声が、少しずつ静まってきた。一人、また一人と視線がフェリクスを捉える。フェリクスはじっとその目を見つめていた。 「それで?」 冷たくも響く言葉。彼らはいったいそれをどう受け止めるだろう。リオンは横目でフェリクスを見やりつつ不安に思う。悪く取られなければいいのだが、と。 それはよけいな懸念だった。そこに集う人々の半数以上が、神人の子。彼らは誰かを愛することも、それを失う苦しみも知っている。 「我々は、あなたに従います」 代表して、エラルダが立ち上がり、言った。それにフェリクスは溜息をつく。誤解しないで、とばかり竜が慌てて羽ばたいた。 「ねぇ。なに言ってるの。馬鹿なこと言わないで」 「……ですが?」 「あなたがた、僕を王様にでもするつもり。間抜けなこと言わないでよ。あなたがたは何者なの。僕の師匠の師匠は、半エルフで、とっくに旅に出ちゃったけどね」 その言葉にどこからともなく囁きが起こる。メロールだ、と。かつて半エルフの集落で重きを成していたサリム・メロールの名を、いまも覚えている半エルフがいたのだろう。 「その師匠が言ってたし、僕もいま見てた。あなたがたは話し合いをするんじゃないの。王様って普通、命令するんだけど?」 突き放していながら、どことなく茶化している風でもある。そのあたりをわかってもらえるか、とリオンははらはらしていたのだが、案外すんなりと理解してもらえているらしい。 「新しい国を作ったって、そうすればいいじゃない。全員が話し合いで決める。決まったことには文句を言わない。話し合いに加わらなかった輩がぶつぶつ言っても無駄。それでいいんじゃないの」 「意外とあなた、理想主義さんだったんですねぇ」 「馬鹿なこと言わないで。これは立派な現実だ。どんなに荒唐無稽でもね。わかった、リオン?」 「はいはい。荒唐無稽だって辺りが特に」 「人間だったら。そうだね、物凄く無茶だ。でもあなたがたは違う。あなたがたは新しい国を作るって決めたってことでいいんだよね?」 リオンに叩きつけていた言葉が、不意にアリルカの民に向けられた。思わずうなずいた民に、リオンは流されちゃだめです、などと言ってさらにフェリクスに冷たい目を向けられた。 「つまり、僕の提案を呑んで、人間も迎えるってことだよね。だったら、加わった人間には、あなたがたの国のあり方を納得させなきゃいけない。それが理解できないなら、加えられない、そこをしっかり飲み込ませてね」 まるで他人事のような言葉に、民が一斉に動揺した。すっかりフェリクスは彼らの信頼を得てしまったらしい。いったいどうしてこんな尊大な男に、とリオンは不可解でたまらない。 もっとも、と少しばかり皮肉に思う。神人の血を引く者たちは、揃って戦うということに慣れていない。フェリクスはその点、相談役に適任だった。 「フェリクス」 「なに?」 自分たちの行く末に、わずかながらも光めいたものが見えたせいだろうか。エラルダの顔がずいぶんと精悍だった。 「建国のことは、それで納得しました。ですが」 「問題は戦争のほうだね」 「はい」 それこそが、ここにフェリクスが招かれたそもそもの理由だ。彼は決して忘れてなどいない。自分が見据えることのできない将来と言うものを語りながら、フェリクスは血に酔うことだけを夢見ていた。 「とりあえず、そうだね……。ねぇ、ここにラクルーサにいた半エルフっている?」 フェリクスの問いにぽつりぽつりと手が上がる。それにうなずいてフェリクスはなぜかシェリを見た。困り顔の竜が、そこにいた。 「あなたがたのところに、情報って入ってるかな」 「多少は」 「話して」 命ずるようなお願いに、声を上げた半エルフは苦笑して話し出す。決して嫌がる風ではなかったのが、リオンはおかしい。 が、話の内容は少しも笑えないものだった。今にもラクルーサは、武器を取ろうとしている。 「なるほどね。……反逆者、カロリナ・フェリクス、か」 くっと、フェリクスの唇が吊り上る。笑みに似て、そうではないその表情に、シェリが小さく甘えて鳴いた。顔も向けず、フェリクスがその背を撫でる。 「僕がここにきたことが、かえってあなたがたに不利を招いたかな」 「あなたがここにいる、とはまだ知られていないはずでは?」 「早晩知られるだろうね」 「ですが!」 「別にあなたがたの誰かが漏らすなんて言ってない。僕がこの大陸で安全に逃げ込める場所なんてたかが知れてるってこと。神人の血を引く者の集落がこの辺りにあるってのは、人間世界でも知られてるからね。その場所が特定できていなくても」 「と言うことはですよ、フェリクス。場所が判りませんし、何よりあの惑いの道があります。しばらく時間は稼げるのでは?」 「ねぇ、リオン。あなたって本当に戦いが本分なの」 「え……、あぁ。そうか、そうですね、確かに。愚かなことを言いました」 照れて頭をかくリオンに冷たい一瞥をくれてフェリクスは今に始まったことではない、と嘯く。そんな彼らに民が不安そうな目を向けた。 「フェリクスはですね、黙ってここにいるだけでは森を囲まれるか、最悪の場合、囲んだ上に火を放つとかされかねない、と懸念しているようです」 「僕がラクルーサの指揮官だったらやるね。さっさと勝てる」 非情ともいえる言葉に民が息を飲む。人間がそこまでやるか、と疑問に思う者はいなかった。それくらいのことをすでに、彼らは経験してきている。その長い人生の中で。 「だからまず、牽制の手を打とう」 「フェリクス?」 「とりあえず建国宣言だけしちゃおう。それで時間稼ぎだ」 あまりにも早く打つと知った手段に、思わずリオンはフェリクスを凝視していた。彼の目が、きらりと光った、そんな気がした。間違っても明るいそれではなかったが、リオンは安堵する。 「あなたもですか、シェリ?」 喜ばしげに目を細めていた竜に問えば、自分の大事なものに触れるなとばかりフェリクスがシェリを抱きかかえた。 「ですが、フェリクス。人間が……」 「なに、エラルダ。はっきり言って。忖度するなんて器用なまねはできないって言ってるじゃない」 「え、いえ。はい。あなたは人間がいないと建国してもまともに取り合われない、と言いましたが。どうするのでしょうか」 「ここにいるじゃない」 あっさりとフェリクスは言った。民は彼を忘れていたわけではないだろう。だが、あまりにもその言葉は意外だった。 「私、ですか。フェリクス?」 きょとんとしてリオンが人差し指で自分の鼻を指す。呆れ顔でうなずくフェリクスをからかうよう、シェリが鳴く。 「あなただって人間の端くれでしょ。それとも違うわけ?」 「いえ、両親ともに立派に人間ですが」 「だったらなんの問題が?」 「目いっぱい問題じゃないですか?」 「だから、どこが?」 「私しかいない辺りが、です」 互いに畳み掛けるように言い合う言葉に民は驚き半分微笑み半分で彼らを見ていた。仲がいいのか悪いのかわからない、とでも言いたそうにしている者もちらほらいる。 「ねぇ、リオン。あなたってどこまで馬鹿正直なの」 「お褒めいただいて何よりですねぇ」 「誰が褒めてるか! ちょっと、この馬鹿。いい加減にしなよ」 「だったら説明してくださいって」 にこり、リオンが笑った。滾っていたものが、瞬時に萎えていく。フェリクスは拍子抜けしてシェリを投げた。 「あ――」 民の驚きの声などシェリをはじめ彼らには聞こえていなかっただろう。投げ上げられたシェリは上手にフェリクスの肩に着地した。 「このボケ坊主が、新しい国のただ一人の人間だなんて馬鹿正直に言う必要なんて、どこにもないから」 それを言っておけ、とリオンは言外に言っていた。自分は理解しているけれど、わかっていない民が一人でもいたら問題だ、と。 その忠告には感謝はする。が、やり口が気に入らない、とフェリクスは思う。肩の上、シェリが鳴いて注意を引く。 「なに?」 顔を向ければ、頬に額を擦り付けられた。慰めてくれている、それを強く感じた。苛立たしいことばかり。嫌なことばかり。だから。 「大丈夫。僕はまだ死ぬ気はないよ」 いっそ今すぐ死んでしまおうか。そんな風に傾きかける心をシェリがとどめた。フェリクスの脳裏に浮かぶラクルーサ王の顔。 「あの首獲るまで、絶対死なない」 「なにを物騒なことを。そんなこと言ってると、国王の首をあなたの手に渡すわけにはいきませんよ、フェリクス」 「リオン」 「あなたに自死の道を選ばせたりしたら、私がカロルに怒られます。死んでから怒られるのは、ちょっといやですねぇ」 ぼんやりと言うリオンの言葉に真実を見た民はいなかっただろう。わずかにエラルダが眉を顰めたのみ。 だがフェリクスはそれが嘘ではないことを知っていた。溜息を一つ。リオンを見る。 「死ぬ気にならなきゃ、国王の首は僕のものだね?」 「もちろんですとも。あなたの仇だ。存分にしたらいい。それを止めはしませんよ」 「当たり前だね。止めたりしたら、まずあなたから血祭りに上げてくれるから」 冗談だ、と民は思ったことだろう。だがフェリクスがリオンを知るよう、リオンもまた彼を知っていた。肩をすくめて同意する。そのときにはそうすればいい、と。 「フェリクス」 どことなく緊張した雰囲気になってしまったのを救うよう、エラルダが声を上げた。 「新しい国、とばかり呼んではいられないと思います。アリルカの民の国、と言うのも、どうかと思います」 「これが最初の議題ってわけだね。僕からはこう提案しようか。みんなで共に話し合って進んでいく国――」 「アリルカ共和国ってところでしょうかねぇ」 リオンが悪戯っけもたっぷりにフェリクスの言葉を奪う。ちらりとも彼はリオンを見なかった。代わりにシェリが飛び立ちリオンに襲い掛かる。竜と戯れるリオンの声が響いた。 |