竜とじゃれあうように戯れていたリオンの脳裏に、カロルとの思い出がよぎっては消え、消えては浮かぶ。 決して穏やかな人ではなかった。まかり間違っても奥床しい人間だ、などと表現できるはずもない。見た目こそはたおやかな美しい人だったけれど。 言葉よりも先に手が出る足が出る。魔法を飛ばされ、剣で切りつけられ。そうして二人で遊んできた日々。 「ちょっと! 痛いですよ!」 竜に向かって声を上げながら、リオンはカロルのことを思い出していた。竜の鉤爪が頬を掠めるたび、カロルの剣先を思う。 「ねぇ。二人とも。いい加減にしたら。僕はさっさと進みたいんだけど」 ちらりとフェリクスの表情が動いた気がした。リオンの気のせいだったのかもしれない。 「そんなこと言っても、彼をけしかけたのはあなたですよ?」 「リオン」 「なんです?」 「黙れ」 一言の元に切り捨ててフェリクスは腕を伸ばす。心得たよう竜が飛び移った。 その言葉の選び方にもリオンは彼を思い出さずにはいられない。言葉の柔らかな人ではなかった。乱暴、粗雑と言ったほうがずっと的確だった。 「リオン」 「はい?」 「あんまり何度も言いたくないんだけど――」 「だから言ってるじゃないですか。あなたは私の銀の星ととてもよく似てますけど、だからと言って身代わりにする気なんかさらさらないです。そんな――」 「気色悪い」 「同感ですね」 「だったら」 あっさりと同意して見せたリオンが疑わしくて思わずフェリクスは竜を見やる。竜は励ますよう、うなずいていた。 「あなた、覚えてないですか?」 そんなフェリクスに表情を和ませたリオンは言う。どこか昔を懐かしむ顔をしていてフェリクスは一瞬、耳を閉ざしたいと思ってしまう。 「カロルは言いましたよね。師匠といえば親同然。親の言うことを少しは聞けって」 それは塔の迷宮の事件のあと、フェリクスが星花宮に戻ってきた直後のことだった。 表向き、フェリクスは事の首謀者とはされなかった。が、償いとして魔力が暴走した結果、荒地となってしまった敷地の正常化を科されている。 魔術師の塔とは、そもそもが魔力の塊のようなもの。それが暴走して崩壊したのだから、荒地は酷い有様だった。生半なことでは回復は覚束ない。 フェリクスは必死だった。彼は心に決めていた。それを口に出すことはなかったものの、カロルも、そしてリオンも知っていた。 彼が、償いを果たそうとしていることを。それこそが、自分が前に進むための第一歩となることを。彼は恐怖と復讐に凝り固まってしまった自分の時間を、進めようと決心していた。 それがカロルを苛立たせていた。決心それ自体は素晴らしい。それをカロルが言うこともなかったが、そう思っていることはリオンもわかっていた。 だが、フェリクスはそのためにすべてを賭けすぎていた。償いなのだからある意味ではそれは当然とも言える。 それでもカロルは、彼の師はそうは思わなかった。自らの体を損なってまでする償いに意味はあるのか。前に進む、未来に視線を向ける、そう決めた意味を見失っていくフェリクスをよしとはしなかった。 「フェリクス。ちっとこい」 そうカロルが弟子を呼び出したのはある日のこと。偶々なのか、それともカロルの深遠な考えなのかリオンも同席していた。 「なに」 現れたフェリクスは、リオンが見ても痛々しいほどに顔色が悪い。この分では何日もろくに眠っていないのだろう、と思われた。 「こんなこたァ、この俺が言うとは思ってもみなかったがよ。――ちったァ、休め」 「なに言ってるの」 「休めって言ってんだよ、馬鹿弟子が!」 「僕は――」 「いいから人の言うこたァ聞け! そんな体調でテメェ、なにするつもりだ、あん? 体壊してなんになる」 「だって」 「償うってなァ、正しい。テメェのしたことはテメェで落とし前をつけろ。俺はテメェみてェな馬鹿弟子持っちまったんだから仕方ねェ。ある程度は手伝ってやる」 「ちょっと、カロル」 「だがな、フェリクス」 それまでどちらかと言えば軽薄だったカロルの態度が豹変したのはその瞬間だった。リオンは今でもその鮮やかさを覚えている。 リオンはエイシャ女神の神官として、人の本質をその目で見ることができる。カロルの本質は彼そのものを表現したとしか思えない、それは美しい炎にも似ていた。 普段から美しいそれが、そのときには正に目を奪われた、としか言いようがなかった。華やかに燃え上がった炎が、フェリクスの心の奥を照らし出そうとしてでもいるかのごとく輝いていた。 「テメェは心に誓ったはずだ。誰に言わなくっても俺にはわかってる。師匠の目を舐めんじゃねェぞ。テメェは決めたな、フェリクス。その足で未来に歩いてくって決めたはずだ。違うか」 「そうだよ、だから!」 「だから、だ。今ここで体壊してどーすんだ。馬鹿が。ちったァ、師匠の言うこと聞け。師匠って言ったらな、親も同然ってもんだ。親の言うことは聞け。いいな?」 言い捨てて、照れたのだろう、カロルは部屋を出て行ってしまった。少なくとも、リオンはそう思っていた。 「なに、あれ……」 だが、どうやらフェリクスはそうは思わなかったらしい。見捨てられたような心細さを覚えたのだろう、呟きに力がなかった。そのせいだろう、リオンが彼をからかう気になったのは。 「おやまぁ、カロルってば照れちゃって。可愛い」 「はい? そこのボケ坊主。なに言ってるの」 「私をそう呼んでいいのはあの人だけです。お忘れなく」 現在でも親密とは決して言えない二人だが、当時は笑顔で刺々しいやり取りをすることも多々あった。このときもそうだった。 「カロルのどこが照れてるの。頭が悪いの、目が悪いの」 「どっちも正常ですよ」 「どこが?」 「だって、あの人。師匠といえば親同然なんて言ってましたけど、言葉を裏返せばつまるところあなたのことが我が子のように可愛いってことじゃないですか」 言われたフェリクスの表情こそ見物だった。愕然とした顔をし、次いでうつむいたけれどその頬が赤らんでいるのをはっきりとリオンの目は捉えていた。 「どうです、カロルのことお父さんとでも呼んでみますか。あぁ、でもそうだなぁ……」 思わせぶりに言葉を切ったリオンを苛立たしげにフェリクスは睨み上げる。その耳にまだ赤みが残っていた。 「我々の役割分担からすると、どちらかといえばお母さんでしょうかねぇ」 わざとらしく言ってみせたリオンはそれが真実とは程遠いことを知ってたが、フェリクスはどうだろう。思い切りよく息を吸い、吐く。怒りをこらえたのは明らかだった。 「……あんな乱暴者のお母さん、いらないよ」 「じゃあ私をそう呼んでみます?」 「ちょっとリオン。顔貸して」 「はい?」 無邪気に言ったリオンにフェリクスは顔を近づけ、思い切りよく頬を叩いた。乾いた音が響いたけれど、実際はさほど痛くはなかった。 「あのね、気持ち悪いこと言わないでくれる? カロルの趣味の悪さはほんと、最低だよ」 先ほどのカロル同様、言い捨ててフェリクスは部屋を出た。一人残されたリオンは微笑みを抑えきれなかったものだ。 フェリクスはその言葉で二人を認めたも同然だった。そしてカロルに従ったことも明らかになる。フェリクスはその日以来、体調を整えることに注意を払うようになってた。 「確かに、言ってたね」 二人して思い出した過去の情景を振り払うよう、フェリクスは首を振る。一人その時間を共有していなかった竜が、悲しげに鳴いた。その背を撫で、フェリクスは無表情だった。 「カロルにとって、あなたは持った事のない我が子のようなものだったに違いありません」 「そんなこと――」 「あなたがどう思っていようと、私はそれを知っています。あなたが知らないカロルを知ってるんですよ、私」 にっこりと言ったリオンにフェリクスは少しばかり嫌そうな顔をした。あるいはそれは苦痛だったのかもしれない。失ってしまった人々を思い出す、そのことへの。 リオンは胸を鷲掴みにされる思いでいた。フェリクスは、苦痛を感じていなかった。それが、わかってしまう。人の本質を見るエイシャの神官の目には、映ってしまう。 「ですから、カロルはあなたを自分の子供のように思っていた、それは認めてください」 「……別に。いいけど」 「ついでに言えば、私、カロルにとっても愛されていました。……います」 言い直したリオンからフェリクスは咄嗟に視線をはずした。肩の竜が長い尾を首に巻きつけてくる。指先でたどり、呼吸を整える。そんな自分に気づいていなかった。 「ですから、カロルが慈しんだ子供なら、私にとっても同じってことです」 「気色悪いこと言わないで!」 「あぁ……誤解のないように」 声を荒らげ睨み据えてきたフェリクスにリオンは莞爾とした。むしろ、ほっとした。痛ましい顔を見ているのはつらかった。 「カロルがそう思っていたならば、私にとってあなたは永遠の子供です。私の銀の星に匹敵するような素晴らしい男とはなりえませんね」 「ちょっと――」 「つまり、あなたはとってもカロルによく似ていて、本当に親子みたいだなぁと思うことは多々あっても、決して私のカロルとは比べ物にならないって、そういうことです。おわかりですか?」 「……それって惚気? いいから、答えなくって。もう、あなたの相手してたら進めないじゃない。置いていこうか、タイ――」 竜に向かってフェリクスは呼びかけそうになった、彼の名を。伸ばした指が止まる。握り込む。無言のままリオンを見た。何か言えば即座に殺す、そんな目をしたままフェリクスはリィ・サイファの塔へと黙って跳んだ。 |