フェリクスの戸惑いを感じ取ったのはシェリだけだった。彼にしては珍しいことだった。言おうか言うまいか迷うなど。 「なんだよ?」 訝しげな顔をしてデイジーが問う。それにフェリクスは溜息をついて肩からシェリを下ろした。 「ねぇ。どうする?」 小さな銀の竜を顔の前に持ち上げて首をかしげる。微笑ましいとも気味が悪いとも取れるフェリクスの態度だった。 「おい」 こそこそと小声で何かを言っている部下をデイジーは一言で黙らせた。じろりと睨めば歴戦の傭兵たちが小さくなる。 「ふうん」 それを見たフェリクスはただそう言っただけだった。代わってシェリが晴れやかに鳴く。フェリクスを励まそうとでも言うように。 「これの忠告もあったことだしね。不本意だけど、言っておく」 「おうよ、承りましょうかね」 「茶化すなら言わない。僕だってこんなこと言いたくないんだ」 「わかった、わかったからさっさと言えよ!」 お手上げだ、とばかりデイジーが両手を上げた。くすり、と部下が笑うのに凶悪な笑顔を見せる。それをフェリクスが無表情に見やれば、竜が笑う。フェリクスの代わりのように、デイジーには見えた。 「――あなたがた、手伝わないほうがいい」 「なに? 手は、足りねぇんだろ」 「まぁね」 実際、手は幾らあっても足らなかった。戦争の準備ばかりではない。いまのアリルカは式典の準備もしている。 リオンとフェリクスはそろって茶番だと言った。そして必要な茶番だとも。 アリルカ共和国建国式典。二王国の、そしてイーサウ自由都市連盟の長を招いて盛大に行う予定だ。もっとも、ラクルーサは招待したものの出席は見合わせるとの返答があった。 ラクルーサの弁によれば、アリルカ共和国を認めるに吝かではない。これはおそらくラクルーサへの牽制に早々にミルテシアがアリルカを認めたせいだろう。だがラクルーサは言う。アリルカにはラクルーサに反逆した者がいる、と。反逆者を引き渡さない限り、国交は結べない、と言う。 すでに、外交と言う戦争が始まっているのだ、アリルカと二王国とは。だからリオンもフェリクスも式典は必要な茶番だと言う。 そして茶番劇の開幕までもう日付がない。あと十日もすれば、各国の使節がアリルカにやってくる。それまでになんとしてでも体裁は整えなければならない。無論、戦争のための訓練を疎かにすることなく。 「事情は、わかってるつもりだからよ」 デイジーがぼそりと言った。炎の隼の面々もうなずく。その表情は、精悍と言うよりは険悪。ラクルーサとの開戦を待ちわびていた。 フェリクスはそれで思い出す。リオンからの情報。隼もまた、ラクルーサに強い恨みを抱いていると。小さく溜息をついた。 「あのね、デイジー。あなたがたが協力してくれるのはありがたい。とてもありがたい。あなたがたに体裁つけたってしょうがないからね、言うけど。手が足りないのも事実だ」 「だったら」 「でも、あなたがたは人間だ」 「おい!」 「話しは最後まで聞きなよ」 激昂しかけたデイジーの熱を一瞬で冷ましたのは、その口調。冷たさだけではない、ためらいがあった。 「イーサウは、僕らの同盟者だ。だからこっちはとりあえず置いとく。ラクルーサは出席しないって言ってきてるから、これもまぁ、いいよ。でもミルテシアはくるよ」 「だからなんだってんだよ」 「人間が、異種族に手を貸すあなたがたを見たら、どう思うかってこと」 はっと息を飲んだ部下を、デイジーは目つき一つで黙らせた。それをフェリクスが睨む。 「独裁はよくないと思うけど? あなたがたの協力は欲しい。傭兵として雇われるだけなら、あなたがたにも理由がつく。でも、それ以上は隼のためにならない。人間世界から爪弾きにされて、裏切り者の汚名を着る。それでいいの。あなたがたが今してるのは、そういうことだよ。よく考えて」 「てめぇは……」 「なに?」 「……意外と優しいこと言うもんだと思っただけだ」 ぶっきらぼうに言うデイジーは、そうして目をそらした。だからフェリクスの表情を見ることはなかった。無表情が崩れかけた一瞬を。 「僕を優しいとかって、よっぽと酷い人としか付き合ってこなかったんだね。ご愁傷様」 「てめ!」 拳をあげたデイジーを、咄嗟に部下が止めた。が、非難の目はフェリクスに向けられている。彼はかまうことなく背を向けた。 「言うべきことは、言ったよ。これでよかったのかな。なくしちゃうかな。リオンが困るかもね。まぁ……いっか」 呟きめいた独り言。けれどそれはシェリに聞かせる言葉だった。励ますよう、それでいいんだと言うようシェリが鳴く。 「……裏切り者、か」 そっとフェリクスは空を仰いだ。あまり実感のない言葉だった。いずれにせよ自分は異種族。人間世界に住み暮らしていただけの異邦人。 「あなたも、ね」 言ってシェリに頬を寄せる。小さな甘えた鳴き声にわずかに目許が緩んだ。 タイラントもまた、人間世界から弾き出されたものだった。彼は生まれも育ちも間違いなく人間だと言うのに。 「綺麗な目なのにね」 人間の目とは違う竜の目を覗き込み、色だけは同じだとフェリクスは思う。左右色違いのタイラントの目。たったそれだけのことで彼は同族からはじき出された。 「裏切る、か……」 そもそも裏切るためには前提として信頼がなくてはならないはずだ。フェリクスは人間と言う種族に信頼感など欠片も持っていなかった。そして人間からもまた。 「なにを物騒なことを」 かすかな笑いを含んだ声にフェリクスは視線を移す。木の陰にファネルがいた。木にもたれている様が実に優美だった。いかにも神人の子らしい、とフェリクスは思う。 「そう?」 「あぁ。物騒だ。何かあったか」 「別に」 言いつつフェリクスは立ち去ろうとした。が、シェリがとどめた。だから致し方なく煩わしそうにフェリクスは先ほどのデイジーとのやり取りを彼に話す。 「これでいい? 話したかったのはあなただからね」 当然、言葉はシェリに向けられたものだった。すまなそうに身を縮めるシェリにフェリクスは唇だけを引き締めて見せる。怒ってなどいないと、竜にはそれで伝わる。 「種族間の諍いばかりは、仕方ないな」 「それで済ませるから、あなたみたいなことになる」 闇エルフの誕生をフェリクスはそんな言葉で皮肉に言う。ファネルは肩をすくめて答えなかった。すでに済んでしまったことだと、どこか投げやりだ。 「昔からあったことだからな」 「闇エルフの――」 「神人の子、と言われた当時からあるさ」 ファネルの口許が引きつるよう歪んだ。笑うのか、嗤うのか。どちらとも取れるような表情だった。その彼の視線が外される。フェリクスも物音を捉えていた。 「なに、デイジー。まだ用なの」 二人の邪魔をしてしまったことを詫びるような顔をしたデイジーが、唇を噛みしめて近づいてくる。 「用じゃねぇよ。俺がいたら部下どもは好きなこと話せねぇだろうが。席をはずすのが優しさってもんだ」 部下にもそれぞれ思いがあるのだ、とデイジーは言う。今後を決めるために言いたいことが幾らでもあるはずだった。 「邪魔じゃなかったら、聞いてていいか」 「別にいいけど? 内緒話だったらこんなところでしないから。それはいいけど――」 「俺の態度は決まってる。つか、決めちまった。こんな――。まぁ、いいや。俺のことなんかどーでもいいんだ」 「……その図体で拗ねても可愛くないんだけど?」 意外なことに、ファネルが吹き出した。つられるようシェリが愛らしい鳴き声をあげては茶化して飛び回る。それに目を丸くしていたデイジーが、がっくりと肩を落とした。 「なにを決めたのかは聞かない。いずれわかるだろうしね。それで、デイジー。何が聞きたいの」 「だからデイズアイだって言ってんだろうか、このクソガキが!」 ひとしきり声を荒らげたデイジーに、いまだファネルは笑いが止まらずにいる。こんなによく笑うとは思っていなかったフェリクスは意外そうに彼を見ていた。 「意外か? まぁ、そうだろうとは思うが」 「こんなよく笑う闇エルフはじめて見たよ」 「我ながらそう思う」 もっともらしく真面目にうなずくものだから、デイジーはぽかんとしている。冗談だとは、思わなかったらしい。 「神人の血を引く者と、人間のかかわりが過去にあったのかを、聞きたいのか? デイジー」 ファネルが言うにいたって、デイジーはがっくりと肩を落とした。間違いなくからかわれている、と気づいたのだろう。 「冗談好きな闇エルフってのも、珍しいだろうな」 「まったくだ」 「ねぇ。ファネル。僕は異種族でちゃんとした関係を結んだのは、リィ・サイファとウルフしか知らない。あなた、他に知ってる?」 「長い人生色々あったから、知らなくはないが。そうか、サイファは結局人間を選んだのか」 「……ちょっと待って」 頭痛をこらえるよう顔を顰めてフェリクスは額に指先を当てた。 「あなた、リィ・サイファと知り合いだったりするわけ?」 それに少しばかり楽しそうな顔をしたファネルだった。いったいなんの話をしているのかわからないデイジーは二人に問うこともできずシェリと顔を見合わせる。竜は話してやりたいが話せない、とばかり困っていた。そこになんとも具合よくリオンが通りがかる。捉まえて話を小声でせがんだ。 「あなた、リィ・サイファをサイファって呼んだ。魔術師としての彼を知ってるわけじゃない。そういうことじゃないの」 |