じとりとデイジーがねめつけてくるのを、リオンは知った顔もせず茶をすする。それからにこりと笑って彼を見た。
「なにかお尋ねになりたいことが?」
「あるに決まってんだろ、この……」
 ボケだかクソ坊主だか、いずれにせよ似たような悪口雑言に違いない。それをデイジーは飲み込んだ。リオンが先々代の総司教、と聞かされたのが今更になって染み渡ってきたらしい。
「……まぁ、いいや。あんたら、アリルカ共和国ってやつが俺らを雇うのか、それともあんた個人が雇うのか」
「無論、アリルカ共和国が雇い主ですよ。個人で傭兵隊を雇うほど敵は多くないですねぇ」
 ぼんやりと言うリオンに、デイジーは思う。本人が気づいていないだけで本当は敵が多いのではないだろうか、と。
「相手は」
 だが内心の思いは別として、デイジーは傭兵隊の指揮官として交渉に入る。それまでの苦々しげな無頼漢ではなく、そこには歴戦の兵士がいた。リオンがにやりとする。
「当面はラクルーサ王国、と言うことになりますが、おそらくこのまま行くと人間の二王国を相手取ることになります。が、結局はラクルーサを相手にすることになるはずです」
「なんだそのはずだ結局だってのなぁ」
「ま、予定と言うやつですね。我々の戦略どおりに行けばってやつです。そうなるとは思ってませんよ。ですからあなたがたが我々とともに戦争する気なら、相手はラクルーサ・ミルテシア連合軍と言うことになります」
「連合軍? そんな話しは聞いてねぇぞ」
 仲よく手を携えてきたことなどない二王国だ。連合軍などと言うことになればある意味で歴史上の快挙だ。
「ラクルーサが自国の正当性を主張するなら、ミルテシアを巻き込まざるを得ないだろうという予測です」
 訝しげなデイジーに、リオンは一歩も退かずにそう言った。いつの間にか給仕に徹することに決めてしまったのだろうゴードン総司教が淹れなおしてくれた茶をもう一口飲む。
「デイジー。ラクルーサと戦争するのに気がかりがありますか?」
 傭兵とは言え、故郷もあれば身内の者もいるだろう。そう思ったリオンの問いにデイジーは皮肉な笑みを見せる。
「俺たちが身内って言うのはな、覚えとけよ。隊の仲間だけだ。だいたい家族だ故郷だなんて言ってる奴ぁ、傭兵なんざやらねぇよ」
 もっともな言い分だった。けれど素直にうなずけない。素直にうなずいてはいけない。そんな気がしてリオンは曖昧に笑う。それでいいとばかりデイジーこそがうなずいた。
「ラクルーサと戦う大義名分があるなら、もってこいだ」
「……と言うと?」
「ラクルーサに、この前まで雇われててな」
 そう言ってデイジーは痛みに顔を歪ませた。ふっとリオンは息を吐く。これほど心の痛みを露にしてくれたなら、どれほど楽だろうか。
 デイジーのそれも、間違いなく癒えることない苦痛なのだろうとは思う。だが、フェリクスは。痛みの気配すら表情に出さず、彼はひたすら耐えている。見ているほうがずっとつらかった。
「俺ら、炎の隼が壊滅状態になったのも――」
「ちょっと待ってください」
「あん?」
「炎の隼? あの、炎の隼隊ですか?」
「他にあるってんだったら聞かせて欲しいもんだぜ」
 不意にデイジーがにやりと笑った。不敵で逞しい笑み。今までよりいっそう頼もしい兵士に見えた。
「ははぁ。あなたが隼の指揮官でしたか。それはそれは。確かに私の条件に適いますね、人数も、機動力も」
「機動力ってことは、馬に乗れる奴がほしかったってことか?」
「はい。そういうことです」
 言ってリオンは話の続きを促した。驚きのあまり遮ってしまったことを目顔で詫びる。それで通じる男のような気がした。
「戦闘は、いつもどおりっちゃ、いつもどおりだった。俺たち傭兵隊が最前線。それから国の兵隊さんたち。ま、これは役にたたねぇわな。で、最後に国王が出陣してた」
「アレクサンダー王が?」
 問うてリオンはあのときか、と気づく。宮廷魔導師団が出陣を許されなかった戦いだった。騎士たちだけで必要以上に充分勝てる、と王に笑われたあの時。そっとリオンは拳を握った。
「あぁ。あの名前にしちゃ、とんだ腑抜けだな、あの王様はよ。ミルテシアとの国境争いだ。激戦になるのはわかってた。王様だけがわかってなかったんだな……」
 戦闘が次第に激しくなっていく。雨まで降りはじめ、気づけばラクルーサは押されていた。炎の隼とは別の傭兵隊が、わずかに崩れた。それを見た国王軍が、浮き足立った。雪崩を打って逃げるのは時間の問題だった。
「国王がな、留まってりゃ王軍があそこまで崩れることはねぇ」
「……逃げた?」
「一番最初にな」
 ひくり、とデイジーが笑った。痙攣でもするような笑みに、痛みを見る。リオンはそっとぬるくなった茶を勧める。煽るよう飲み、デイジーは息をつく。
「隼は、逃げられなかった。別に王様を守ってやんなきゃと思ったわけじゃねぇ。俺たちの背中の道が、生憎と本陣一直線でな」
 だから炎の隼は逃げられなかったという。背を向ければ、王国の騎士に切られたという。逃げた国王が無事王城にたどり着くまで、その場を動くな、と。
「金で雇われた傭兵の使い道なんかそんなもんだって言いやがったぜ、騎士さんはよ」
 騎士の言葉はすなわち国王の言葉。リオンは静かに視線を落とす。デイジーの拳はきつく握り締められていた。
「俺たちは、あの戦いで隼の兄弟を大勢なくした。馬鹿みたいな戦闘だぜ。ま、戦争自体が馬鹿みたいなもんだっていうのにゃ、反論もしないけどな」
「デイジー」
「なんだよ」
「家族の、仇討ちをしませんか。是非、ご一緒に?」
「おい……」
「すでにご想像のことかと思いますけどね、アリルカはそう資産があるわけじゃないです。あなたがたが炎の隼隊と伺っては、ちょっと手元不如意といいますかね――」
「おい、待て。金がねぇってのは」
「金はないです。はっきり言ってあるわけがないです。でも、あなた方に提供できるものはありますよ」
「復讐の機会とかぬかすんじゃないだろうな? 半エルフなんかと違って俺たちは人間だ。食わなきゃ死ぬぞ」
「そんこと言いませんって。大体半エルフだって食べなきゃ死にますって。そうじゃなくてですね、ちょっと伺いますけど、いま隼には何頭の馬がいます?」
「……百二十だ。隊員のほうも聞きたいだろうな? こっちは最盛期から比べりゃずいぶん減った。今すぐ戦闘に加われる奴っていうんなら、二百そこそこだな」
「と言うことは、馬は足りてそうですねぇ」
 心底困った、そんな顔をしたリオンにデイジーはこちらも心の底から呆れて見せる。両掌を上に向け、大袈裟に首まで振って見せるのだから、デイジーと言う男は基本的に陽性なのかもしれない。
「足りてるわけねぇだろ、あんたな。計算はできるか。簡単な引き算だろ」
「おや。もしかして隼は――」
「全員が騎乗で戦える」
「それは頼もしい。そして馬は足りない。なるほど。では、ちょっと待ってくださいね」
 これでやっと交渉に入れるとばかり嬉しげなリオンが微笑んで首をかしげ遠くを見やった。なにを考えているのか、と言うよりぼんやりとしてしまったリオンが訝しくてデイジーは息を潜めているゴードンに視線を向ける。
「なんすか、あれ?」
 問いかけに、ゴードンは静かに首を振っただけだった。まるでリオンの注目を集めたくないとでも言うようで、デイジーはこっそりと笑う。
「デイジー。許可が出ましたよ。八十頭、と言うか不足分はすぐに提供できます。それから取り替えたい馬がいる場合、交渉も可能です。もし交配をお望みならそれも問題なし、と言うことで」
「ちょい待ち、リオン。あんた、いま――」
「私は魔術師でもあるって言ったでしょ。アリルカの仲間と現在でも精神が繋がってます。こっちで交渉して、あっちで話を詰めてじゃ面倒でかなわない。と言うことで、私がいまここで口にすることはアリルカの意思と思ってくれていいです」
「……そりゃ、話が早いな」
「でしょ?」
 にこりと笑うリオンにデイジーは眩暈を覚えていた。話が早いというような問題が、ずいぶんと些細なものに思えてしまう。思えばアリルカ共和国は神人の子らが作った国だとか。と言うことは魔術師が主体。リオンのような男がごろごろとしているのか、思うだけで少しだけ怯む。
「ところで。炎の隼は魔術師との連携行動に慣れてます?」
「隼は、傭兵隊だ。慣れろってんなら、慣れる。柔軟性に欠ける傭兵隊なんかいねぇよ」
「それはよかった。では、隊の中に魔術師は?」
「いるよ。それがどうした?」
「ちょっと聞きたいなと思って。腕はどのへんです?」
「んなこと言われたってなぁ……。例えばそうだな、敵に向かって目くらましをかけたりはできるぞ」
 控えめながら誇らしげな様子だった。事実、自隊の中に魔術師がいる傭兵隊は多くない。作戦の幅が広がる反面、魔術師を守る人員を割かなくてはならないのが理由だった。
「目くらましですか。持続時間はどのくらいです」
「俺たちが逃げるのに充分なくらいだな」
 答えにリオンは唇を軽く噛む。デイジーの言い分からは、魔法の持続時間が長くないことが窺えた。そうなるとやはり自分ひとりでは手に余る。
「そうですか。そうなると、ちょっと私ひとりでは無理そうなので、仲間を呼びましょう」
「なんのことだ?」
 訝しげなデイジーにリオンはにこりと笑った。知らず、腰が引けていてデイジーは訝しくあたり見回す。視界の端にわだかまっていたもの。ゴードンもまた縮こまっていた。
「ゴードン。なんですか、情けない。魔術師と聞いて一々怯えるんじゃないですよ。みんながみんなカロルみたいじゃないです。あれは、特殊です。なんと言っても私の銀の星ですから」
 胸をそらして言うようなことか、と後になってデイジーは思った。そのときはただ堂々と愛する人を誇るリオンが、なぜか立派に見えてしまっていた。とんでもない気のせいだったのか、それとも正しい感想だったのかは、結局いつになってもわからないままだったが。




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