話し合いは形ばかりだった。みなが一度で気に入ってしまった、アリルカ共和国の響きに。そしてその理念に。自分たちのそれをそのまま保持できると知って。 アリルカの民の顔に微笑が浮かんでいく。それがリオンには嬉しくてならない。本来とても美しい人々であるはずなのに、彼らには険があった。ここにきたばかりのときに感じた違和感は、それだった。いまはそれがない。 「さて、フェリクス。どうしましょうか」 曖昧な問いに彼は眉を吊り上げ、少しばかり嫌そうな顔をする。それだけで通じ合うような仲だ、と思われるのがいやなのかもしれないと思えばリオンは微笑ましくなる。 「どうするって」 「もう、フェリクスってば。わかってるくせに。いやだなぁ、もう」 くすりと笑って見せれば、民の間からも笑い声が起きた。慌ててシェリが肩から飛び上がる。フェリクスをなだめようと言うのだろう。 「邪魔。……わかったから」 顔の前に飛んできた竜を、叩き落とすのかとリオンは瞬間ひやりとする。が、フェリクスはそのような暴挙はしなかった。 そっと両手で包み込むよう捕まえて胸の中に抱きとめる。大切そう頬を寄せた仕種は見えたけれど表情は窺えない。顔を上げたとき、フェリクスはもうなんの表情も浮かべていなかった。 「建国の宣言を、ここだけでしてても仕方ないね」 「もっともです」 「さぁ、リオン。あなたはどうする? どっちを先にする?」 悪戯めいた質問に、けれど熱の入り込む隙がない。淡々とされた問いにリオンは首をかしげた。わからないのではない。それは彼の顔を見ていればフェリクスにもわかる。いやな予感がした。 「どっちって言われましてもねぇ。ラクルーサに使者を出したって無駄でしょうし、そもそも誰が使者に立っても生命の保証ができませんよ」 「当然だね。だから――」 「あなたはミルテシアを巻き込む気でしたか?」 「それなりの対価を払ってでも、ミルテシアをまず味方につけようかと思ってたけど?」 「対価、ですか。たとえば?」 フェリクスの考えに民が不満そうな声を漏らす。無論のことだろう、とリオンは思う。彼らにとって敵は人間であり、ラクルーサ人ではない。 「そうだね……塔に保管してあるカルム王子の遺品でも渡してやろうか」 「気前がよすぎますね」 あっさりとリオンは言った。それにこそフェリクスは不満を感じる。ならばもっといい案があるのか、と彼を見やればにんまりと笑う。 「イーサウを巻き込みましょう」 「はい?」 思わず間の抜けた声を上げてしまった。それに腹を立ててフェリクスはシェリを肩へと投げ上げた。ぽん、と着地した竜が耳許で笑った。 「イーサウですよ、イーサウ。元々アリルカの民はあそこと交流があるでしょう?」 そう言ってリオンは民のほうを見やった。こくり、と誰からともなくうなずく。話し合いですべてを決める、と言ってもここに新たな闖入者を迎えたばかりでは、まだ馴染み難いのかもしれない、とリオンは感じていた。それを敏感に察したのはエラルダだった。 「確かに、交流があります」 そう言ってそっと視線でフェリクスを示して見せる。彼の助言だった、と。イーサウもまた人間の国ではあるけれど現時点で利害は一致している。商取引と言う形で。憎まれないのならば憎む理由もなかった。目顔で語るエラルダに、リオンはうなずき返し、フェリクスに視線を戻した。 「だから、一番に国交を結ぶべきはイーサウでは?」 「……なるほどね」 「エラルダ、イーサウに手を貸せそうなことが何かありませんか」 それを手土産代わりにしよう、と言うのだろう。確かにあちらは元々商業都市。利を示せば手を結びやすくなる。エラルダの言外の言葉を読み取ったと証するようリオンは言う。 「実は、以前から相談を受けてはいたのですが……」 「それはなんとも好都合。なんです?」 にんまりしたリオンに、彼が高位の神官であることをエラルダは忘れそうになる。それほど人間くさい顔だった。が、悪い印象は受けない。口許をほころばせエラルダは言った。 「右腕山脈が邪魔なんだそうです」 だいぶ話を端折った。それで二人を驚かせたい、と思ってしたことだった。それなのにフェリクスはなるほど、とでも言うよううなずく。拍子抜けしてリオンを見れば、彼も同じだった。 「あぁ、そうですか。なるほどねぇ。確かにイーサウから右腕山脈を抜ける隧道を掘ることができれば、海まで直通ですものねぇ」 「それだけ交通が簡単になれば貿易で上がる利益は計り知れないね。うん、それで行こう。リオン」 「やるの、私ですか」 「兄弟子の言うことが聞けないとでも?」 眉を上げて嘯くフェリクスに向け、冗談半分頭を抱えて見せる。もっとも、はじめからリオンは彼をいまのところアリルカの地より外に出す気はなかった。あまりにも危険すぎる。フェリクスは意に介さないだろうけれど、ラクルーサ王がもっとも殺したいと願っているのは彼に他ならない。 「いっそイーサウまで行くんだったら、そうですね。弟子の二三人でも連れてきましょうか」 「要らない」 「フェリクス。聞いてください」 珍しくリオンが肩に手をかけてきた。触れられることを厭うと知っていてするのだから、よほどのことだろう。フェリクスは黙ってリオンを見上げる。 「ニ三発だったら、殴られてあげます。その程度の覚悟はしてますから、最後まで聞いてください」 「……話しなよ」 ぽつり、と言った声は誰に聞こえただろうか。リオンには届いた。エラルダは、聞こえてしまった。シェリがそっと目をそらす。 「弟子を巻き込むまい、とするあなたは大変に優しい人だと思います。ですが、フェリクス。彼らには彼らの考えがあるはずです。もしも同意するのならば、彼らをアリルカに迎える人間にしたい。そして――」 一度言葉を切ってリオンはフェリクスの目を覗いた。途端に、そらされた。シェリと同じよう、どこでもないどこかを見ている。 「フェリクス。弟子たちの中には、彼の弟子もいます」 静かに言った言葉だった。リオンの手の下、フェリクスの肩がひくりと震えた。 「彼の弟子に、師の仇討ちの手伝いくらいは、させませんか」 フェリクスは答えない。ぎゅっと手を握りこんでいた。リオンは慎重に、決して彼の名を口にしないよう、話している。それでも瞼の裏にタイラントの姿が浮かぶのは止められなかった。 不意にシェリが鳴いた。肩から飛び上がり、フェリクスの顔を覗き込む。それから宙に浮いたまま必死になって羽ばたきつつ、首をかしげた。 「……魔術師が足らないね、リオン。あなたの好きにしていい」 それが、フェリクスにできる精一杯の同意だった。両手を伸ばしてシェリを抱き取る。抱きしめて、離さない。苦しそうな声を上げたけれど、竜を抱く腕を緩めはしなかった。 「それから、できれば神官もつれてきて」 「了解しました。それで行きましょう」 「あの……、リオン。フェリクス。聞きたいことが」 「なに」 シェリに埋めていた顔を上げたフェリクスの視線を浴びたエラルダは、仰け反りそうになる。この世の生き物が、こんな虚無を抱いた目をするものだろうか。 「なぜ、神官が必要なのでしょうか」 ゆっくりと息を吸い、気持ちを整えてからエラルダは言う。それを二人して待っていてくれた。あるいは、リオンは待っていた。フェリクスは黙って立っていた。 「エラルダ。よく考えて……って言っても無駄だね。神人の子らは、怪我の治りが早いからね」 呆れ声を出したフェリクスに演技の匂いを感じたのはリオンだけではなかった。シェリが心配して覗き込むのにも目をそらした。さりげなくであっても、エラルダも見てしまった。 「この国は、戦争をするつもりだ。わかる? 戦いって言うのはね、エラルダ。死人よりも怪我人のほうが多く出るものなんだ」 「あなたがた、直接神人の血を引く方はいいですけど、フェリクスの同族となるとそうはいきませんからね。怪我をすれば治療が必要です。なので彼は神官を、と。ほらね、優しい人でしょ?」 冷たい言葉ばかりを凍りついた響きで述べる彼しか知らないアリルカの民を安心させようとのリオンの言葉。にこやかに笑って言うから、とても嘘くさいのだとフェリクスは思う。思うだけで何も言わなかった。代わりにシェリが竜の笑い声を上げては飛び回る。 「おいで」 一言で呼び戻し、肩の上に止まらせる。シェリがそばから離れるのを嫌うような、怯えるような仕種だった。 「治療者だったら、我々にもいます。おそらく、人間の治療者よりは長けているかとも思いますが」 リオンが言うまでもなかった。アリルカの民にいるのは半エルフや闇エルフだけではない。その子らがいるのだ。容易く傷つく彼らが。 「それもわかってます。問題はね、エラルダ。治療者が診ることができるのは一度に一人って所なんです」 何を言っているのだろう、と訝しげな顔をしてエラルダは周りを見回す。リオンの言葉が理解できないのが自分ひとりではないと知ってほっとした。 「我々神官は、一度に大勢、かつ瞬時に傷を癒すことが可能です。戦争するとなると、必要なのはそっちの能力でしょうね」 「あなたほどの力がなくていいから。何人かいればいい。神人の子らは信仰心を持つことが少ないって言うし、その子らに至っては信仰を持つ機会がなかった人ばかりだと思うけど。どう、リオン」 「才能がありそうだな、と言う顔はちらほら見えますよ」 「なら、問題ない。あなたと連れてきた神官で仕込んでくれればいい」 「では魔法を仕込むのはあなたの担当、と言うことで」 てきぱきと話が進んでいくのを、民が感嘆しつつ見ていた。二人の顔をかわるがわる見てはうなずいているから、異存はないらしい。それでもフェリクスは言った。 「なにかあるんだったら、先に言っといてよ。僕はここのやり方に馴染んでないし、リオンもだ」 「この人、とっても独善的に見えますし、実際そうなんですけど。とりあえず話を聞く気くらいはありますから」 真面目な顔をして言うリオンにシェリが飛びかかり、すらりと薙がれた氷の剣が頬を掠める。肩をすくめたリオンの前、氷は溶け竜は肩に戻る。 一瞬、声をなくした民だったが、すぐさまあたりは笑いに包まれていった。 |