「――と言うわけでね、あてはないかなと思って顔を出したわけです」 にこり、とリオンは笑ってのんびりと茶をすすった。その姿からはとても傭兵隊を雇いたいなどと言う殺伐とした話題が出るとは思えなかった。 「ふうむ。傭兵隊、ですか」 重々しげに言うものの、目の前の男はどこかかしこまっていた。重量感のある体を上等な神官服に包み腕を組んで考えている。知識ある者が神官服の刺繍を観察したならば彼が総司教と知れるだろう。 エイシャ女神の本神殿だった。かつてリオンが総司教であった頃、本神殿はラクルーサの王城内にあった。現在では三叉宮のそばに移っている。 それは何より不便だったからでもあったし、ラクルーサ王国と特別なかかわりができてしまうのを恐れるからでもあった。それが幸いしている。 三叉宮。遥かなる過去、神人たちの王が居城にしたという優美な宮殿。往時にはアルハイド三国を繋ぐ小宮殿が三つあったということだが、現存しているのは三叉宮のみ。 シャルマークの大穴が塞がったあとのことだという。至高王の剣と王冠を取り戻した人間たちは三叉宮にそれを祀り、協力して平和を築くことを誓ったという。 ただの、伝説だ。ラクルーサとミルテシアの間に協調と言う言葉があったことはかつてない。それでも人間は伝説に希望を見出したのだろうか。三叉宮の周囲はいつしか各神殿が集まり、今となっては神殿の街と化している。 「傭兵隊ならなんでもいいってわけにもいきませんけどね」 静謐な神殿街でするような話題ではなかった。それを気にした風もなくリオンはまた茶をすすった。まるでただの茶飲み話だとでも言うように。 「条件は、例えばどのようなものがあるのでしょう」 「そうですね。まず規模は二百人以上。この程度の数がないとうちの魔術師を守りきれませんから。それから機動力が必要ですね。できれば半数は馬に乗れること」 それに男がうなった。以前は馬といえば貴族か裕福な商人のもので、とても平民が乗るものではなかった。それもここ数十年で変化している。 最大の理由は傭兵隊の出現だろう。数えることもやめてしまった昔から傭兵隊は確かに存在している。だが、それを国王が雇うことは今までなかったのだ。 最初にはじめたのはミルテシア王だと言う。すぐさまラクルーサ側も倣った。平時には平凡な国民でいる徴集兵より、傭兵は強い。それが何よりの理由だった。生きるために戦っている彼らは、ただの兵士を圧倒する強さを見せた。 勝つためにはなにができるか。勝つためには、なにをしなければならないか。彼らはそう考える。必然的に、馬に乗ることを彼らは習得していった。 「乗馬が可能な者がいて、しかも二百人規模……」 「あぁ、言うまでもないですけど、うちは人間から見れば異種族の国です。異種族を目にしておたつくようなお間抜けさんは要りません」 「まぁ、傭兵隊の連中はその辺りは肝が据わったものではありますが。難しい――」 言葉を切った総司教にリオンは微笑む。視線を宙に放った彼が話し出すのをじっくりと待っていた。 「……リオン様。それ、やめていただけませんか」 「なにがです?」 「じっと待たれるのを、です」 「なぜです? おとなしく待ってただけなのに」 「……とても、修行時代に戻ったような、愚かな修練者に戻った気がして。落ち着きません」 「おやおや、情けないことを言うものです、総司教ともあろう者が」 からりと笑ったリオンに彼は言われたとおりの情けない顔を見せて肩を落とした。 「それで? 思いついたんじゃないんですか。もう待っててあげませんよ」 「待たなくていいです。思いつきましたが、問題が。……まぁ、リオン様なら扱えるでしょう」 どういう意味だと問うより先、彼は手を打ち鳴らして部屋の外に控えていた者を呼び、何かを言いつけて茶をすすった。 リオンもまた、同じように茶を一口飲む。お互いににこりと顔を見合わせたけれど、本心からくつろいでいるのはリオンだけだった。 「ゴードン総司教様? お呼びだと伺ったんですがね」 扉を叩く音もそこそこに、一人の男が入ってきた。慣れた態度から見れば、ゴードンとは初対面ではないのだろう。 「あぁ、デイジー。ちょっと話があるのだよ」 精一杯の威厳をつくろってゴードンは言う。無論、見せる相手はデイジーと呼ばれた男ではなくリオンだ。 「デイズアイ、ですよ。せめて初対面の野郎がいるときくらいはちゃんと呼んでください」 そう言って男はリオンをちらりと見やった。いかにも胡散臭い、と思っているのだろう。確かに総司教の私的な居室でのんびり茶をすすっている人間、と言うのは怪しい。 「この人があなたお奨めの傭兵さんですか?」 確かにデイジーは立派な体格をしていた。可愛らしい呼び名につい吹き出す者も多いだろう。 「なんだ、てめぇは。ひょろひょろした喋りかたしやがってよ。しゃっきりしろよ、しゃっきり! で、総司教様。もしかしてお話って」 「デイジー。こちらの方に雇われてみないかね」 そのとおりだとゴードンはうなずく。途端にデイジーが肩を落とした。 「確かに俺たちゃいま困窮もここに極まれりってとこですよ。ですけどね、総司教様。こんなうすらボケた野郎に雇われ……」 デイジーの罵言の途中だった、ゴードンが吹き出したのは。そして呆れ顔のリオンがゴードンを見やったのは。 「ゴードン、あなた」 「はい。リオン様。あなたならこの程度の罵詈雑言は慣れてらっしゃいますでしょう? いやはや、デイジーたちは腕はいいんですけどね、指揮官自らこれですから。優雅な貴族の方々のうけが悪くって。偶々神殿を頼ってこちらにきていたのはちょうどよかった」 「悪うございましたね」 鼻を鳴らしてデイジーが言う。それにまたゴードンがひと笑いをした。 「あのね、ゴードン。別に私は慣れているわけじゃないですよ」 「なにを仰るやら――」 「ちょっと待ちやがれ、このすっとこどっこいのぼけ野郎。あんたがなにもんだか知らねぇけどな、エイシャ神殿の中でくらい総司教様に敬意ははらいやがれ」 「外に出たら知ったことではないとでも言いそうな口ぶりですねぇ」 「そうじゃねぇだろ、うすらなまず!」 「ちょ、ちょっと待ちなさい、デイジー」 「いいや。待ちませんとも。俺はこう見えても敬虔なエイシャの信徒ですぜ」 「ですから待ちなさいと言ってるんです。いいからちょっと座んなさい。こちらのリオン様は、先々代の総司教様でおいでです」 その瞬間、デイジーが燃え尽きた。へなへなと椅子に座り込んだのにも本人は気づいていないだろう。ぽかんと見つめてくる視線にリオンはにこりと笑った。 「ま、そういうことです」 とても三十台半ばにしか見えないリオンが先々代の総司教だとは信じがたい。ゴードンは五十歳を充分に過ぎているのだから。 「……もしかして、あんた」 ひゅう、とデイジーの喉が鳴った。恐れや興味や、その他もろもろが合わさった音だった。 「リオン・アル=イリオ? 真理の使徒? あの、黒衣の魔導師の伴侶?」 「カロルの名前だけ、どうして怯えるのか理解に苦しむところではありますが、私のことでしょうねぇ」 飄々と言うリオンをデイジーは心の中で罵った。普通、怯えるだろ、あのメロール・カロリナだ、と。だがリオンは彼を懐かしげに呼ぶ。 「……てことはだぞ。あんたが俺たちを雇いたいってのはあれか。アリルカ共和国?」 「正解です。うん、情報は正確のようですね」 「あったりめぇだろ! こっちは戦闘が生業だ。情報の正確さは生死につながんだぞ」 「だから褒めてるんじゃないですか。ねぇ、ゴードン?」 「生憎そう聞こえない辺りがリオン様ですな」 「ゴードン、よく聞こえませんでした。もう一度どうぞ?」 「……何も言ってませんよ、私は」 笑みを絶やさないままのリオンにゴードンは溜息をつく。恐ろしいことにこちらが本来のリオンの性格なのだ、とわかってしまう。自分を教え導いてくれていたころはもう少し穏やかだったものを。 「ちょっと聞きてぇ。リオン……様よ」 「リオンでけっこう。いまはただの神官で魔術師です。それで?」 「おうよ。あんたがアリルカにいるってことは、もしかすると氷帝フェリクスも……アリルカか?」 「そうだ、と言ったら?」 その一瞬、きらりとリオンの目が光った。咄嗟にゴードンは自分がなにをしたのかわからなかった。知らないうちに立ち上がり、壁までよけていた。デイジーもまた、一度は剣の柄を握ったものの意志の力で指を引き剥がし、そして両手をあげた。 「氷帝の居場所を知ったからってラクルーサに売ったりしねぇ。エイシャ女神に誓う」 「……なるほど。いい判断です。読みも正確ですね。いいでしょう、交渉に入りましょうか」 「ありがてぇ」 ほっと息をついたとき、壁際でゴードンがへたり込んだ。それにリオンはあからさまな呆れ顔を向けた。 「ゴードン。修行が足りませんよ。あれくらいでなんですか」 「あれくらい、と仰っても。今のは明らかに殺気だったでしょう!」 「そうですよ? だってデイジーがもしフェリクスを売ったりしたらどうするんです。素直に殺されるフェリクスじゃないですけど、よけいな被害が増えるのはさすがに神官として見過ごしにはできませんしねぇ」 さらりと言われた言葉にゴードンは背筋が粟立った。場数を踏んでいるだけにデイジーは持ちこたえたものの、顔色が悪い。 「デイズアイ、だ」 それでも言ってのけたのは立派だった。それを褒めるようリオンが笑みを見せる。つられて笑みが浮かんでしまったデイジーの、負けだった。 「わかりました、デイジー。ところで、我がアリルカは人間族のほうが少ないくらいです。その辺は問題ないですか」 「だからデイズアイだって言ってんだろうが。わかってねぇだろ、わざとだろ!」 「無論、わざとですよ。それで?」 「……問題ねぇよ。俺たちは異種族だからって偏見はねぇ」 「それは重畳。いい人を紹介してくれましたね、ゴードン。感謝しますよ」 うなずいた総司教は、気のせいか泣き顔だった。できればさっさと出て行ってくれ、とでも言いたそうだった。 |