集落の中心で、と言うのはもうおかしいのだろう。国の首都か、と思えばフェリクスは首をかしげたくなってくる。笑いたいのか喜びたいのか、それとも皮肉を感じればいいのかわからない。 なにはともあれ、中心の広場に彼らが戻ったとき、そこにはエラルダが二人を待っていた。イーサウに発つリオンたちを彼は見送りには立たなかった。何かと忙しいから、と言うのがその理由だったけれど、本当は身近にいた者が旅に出るのが寂しいのかもしれない、とフェリクスは思っている。 「お帰りなさい」 にこやかな声に、フェリクスが感じたような寂しさが漂った。思えば自分が帰ってきたばかりで今度は友が発つのだ。ろくに話をする時間もなかっただろう。 「……ただいま、と言うべきなのかな。言ってほしい?」 滴るような皮肉の声にエラルダは怯まず首を振る。肩の上から抗議の声が上がった。 「いいじゃない。ただの冗談。……たぶん」 シェリに向かって言い訳をすれば、エラルダが笑う。ふと気づいた。リオンから、何事かをエラルダは託されている。 「ねぇ、エラルダ。あのボケ坊主に、なに言われたの」 「……ボケ、坊主、ですか?」 目を丸くする半エルフにフェリクスは唇を軽く噛む。後悔したわけではなかったけれど、意外とすんなり馴染んだ自分が多少、信じがたい。漏れ出した溜息の理由をエラルダは問わなかった。 「リオンからは、留守の間気をつけてくれるように、とは言われていますが」 「その保護者面が気に入らないんだよね。あなたのことじゃない。あっちのボケのこと」 「ですが……」 「あのね、あなたがた神人の血を引く人たちには関係ないことだと思うけど。あいつのほうがほんのちょっと年上だからって、保護者面されたら腹立つの。僕のほうが兄弟子なんだけどね」 滔々と言うのだから、きっとフェリクスは本心から不快に思ってはいないのだろう、とエラルダは見当をつける。それでも不安になってシェリを見やれば、竜は片目をつぶって同意した。 「保護者、と言うより……」 「なに?」 「えぇ……、なんでしょう? わからなくなってきました。とりあえず、お部屋を用意しました。覗いてみませんか」 話をそらされたような気がするものの、エラルダ自身もよくわかっていないのかもしれないとフェリクスは思い直し黙ってうなずく。 「行く?」 問いかけた相手はシェリ。竜が喜びの声を上げて肩から飛び立つ。軽々と羽ばたく竜にフェリクスは無言で腕を差し伸べた。 「遠くに行かないで」 過敏になっている、と自分でよくわかっていた。束縛をするのは、好きではない。シェリが自分の目の届く範囲にいないからと言って、気分を損ねるほど狭量でもない。 「でも、心配なの。今は、まだ」 ぽつりと言えば竜が頭を摺り寄せてきた。小さな竜のその仕種に胸の奥が疼く。それからシェリは肩によじ登りそこで安らぐ。まるでフェリクスの不安をなだめようとするように。 「エラルダ。案内して」 フェリクスの目を、エラルダは正面から見た。見てしまった。咄嗟に目をそらす。それでも瞼の裏に焼きついてしまった、その虚無が。 「はい、行きましょう」 やっとのことで声を絞り出し、リオンの忠告を今更ながら胸に刻んだ。彼は言った。 「フェリクスを気にかけてください。ただし、まともに相手をするとあなたが飲み込まれます。それだけは、気をつけてくださいね」 その言葉の意味も、そのときの彼の不安そうな顔もエラルダは理解していなかったのだと知った。リィ・サイファの塔よりここまで、フェリクスの傍らにはリオンがいた。 それがどれほどフェリクスの空虚をなだめていたのかをいまエラルダは理解した。嫌いだと言いつつ、フェリクスはリオンがいるからこそ辺りかまわず虚無を振りまくようなまねをせずに済んでいる。 黙って案内をする背後から、静かなフェリクスの足音が聞こえていた。それすらもエラルダの背筋をそそけ立たせる。 「フェリクス」 だから思わず話しかけてしまった。そうでもしなければ、そこにいるのが定命の子だと、否、生き物だということを忘れてしまいそうだった。 「なに」 淡々とした声に、エラルダはほっと息をつく。少なくとも彼は、答えた。後ろにいるのが恐ろしい虚無の化け物ではないと確かめられた。そう思う自分をエラルダは笑えなかった。 「ここは安全ではあるんですが、一応――」 「だから、なに」 「我々の、と言うよりは半エルフの、でしょうか。習慣と言うわけでもないんですが」 「まだるこしいよ、エラルダ。はっきり言ってって、言ったよね」 言葉面の柔らかさに、エラルダはぞっとした。それからシェリの笑い声が聞こえてきて、単にからかわれたのだと知る。つい、膝が砕けそうになった。 「あのね、エラルダ。僕の師匠の師匠は半エルフなの。自分たちの集落から出てラクルーサに仕えたって変態なの。だから、僕はどうやって集落で生活していたか聞いてる」 無造作な、不機嫌な声。それでもフェリクスが説明をしてくれたのだとエラルダは気づいた。知らず振り返って彼を見ていた。 「なに?」 嫌そうな顔をしていた。肩の上でシェリが忍び笑いをしている。そんな気がした。竜の表情など、たいして変化はないはずなのにもかかわらず。 「いえ、なんでもないです」 にこりと笑って前へと向き直る。不思議とフェリクスに対して感じた恐怖が、綺麗になくなっていた。 「サリム・メロールは、どんな生活をしていた、と?」 「あの人? 魔法空間の中で生活してたって聞いてるよ。それをぶち壊したのがリィ・サイファ」 そんなとんでもないことを実にさらりと、そしてエラルダの聞き間違いでなければどことなく面白がってさえいるように彼は言った。 「リィ・サイファ一人に壊される程度の魔法空間だったって、思ってる? それは間違いだからね。そのときのリィ・サイファは、怒り狂ってたそうだから。メロール師が旅立つまで、結局あの人には勝てそうにないって言ってたくらいの魔術師が、怒り狂って壊したんだからね。……ちょっと想像すると、怖いよ。どれだけの魔力が荒れ狂ったんだか」 本心から恐怖を感じているようには聞こえなかった。むしろエラルダはフェリクスの興味を感じ取った。不意にシェリが鳴く。たぶん、それは同意だったのだろうとエラルダは前を見たまま微笑む。 「とにかく。それだけの魔力が暴走しても外部に大して被害を与えなかったくらい、強固な魔法空間だったんだよ、そこは」 「それは、すごいことなのでは?」 「そんなもんじゃない。むしろとんでもない、のほうがあってる」 むっつりとした声だった。だがエラルダの耳にフェリクスの声は心地良く響いた。それはフェリクスが教えることをあるいは多少なりとも楽しんでいるのかもしれない、と感じたせいだった。思えば彼にはたくさんの弟子がいたのだ。物事を教える、と言うことが嫌いなはずはなかった。 「そんなとこに住んでたのにね、メロール師はなぜか木の上に部屋を作ってたそうだよ。部屋って言うか、小さな建物? 小屋と言うには頑丈さが足りなかったそうだけど」 いつの間にかずれてしまったように感じていた話が、遠回りをして戻ってきた。だからやはりこれはフェリクスの授業だったのだ、とエラルダは知った。 「はい。ご用意したのも、そのようなものです。私はサリム・メロールの小屋、ですか? それを実見していないので同じかどうかはわかりませんが」 「そんなもん、僕だって見たことない」 不機嫌そうに言ったけれど、どこまで本当に不機嫌なのかわからない、とエラルダはおかしくなってきた。 そしてはた、と気づいた。フェリクスの心がどれほど深く強く傷つけられているのかを。わかっているつもりだった。何もわかっていなかった。 前を歩くエラルダが、ぎゅっと拳を握り締めたのをフェリクスは無表情に見ていた。シェリが覗き込んできては不安そうな目をするのに、そっと額を撫でてやる。 「……大丈夫」 言えば本当か、と言う顔をされた。自分でもわからなかった。大丈夫、とはなにが大丈夫なのだろうか。大丈夫ならば、いったいなにが。溜息まじりにシェリを肩からおろして抱きしめる。竜のほっとした声が胸の中から聞こえた。 「あそこです」 同じようなほっとした声だった、エラルダのそれは。フェリクスは訝しそうに彼を見る。そして自分といることに彼がずいぶんと緊張していることに気づく。 「あまり騒がしいところはお好きではないと思ったので」 エラルダが言うとおり、中心の広場からは少し離れた場所だった。立ち並ぶ木々が気持ちのいい木漏れ日を作っている。 光に誘われるようフェリクスは視線を上げた。腕の中、シェリが同じ仕種をするのに彼の気配が和む。そしてフェリクスは見た。 「ふうん、たいしたものだね」 木の上に、家があった。小屋などというものではない。メロールはいったいどんなつもりであれを頑丈さに欠ける、と言ったのだろうか。 「まぁ、石造りじゃないからね。そういう意味だったのかな」 シェリに向かって問いかければ、竜がうなずく。たぶんきっとそんな意味だったんだよ、とでも言うようないい加減な態度に胸が痛んだ。そう言った男はここにいない。 「遠くてはなにかとご不便か、と思ってリオンの部屋も近くに用意してあります」 「……遠いほうがいいんだけど」 「そう言わずに」 見れば引きつりながら果敢にエラルダが笑みを浮かべていた。自分たちを信用しないのか、と思ったのは一瞬だった。 「リオン?」 彼が望んだのか、と言う短い問いにエラルダは小さくうなずいた。お節介をする、と思ったものの、ここでエラルダを責めても仕方ない。フェリクスは溜息とともにもう一度小屋を見上げる。 と、急なことだった。梢の合間に見え隠れしている小屋へ向け、シェリが勢いよく飛び上がる。はっと腕を伸ばす間もなかった。 「あ――」 こんなときにも呼べない。遠くに行ってしまいそうな彼を呼びとどめるべき名を、呼べない。フェリクスが思ったのは、それだけだった。 |