきっぱりと言ってフェリクスは遠くを見やった。今では手の空いているものが仕事をするのではなく、手の空いているものが、訓練をしている。
「才能と言うより、持って生まれた何かでは?」
「それを才能って言うんだよ。あなたがた見てると腹が立ってくるよ。僕が一生懸命練習した時間はなに?って言いたくなる」
「そんな――」
「僕は人間の間で暮らしたからね。こうやって人間が神人の血を引く人たちを恨んで迫害していくんだなってことがよくわかる」
 はっとしてエラルダは魔法を誤った。途端にフェリクスが厳しい視線を向けてくる。
「でもね、所詮そんなのは言い訳なんだ。いまのあなたを見てもわかる。才能は、所詮、才能でしかない。そこから先の努力をするかどうか。そうでしょ? あなたがただって、いままではこんな風に魔法を使えはしなかった。こうやって体系付けて勉強して、やっとできるようになった。確かにそうなったら習得は早い。だからと言って、人間が同じことができないわけでもない」
「当たり前だと……思います」
「だよね。僕は思う。才能がどうのって恨むのはね、努力するってことを知らない愚か者の言い訳に過ぎないよ。少なくとも僕は、そう思う」
 毅然として立つフェリクスを見る。フェリクスは純粋に人間というわけではない。闇エルフの血を引いた、別の種族だ。
 それでも彼は定命の命を持っている。いずれ時がくれば死んで土に還る。その彼にとって、百数十年の時間を生きてきたと言うのは、きっと長いのだろう。そう漠然とエラルダは思う。
 本当のところは、わからなかった。想像するだけだ。そしてその長い時間の中、彼はたゆまず努力を続けてきたのだろう。これだけは確かなこととして言えた。
「あなたを、尊敬します」
「なに馬鹿なこと言ってるの。僕を敬ったりするなんて、愚かこの上ない」
「どうしてです?」
「僕は最低の人でなしだ。守るべきものを守れなかった、ろくでなしだ。目の前で伴侶を殺された腹いせに、人間全部をぶち殺してやろうって考える、そういう男だよ。僕は」
 いっそ笑って言ってくれれば楽だった。大袈裟なことを言うとこちらも笑い飛ばせてしまえたのに。エラルダは笑えなかった。フェリクスが本気で言っているのを感じる。
「普通のことだと思うがな」
 硬直したエラルダは慌てて振り返る。その拍子に待機させていた魔法をまた、誤った。
「エラルダ。集中できないならやめて。僕は無様な魔法で焼き殺されるのはごめんだ。ファネル。何か用?」
「用事と言うわけでもないが。偶々、通りかがった」
「ふうん。そう。ずいぶんな偶然もあるもんだね」
 どこから話を聞いていたのか、とフェリクスはファネルを睨む。気にした風もなく彼は肩をすくめて取り合わなかった。
「報告がないわけでもないぞ」
 フェリクスが、すっと息を吸った拍子に合わせるよう、ファネルは言う。おかげでフェリクスは罵声を吐けずにいる。その呼吸の読み方をたいしたものだとエラルダは感嘆していた。
「デイジーが戻ってきている」
「戻ってる? どういうこと。どこか行ってたの」
「正確には、デイジーではないな」
 デイジーと話して以来、炎の隼は一時的に姿を消していた。南の野営地にいるのはわかっている。それが彼らとの契約だ。すでにアリルカの民が集めた馬は彼らの元に渡っていた。
「二三日前からぽつぽつと姿を見てはいたが」
 一人、また一人と姿を見せるようになっていた、とファネルは言う。デイジーだけは変わらずずっと民とともに働いていた。
「どれだけ、戻った」
 半分残れば上等だ、とフェリクスは思っている。リオンがどう説明したのかはともかく、彼らには人間世界の裏切り者になると言う認識は、実感としてなかったのだろう。
 改めてフェリクスにそれを告げられて動揺しなかったはずがない。実際に戦闘に入ってから揺れ動かれてはたまったものではない。脱落者を出すのならば今のうちだった。
「全員戻った」
 フェリクスの目が、見開かれた。呆気にとられて瞬きをする。そして自分が聞いたことが間違いではないのかと確かめでもするよう、肩のシェリに視線を移した。
「ねぇ」
 肩から引き下ろし、腕に抱える。甘えて、そして誇らしげに鳴く竜はファネルの言葉を裏付けていた。
 見つめあい、そしてフェリクスはシェリを抱きしめた。なにを考えてしたことかは、ファネルにもわからない。ただ、酷く寂しげに見えた。喜んでいないはずはないのに、この世界にたった一人きりのような、そんな気がした。
「本当なの。あぁ……いや。なんでもない。嘘ついたって仕方ないものね。見れはわかることだ。ファネル。どういうことか、誰か言ってた?」
「言ってはいたが、理解はできない」
「解釈はこっちでする。なんて言ってた?」
 シェリをいまだ見たままだった。決して視線を合わせてこようとはしない。あるいは、炎の隼を揺さぶったつもりで、動揺したのはフェリクスのほうかもしれない。
「隼は家族だ。そう言ってた」
「解釈もなにもないじゃない。そのまんまだよ。そうか。そういうことか……」
「フェリクス?」
 戸惑いも露なエラルダの声にフェリクスは一瞬、舌打ちをしそうになる。語るのが面倒なのではなく、それはすでに何事かを知っているせいだった。
「彼らは、人間社会に特別な繋がりを持ってないって言ってるの。傭兵隊の仲間だけが、家族……と言ってもわかりにくいか、あなたたちには」
 神人の子らに家族の概念を説いても無駄だった。もっとも、フェリクス自身、家族がどうのと言われても心から理解することはできない。いずれフェリクスも父を知らない身だった。母を懐かしく思うことも忘れた身だった。
「集落の仲間、と解せばいいのか」
 小首をかしげ、もっともらしげにファネルが言った。つい、フェリクスは目を細めて彼を睨む。介入の仕方がリオンを思わせる。否、もっと厚かましい。
「そうだね。そんなものかもしれない。僕はそっちもよくわからないけどね。エラルダ、理解した?」
「なんとか。私にとっては、アリルカの民こそが、仲間ですが」
「今後、僕たちすべてがそう思えるようになれればいいな、と思うよ」
「ほう?」
 意外と前向きなことを言うものだ、と半ば驚いたファネルに、シェリが溜息まじりに鳴く。案の定、フェリクスは嘯いた。
「そのほうが一致団結できる。戦争には好都合だ」
「露悪的過ぎるな」
「は。本心だね。僕は――暴れたくって、仕方ないよ」
 酷く冷静な声でフェリクスは言う。その目の冷たさを見なければ、嘘か冗談とでも思ったことだろう。紛れもない本気だった。
「それで。ファネル。手伝ってるだけ? そんなことをわざわざ報告にきたの。このクソ忙しいのに?」
 自分の中に渦巻くものを隠そうとでも言うのだろう、フェリクスは茶化して言う。隠しようもないものだった。だからきっと、隠蔽ではない、そうエラルダは思った。自らの中に押し込めて、固めて、それすらも戦いの道具にしようとしている。胸に迫った。
「まさか」
 受けてファネルは笑った。受け流し方が、やはりリオンのようだと癇に障って腹が立つ。
「……リオンに、なんか言われたの」
「なにも言われてはいない。お前との付き合い方の講義は受けたが」
「――あとで締める」
 ファネルを、ではなくリオンを、だろう。ファネルは笑い飛ばしたけれど、エラルダは笑う気にはなれない。フェリクスはやると言ったらやる。
「あの、フェリクス。リオンを」
「別に殺しゃしない。ちょっと締めるだけ。ね? いまは人手が足りないし。あの戦闘力はそれなりに貴重だし。だから、いいじゃない。ちょっとだけ」
 最後はシェリに向けて言っていた。エラルダ同様、暴力を振るうことには反対なのだろう。小さな銀の竜の精一杯の抗議に、フェリクスは唇の端を吊り上げた。
「どうしたんだろう。聞こえないな。不思議だね」
 笑みに似て、笑みではないもの。シェリが呆れたよう、高らかと鳴いた。
「続けていいか? 報告だが。と言うより、リオンが二人を呼んでるが」
「ねぇ、ファネル。それって一番に言うことじゃないの。なにをごちゃごちゃと余計なことばかり。本当に鬱陶しいな、もう」
 憤りもあらわに言うフェリクスに、なぜかファネルが笑った。つくづくエラルダは驚いている。それも喜びを伴った驚きだった。
 フェリクスが来て以来、と言うべきか、それともアリルカと言う国がまとまって以来と言うべきかはわからない。
 どちらにしても、ファネルは変わった。ファネルだけではない。ここに住み暮らしていた闇エルフから、狂気が薄れつつある。闇に堕ちた者が、還ってくるなど考えたこともない。
 だが、現実にここに存在する。いまだ還ってきた、とは言いがたい。だがいずれ戻ってくるだろう、彼らは。同じ生まれを持つ者として、エラルダはそれが酷く嬉しかった。
「なにがおかしいの」
「これもリオンが言っていたことだが。お前は気に入ったものほど鬱陶しがる、とな。待て、私ではない。リオンの弁だ。喧嘩を売るなら彼にしてもらおう」
「……そうするよ」
 あっという間に、神人の子らにしても呪文の詠唱の瞬間すら捉えさせずにフェリクスはその手に剣を持っていた。きりきりと歯を食いしばり、ファネルを睨む。放り投げられたシェリがおろおろと困り顔で鳴いていた。




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