森の中、集落はあった。突如として開けた場所に三々五々人々が集っている。一見してのどかな村の情景。が、手の届くところには必ず武器があった。リオンは彼らの表情にかすかな違和感を覚える。 「エラルダ」 「なんでしょう、フェリクス?」 「ここ、いまどれくらいいるの、人数」 辺りを見回してフェリクスが問う。それを面白そうにリオンが見ていた。ちらり、竜のシェリと目があって彼は目許に笑みを浮かべる。それはまるでフェリクスに多少なりとも生気が蘇ってよかったとでも言っているようだった。 「そうですね……だいたい五百と言うところでしょうか」 「ふうん。町って言うより、国だね」 「そうでしょうか」 「人間じゃないからね。死なないのがごろごろしてるんだ。戦力的には国と言っていいんじゃない?」 確かにそのとおりだ、とリオンは思う。殺されない限り死ぬことのない神人の血を引く者たちが多く集まっている。いっそ壮観だった。 「内訳は」 フェリクスの端的な問いに戸惑うことなくエラルダは答える。出迎えに立った二人の半エルフはそれを不思議そうに見ていた。 「神人の子らが三百。その子らが二百、と言うところでしょう」 「半エルフの子もいるんだ」 「少ないですけれどね」 当然だ、とフェリクスはうなずいた。この世界にあって、元々半エルフと人間の愛情は成立しにくい。まして人間の女との間に子を生すほどの関係を築くことのできた半エルフは多くはない。 「エラルダ。例えば今すぐ集合をかける必要があるとして。どれくらいで集まれるの」 「時間ですか? すぐに」 そう言って彼は不敵に笑った。自分の言っていることが伝わったのかフェリクスは量りかね、メラニスとカラクルを振り返る。彼らもまたうなずいていた。 「そう。じゃ、集めて」 「フェリクス?」 「僕はあなたから、民の意思を聞いた。今度は民から聞きたい」 「お疑いですか」 「まさか」 軽やかに言ったフェリクスの言葉の裏側に疑念を感じてエラルダは戸惑っていた。ふ、とリオンを見る。苦笑していた。 「あなたの言葉を疑うわけじゃないですが。ここでその総意を確認したいと言うのは正しいと思いますよ、私。なんと言っても戦争しかける気でいますし、この人。意思の統一は確かめておきたいです」 「なに他人事みたいに言ってるの。あなただって仕掛ける側だって、わかってるよね、もちろん」 「いやだなぁ、もう。わかってます。とはいえ一応、神官なんですけど。普通は戦いを止める側です」 「戯言だね。青春の女神でしょ、あなたのエイシャは。青春とは戦いの連続、戦うことこそが本分にして生きる意義、とか平気でへらへら言うくせに、いまさらなに言ってるわけ?」 滔々とまくし立てるくせに熱のないフェリクスの口調に、エラルダはすでに慣れた。が、メラニスとカラクルはそうはいかなかったようだった。驚きに目をみはっているのを、エラルダがそっと笑う。 「だいたいね、リオン。僕はあなたにこの世の常識なんてものを期待してない。持ち合わせてるの」 「残念ですねぇ。以前はあった気がしますが」 「いつ?」 疑いも露なフェリクスの態度に、シェリが喜んで羽ばたいた。頬をなぶる風にそっとフェリクスが目を細める。嫌がっているように見えた、一見は。本当は微笑んでいる気がした。つられるよう、唇をほころばせたリオンが言う。 「母の胎内にあった頃ですか。残念ながら生まれるときに忘れてきたようです」 嘯く人間の神官に度肝を抜かれた半エルフたちが揃って額に手をあてるのに、フェリクスが視線を向ける。 「こういう人間だから。まともに付き合うと頭痛がするよ」 それは忠告だったのだろうか。エラルダは二人の友を振り返る。力なく笑っていたが、エラルダには彼の言葉がこの上なく友好的な紹介に聞こえていた。 「エラルダ」 不意にリオンに呼ばれて彼を見れば、どことなく痛ましげな顔をしていた。 「なんでしょう?」 「実はあなた、影響受けやすい人だったりします? ……あぁ、いや。なんでもないです。大変だなぁ、と思っただけですから。気にしないでください」 思い切り気になることを言ってリオンは笑って言葉を濁した。なぜとなく追及する気を失ってエラルダは肩をすくめる。 「エラルダ。集めて」 フェリクスの短い言葉に一瞬にして話題が戻った。きゅっと口許を引き締め、エラルダは友を振り返る。 「頼む」 それだけで彼らは走り出していく。どこへ、とは言い置いていかなかったから、あらかじめ集合場所が決まっているのかもしれない、とリオンは思った。 案の定、エラルダは二人と一匹を先導して足を進めていった。町の住人の視線が二人を追うでもなく、すぐさま伝令が知らせて言った言葉に続々と集まり始める。 彼らが中央広場、とでも言うべき開けた木立の中に足を踏み入れたとき、そこにはすでに人々が集まっていた。 「これでだいたい全部でしょうね」 ちらりと見回しただけでリオンが言う。フェリクスは言った。戦うことこそ生きる意義、と。ならばリオンは多くの人数をすぐさま把握できるだけの眼力を持っている、と言うことかとエラルダは見て取る。 「城の騎士たちの演習なんかもよく見てましたしね、参加もしてましたし」 エラルダの視線にリオンが微笑んで言った。それほどはっきりと顔に感情が出ていると思っていなかったエラルダは気恥ずかしくなって顔を伏せる。励ますよう、シェリが鳴いた。 「さて、と。もう全部集まったようですよ。フェリクス」 神人の子らもその子らも、もう新しく現れることはなかった。そのすべてがじっと彼らの前に立つフェリクスとリオンを見ている。いつの間にか伝令から帰ってきたメラニスとカラクルが背後に立った。 そっとフェリクスは空を仰いだ。言うべきことも、言っておくべきことも、わかっている。ためらいを見抜いたよう、シェリが喉元に巻きついて小さく鳴いた。その尻尾を指先で撫でたとき、彼の心が決まった。 「演説は、苦手なんだけどね。自己紹介なんか、面倒だからしない。僕が誰かはとっくに知ってるはずだ。まず、この人間を受け入れる気があるのか、聞きたい」 あえてフェリクスは人間、と言った。ちらりともリオンを見ない。視界に入れているのかすら窺えない。 「言葉が上がらないってことは、受け入れるってこと?」 「そうだ」 誰ともなく言う。フェリクスはじっと彼らを見つめ、そしてうなずいた。 「だったら、もしあなた方に加わろうって言う人間が現れた場合、どうするの」 その問いに、一斉に場がざわめいた。リオンまでもが呆れ顔でフェリクスを見ている。 「フェリクス……」 エラルダが困ったよう、小声で問うのに、フェリクスは顔も向けない。ただひたすらに黙ってそこに立っていた。 「少し……話しをしようか」 忍びやかな声だった。それでいてその場に集まったすべての人々に声は届いたはずだ。そう、リオンは思う。フェリクスの声には感情があった。もしもそれを感情と言うのならば。肌を刺し、ひび割れさせ、滲んだ血が滴る前に凍るつくような声。 「……僕は、その前半生の早い段階で、復讐の無意味をこの体で知った」 すっとリオンが体を硬くした。シェリが小さく鳴いた。フェリクスは、かまわず言葉を続ける。 「あなた方がしようとしているのは、復讐なんだろうか」 「そうだ」 「ならば無意味だ、と言う」 「だが!」 「わかってる。無意味だとわかってても、しなければ生きていけないことがある。無意味だと、わかってて、達成したあとに虚しさだけが残ることを知っていて、僕はもう一度それをしようとしている」 そう言って、フェリクスはわずかのあいだ目を閉じた。指先が、そっと竜の尾を撫でている。あるいは集合の連絡とともに、伝令はこの小さな氷竜が何者であるかを知らせたのかもしれない。 そう思ったリオンは自らの考えを否定した。神人の子らは、慎ましい。個人の内面に土足で踏み込むようなまねはしないだろう。その慎ましさゆえに、聡い。だから彼らはフェリクスの仕種に、痛みを見た。そして、ともに悼んだ。それだけのことだった。 「あなた方は、復讐をしたい。それも真実だろうね。自分たちの同族が、虐げられ続けている。その復讐は、間違ってはいないと思うよ。ただ……僕が言うのもなんだけどね。その先を考えたほうがいいんじゃないの。僕はとりあえず人間の宿命を持っている。いずれはくたばるさ」 まるでそのときが早くくればいいとでも望んでいるような声音に、ぎょっとしてリオンは彼を見た。リオンより先、シェリが盛大にフェリクスを咎めていた。 「だって、僕はいずれ死ぬもの。別に待ち望んではいないけど、死なないよりはありがたいね」 シェリに言い聞かせるような声だった。が、真に向けられているのは神人の子らにだろう。 「そう、あなたがたの半数以上の神人の血を引く人たち。あなたがたは飽きるまでこの世界にいることになる」 旅立つまで。最後の旅に出るそのときまで。いったいどれほどの長い年月があるのだろう。それを改めて指摘されて彼らは揃って戸惑いを浮かべていた。 「だったら、いっそ暮らしやすい世界にしちゃえば? そうすれば、神人の子らの子ら……まどろこしいな、もう。とにかく僕自身の同族も、半エルフの子らもちょっとは生き易くなる」 「そうは、言うけれど。いったい……」 ただ戦いを仕掛ける。それしか考えていなかったのかもしれない、アリルカの民は。フェリクスは彼らを見回し、目を細めた。険悪な顔つきではあった。それでもシェリは悦ばしげに鳴いた。 「そこで、人間を受け入れる気があるのかって質問に返ってくるわけだけど。あなたがたにその気があるのならば、僕には手がある。どう、リオン?」 「ははぁ。なるほどね、そう来ましたか。いい手だと思いますよ」 「ほんとにわかってて言ってるの、あなた。調子のよさは立派だよね」 「わかってますよ。いっそ建国しちゃおうかなぁってところでしょ、フェリクス?」 爽やかに言われた言葉に、アリルカの民のすべてが息を飲んだ。しん、と静まり返った広場に、小鳥の声だけが楽しげに聞こえていた。 |