声をなくしたアリルカの民を、フェリクスはじっと見ていた。その目に一切の感情が窺われない。アリルカの民は不安そうにリオンを見やる。彼は微笑んでいた。だからこそ、かもしれない。フェリクスの提案が戯れでないことを民は知った。
「正直に言って、神人の血を引くあなた方だけで建国するって言っても、間違いなく人間の王国は認めない」
 淡々とした言葉。ゆえに真実だと民の誰もが納得する。そして同族たちに加えられてきた人間の所業を思う。ふっと、場に熱気が漂った。
「好むと好まざるとにかかわらず、人間がいたほうがいい。言ってみればそれは、二王国からの独立、と言う形になるから」
 リオンの脳裏にちらりとイーサウ自由都市連盟のことが浮かぶ。フェリクスは彼を見もせずにうなずいた。
「独立と言っても、快く迎えられるんなて思わないほうがいい」
「誰が思うものか――」
「いま言ったの誰? 別に誰でもいいんだけど。僕は正当な喧嘩の手段を提供するよって言ってるの。理解してね。建国しちゃえばね、これは異種族の鎮圧ではなく、国と国との戦争になる。わかる?」
「フェリクスの言葉を補足しますとね、戦争と言うからには体裁がいるんですよ。自分たちが正しい、と世間に言い張れるだけの大義名分と言うやつがね」
「そんなもの、簡単に見つからないし、差し出してやる気もない」
「フェリクス、では……、あなたは……」
 何を考えているのか、戸惑いも露にエラルダが声をかけてきた。エラルダの戸惑いは、民すべての困惑だろう、とリオンは思う。
「要するに、時間稼ぎだね」
 端的な言葉に、シェリが突然羽ばたいた。だからそれはもしかしたら笑ったのかもしれない、とリオンは思う。横目で見やった竜の顔は、やはり笑っていた。
「神人の子らが三百いるって? なんて立派な戦力だ。とは言え、あなたがた、戦争のご経験は?」
 どことなく茶化した問いに、シェリがまたも身をよじる。煩わしそうでありながら優しい手つきでフェリクスがその背を撫でた。
「――ありません」
 代表して、エラルダが答えた。それに当然だとばかりフェリクスはうなずく。ようやくからかわれたのかもしれないと気づいたエラルダが頬を染めた。
「だから僕は攻撃魔法の使い方を教えるつもり。神人の子らは元々魔法を持ってるんだから、鍵語魔法の初歩なら簡単に習得できるでしょ」
「フェリクス。初歩でいいんですか?」
 リオンの訝しげな問いにフェリクスは嫌そうに目を細めた。説明するのが面倒だ、と言うところだろうとリオンは気にも留めない。
「シェイザが三百発あれば、威力的にはイルサゾート一発分に匹敵するでしょ。何より習得の早さが魅力だね」
「あぁ……それに、連射が可能と言うあたりも大変魅力的ですね」
 物騒なことをにこにこと言うリオンに呆れ顔めいたものをして見せたフェリクスだが、実のところより物騒なのは彼のほうだとリオンは内心でぞっとしている。
 確かに詠唱時間の短い威力の劣る魔法ならば、強力な魔法よりも短時間で連続して発動が可能だ。が、その裏の意味をリオンは悟る。
 フェリクスは、人間の王国を崩壊させかねないほどの戦乱を巻き起こそうとしている。
 ふ、とリオンは口許に苦笑いを浮かべた。はじめから言っていた。戦乱を起こす、と。無意味な復讐にすべてを賭ける、と。
「リオン」
「なんでしょう」
「別にあなたが楽しんでやる必要は――」
「フェリクス。人の話し、聞いてました? 私は私の意思で、あなたを見届けます。私の銀の星に代わって助力は惜しみません。こき使ってくださって、かまいませんよ」
 にこり、笑った。フェリクスは彼から目をそらす。そらした先には、真珠色の竜の翼。何を思うでもなく、撫でた。
「ねぇ……」
 竜に、何を問いたかったのだろう。声を出してしまったいま、わからなくなる。シェリが目を細めて自分を見ていた。
「二度と、見ることはないはずだったのにね」
 小さな真珠色の竜。シェイティの竜。色違いの竜の目の中、自分の姿が映っていた。それでもあのころとは違う。映った自分が、自分ではないように見える。
「きっと――」
 あなたがいないからだ。
 心にだけ言った言葉が聞こえたかのよう、小さくシェリが鳴いた。
「ごめん」
 ここにいるのに、いない。それを誰より悔いているのは、間違いなくシェリ本人だ。シェリと言うよりも、その魂の元たるタイラントが。
「もしかしたら、いまもどこかで」
 見ているのかもしれない。不甲斐なく復讐に逸ってばかりの自分を。それでなぜか、気が楽になった。ゆっくり息をして、アリルカの民を見回す。
「あなたがた、どうする?」
 提案を受け入れるのか、それとも別の案があるのか。フェリクスの声は静かだったにもかかわらず、民は威圧されるよう、仰け反った。
 たかが、闇エルフの子が。そう思った者はいないだろう。民の顔を見回し、フェリクスはうなずく。同族、とは思えなかった。確かに同族と呼べる闇エルフの子もいる。
 それでもアリルカの民のすべてを同族とはやはり、思いがたい。それで、いいのかもしれないとフェリクスは思う。
 神人の血を引く者がいて、その血を受けた子らがいる。彼らが提案を受け入れるならば。今後は人間も加わるだろう。雑多で、混乱した国になる。
「悪くないよね」
 小さくシェリに話しかければ、同意した竜が鳴く。目許だけを和ませて、フェリクスは民を見ていた。エラルダたちもとっくに自分たちのそばを離れ、民の元で真剣に話し合いをしている。
「なんだか、いいですよねぇ。こういうのって」
「なにが」
「話し合い。根回しも暗闘も権力争いもなくって、ちゃんと話し合うって、いいですよ。羨ましいなぁ」
「なに馬鹿なこと言ってるの」
「あぁ……そうでした」
 ちらりとリオンが照れた笑みを浮かべた。建国が叶うならば、リオンもまたここの民の一人となる。それを思った笑みだった。
 不意にフェリクスは自らの腕をきつく掴んだ。リオンだけではない。自分もまたここの民となる。どこかに所属するのだとの思いは、嫌悪と動揺を強めるのに充分すぎるほどだった。
 鋭く息を吸う。タイラントを殺された。自分の目の前で。だから、決して許さない。人間など、滅びればいい。だから、できることならばなんでもする。どんなことでもする。ラクルーサ王の首を獲る日まで。そう心に誓った。
「なに?」
 シェリが、心配そうに長い首をこすりつけてきていた。不安におののいたことを知られたくなくて、強いて何事もなかった風を装って撫でてやる。
 それで、気づいた。怖かったのだ、何よりも自分が。暴走した魔術師は危険。かつてその暴走しがちな師が言っていた。
「僕は、暴走だけはしないと思ってたんだけどね」
 ぽつりと呟けば隣でリオンが呆れ声を上げる。
「なにを言ってるんでしょうかねぇ、この人は。出会ったときから暴走しっぱなしでしょうに。あなたが穏やかだった日々はきっと私、数えられます」
 あてつけがましくリオンがシェリに言っていた。きつい目で彼を睨んでおいてから、フェリクスは少しだけ上を向く。
 言われてみれば、そのとおりかもしれないとも思った。師とは表現形式が違っただけで、自分もまた常にどこにいくかわからない魔術師だった。
「それもいいんじゃないでしょうかねぇ」
 むっつりとリオンの言葉にうなずいて、フェリクスは竜の背を撫でていた。気持ちよさそうに力を抜いているシェリの顔を見たくて、乱暴に肩から引き摺り下ろせば上がる抗議の声。
「なに、痛かった? 気のせいだよ」
 どこがだよ。幻聴が聞こえた。痛みに体を強張らせたフェリクスの指先を、シェリが舐めていた。
「うん。そう、だね。大丈夫。きっと大丈夫、だと思うよ」
 我ながら自信のない言い方に唇の端を吊り上げた。今のフェリクスの表情の中で最も笑みに近いものを見せられて、シェリは不安そうだった。
「大丈夫。僕にはなにもない」
 刺し貫くかのシェリの声。ぎょっとしてこちらを見るアリルカの民にフェリクスは無造作に手を振る。それだけで心配はないと知ったのだろう、彼らはまた話し合いに戻っていった。
「なにもないけど……あなたがいる。あなただけは、まだ失ってない」
 他にはもう何も要らない。そう思ってフェリクスは小さく唇を吊り上げた。
「欲しいもの、あるよね」
 ラクルーサ王の首。それだけは、誰にも譲らない。タイラントを殺した本人は、すでに死んでいる。命を下した人間にも、死んでもらいたい。是非にも。
「僕は意外と欲張りだったのかもね。知らなかったな」
 今更なにを言うかとばかりシェリが頭を胸にこすりつけてきた。甘えた仕種に胸の奥が痛んだ。それは切り裂くようなものではなく、温もりさえ呼び起こすような痛み。
「なんて言うんだろうね、こういうのって」
 黙って彼らを見ていたリオンには、答えがわかっていた。わかっているからこそ、口をつぐんだ。シェリがまっすぐフェリクスを見たまま、感謝をこめて羽ばたく。不思議と、仕種の意味を過つことはなかった。
 唇に笑みを浮かべ、リオンはじっと彼らを見ていた。少しだけ、幸せな気がした。このままフェリクスの感情が元に戻ってくれたならば。束の間、夢想する。
「無理ですねぇ……」
 呟きは誰にも届かない。胸の奥にいるカロルだけが、聞いたのかもしれない。在りし日のカロルを思い浮かべ、リオンは微笑んで彼がくれた指輪に視線を落とした。
 彼を失った自分だからこそ、フェリクスの痛みが理解できる。そう言えば、彼はわかってなどいないと言うだろう。確かに自分は無理やり最愛の人を奪われたわけではなかった。
 それでもカロルはいないのだ。自分の魂に、空虚なところができてしまった。フェリクスの魂にあるように。
 同じ虚ろを抱えているからわかる。彼がもし喜びや悲しみを取り戻してしまったならば。
「壊れちゃいますね」
 彼を失ったあの日より、いまのほうがずっとカロルにそばにいて欲しかった。




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