シャルマークの四英雄。その名をデイジーも知らないわけがなかった。これで中々学問も好きな男だったから、かつては一時リィ・サイファの名が失われていたことも知っている。それを復活せしめたのが、いまフェリクスの肩にいる小さな銀の竜、タイラントであることも。 その程度のことは知っているデイジーだったが、魔術師と闇エルフの会話にはとてもついていかれなかった。こそこそとリオンに尋ねるデイジーをまったく無視してフェリクスはファネルを見つめる。 「どうなの。違うの」 間違っている、とは思っていない顔をしていた。今の無表情のフェリクスにしては珍しい顔だ、と横目でリオンは彼を見る。 「あってる」 短く言うファネルにフェリクスがうなずく。一瞬、浮かんだはずの何らかの表情は、すでに失われてしまった。 「いつごろの知り合いなの。聞いたことないけど」 「サイファに?」 「まさか。それほど昔から生きてるわけない」 当たり前だ、とリオンの話を聞きつつデイジーは馬鹿なことを言うと思っている。目の前のリオンがわずかに苦笑した。 「メロール師だよ。知ってる?」 「伝聞では。直接の知り合いではない」 「ふうん。で?」 「サイファが子供のころの知り合い……人間風に言えば幼馴染み、とでも言うか。私のほうが多少は年上だが。もっとも、我々に年齢は無意味だが」 ファネルの脳裏に遥かなる過去が駆け巡る。はじめてサイファが集落の年長者に混じって踊った日。手をとったのは自分だったと。あれから人の世にしてどれほどの時が流れたのだろうか。 「半エルフの集落ってやつ? ふうん。リィ・サイファもそんなところにいたんだ」 「かなり早いうちに外に出たがな。以来、彼は我々のあいだに戻ることはなかった」 「それはどういうこと。ねぇ、まだるっこしい話、面倒くさいの。言っていい話ならさっさと言ってよ。鬱陶しいな」 真実煩わしそうに言うフェリクスに、なぜかデイジーは頭に血が上った。気づけば彼の胸倉を掴んで食いかかっていた。 「てめぇな。もうちょっと口のきき方ってやつを考えろ。別に半エルフだ闇エルフだのがどうのってんじゃねぇがな、年上だろうが。敬意くらいは払えよ」 その言葉に。笑わないフェリクスの代わりにリオンが吹き出した。シェリがなんとも言いがたい顔をし、ファネルが呆れる。それでも口を開いたのはフェリクスだった。 「だったら僕のことも敬えば? どう考えても僕のほうが年上なんだけど?」 どことなく茶化した口調だった。熱のない、淡々とした言いぶりなのにそれが伝わったのは、ひとえにシェリのおかげだった。小さな竜が、笑いを噛み殺していた。 「なに言ってやがる――」 「だから、僕のほうが年上。わかる、デイジー?」 「どこがだよ!」 「ま、全面的に、ですね。ちなみに私も彼とさして年齢が変わりませんが」 「リオンさんよ、なに言ってやがる?」 不思議、と言うよりは訝しげな顔だった。実際フェリクスとリオンを並べて見たとき、それほど年齢が変わらないとは誰も思わないだろう。リオンはエイシャの総司教を務めたわりには若かったけれど、それでも三十代の半ばは超えている。フェリクスはといえば、どう見ても二十代前半、最大見積もっても半ば程度にしか見えない。このときデイジーは彼がエイシャの先々代の総司教だったと言うことをすっかり忘れていた。 「十歳程度しか違わないんですよね、私たち」 にこり、とリオンが言った。デイジーは呆れて物も言えない。 「それは、けっこうな差って言うぜ」 「まぁ、普通ならそうでしょうけどね。私は百四十年ほど生きてますし。十年くらいたいした差じゃないです」 「は?」 ぽかんとした。なにを聞かされているのか一瞬とは言えわからなくなる。魔術師は長命だとは聞く。が、まさかまるで年老いないとは思ってみたこともなかった。 「なにその間抜け面。ほら、敬いなよ。別にそんなこと望んでないけど、あなたがそうしたいって言うなら、別にそうしてくれても一向に僕はかまわないよ。好きにしたら。デイジー?」 「ぽんぽん言うんじゃねぇよ! 今更敬語が使えるか!」 「同感だね。だから、僕もいいの、わかる? ファネルの話し聞いてた? 神人の子らに年齢は無意味だよ。そんなものに敬意を払う必要はないと彼らは思ってる。でしょ?」 「そうだな。殺されなければ死なない存在に、生きてきた時間を問うのは詮無いことだ」 「だから敬語がどうのなんて話にはならないの。エラルダたちだってそうでしょ。なに見てたの、あなた」 そのようなことを言われても困る、とデイジーは思った。ここに来てまだ一日程度。その半分以上をフェリクスは自分の小屋にこもって過ごしていたのだ。彼とアリルカの民のかかわりなど、それほど見てもいない。 そう、デイジーは言い訳をしていた。自分自身に。エラルダの名を聞いた途端に心臓が跳ね上がったのも、だから腹が立ったせいだとデイジーは思っている。フェリクスの無茶な言い分が癇に障ったのだと。 「それで。話を戻すけど。ファネル?」 「なんの話だ? あぁ、サイファのことか。彼は集落を出てから、人間に魔法を習うようになったからな」 「リィ・ウォーロック」 「確かそんな名だった」 「……あったこと、ある?」 「ある、と言うといずれ最後の旅の彼方でサイファに出会ったときに怒られそうな気がするがな。ある」 「なにしに?」 「人間が、幼いサイファになにを吹き込んでいるのか、気にかかった。先ほども言ったが、サイファより私は先に生まれていたからな。二百年ほどか。年齢は無意味だが、幼い者を保護するのは年長者の務めだ」 飛び交う理解できない単語に、理解の及ばない年数に、デイジーはくらくらとしていた。酷い眩暈を感じて額を押さえれば、苦笑するリオンがうなずいていた。 「うちの師匠の師匠が、メロール師。メロール師は、リィ・サイファの友達だった。そのメロール師から聞いてる。リィ・ウォーロックは、彼の愛弟子を溺愛してたって聞いたけど?」 「あれは、溺愛か?」 どこか面白そうなファネルの声だった。一見すれば、否定だ。が、違うとデイジーも感じる。フェリクスはもっと正確に感じ取ったらしい。 「ふうん。メロール師も言ってたけど。そうなんだ」 「もっとも、サイファ自身は気づいてなかったほうに賭けるが」 「なに賭ける?」 「アリルカの勝利でも賭けるか」 言ってファネルが笑った。呆れ顔のフェリクスも、普段よりはくつろいだ顔をしている、とリオンは思う。満足そうなシェリがそれを裏付けていた。 「……人間と、半エルフが?」 言葉の裏側で語られたことを口にするほど、デイジーはあつかましくはなかった。それでも尋ねたい、その欲求が煮え切らない言葉になる。 「そんなこと言ったらウルフはどうなるの。リィ・ウォーロックどころか、一緒に最後の旅に出ちゃったんだけど?」 異種族でありながら愛し合った事実。伝説の類でしか知らないデイジーとは違って、フェリクスは過去の確かな事実として知っている。彼のそばには、サリム・メロールが、リィ・サイファの友がいた。 「ありえるのか」 「ありえなかったら、ウルフはなんでリィ・サイファと一緒にいなくなったわけ? ちょっとは考えてから質問しなよ、馬鹿だな」 「うるせーよ」 歯切れの悪い言葉にフェリクスは首をひねってリオンを見やった。黙って笑みを浮かべながら首を振るリオンに業を煮やしてファネルを見れば、こちらはなんのことだかわからない、と目を瞬いている。 「……別にあなたがなにをするつもりでもいいけど」 「フェリクス。介入はよしましょうよ」 「黙ってて。僕は……なんか、黙っててなんかあったら、いやなんだ。それだけ。デイジー。なんだかあなたには同じことばっかり言ってる気がするけど。よく考えて。自分の行動が、どんな結果をもたらすか、よく考えて。あなたには、定命の定めがあるってことを、忘れないで」 「くたばる命だから、黙ってみてろ、手ぇ出すなってか」 「そんなことは言ってない。いずれ死ぬのがわかってるならそれ相応に自分の態度を決めなよって言ってるの。諦めるのも一つだし、ウルフの、カルム王子の道を行くのも一つ」 どっちを選ぶかは自分の決めることではない、それこそよく考えろ、それがどういう結果を呼ぶことになるのか。 そう、フェリクスは言う。言っていることはデイジーにもわかっている。わかっていて、だからどうすればいいのかがわからない。フェリクスに言えば考えていないからだ、と言われることだろう。 「……考えてみるよ。どっちにしても、炎の隼がどうするかは、わからねぇ。が、俺のしたいことは決まってる」 「そう。好きにすれば」 突き放した口調に、かっとした。けれど拳を振り上げるより先、リオンが晴れやかな笑い声を上げた。 「もう、フェリクスはほんと私の銀の星にそっくりです。こういうところ。優しいですねぇ。困ったなぁ。とってもあの人に会いたい」 ぴくり、とフェリクスが痙攣した。ファネルは怒ったのだろうと思った。戯言にしか聞こえないのだから、無理もない。 しかしシェリが慎重にフェリクスの頬に擦り寄る。小さな小さな鳴き声で注意を引く。尻尾を首に巻きつける様はまるで自分はここにいる、と教えでもするかのよう。ゆっくりと、フェリクスは深く息を吸った。 「……リオン、馬鹿なこと言ってると、締めるよ。ほんと、鬱陶しい。あなたなんか大嫌いだ」 震えかねない声が、決して震えなかった。リオンはにこにことしたまま、目の奥に悲哀を滲ませていた。 「んだよ、リオンのほうが年上なんだろ。結局てめぇは相手が誰だろうが傍若無人なだけじゃねぇか」 張り詰めきった緊張の糸を、上手に断ち切ったのはデイジー。理解はできなくともファネルがほっと息をつく。 「僕のほうが兄弟子だから、これはいいの」 「傍若無人とはよく言ったものですねぇ。ぴったり」 兄弟弟子が同時に言い、顔を見合わせて互いに嫌な顔をする。不仲なのか理解しあっているのか、わからない二人だった。 |