エラルダは息を飲んでいた。下がっていろ、と言われたにもかかわらずいつの間にか前に出ている。フェリクスの隣に並んで、二人の対戦を息をするのも忘れて見ていた。
「……凄い」
 このようなものを見たことはなかった。魔法剣そのものもしかり、これほどの対決もしかり。戦いではない。ただの立会いだとわかっていても背筋に痺れが走る。
「怖い?」
 前を向いたままフェリクスが問うた。見入っているのかと思って彼に視線を移した途端、エラルダは後悔をする。
 彼はやはり、無表情だった。その代わり、とでも言うようシェリが目をきらきらさせて戦う二人を見ていた。
「怖くは、ないです」
「そう」
「シェリが……」
「楽しそうでしょ」
 竜を見もしないで彼は言う。見なくともわかる、そう言ってでもいるようだった。
「これは、と言うか。この本体の魂のほうは、と言うか」
 フェリクスはそこで言葉を切った。痛みをこらえているのだ、エラルダは気づく。気づかなかったふりをする。
「あの剣がね、好きなんだ」
 ゆっくりと息をして、フェリクスは何事もなかったかのよう、言葉を続けた。肩のシェリがちらりとエラルダを見やる。その目に感謝があった。
「ファネルも言っていましたが、独特ですね」
「禍々しいって言ってもいいよ」
「そんな!」
 思っていたとは、とても言えなくなってしまった。氷の剣は確かに美しかった。それなのになぜ、そこに生き血が通うのか。それさえなければ、何よりも美しい剣だっただろうに。
 エラルダはいまはファネルの手にある彼の剣を見つめる。振るわれるたびに脈動するかの姿を。不意に気味が悪くなった。あの剣があるからフェリクスはいっそう体も心も損ねているのではないか、そんな気がした。
「昔からリオンはあの剣が嫌いなんだよね。血が通ってるのが気に入らないみたい。別にいいじゃないね。僕の勝手なのに」
「ですが――」
「あれね、血じゃないの」
「え?」
「血に見えるだけ。別に人間の生き血が流れてるとかって、そういうわけじゃないの。だいたいそんなこと、僕の師匠が許すわけないじゃない?」
 笑わないフェリクスの代わり、肩のシェリが鳴いて笑った。自らの浅はかさを笑われた気がしたエラルダは頬を赤らめ、戦いに目を戻す。
「まぁ、いいけどね。あんまりあの剣が好きって人、いないし。……あいつだけだったね」
 最後はぽつりとした声だった。聞かせるつもりのない独り言。シェリが小さくうなだれた。自分でありながら、自分では代わりになれない、竜の目が寂しげにエラルダを見つめた。
「あ――」
 涼しげな音がしていた。思わず音につられて目を上げたエラルダは声を上げる。ファネルの手にあった剣が弾け飛んでいた。
「どうして」
 剣を弾かれたことではなかった。ファネルは剣、リオンはハルバード。元々の得物の長さが違う。ファネルが勝てるはずもない相手だったのだから、そのこと自体はなんの驚きもなかった。
 エラルダに声を上げたさせたもの。その場にいた民に息を飲ませたもの。それはやはり、氷の剣だった。
 ファネルの手を離れた途端だった。するりと大気に溶けて消えたのは。あまりにも鮮やかで、まるで幻でも見ているかのよう。
「簡単なことだよ」
 そう言ってフェリクスは魔法を教えている者たちを見やった。わかるか、そう視線で問う。
「魔法を解除した?」
 臆することなく一人が言えば、驚きから冷めた者から順番にうなずいていく。まだその目は消えた剣の先を追っていた。
「あってる」
 うなずくだけのフェリクスに代わってシェリが喜びの声を上げた。出来のいい弟子に対する師のそれに民が笑い声を上げる。フェリクスは黙って見ていた。
「それで。どう?」
 無理やりだったのだろうか。少なくともエラルダにはそう見えた。フェリクスは教え子たちから目をそらすのを嫌がった、そんな気がしてならない。ただの気のせいかもしれない、冷たい彼の目を見てはそう思い直す。
「どうか、ですって? なにを馬鹿なことを仰るのやら。いやんなっちゃいますねぇ。もう」
 肩をすくめてリオンがハルバードから手を離した。倒れる間もなく武器は剣と同じよう消え去った。
「使い物になるなんてものじゃないです。即戦力になりえますよ、充分に」
「そう。じゃあ、ファネル」
「待て。私は魔法で戦う。戦いたい」
「ねぇ、ファネル。僕が聞きたいのはね、そこなの」
 歩いたとも思えない滑らかさでフェリクスが前に出た。なぜか咄嗟に止めようとしたエラルダの横をすり抜け彼はファネルの前に立つ。
「魔法で戦いたいの。それとも戦いたいの」
「なに?」
「戦うだけなら魔法は必ずしも必要じゃない。さぁ、どっち」
「ちょっと、ま――」
「待たない。どっちなの。戦いに参加したいから魔法を習うんだったら、僕は教えたくないね。確かに適性は高い。でもあなたは魔法が好きじゃないみたいだ。そういう人って、危ないんだよ。僕は魔法の暴走事故で貴重な人材を失うなんて無駄、したくないからね。さぁ、ファネル。選びなよ」
 畳み掛ける勢いにファネルが押された。熱のない口調なのに、そこには真摯な懸念がある。口は悪いが、心から彼が案じているのが伝わってくる。ふ、とエラルダは胸の奥が熱くなった。
「いい人でしょ?」
 そっと近づいてきたリオンが茶化して片目をつぶって見せるのに、エラルダは黙ってうなずくことしかできずにいる。
「こんな人なのにねぇ。人の心配ばっかりして、自分のことはいつも後回し。それで傷つくのも、自分なんですけどねぇ」
 こんな人、の意味を聞いてみたい気がしたものの、なぜとなくまともな答えが返ってくる気がしなくてエラルダは曖昧にうなずく。言葉の意味を問うことこそしなかったけれど、大意には充分すぎるほどうなずけた。
「私は……」
「迷ってないでさっさと決めてね。僕はまどろっこしい話は好きじゃない」
「そうは言うがな」
 苦笑するファネルがふとシェリに目を向けた。まるでどちらがいいか竜に問いでもするように。そして声を上げたのは誰だっただろう。
 フェリクスの肩の上、シェリが一声鳴いた。はっとしてフェリクスは竜を抱き下ろす。竜の牙の間には、玩具のような短剣が咥えられていた。
「あなた――」
 フェリクスがなにを言うより先、シェリが身をよじって彼の腕から逃れた。飛んでいく先は、ファネルの元。
「これを?」
 彼の肩に止まることはせず、宙に浮いたままシェリはファネルを見つめた。真剣な色違いの目に押されるよう、思わず短剣を手に取れば、涼しい感触を残して消えた。
「選択は済んだね」
「どういうことだ」
「あなたは選んだ、剣の道をね。選ばされたって言ったほうがいいみたいだけど。戻っておいで」
 伸ばした腕にシェリが飛び移る。軽やかな動きを殺さぬまま、フェリクスはシェリを投げ上げた、ちょうど肩に止まるように。
「僕に意味なんか聞かないでよ。僕だって一々全部は説明してあげられないし、説明できるものでもない」
「シェリに、選ばされた?」
「まぁね。少なくともこいつはあなたは剣のほうがあってると思ってるんじゃないの」
 フェリクスが言わなかった言葉がわかるとでも言うよう、ファネルはうなずいた。世界の歌い手の魂が、魔術師でもあった魂が、魔法ではなく剣を選ばせた。それが理由などなくとも、ファネルにはわかる。
「だが……」
 ためらいはある。剣一本で、いったい何ができるのだろう。今度の戦争において、自分はどれほどのことができるのだろう。
「剣は必要だよ。僕らにとっても」
「フェリクス?」
「僕らの主戦力は、魔術師だ。魔法を紡ぎだすあいだ、魔術師は無防備になる。守ってもらわなきゃならない、物理戦力を持つ人に。神人の血を引く人たちは、一撃くらい食らっても死にゃしないだろうけど、その子らは違う」
 また、フェリクスは言葉を続けなかった。守ってやってくれとは決して言わなかった。言わなかった言葉の中、彼自身が含まれていないことまで、ファネルには理解できてしまう。
「あなたぐらいの腕があるなら、他の人たちの訓練もできるでしょ」
「……わかった」
「そう。助かるよ。じゃ、任せるから」
「フェリクス」
 ひらり、手を振って背を向けた彼の、その背中に向かってファネルは言った。
「剣で、守ろう。お前たち、魔術師を」
 言ってから、ファネルはかすかに笑う。まるでフェリクスのようだった。省略した言葉が、彼に通じるだろうか。ひくりとフェリクスが肩を震わせた。それは目に留まらないほどわずかなものであったのに、シェリが大袈裟によろめいてみせる。
「では、そういうことで。ファネル? 頼みますね」
 にこやかなリオンの声と、シェリの悪戯っけにあふれる目つきに目を奪われてファネルは動けなかった。いつの間にか二人の対戦を聞きつけたのだろうか、リオンとフェリクスの弟子たちが集まっていた。
 その目前での出来事だった。一瞬シェリとリオンが目を見交わしたのを確かにファネルとエラルダは見た。
「な――」
 フェリクスの足が止まる。まさかとでも言わんばかりに振り返る。リオンを見やった目は、憎しみに満ちていた。
 そしてその場に崩れ落ちたフェリクスを、リオンは抱きとめることすらせず、黙って見下ろすだけだった。




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