フェリクスは、彼なりに気まずさを感じていたのだろうか。額にかかった髪を振り払うよう、首を振る。その拍子に竜を肩に投げ上げた。
「それで。リオン。何が聞きたいの。聞きたいことがあるって、言ってなかった」
「言いましたよ。話がすっかり長くなっちゃって」
「誰のせいなの。僕のせいとか、言わないよね、当然」
「言いたい気持ちはありますけどねぇ」
 からかうよう言えば、フェリクスではなく竜が抗議の声を上げた。それにリオンは微笑んで、そしてしっかりとフェリクスを見る。
「フェリクス」
「だから、なに」
「疑問なんです、私」
「だから、なに。しつこいよ、リオン」
「だって、あなた。ずっとここに留まってるだけじゃないですか。別にいいんですけど、それでも。でもどうしてなのかな、とそれが気になって気になって、もう夜も眠れなくって」
「嘘言いなよ」
 一言の元に断じたフェリクスに竜が同意の声を上げた。リオンは不意に錯覚する。そこにいるのが竜ではなくタイラントであるかのように。きゅっと唇を噛んだのを、フェリクスが見咎めた。
「フェリクス。なにを待ってるんですか」
 視線だけで詫び、リオンは話しを続ける。決して彼がこのまま塔に留まり続けるとは思っていなかった。
 戦いを、望んでいるわけではない。だがフェリクスは望んでいるだろう。そうでなければ、おめおめとラクルーサを後にしたりはしなかったはずだ。
 ならばフェリクスがいま待っているのは、何か。あるいは、誰か。
「そう、僕は待ってる」
「フェリクス――」
「待ってるんだよ、誰が来るだろうね、ちょっと楽しみではあるよ」
「わかって、ないんですか……?」
 わずかばかり楽しげなフェリクスの声音にリオンは驚いた。しげしげと見つめても、彼の表情は少しも動いていない。それでも彼が笑った気がした。明るいそれではなかったけれど。
「全然――、と言うわけでもないな」
 言葉には、お前にそれがわかるか、と含みが持たされていた。挑発されては、わからないとは言えない。
 リオンは思考を巡らせる。まず第一に、戦力となりうる相手。フェリクスが戦うための同盟を結べる相手。
「もしかして、イーサウ自由都市連盟、ですか……?」
「あなた、馬鹿?」
 考えた末に言った言葉が両断される。がくり、と肩を落としたリオンを慰めるよう、竜が鳴いた。それがよけい、情けなさを煽る。
「イーサウには、うちの弟子どもが行ったんでしょ」
「行くよう、忠告はしましたけどね」
「だったら行ったんだよ、あいつらいい子だからね。師匠の言いつけには従うでしょ」
 自分はそうではなかった、と言いたげでリオンは微笑む。フェリクスもまた、カロルにだけはある意味で従順だった。通り一辺倒なやり方ではなかったせいで、それとわかりにくかっただけのことだ。
「弟子どもが、ラクルーサから離脱した。それだけのことだ。でもラクルーサは、どうかな? 魔術師の、反逆と捉えるだろうね」
 言葉とは裏腹の、軽い口調。明るささえ帯びていて、リオンはぞっとする。
「イーサウは、魔術師が欲しいだろうね、あそこはまだ新興国だ。新興国はいいよ、力が欲しいから、差別感が薄い。それに、イーサウは商業国だ。利用できるなら、魔術師だろうが利用する。それが悪いって言ってるんじゃない。それが、弟子どもの未来に繋がるなら、僕に文句はない」
 むしろ、明日に繋がる道であって欲しい、そう言っているようにリオンには聞こえた。未来への道筋を、失ってしまった自分だから、と。
「反面、新興国は二王国を恐れてもいるね。まだラクルーサやミルテシアと正面きって戦うだけの力はない。違う?」
「それは、まぁ」
「だから、イーサウは僕のことを知っていても、当然手は貸せない。裏じゃどうかわからないけど、表立って貸す気はないはずだ、自分たちのために。それでいい」
「ですが、フェリクス」
「ねぇ、リオン」
 ならば、同盟者をどこに求めるというのか、フェリクスは。戸惑うリオンにフェリクスの目がわずかに煌く。物騒な、光だった。
「力があるのは、ラクルーサだけ?」
 仄めかされた意味に、ぞっとした。思わずリオンの背筋が震える。気づかないうちに立ち上がって叫んでいた。
「ミルテシア! ちょっと待ってください、フェリクス!」
「うるさいな、座んなよ。誰があんなところと手を組むって言うの。僕は個人的にミルテシアは好きじゃない。間抜けと手を組んだりしたら仕事が増えるだけじゃない」
 苛立たしげに言ってフェリクスは竜の背を撫でた。その仕種をリオンは読み違わなかった。かつて、タイラントを竜の姿に変える原因となった女。ミルテシアの王家の末端に位置していた。
「まぁ、ミルテシアの人間が皆お間抜けさんだとは思いませんが……」
「どこが? ねぇ、あなた、知ってるでしょ。僕はカルム王子もかなりな間抜けだと思うけど?」
「シャルマークの四英雄を捉まえてよく言いますよ」
 呆れ顔で笑って見せた。フェリクスが肩をすくめる。それにリオンはほっとしていた。話の筋をわずかにずらすのに成功していた。二人ともが、否、三人ともが脳裏に同じことを思い浮かべていたとしても。
「それで、どこを待ってるんです? 他にあるかなぁ。ちょっと思いつかないです、私」
「考えなよ」
「まぁ、そう言わず、ね、フェリクス」
「そう言う態度が通用するのは、カロルだけだと思わないの。まぁ、いいや。教えてあげる。その代わり、なにしてもらおうかな」
 くい、とフェリクスの唇が吊り上る。そのくせ表情は笑みにならない。無表情のまま唇だけが吊り上るのは、見ていて気分のいいものではなかった。
「こんなこと言いたくないけどね、リオン」
「なんでしょう?」
「僕らは、大陸有数の魔術師だ。はっきり言ってもいい。現時点で、僕らを超える魔術師はいない」
「でしょうね」
 あっさりとリオンも同意する。フェリクスの自負は、故なきことではなかった。魔法の習得においてはラクルーサがミルテシアより一歩も二歩も先を行っていた。そのラクルーサ宮廷魔導師団を率いていたのが、その生き残りが彼ら二人なのだから。
「だったら、力が欲しいのは、どこ?」
「ですから、それがわかれば……」
「もう一つ。僕らは、直接戦力になりうる魔術師だ。その意味はあなたにもわかるでしょ」
「確かに。武器を持って戦う魔術師は我々一派くらいのものでしょうからねぇ。変り種ですが、重要です」
「そう、重要なんだよ。魔術師を守るために戦力を割かなくていいってことなんだから。その意味は?」
「あなたが期待している相手は、戦力が少ない?」
 答えに、フェリクスがうなずいた。竜は同意しかねる、とでも言いたげにそっぽを向く。二人の意見が食い違うのを見るのは、はじめてかもしれない、とリオンは思った。
「……これはね、僕が予定していることをすれば、大陸全体の戦乱になりかねないことを、不安に思ってる。違うか、危ないことして欲しくない、かな? どっちにしたってね、僕はラクルーサ王の首を獲るまで、安らげない。あの王から、すべてを剥ぎ取って、大事にしているものを全部奪って、それでようやく――」
「気が済みますか」
 静かに言ったリオンに、フェリクスは厳しい視線を向けた。
「そんなわけないじゃない。復讐が無意味だって事くらい、僕もすでに学習してる。気が済むなんて、そんなことあるわけない。ただ、そうしたいだけ。そうだね、死んだあいつのためじゃない。僕に手向かったことを、後悔させてやる。そんな気持ちかもね」
 投げやりに言ったけれど、それがフェリクスの本心でないことくらい、リオンにもわかる。先ほど、逆らったのを詫びるよう、竜がフェリクスの首に巻きついて擦り寄っていた。
「僕はね、リオン。せっかくだから派手に行こうと思ってるよ。カロルだったら、気に入っただろうね」
「派手さが、ですか? そりゃあねぇ、あの人、そういうこと大好きですからねぇ」
 あえて朗らかに笑って見せた。リオンは自分が、その先の言葉を聞くのを恐れているのを感じていた。フェリクスの、思い切りのよさに、と言うべきか。
 リオンはわずかの間に己の心を整え、フェリクスに向かって微笑む。こくり、と彼がうなずいた。
「僕が待ってるのは――」
「もしかして、闇エルフや、半エルフやその子らの、あの集団ですか?」
 できれば、避けたいとリオンは思っていた。フェリクスが言うよう、異種族の力を借りれば、正に大陸全体を巻き込む戦乱になりかねない。
「そう。彼らは自分たちをアリルカ、神人の血を引く者たち、と呼んでるらしいね」
「そんなこと、どこで――」
「馬鹿にしてるの、僕を。あなたに独自の情報網があるように、僕にもある。すでに、接触は受けてるって言ったら、驚く?」
「いつですか!」
 悪戯のよう言われた言葉に、リオンは驚愕した。この塔に入ってからのことではない。それならば、幾らなんでも気づいている。
 それならば、過去のこと。まだ星花宮にいたころに違いない。いささか、信じがたかった。
「そう。何年前かな。当時の僕に不満はなかったから、ラクルーサを出て協力する気はない、と言った。でも、接触自体は保ってた、いままでね。笑えばいいよ、僕にも多少の同情心ってもんがあったんだってね」
「もしかして、フェリクス」
「イーサウ独立に手を貸すよう、助言したのは僕だ」
 想像を、きっぱりと断言された。無言で口をつぐんだリオンをどう思うのか、フェリクスは言葉を続けない。
 今更ながらリオンは、いい手だと思い始めていた。フェリクスに諦める気がない以上、中途半端はよくない。いっそ、突き抜けてしまえばいい。戦乱を起こすなら、一夜にして花開き、そして萎むものにすればいい。長期間の戦争よりよほど被害が少なくてすむ。
 その上、異種族を巻き込めば彼らが歴史の表舞台に躍り出ることにもなる。それはそれでいいことではないだろうか。ある意味で戦いとは最大の理解行為だとエイシャの神官たるリオンは思う。
 見ず知らずの相手を生まれ育ちで差別する、と言う感覚がリオンにはわからない。異種族だから、なんだと言うのだろう。刃を交わせば、そこにいるのが得体の知れない化け物ではなく、お互いに生身の生き物だと思い知ることになるだろう。
「同族が認められるために、手を貸したんですか、あなたらしくもない」
 非難めいて言えば、フェリクスの気配が和らいだ。竜が困り顔で鳴く。それはどことなく、穏便に、穏便に、とタイラントがかつて艶かしい悲鳴を上げてフェリクスを止めていた姿を思わせた。




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