そしてリオンは弟子たちに冷眼を向けた。それが転じて細められる。笑みに似て、笑みではない。まるでフェリクスのようだ、と近くで見ていたエラルダは思う。 「あなたがたね。私の忠告を軽く見たのみならず、私のエイシャの総司教としての力量まで疑うつもりですか。人の話しはちゃんと聞きなさい」 本当に仕方ない人たちばかりだ、口にせずリオンは言う。その声がまざまざと聞こえてしまったのだろう。弟子たちがうつむき、神官が震える。 「タイラントの魂の、欠片、です。本人ではない。言うまでもないでしょうけどね、フェリクスに問い質したりするんじゃありませんよ。タイラントではなく、シェリと呼ぶんですよ。殺されたって、庇ってあげませんからね。私だって死にたくない」 にこやかなリオンの手に、いの間にか彼の武器が、ハルバードが握られていた。刃を地面に向けて弟子の間を歩きつつリオンは説く。 すでに独立を許された魔術師だった、全員が。その彼らにして、修行時代に一気に戻ったかの冷や汗をかいていた。それでも一人が果敢に声を上げた。 「リオン師」 「なんですか」 「あれが、タイラント師なら……。なぜフェリクス師は。どうして、イメルを。タイラント師の弟子ではないですか」 だからこそだ、と言うのがなぜわからない。そしてリオンは今更ながら自分の年齢を思う。そして弟子たちの年齢を。 独立したとは言え、いまだ彼らは若い。少なくともリオンやフェリクスに比べればずっと。絆の持つ重みを知らない。魔法を操り研究する楽しみのほうがまだ遥かに強い。彼らは、そういう年齢だった。 「タイラントの弟子だからですよ」 溜息まじりのリオンの声だった。ほっと息をついた姿が、急に老いたものに見え、エラルダは目を瞬く。突如として、彼が人間だと言うことを理解した。 「あなたがたはフェリクスの痛みを知らない」 「理解できるつもりではあります」 「生温いですよ」 はっとするほど強い口調だった。揃って弟子が姿勢を正すのがどこかおかしいようでエラルダはそっと笑みを隠した。 「フェリクスはいま、一人で耐えようとしている。耐え難い痛みを、必死で耐えようとしている」 不意に弟子の一人が悟った。リオンにもまた、経験のある痛みだと言うことを。彼は、リオンの弟子だった。そして、カロルを知っていた。 その視線に気づいたのだろう、リオンがうなずいてみせる。弟子は自らの不明を恥じるよう、目を伏せた。 「フェリクスにとって、世界は死んだも同然なんです。それをなんとか耐えようと努力しているのに、イメル。あなたときたらね、横から傷口をえぐったようなものですよ」 「タイラント師を思い出させるから――」 「馬鹿なことを言うんじゃありませんよ。思い出すもへったくれもない。忘れるはずがないんです」 自分も同じだ。言葉にしなかったリオンの声が今度こそ弟子たちに届いた。彼らの目が、去っていったフェリクスの、消えてしまった後姿を追う。 「イメル」 「わかっています。できるだけ、リオン師のおそばにいます。フェリクス師の前には、出ないよう心がけます」 「殊勝です。が、遅いです」 「え……」 「一度あなたを前に激高した彼は、今後あなたを避けることはしないでしょう。誇り高いあの人のことです。どれほど痛くても、平気な顔をして色々命じるはずです」 うっとイメルが仰け反った。エラルダが、唇を噛む。それをリオンは見ていた。弟子たちに対するのとは打って変わった優しい表情をしていた。 「イメル。あなたはね、それを覚えておくべきですよ。自分の言動が、相手にどういう影響を与えることになるのか、ちゃんと覚えておくんですよ」 「……リオン師に、フェリクス師に感謝します」 「礼なんぞどうでもいいです。師匠の責任ですから。あなたがたの長い人生の中、同じことを繰り返さないようにね」 厳しい気配を緩め、リオンはにこりと笑った。最後だけは、魔術師と言うより神官の口調。弟子たちが各々頭を下げるのを微笑んで見ている。 「では、その辺で誰かを捕まえて……。えーと、エラルダ。頼んでいいですか?」 「私はちょっと。お話が」 わずかな逡巡のあと、エラルダはまだその場に残っていた民の一人を呼び寄せ、新しくこの国に加わることとなるかもしれない人々を小屋へと案内してもらう。 「当面は、何人かで同じ小屋を共有していただくことになります。すみません」 「とんでもない! できることがあれば、言ってください。なんでもしますから」 「では、早速お願いしてしまおうかな」 リオンから解放されてほっとしたのだろう、魔術師も神官もがはしゃいだ声を上げて民に従って去っていく。 「それで? どうしました、エラルダ」 弟子たちには聞かせたくない話なのだろう、とリオンは察していた。エラルダの目が泳いでいる。半エルフにしては珍しいほど感情が露になっていた。 「ちょっと疲れました。お茶でも淹れようかと思ってます。ご一緒にいかが?」 「申し訳ない! 私がします。是非」 飛び上がりかねない勢いで驚くエラルダに、妙にリオンは心和むものを覚えた。ふと、ここが自分の新しい故郷になるのだ、そんな気分が湧き上がってくる。大地に、どっしりと根付いたような、いい気分だった。 「お茶淹れるの好きなんです、私。カロルは旨いって褒めてくれましたよ」 にこにことしつつリオンは足を進める。恐縮しながら、それでもエラルダはついてきた。留守していた間の他愛ない話をエラルダは聞かせてくれた。リオンもまた、イーサウの雑談を彼に聞かせる。そうこうしているうち、リオンの小屋が見えてきた。 「ところで。神人の血を引く方々って、外でお茶したり、します?」 「はい。しますが?」 「では、そうしましょう。今日はお天気がいいですからねぇ。とっても気持ちよさそうです」 これが先ほど魔術師を叱咤していた男かとエラルダは内心で驚いていた。茫洋としてとらえどころのない、このとりとめのなさ。不意に彼の力の程を感じる。 小屋に茶道具を取りに上がるのだろうと思っていたエラルダだったが、驚いたことにリオンが何事かを言ったかと思ったら、そこに茶道具があった。しゅんしゅんと湯気を立てる湯とともに。 「ちょこっと、ずるです」 にっと笑ってリオンは草地に腰を下ろした。手振りで座れ、と言われるまでぼんやりリオンと茶道具を見ていたエラルダは、恥ずかしげに笑って腰を下ろす。 「魔法で、こんなことができるんですね」 「まぁ、ずるですけどねぇ。面倒くさいことって、あるじゃないですか」 「楽しいですよ、見ていて」 「それはよかった。ところでフェリクスはもう魔法の訓練を?」 「はい。参加している者のほとんどが、火球を作れるようになってます」 なんでもないことのように言うエラルダに、今度はリオンが驚いたようだった。呆気にとられたようぽかんとしてから、心を落ち着かせるつもりか茶を淹れる。 「さすがと言うべきか、彼らしいと言うべきか。つらかったら言ってくださいね。私の忠告だったら、多少は聞いてくれそうですから」 言うリオン自身、自信がなさそうな口振りだったせいで、思わずエラルダは笑い出す。淹れてくれた茶をゆっくりとすすった。 「口にあいますか? それはよかった。さて、本題に入りましょうか」 「その、フェリクスのことです」 「でしょうねぇ。彼が何か?」 留守の間、なにをしでかしたのかとでも言わんばかりの口調に、エラルダは吹き出しそうになる。ことあるごとにフェリクスは自分のほうが兄弟子なのだと言う。が、リオンを見ているととてもそうだとは思えなかった。 「彼がなに、と言うわけではないんです。彼が、心配だと言うほうが正しいでしょう」 「エラルダ?」 「……私は人の子のことはほとんど知りません。闇エルフの子のことも、よくはわからないと言ったほうが、たぶん正直です」 一度言葉を切り、エラルダは自らの内を見つめるような目をした。それを黙って見ているリオンは彼が思っていたよりずっと誠実なのだと知る。 「フェリクスは、とても頑張ってくれています。そのような言い方をすると、とても怒られそうですが」 「でしょうね」 「他になんと言えばいいのかわからなくって。お許しを」 「いいですよ、別に。私は彼じゃないんで」 あっさりと言ってリオンは続きを促した。冷たい言い様ではあるが、そのような軽口めいたやり取りが、エラルダの気持ちを軽くしていた。 「……あまりにも、疲れているのではないかと思うんです」 これで伝わるかどうかと危ぶむよう、エラルダはリオンを見つめた。その目が見開かれる。先ほど弟子たちを叱りつけていたときのような顔を、彼はしていた。 「例えば、エラルダ?」 「はっきり見たわけではないので、憶測です。それでいいですか。……例えば、食事をしていないか、ごく少量かです。神人の子らは、あまり食べなくとも持ちますが、彼らは違う。もっと必要なはずです」 「……確かに、顔色がよくないようでしたね。眠ってるか、知ってます?」 「見たことがないので、なんとも。ですが、夜になるとシェリが水遊びをしています」 「水遊び?」 いきなり何を言われたのか、とリオンが怪訝な顔をした。それも当然だとばかりエラルダはうなずいてフェリクスの弁を話して聞かせる。 「どうやら、水を弾いている、と言うことらしいです」 自分には聞こえないが。そう付け加えたが、リオンは嫌な気はしなかった。彼の口調には、疑いがなかった。気でも違っているのではないかと言外に言っても、いなかった。そのことにリオンは笑みを浮かべる。 「これは私の想像ですけどね。たぶんそれ、子守歌ですよ」 「子守、歌。ですか?」 「人間は、子供を寝かしつけるときに歌って聞かせるんです。眠り易いような歌をね」 「それは、知ってますが」 「ですからね、フェリクスはきっと寝てないんです。シェリが心を砕いても」 不意にリオンが真面目な顔をした。近くにあるフェリクスの小屋を見上げる。彼はまだ戻ってはいなかった。 |