森の道は果てしなく続いていく。どこまでもどこまでもただひたすらに木々ばかり。ふ、とリオンが口許に笑みを浮かべてフェリクスを見やった。 「気づいてます?」 「あなた、僕を馬鹿にしてるの。いい度胸だね。ちょっと――怪我の一つでもしてみる?」 「いやだなぁ、もう」 リオンはフェリクスが言いよどんだのに気づかないふりをした。以前の彼だったら怪我、などとは言わなかった。死んでみるか、と実に朗らかに聞いた。肩の上のシェリが、その言葉をとどめているのだとすれば痛ましいことだとリオンは思う。軽口くらい気軽に好きなだけ叩ける程度には、回復して欲しい。痛々しい彼を見ていると、この上なく自分が無力だ、そう思う。 「ねぇ、エラルダ」 「はい?」 いまのやり取りを不自然には思わなかったエラルダだった。首をかしげて二人を見た視線にもおかしなところはない。それを確認してフェリクスはわずかに視線の強さを緩めた。 「惑いの道って言ったよね。後どれだけおんなじところぐるぐるすればいいわけ? ちょっと飽きてきたんだけど」 さらりと言われた言葉にエラルダは息を飲む。気づかれていた、その驚きではない。彼の言葉そのものに驚いた。 「同じ、ところ……ですか」 「なに、あなたもわからないわけ? さっきから同じところ周ってるけど」 「まぁ、見た目はちゃんと変化してますからねぇ。惑いの道とはよく言ったものです。これじゃ気をつけてないと迷っちゃいます」 言いつつリオンは迷わされることはない、それを確信しているようだった。その自信ありげな顔つきに、エラルダはふと笑みを漏らす。 「頼もしいです」 「この程度のことがわからなかったら僕らが加勢する意味ってどこにあるわけ?」 辛辣に言ってフェリクスはまた前を見た。肩の上からシェリがとりなすような鳴き声を上げたのに、エラルダが片手を上げる。竜がにっと笑った気がした。 「そろそろ着くはずです」 「はずってなに?」 「私にも、よくわからなくって。……だいたいこのくらい歩くと着くはずだとしか」 いい加減な、と呟いたフェリクスの声を誰もが聞かないふりをしていた。静まり返った森の中、気まずそうにシェリが鳴き声を上げた。 ふ、とそのシェリが頭上遥かを仰いだ。それを目に留めたリオンが微笑む。 「さすがですねぇ。そうですよ、ここって現実じゃないです」 シェリに言った言葉に、エラルダは卒倒しそうだった。 「あなた、わからなかったんですか?」 蔑んでいるわけではない、純粋な疑問。リオンの口から出るからこそ、そう聞こえるがフェリクスだったらどうだろうか。彼でなくてよかったと思いつつエラルダはうなずいていた。 「いま、鳥の声が絶えたでしょう? シェリのほうが私より早かったですね、気づくの。ちょっと悔しいなぁ」 「相変わらずまどろこしい喋り方だね、さっさと要旨を話す」 茶々でも入れている風なのに、フェリクスの声音は冷たい。それを気にした様子もなくリオンは朗らかに笑った。 「さっき魔法空間に入って――」 話しながら足を進める。シェリがフェリクスの肩できょろきょろと辺りを見回していた。竜の目に欠片ほどの恐怖も浮かんでいないのを、なぜかエラルダは見ていた。 「いま、出ましたよ」 途端に小さく鳴き交わす鳥の声が聞こえた。小鳥の声が聞こえなかったことに気づいていなかった自分をエラルダは恥じ、普通は気づかないものだと思いなおす。 「すごいですね」 正直な思いだった。ほっとしていた。彼らがアリルカに来てくれるならば、これほど心強いものはないと。 「馬鹿にしないで」 そんな思いを叩き落すかのフェリクスの声。が、リオンが微笑んでいたからエラルダは怯まない。シェリが応援するよう鳴いた。 「……まぁ、だから、僕らがきたんだけど」 ぽつりと言ったフェリクスの声はいささか残念そうだった。誰も挑発に乗らなかったことを悔しく思ってでもいるような。 そう思ってエラルダはたじろいだ。なぜかはわからない。好戦的で挑発的なフェリクスしか知らなかった。だからそれは彼の示す態度として最も相応しいものだ、そう思う。 それなのにいまのフェリクスはなぜだろう、寂しげに見えた。疑問の余地がないことに気づくまでしばし。肩の上に竜がいた。隣にいたはずの人間の男ではなく。 「おや、お出迎えでしょうか」 凍り付いてしまったかの空気を溶かしたのはリオンの声だった。ほっと息をつき、エラルダは注意を前方に向けなおす。 「そのようです」 彼らに断って小走りに駆け出した。そこには仲間がいた。半エルフの目で見れば、人間よりずっと早くに気づいてしかるべきだった。それなのに、気づかなかった。どれだけ自分がぼんやりしていたのかを思えば苦笑が浮かぶ。 「フェリクスとリオンをお連れした」 仲間に向かってエラルダは言い、それからゆっくりと歩みを進めてくる二人をちらりと肩越しに窺った。 「……世界の歌い手の魂が、彼の肩にある」 その言葉に仲間が息を飲んだのを感じた。そっと密やかなそれであったのにもかかわらず。エラルダは一度目を閉じ、小さく首を振った。 「決して彼の名を……タイラントの名を口にしてはならない。そう、リオンから言われている」 なぜだ、とは仲間は問わなかった。静かにうなずいた仲間たちははっきりと哀悼の表情を浮かべていた。 「フェリクス、リオン」 何事もなかった顔ができるだろうか、できていて欲しいと願いつつエラルダは振り返って微笑んだ。手招いて呼び寄せれば、リオンがにこにこと笑っている。 「間違いなく迎えでした。彼はメラニス」 そう言って一方の半エルフを示す。呼ばれた彼は首をかしげて微笑んでは歓迎の言葉に代えた。 「彼は――」 「カラクルと言う。区別がつくのか、多少は疑問だが」 エラルダの言葉を遮って皮肉に言った半エルフに、フェリクスは目を向けた。が、何も言わない。ちらりとリオンを見やっただけだった。 「ずるいですねぇ、フェリクス。私に任されましてもねぇ。別にいいですけど」 いいのだか悪いのだかはっきりしないことを言い、リオンはあからさまな溜息をついてみせる。シェリが励ましの声を上げた。 「ありがとう、シェリ。頑張ります、私。それで区別がつくのか、ですか? いやですねぇ、つくに決まってるじゃないですか。エイシャの神官ですし、私。それに身近に神人の子らがいましたからねぇ、区別がつかなかったら大変です」 のらくらと言っているようでいて、リオンの言葉は存外に厳しい。エラルダは仲間たちに隠れてそっとうつむいて笑った。 「つくかどうか、聞いただけじゃないか……」 滔々とまくし立てたリオンの言葉に気圧されたよう、カラクルがぼやく。それに小さくメラニスが吹き出した。 「悪意はないんですよ、粗忽なだけです」 友を見て言うメラニスに、カラクルが食って掛かっている。それでたぶん、二人には仲間たちが悪意を持ってしたわけではないことを納得してもらえるはずだ、とエラルダは期待していた。 「エラルダ」 忍び込んできた冷たい声。フェリクスのそれにエラルダは知らず震えそうになった。楽観的になったのは、早計だったかもしれないとまで思う。 「彼らは、つまりリオンを迎えることに対して肯定派だってことだね?」 だがその思いは懸念に過ぎなかった。友の声を聞いてフェリクスの声音がいかに冷え切ったものだったか身にしみてわかった。 「そう言うことです。否定していた者を出迎えにですわけにもいきませんし……。ですが、フェリクス」 「なに」 「現時点で、否定派と言うものは存在しません」 「そう?」 「わかっていただきたいのですが、我々は話し合いで決めています。一度決まったことに対して異論を述べるのは――」 「美しくない?」 「はい」 フェリクスの答えにエラルダは莞爾とした。いまだ言い合っていた二人の仲間までもがはっとして彼を見る。 それは闇エルフの子が、あるいは人間ならばもっと、口にするとは思っていなかった言葉だった。意外の念に打たれてフェリクスを見つめていたエラルダに、彼が苦笑した気がした。まったく表情が変わっていなかったにもかかわらず。 「人間だったら、どう言うんだろうね。僕はそんな気がしたからああ言ったけど」 「そうですねぇ、人間だったら名誉にかかわる、とでも言うところでしょうかねぇ」 注目されてしまった唯一の人間が、苦笑いしながらそう言った。だからエラルダは思う、リオンはそのようなことを微塵も考えていないのだ、と。あるいはフェリクスのよう、自分たちに近い基準を持っているのか、と。 「名誉、ね」 鼻を鳴らしてフェリクスはその言葉が人間世界でどれだけ軽々しく扱われているかを態度で語る。 「とりあえず、進みませんか。――と、客が言うことでもないですが」 埒があかなくなる気配を敏感に感じたリオンの提案に、出迎えの半エルフたちはばつの悪そうな顔をした。それからちらりと竜を見やる。 「あぁ、彼のことはシェリと呼んでくださいね。可愛い氷竜でしょ?」 まったくなんでもないことのよう言い、リオンは素早く飛びのいた。 「危ないですよ、フェリクス」 にっこり笑ってフェリクスの攻撃をしのぐ。彼も本気ではなかったのだろう、瞬く間に氷の剣が溶けて消えた。 どうやら、とエラルダは思う。リオンがシェリを可愛い、と評したことが気に食わなかったらしい。その程度のことで剣を抜くか、と思いはするのだがこれが彼らの日常ならば自分たちが慣れるより他はないだろう。わずかに溜息をついた。 「確かに綺麗な氷竜ですね」 「むしろ美しい真珠色、と言いたいな、俺は」 エラルダの思いをよそに、仲間たちが朗らかに笑いあってシェリを見ていた。決して手を伸ばすことはなく。フェリクスはそんな彼らの態度に、ようやくほっと息をつく。 |