真摯なリオンの目が、エラルダを捉える。なにを言うべきかわからず、エラルダは黙って彼の言葉を待っていた。 「……昔ね」 話していいかどうか、リオンは迷っているようだった。だからエラルダはうなずく。誰にも言わない、ここだけの話にする、と。それに応えてリオンの目が和んだ。 「同じようなことがね、あったんですよ」 「眠らない?」 「えぇ。タイラントとね、大喧嘩をしまして。十日くらいだったかな。飲まず食わずで自分の部屋に引きこもっちゃって」 「よく、平気でしたね。彼は、定命の定めを持っているのに……脆いでしょう、彼らは?」 「平気じゃなかったですよ」 さらりと言ってリオンは肩をすくめた。だからこそいっそう際立つ深刻さ。エラルダは唇を噛みしめた。 「あのときは私の銀の星が怒り狂いましてね。もうちょっとでタイラントをぶち殺そうとするのをなんとか止めて」 大変だったな、そう言いつつリオンはどこか懐かしそうな顔をした。いまはいない最愛の人を思い出しているのがありありとわかり、エラルダは口を挟めずにいる。 「痴話喧嘩ってわけでもなくってね。でも、痴話喧嘩だったのかもしれませんね。結局、仲直りするまで、四年くらいかかってます」 「四年! 定命の子には、長い時間でしょうに」 「長いですね」 密やかな声だった。しんと静まり返って、森の生き物たちの声ばかりが、耳につく。妙なほど焦燥に駆られ、深く呼吸するエラルダにリオンは笑みを見せる。悲しい目をしていた。 「……フェリクスは、後悔しているかもしれません。あの時間を、どうして離れて過ごしてしまったのだろうと。こんな風にして失うのだったら、あのときそばにいるのだったと」 口調から、察した。幾らそう願っても、離れていた時間は、彼ら二人に必要なものだったのだと。それを読み取ったよう、リオンがうなずく。 「らしく、ないんですよ」 「え?」 「フェリクス。こんな風にうじうじと悩むの、彼らしくないです。私の銀の星に似て、とてもきっぱりした人ですから。あのときは――カロルがいました。いまは、私がするほか、ないでしょうね」 いまはもう、フェリクスを止められる者がいないのだから。愛情を持って、叱りつけ、彼が受け入れることができるカロルはいないのだから。 「リオン。寂しいですか」 思わず、聞いていた。馬鹿なことを言ったと思った。にこやかに微笑むリオンは答えない。あまりにも、明確すぎて。 「すみません。愚かなことを聞きました」 「いいですよ。時々人に言ってもらったほうが、寂しさって、和らぐものです。そこにたどり着くまで、フェリクスを生かすのが、私の最後の大仕事ですかねぇ。さ、行きますかね」 茫洋とした表情で、別に大したことでもないのだと言わんばかりにリオンは言う。つられて立ち上がってから、エラルダは遅れてぎょっとする。 「リオン」 「あぁ、別に死期が近いとか、そういうんじゃないですよ。とんでもない大仕事が残ってたなぁ、と。そういうことです」 どことなく、楽しげだった。ぼやく口調とは裏腹に。まだすべきことがある。それが人間にとって、どれほどの生気となるのか、エラルダにはぼんやりとしかわからない。 会話は、途切れがちだった。フェリクスを捜しながら歩いているだけに、滅多なことは言えない、二人ともがそう感じていた。 「あぁ、やっぱりそうでしたか。最初からここにくればよかったな」 自分の迂闊さをリオンが情けなさそうに笑う。その笑みにエラルダも肩をすくめた。 フェリクスは、広場に戻っていた。まさか、と思って最後にしてしまった分、時間が経っている。おかげで、と言うべきか、いつもの広場の姿に戻っていた。 魔術師たちはいまはまだ休んでいるのだろう。フェリクス一人が魔法の訓練を施している。エラルダにとっては見慣れた、リオンにとっては初めての情景だった。 「こんな風にしてるんですねぇ」 意外だと言うようなリオンの口調にエラルダは首をかしげることで話の続きを促す。それに彼は一瞬迷ってから、話し出した。 「ちょっとね、星花宮の講義を思い出させます」 それがフェリクスに、よい影響を与えているのかはわからない。むしろ、痛みを自らかきむしる行為に思えたけれど、リオンは言わなかった。 その視線を、フェリクスが感じ取った。はっとするほど鋭い目。何かよけいなことを一言でも言えば殺してくれると、視線で宣言された気がした。 「ちょうどいいところにきたね。呼びに行こうかと思ってた」 「私をですか? おやおや、なんの御用でしょう」 何もなかった顔をして、リオンが歩み寄る。つられて進んだエラルダを、フェリクスが片手で止めた。 「危ないことになるから、下がってて」 淡々とした声の中、懸念を聞き取ることができた。それが自分で想像したよりずっと嬉しくて、エラルダは微笑む。笑みは、無視されたけれど。 これほど傷ついた魂が、どうしてここまで他者を気遣えるのか、エラルダは不思議でならなかった。感動すら、する。だからこそ、彼らの弟子たちがそれを理解できないことに、苛立つ。 「それで。なにをやらせようって言うんです?」 リオンには答えず、フェリクスは民の間に目をさまよわせた。無駄な仕種だ、とリオンは思う。誰がどこにいるかなど、彼が把握していないはずがない。 「ファネル。ちょっと来て」 それはだから、フェリクスの逡巡の時間だったのかもしれない。呼び出された闇エルフは、訝しげな顔をして彼らの元へと近づいてきた。 元々ファネルは、魔法の訓練に参加してはいなかった。民の中にも躊躇する者は幾らでもいた、そういうことだった。 だが、フェリクスの訓練の様を見て、やはり自分も戦う、そう決心した者がぽつぽつと現れ始めた。ファネルもその一人。 フェリクスは、彼と会話したことなど忘れた顔をして魔法を教えた。シェリも、彼に対して仄かな親愛を見せたなど、態度に表さなかった。 「フェリクス?」 なにをする気か、とファネルは戸惑っていた。本気で自分を忘れたなど、思ってはいない。闇に堕ちたとは言え、神人の子。自らの記憶が薄れない以上、他者の記憶が薄れがちであるなど信じがたいのかもしれない。 「あのね、あなた。魔法の適性はある」 「当然だ」 「そうだよね、神人の子だし。誰もがそうだってわけじゃないと思うけど。でもあなたは適性が高い。でも、本当に戦いたいのか、僕にはわからない」 「どういう意味だ」 「そのまんまだよ。ファネル。魔法で戦うの、好きなの」 「好き嫌いではない。それが最も効果が高いとわかっているなら――」 「だから、リオンなの」 「あぁ、それで私ですか」 二人の魔術師が同時に言った。怪訝な表情を隠しもせず、ファネルがかわるがわる二人を見やる。エラルダをはじめ、その場の者はみな、なにがはじまるのかと黙って見守っていた。 「あなたの剣を貸してあげてください。普通の武器じゃ、不利すぎる」 「……まぁ、仕方ないか」 さも嫌そうに言うものだから、咄嗟にファネルはフェリクスを止めるところだった。それをとどめたのは、澄んだシェリの鳴き声。見れば竜は色違いの目をきらきらとさせてファネルを見つめている。 「ちょっと高等な魔法をお見せしますよ」 「あなたがするんじゃないでしょ」 ぴしりと言って、けれどフェリクスははっきりと呪文を唱えて見せた。まるで授業の一環だとでも言うように。 「凍え震え凝れ大気、リゼー<血氷剣>」 目を瞬く。ふ、と大気の温度が下がった気がした。気のせいかと思ううち、フェリクスの手には生き血の通う氷の剣。シェリが喜んで声を上げる。 「ほんとあなた、この剣好きだよね」 肩の上に手を伸ばし、フェリクスは静かに竜の背を撫でた。この剣を好んだのは、あなただけだとでも言うように。 エラルダはすでに何度か見た剣に目を吸い寄せられていた。あの、イメルと言うタイラントの弟子に向かって振るった剣。今更ながら魔法の剣だったのかと気づく。 「これ、持って」 「……私が?」 「あなた、魔法適性高いって言ったじゃない。それくらい、維持できるよ、僕が教えなくっても」 すくめた肩の上でシェリが羽ばたく。喜ぶような楽しむような表情。ファネルは戸惑ったまま、剣を手にした。 息を飲む。剣に気力を奪われた気がした。咄嗟に放しそうになった手で柄を握り締めれば、蘇る気力。 「それでいい」 無表情のまま、満足そうなフェリクスの声。改めてファネルは剣を見やった。 「中々……独特な剣だな」 「僕の勝手でしょ。リオン」 「はいはい。では、私も、ご覧あれ」 茶化すよう言い、リオンが軽く仰のく。その目が喜びに煌いた。 「この手に堅固なる闘気、キセス<地斧槍>」 エラルダは、予想が当たったことを一人静かに喜んでいた。これも、先ほど見た彼のハルバード。どこから持ち出し、どこに片付けたのかと思っていたら、こういうことだったのかと思う。 「さて、フェリクス?」 現れた二つの魔法の武器に、民たちがどよめいていた。生来、魔法を使うことが可能な神人の子らですら、見たことがないもの。このような使用法があるとは考えたこともないものがそこにあった。 「ファネルと立ち合って」 「私がですか?」 「武器を持ってるのはあなただし。僕じゃ……」 「荷が重そうですね。いいですよ」 リオンはフェリクスの剣を持つファネルを横目で見ていた。はじめて持つ魔法剣だというのに、一分の隙もない。 「でも、立ち合うまでもない気がしますよ」 それをファネルは挑発ととった。するりと構えられた剣が、光を反射した。そして息を吸う。剣先が、わずかに揺れた。 「ほらね?」 ハルバードを構えるでもなく立つリオンに、ファネルは打ちかかれない。細められた目が、彼を睨み据えた。 「いまここで私に打ちかかって来るようでは、望みがありません。彼は、私の力量をちゃんと読んでます」 にこりと笑ってリオンがハルバードを構えた。一瞬にして二人が交差する。火花が散った、と思ったときには二人は位置を入れ替えて対峙していた。 |