黙ってしまった二人の間に何かが走ったのをリオンは見る。徒に口を出すのもはばかられてなぜとなく竜を見れば彼もまたじっと居竦んでいた。
「ところで、エラルダ。質問があるんですが、いいですか?」
 沈んでしまった雰囲気を引き立てたくて口を出せば、竜が喜んだように思う。自分にできないことをしてくれた、と。
「なんでしょうか」
 一つ首を振り、エラルダは微笑んだ。半エルフの彼は、無闇に人の心に立ち入るのを好まなかった。
「アリルカのことです。多少のことは知ってるんですが、アリルカの民はいったいどのような人たちなのか、となると私の情報源も確たることは言えないらしくって」
 そのあたりのことを聞かせて欲しい、とにこやかにリオンは言う。顔こそ笑っていたけれど、リオンの心の中は厳しい。
 これから手を組もうかと言う相手だ。その実情も知らずして簡単に手は結べない。フェリクスは知っているのだろうが、話してくれるとも思えなかった。
「もちろんお話しますよ」
 リオンの心のうちを見透かしたよう、エラルダは笑みを浮かべる。隠すことなど何もないのだから、安心して欲しい、そう言っているように思えた。
「我々アリルカの民のうち、当初最も多かったのは闇エルフの子でしょう」
 言ってちらりとフェリクスを見やる。彼は黙って肩から竜を下ろし、腕に抱えてその背を撫でていた。
「あの場所は本来、半エルフの里でした。放棄されたそこを見つけた闇エルフの子らが迫害に耐えかねて住みついたのがアリルカです。そこに半エルフが戻ったと言いますか加わりました。いまは闇エルフも少数ながらいますよ」
「闇エルフも、ですか?」
「はい。以前は我ら半エルフは、彼ら闇エルフを討ったものです。……それは、この世にある苦しみから彼らを救いたい、せめて救えないものならば、苦痛を終わらせたいとの願いだったのですが。人間には、わからないでしょうね」
 遠くを見るような目をしたエラルダに、思わずリオンはフェリクスを見ていた。ふと気づけば、竜もまじまじとフェリクスを見ている。
 二人ともが知っていた。フェリクスがよくする表情だった。淡い何かを浮かべて、遠くを見るのは。
「いまは、そうですね。少なくともアリルカの仲間としてある限り、討つことはありません。その苦痛を共にするのも、同族の務めだと考えます」
「ねぇ、エラルダ」
 不意にフェリクスが目を上げた。漆黒の目の中、浮かんでいるのはなんだろうか。あまりにも遥々としていて、半エルフにすら感情が窺えなかった。
「なんでしょうか」
「闇エルフも、旅に出るのかな」
 虚を突かれた。息を飲んでエラルダは言葉に戸惑う。
「さぁ……どうでしょう。あるいは、旅に出ることもあるのかもしれませんが、わかりません」
「それまで生きてないってことかな」
「……えぇ」
 かつて、半エルフは闇エルフを見れば殺したものだった。それが慈悲の行為だと理解できるのは同族のみ。闇エルフもまた、殺されることをこそ、望んでいたとは人間は知らない。理解できない。知ろうとしない。
「闇エルフが、どうしてアリルカにいるの」
「人間を憎むからでしょうね」
「あなたも?」
「闇に堕ちたいと、思ったことも願ったことも」
 淡々とエラルダは言った。感情をまじえず言ったからこそ、リオンは信じる。フェリクスもそうなのだろう、黙ってうなずく。竜だけが、切なそうに鳴いた。
「だから、アリルカは戦いたい?」
「死を願ってのことではないのです」
「当然だね。自殺願望に手を貸す気はないよ。やるなら勝つ気でやる」
「それは、頼もしい」
 にこりと笑ってエラルダは言った。あっさりと言ったことにリオンは驚く。彼に勝算があるとは思っていなかった。勝ちはするだろう。多大な死者を出し、大陸中から人間を滅ぼし尽くすことをもし、勝利と言うなら。
「フェリクス」
「なに」
「勝てるんですか」
「ねぇ、リオン」
 わずかな呆れ顔。それが急に恥ずかしくなってリオンは顔を伏せる。励ますよう、竜が鳴くのをフェリクスが苛立たしげに見やった。
「僕を馬鹿だと思ってるの。勝つ気でいるのは当たり前じゃない。それで勝てるかどうかなんて知らないよ。明日がくるかだってわからない。僕に言えるのは、勝つつもりで行動する、それだけ」
「そう畳み掛けなくってもいいじゃないですか」
「リオン」
「はい?」
「あなた、僕を苛立たせたいの。それとも、自殺願望の強いほうだった? 僕に手を貸せって言うならごめんだから。とっとと自分で死んで」
 リオンは詫びなかった。フェリクスが、何に気分を損ねたのかがわかっていたからこそ、謝れない。彼は自分の言葉にタイラントの影を見た。
「あのね、フェリクス。私こそ言っておきますけどね、一々突っかかるのはやめてください。けっこう鬱陶しいです」
「自分が悪いとは思わないわけ?」
「客人の前で喧嘩吹っかけるようなお人に言われたくないですね」
 温顔で言ってのけたリオンにフェリクスは口をつぐんだ。ちらりとエラルダを見やって目顔で詫びる。詫びているくせに、一言でも口を挟もうものならば、殺してくれるとでも言わんばかりの目つきだった。
「アリルカが、立つ気になったのは、すでにお聞き及びかもしれませんが、ある事件がきっかけです」
 淀んだ空気を払うようにエラルダが言う。ほっと息をついたのは竜だった。それに笑みを見せれば、フェリクスが嫌そうな顔をした。それにもちらりとエラルダは笑い、話しを続ける。
「場所が場所なので、どちらが悪いとは言いかねるのですけれど、国境大河を渡ろうとしていた闇エルフの子が数人、いました」
「あぁ……その話なら、知ってるよ」
「どのように?」
「確か……」
 思い出すよう、フェリクスは宙を仰ぎ、眉を顰めた。
「ミルテシア側から船に乗るとき、さんざん拒まれて、でも結局乗せてもらえたんだけど、ラクルーサにつく寸前に、両方の役人から川に落とされて溺れたんじゃなかったっけ?」
 さらりと言うが、リオンの顔色は失われた。そのようなこと、聞いたことはなかった。
「フェリクス……」
「王宮に事件の詳細が伝わった時にはね、リオン。適当に端折られてたし、そもそも王宮の人間には闇エルフの子なんかどうでもよかったんだよ。それが人間だったら話は別だったんだろうけど」
「そもそも人間だったならば。そんな事件は起きなかったでしょうね」
「そうだね」
 エラルダと顔を見合わせフェリクスはうなずく。リオンは言葉もなくうなだれるしかなかった。確かに、彼らの言うとおりだった。
 それがアリルカの民を立たせるきっかけになったと言うのか。それを思えばぞっと身震いをする。
「人間の習癖は、すでに充分見てきています」
 そうエラルダは言った。そしてリオンは気づく。確かカロルの師、メロールは神人が去ったころに生まれた、と言っていた。それならばエラルダは少なくともメロールより年下と言うことはないのだ、と。
 そうであるならば、嫌と言うほど人間を見てきたはずだった。この歪み尽くした世界での、醜い人間の振る舞いを。
「次は我らだ。むしろ、すでに火の粉は降りかかっている、と」
「明日は我が身、と言うわけですね」
「えぇ。本当に。恐れるからこそ人間は攻撃性が強い、とかつて我らは嗤ったものですが……人のことは言えないものです。我らもまた、恐ろしい」
「当然です。生まれたからには死にたくない。それが生きとし生けるものすべてのあり方というものでは?」
 含みのないリオンの言葉にエラルダは莞爾とした。久しぶりによい人間を見た、そう思う。もしも仲間の闇エルフがはじめに出会った人間が、こういう男であったならば闇に堕ちることはなかっただろうに、エラルダにそこまで思わせるほどの晴れ晴れとした言葉だった。
「つまり、アリルカには神人の血を引く者が色々いて、その大半が人間との戦いを望んでいるってことだね」
 総括してフェリクスが言う。たしなめて竜が鳴いていた。それは戦いをやはりするのかと問うているように聞こえ、リオンはそっと首を振る。
「そう……不本意だけど、リオンが正しい」
 珍しくリオンを認めてフェリクスは言う。抱えていた竜をそっと眼前まで抱き上げる。
「僕は、戦いたい。いまのままじゃ、夜も眠れない。あなた、知ってるよね? 僕はほんの少し平安が欲しい。わかってるよ。戦っても、殺しても気はすまない。ほっとなんかしない。それでも、いまのままより、ずっといい。だから、許して」
 余人など、目に入っていないかのフェリクスの態度だった。竜とだけ語り合い、彼の許しを求めている。
「あなたがどうしてもだめだって言うなら、諦めるけど」
 言えば、竜が声を張り上げて鳴く。と、それにフェリクスは唇だけを吊り上げた。竜がまたも鳴く。むっつりと不機嫌に。
「別に嵌めてない。僕は本当のことだけ言ってるよ。それを罠だと感じるなんて、酷いね」
 軽口めいたことを言って、フェリクスは気配を和らげた。そんな一人と一匹、否、二人を見ていてエラルダは思う。確信を得たくてリオンを見やれば、安堵する。
「なに、エラルダ」
「いえ……」
「はっきり言って」
 目を細めてフェリクスが問い詰めた。それにエラルダは眩しそうな顔をした。
「あなたこそが、アリルカの希望。不意にそう思っただけです。あなたの名に相応しく、あなたは我らの希望となるだろう、と」
 幸福、あるいは希望を意味するフェリクスという名。師・カロルがそうあれかしと願ってつけてくれた名。フェリクスは目をそらす。
「……希望なんて、どこにもない」
「フェリクス」
「僕には、なにもない。希望? そんなもの、ないよ。僕はすべてを失った」
 と、小さな声。フェリクスは視線を落とし、竜を見やる。
「そうだね、あなたがいるね」
 淡々と言った声。けれど色はなかった。竜がいる、そう言った言葉の裏側でフェリクスは語る。タイラントはいない。
「酷いと思いませんか、エラルダ? この人は私がいるのも忘れてるんですからね」
「同感です。私も、いるのですが」
 笑みを交わしあった二人の男に、フェリクスは一瞥も与えなかったけれど、竜は悦ばしげに鳴いた。感謝に聞こえて、いたたまれなかった。




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